夏の終わりに
「白石さーん?」
:お嬢ー?
:楓ちゃーん?
:白石さーん?
「白石さん、出てきてくださいよー。そろそろ水着も乾いたでしょー?」
「……やだ」
蒼灯さんに呼ばれても、岩場から出る気はなかった。
見られた。晒してしまった。あんなはしたない姿を、よりにもよってカメラの前で。
岩場の影で、体育座りになって縮こまる。
どうしよう、私、明日からどうやって生きていけばいいんだろう……。
「ただの水着じゃないですか。なにをそんなに恥ずかしがりますかね」
「蒼灯さんには、私の気持ちは、わからないんだ……」
「……そんなことないですよー?」
:ほんとかぁ?
:羞恥心の欠片もない格好してるけど
:今日は蒼灯さんも被害者だったし、ちょっとはわかるのかも
:なんかあったの?
:井口さんがね、ちょっとね
:そういえばあの権利、お嬢のものになったのかな
:いやあ、仕留めてないしノーカンじゃない?
権利って、なんのことだろう。
まあ、リスナーたちがよくわからないのもいつものことだ。気にするようなことじゃないか。
「もう、しょうがないですね」
蒼灯さんの気配が近づいてくる。岩場にやってきた彼女は、私の隣に腰掛けてきた。
「大丈夫です。カメラ、置いてきましたから」
「……ほんと?」
「イベントももうすぐ終わりますし。ここでゆっくりしてましょうか」
……そっか。
ステージでは今、閉会式をやっている。私たちも呼ばれていたけれど、役割としては賑やかしだ。
蒼灯さんはともかく、私はいてもいなくても変わらないだろう。
:あおひーも行っちゃった
:頼んだあおひー、俺らはここで海を見てるから
:まあ、声は聞こえるんだけどね
:こちらはお嬢とあおひーの会話を聞きながら、海に沈む夕日を眺める配信となっております
:雑にエモいなー
「白石さん。一月ぶりの迷宮はどうでした?」
「あ、うん。えと、楽しかった、よ?」
「そうですか。それは何よりです」
嘘じゃない。色々あったけど、楽しかった。
急に水着を着せられたり、十万人以上のリスナーの相手をさせられたり、突発的に強敵と戦ったりもしたけれど、総じて楽しい一日だった。
最後の最後に服が透けちゃったのは……。その、一旦置いておくとして。
「こういうイベント、また参加したいですね」
水平線に沈む日を見ながら、蒼灯さんは言う。
「迷宮って、戦うだけの場所ではないと思うんです。だから、こんな風に賑やかなイベントも、時々やれたらいいなって」
蒼灯さんの言う通りだ。迷宮は、戦うだけがすべてじゃない。
この場所に渦巻く数多の未知に惹かれたから、探索者になったんだ。けっして、戦いだけを求めて迷宮に来たのではない。
だけど今日、一番楽しかったのは、大海龍との戦いで。
魔力核を使った柔軟な戦法を試すのが楽しくて。撫斬首落の突破力で敵を切り崩すのが楽しくて。
とにかく楽しくて、楽しくて、わくわくが止まらなくて。
「……?」
……あれ。私って、あんなに戦いが好きだったっけ?
前からスリルは好きだったけど、あそこまでじゃなかったような、そんな気がする。
まあ、いっか。
たぶん、一月ぶりの迷宮で、テンションが上がってただけだろう。
「おや。白石さん、もしかしてあんまりだったり?」
考え込んでいると、蒼灯さんは心配そうに私の顔を覗き込む。
「あ、いや、えと。そんなこと、ないよ?」
「ほんとですか? 気、使ってません?」
「ううん、ぜんぜん」
嘘じゃない。こういうイベント、またやりたいって思っているのは本当だ。
「次も、裏方が、いいな」
「そこで裏方志望しちゃいますか」
「うん。見てるの、好きだから」
:混ざるよりも眺めてたいタイプか
:目線がリスナーなんよね
:おうお嬢、よかったらこっち来るか?
