誰がコマドリ殺したの?
分かれ道に出くわすたびに、私たちはあの刻まれた文字を目にした。
それを見た天使は、決まって道を指し示す。彼女には、進むべき道がわかっているようだった。
:どこに向かってるんだろうね
:周りはどんどん暑くなるし
:ついに床から陽炎が立ち上るようになってしまった
:お嬢、大丈夫?
私は大丈夫。どれだけ暑くなっても、熱は天使の血が吸収してくれるから。
ただし、この血も無尽蔵に熱を吸えるというわけではないらしい。
数十分もすると、血の小瓶はそれ以上熱を吸わなくなってしまった。すると天使は古い血を捨てて、また新しく血を小瓶に詰めてくれた。
「天使とは、一体どういう生物なのだろうな」
インカム越しに真堂さんが呟く。
「熱を吸収する血液か……。しかし、放出する機構は十分に備わっていないように見える。となると暑い地方に住んでいるとは考えづらいが……」
「でも、暑さに、耐えられますよ?」
「大容量の吸熱ができるのはそうだが、放出しなければいずれは限界が来るだろう」
:ふーん……?
:まあ、砂漠にこんなふっさふさの生き物いないか
:むしろ寒いところの子だったりしてね
:寒い地方で生きていくために、いっぱい熱を蓄えられるように進化した……とか?
:いやあ、さすがに逆張りじゃない?
「なんにせよ、無限に吸熱できるわけではない。有用だが過信はするなよ。その血に命を預けなければならない状況は避けるべきだ」
「まだ大丈夫、ですよ」
今の気温は六十度を越えたくらい。血がないと暑いけれど、耐えられないってほどじゃない。それにこの距離なら、走れば安全地帯まで逃げ出すことだってできる。
そうして道を進んでいると、ある部屋の前で天使は立ち止まった。
「******……」
天使は部屋の扉を撫でる。扉に刻まれているのは、あの文字だ。
「気になるの?」
「……***」
「いこっか」
罠を警戒しつつ、扉を開く。
横開きの石の扉をスライドすると、その先にあったのは大きな部屋だ。
部屋の中には、いくつもの装置らしきものが整然と並んでいた。机ほどの大きさの台座の上に、円形や球体を組み合わせた幾何学的な図形や、ボタンのようなものがごろごろと並んでいる。
「これは……。なにかの制御端末か?」
「いえ、真堂さん。それじゃ、ありません」
そこも気になるが、見るべき部分はそれじゃない。
何より目を引くのは、部屋の真正面にある台座にもたれかけた人影。
「これ、です」
人の死体だ。
:ひえっ
:死体だ……
:唐突に流されるグロめの映像
:忘れたか、ここはお嬢の配信だ
:なんだこれ、ミイラか?
死体はミイラ状になっていた。腐敗するよりも先に全身がからからに乾燥していて、肌や肉が骨にへばりついている。身につけているものは何もなく、かろうじて服の残骸があるだけだ。
それからその死体には、天使と同じ翼があった。
「******……」
天使は死体にふらふらと近づき、跪く。
彼女の顔は沈痛だ。歯を食いしばって、涙をこらえる。
そして彼女は、翼を使って自分の体を繭のように包み込んだ。
きっとそれは、祈りの仕草だ。
「…………」
私には翼がないから、天使の仕草を真似することはできない。
真似しなくてもいいと思った。祈りの形に、正解なんてないだろう。
天使の隣に跪く。手を合わせて、祈るように目を閉じた。
「御冥福をお祈りします」
死体を見るのは初めてじゃない。迷宮に長くいれば嫌でも目にするものだから。
だけど、何度見たって、この畏怖と哀愁が入り混じった感覚は薄れなかった。
それから天使は、しばらくその場で祈り続けた。
早く行こうと、何度も急かしてきた彼女にしては珍しい行動だ。もしかして知り合いだったのだろうか。
天使の哀しみは私にはわからない。時折すすりなく彼女にかける言葉もなく、私は一歩距離を引いた。
「……少なくとも、わかったことがいくつかある」
真堂さんからの無線が入る。
「彼女の種族――仮に翼人とでも呼ぼうか。天使以外の翼人も、この場所を訪れていた。遺跡内に刻まれた文字は、翼人が刻んだものなんだろう」
それはなんとなく察しがついていた。天使が読めるあの文字は、彼女の同族が刻んだと考えるのが順当だから。
だから、天使以外の翼人がここにいることも、驚くことではない。
「つまりここは翼人にとって意味のある場所だ。天使もまた、なにかしら目的を持ってここに来た。君のように迷い込んだわけじゃない」
それもわかる。彼女の足取りには明確な目的があったから。
「この遺跡の上部にあった侵入口と、君が引っかかった転移罠。もしかするとあれらは、翼人が使っていたものなのかもしれないな」
それは……。そうなのかもしれない。
つまり天使は、私と同じ罠を踏んで、この遺跡の下層に転移してきたってことだろうか。
一応納得はできる。私と天使が出会った場所は、罠で転移した先の近くだったから。
「……最後に、これは憚られる仮説なのだが」
少し言い淀んで、真堂さんは続ける。
「ずっと疑問に思っていた。天使はなぜ、あんなにも軽装なのかと」
「軽装、ですか?」
「手にもったのは一本の剣。食料もなければ、医薬品も持っていない。こんな危険地帯、着の身着のまま訪れる場所ではないだろう」
「あ……」
:うわ
:そう言われるとそうじゃん
:ほんとだ
:そこは魔法でなんとかする気だったとか?
:でも会った時、天使ちゃんお腹すいてたぞ
迷宮を探索するにはあまりにも心もとない装備で、彼女はここに来た。
それも偶発的にたどり着いたわけじゃない。彼女はおそらく、自分の意志でここにいる。
「その翼人の遺体だって装備をろくにもっていないだろう。それを前例だとするならば、こう考えられる」
頭をよぎった仮説がある。
考えるだけで胸が締め付けられるそれを、真堂さんは淡々と口にした。
「天使は、最初から死を覚悟して。あるいは死ぬためにここに来たのかもしれない」
天使は今も、同族の亡骸に祈りを捧げ続けていた。