「怪我治して、魔物やっつけて、あとは見てる。そういうの、またやりたい」
「私は、白石さんにも参加してほしいなって思ってますけどねー」
「へ、え? そ、そう?」
「だって、一緒に遊びたいですし」
それは、その、えと。
……楽しそうだなって、思うけど。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「お、言いましたね? 言質取りましたよ?」
「うん。一緒に、筋トレとか、しよう」
「……白石さん的には、筋トレって遊びに含まれるんですか?」
「え、ちがうの?」
:ふふ
:お嬢、ご趣味出てますよ
:筋肉フェチがよぉ
「そのストイックさが、強さの秘訣なんですかねー」
蒼灯さんはちょっと投げやりに言った。
「白石さん。前から聞いてみたかったんですけど、何をどうしたらそんなに強くなったんです?」
「え、え、えと?」
「せっかくですし、四層に行くにあたって、アドバイスとか貰えたらなって」
なんでって言われてもなぁ……。
ちょっと考えてみたけれど、特にいい答えは思いつかなかった。
「私はただ、長いだけだよ。迷宮が、好きだったから。だから、ずっと潜ってた。それだけ」
「それだけ? 本当に?」
「うん。それだけ」
別に、特別なことをした覚えなんてない。
迷宮が好きで、日常的に潜っていたらこうなった。本当にそれだけだ。
「だから、えと。毎日、潜ったら、いいと思う」
「……毎日?」
「うん、毎日。迷宮に、住むくらい」
「迷宮に住む……?」
「一番、探索頑張ってた時は、そうしてた。寝る時以外は、ずっと迷宮。慣れてきたら、寝るのも迷宮。武器が壊れるまで、一ヶ月くらい、潜ってたことも、あったっけ」
「あの、白石さん。探索者協会が推奨している迷宮探索のペースってご存知ですか?」
「あ、えと。迷宮探索は、三日に一回ってやつ? 変だよね、あれ」
「変なのはあなたです」
「え」
:それはそう
:毎日潜る場所じゃねえんだわ
:迷宮とは本来とても危険な空間であってですね(n回目)
:一日潜ったら数日休むのが普通なんよ
:というか、一日中探索ってのがそもそもおかしい
:普通は半日もやったら限界なんだよね
:毎日毎日戦い続けて、四年も経ったらこうなるか
「ご、ごめん。あんまりいい、アドバイスじゃ、なかった、かも」
「……いえ。とても参考になりました」
蒼灯さんは座り込んだままうなだれる。少しして、顔を上げた。
「そうですよね。それくらいやんなくちゃ、追いつけないですよね」
「え、と?」
「気にしないでください。こっちの話です」
:やるんか……? 蒼灯さん、まさかやるんか……!?
:やめとけあおひー、人間には限度ってやつがある
:これもう人間卒業試験やろ
ま、まあ、ちょっと大変かもしれないけれど、その意気込みがあるなら大丈夫。蒼灯さんなら、きっと四層でもやっていけるはずだ。
ぶっちゃけ、迷宮四層はそこまで難しくない。あそこはまだ、努力次第で行ける場所だから。
迷宮というものに向き合って、正しく研鑽を積み重ねれば、四層までならたどり着ける。
そこに才能だとか、特別な何かは求められない。人間をやめる必要もない。
本当に人をやめなければいけないのは、五層からだ。
「えと、蒼灯さん。行きたいのは、四層、なんだよね?」
「ええ、はい。そうですけど……?」
「そっか。なら、よかった」
もしも蒼灯さんが五層を目指すんだったら、私は止める。
五層から先は魔界だ。迷宮という場に魅入られて、人としての大切な何かを外してしまった、人外だけがたどり着ける領域だ。
人の身で踏み入っていい場所ではない。
「…………」
熾烈さを増す迷宮の闇は、生き残るための力を果てしなく求める。人としての枠組みを超えられないものに、深層の土を踏む資格はない。
六層ではない。五層の話だ。
六層に足を踏み入れるのなら、きっと、人を外れるくらいでは足りないのだろう。
だから。だから、私は。
真堂さんの言う、六層魔物への対抗策なんて、絵空事だと思っている。
組織として六層級の魔物に抗する術を備える。あの人はそう言っていたけれど、そんなものは理想論だ。
そもそも、前提からして間違っているのだ。対策を練って、準備をすれば、三層や四層の探索者でも、リリスや呪禍をどうにかできると。そんなことを考えているのであれば、それは迷宮というものを舐めすぎだ。
準備や対策でどうにかなるほど、迷宮の闇は甘くない。六層級の魔物とは生きる災害だ。人の常識で推し量ることが、そもそも間違っている。
あれに抗う方法は一つだけ。
人智を超えた理不尽には、人を外れた理不尽をぶつけて、叩き潰すしか道はない。
その役割は私がやる。一人でいい。手助けはいらない。
六層の魔物を狩るのは、私のような人外に任せてほしい。
ただの人間が集まったって、できることなんてないんだから。
「…………」
それでいいんだ。私はそれでいい。
命を削って、魂を削って、いつか戦いの中で果てるとしても、それでいい。
私はもう、それでも守りたいって思ってしまった。
この感情は隠し通そう。きっと、真堂さんは止めるから。
嘘も隠し事も、あんまり得意じゃないけれど、これからはそういうことも覚えなくちゃいけないんだろう。
気づけば陽は沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。
暗闇に包まれた海を見ながら、私はとりとめもないことを考えていた。
(……怒られたかったな)
怒られたかった。
できることなら、真堂さんにきちんと怒られたかった。
善悪を切り分けてほしかった。進むべき道を示してほしかった。
人としての在り方を、思い出させてほしかった。
人外として刃を振るう時、私の中から何かが失われる。戦いの場では不要でも、人として生きるには大切な何かが。
魔力核を得て、新しい武器を手にして、私はたしかに強くなった。だけど、その代わりに支払ったものは、一体なんだったんだろう。
もう自分では思い出せない大切なもの。失ってしまったそれに、ほんの少しの寂寥感を覚えて。
:わ
:花火だ
:きれー
:たーまやー!
「白石さん。寒くないですか?」
ビーチから花火が打ち上がる。
遠くから聞こえる人々の歓声。ぱっと咲いた光の華が、私たちの顔を明るく照らす。
すべて、私からは遠いものだから。こうやって、人気のない場所で見ているくらいでちょうどいい。
「ううん、平気」
夏の終わりに、夜空を彩る花火の下で。
私は、嘘を覚えた。




