7. 「混迷の洞窟」の主と想定外
最下層へと向かうルートを探す途中。
護衛対象のジオの様子を気にしながら進んでいると、先程の凄惨な光景を思い出しているのか、ジオは険しい表情で肩をぶるりと震わせていた。
冒険者をやっていれば、地上での大規模な魔物討伐依頼等に駆り出されることがある為、ああいった光景はさして珍しいものでもないのだが。
料理人であるジオにとっては少々刺激が強いものだっただろうか。
「ジオ、大丈夫? さっきので気分悪くなっちゃったかな」
「ん?ああいや、そういうんじゃないぜ。ちょっと考え事しててさ。オイラ、昔っから考えてる事が大げさに顔に出ちまうんだよなあ。全然大したことじゃ無いから気にしないでくれよ」
「そっか? 分かった。何かあったら遠慮なく言ってね」
「おう、大丈夫だ。あんがとな!」
けろり、と表情を明るい物に変えたジオは無理をしているようには見えない。どうやら杞憂だったみたいだ。
だいぶ後になってから聞いた事だが、この時のジオは先ほど見た死骸の量のロックバットに囲まれる所を想像し、更にその次、そんな状況を切り抜けた私の暴れ狂う姿を想像して、その恐ろしさに青くなっていたのだそうだ。……ちょっと、失礼な話である。
さて、私達はあっさりと見つかった別の道を問題なく進み、運良く魔物にも出くわさず、遂に最下層の入り口まで辿り着いた。
混迷の洞窟の最深部、地下10階層。ここ混迷の洞窟という迷宮において、唯一道に迷う心配の無い階層である。
入り組んで迷路じみていた今までの階層とは違い、最下層は大きく開けた空間が広がっており、その中央には澄んだ水を湛える地底湖がある。
迷宮の主、ティポタロプスはこの地底湖の湖畔に住処を構え、主食の鉱石や魔石類を集めるために、硬い鉱石を削り出したお手製の石棍棒を持って周辺を徘徊している。
ゴツ、ゴツ、と地面に棍棒を打ち付けながら移動しているので、こちらから位置を特定するのは容易い。
ジオはティポタロプスから隠れながらこっそりと採取をするつもりだったようだが、いつこちらに気付くか分からない脅威が動き回っている中では、採取にはろくに集中出来ないだろう。
脅威を排除出来るのならばその方が良い。
暗闇でも獲物を視覚で捉えられるような進化をしたケイブサラマンダー等とは違い、ティポタロプスは視力が完全に退化した代わりに、それ以外の感覚器官が異常に特化している。
戦う際は目が見えない相手だと思わない方が良い。棍棒を打ち付けた際の振動や僅かな反響音、匂いや空気の動きを捉えて、凄まじい精度で物体の感知と判別を行うのだ。
「ジオはここで隠れていて。先に行って主を倒してくる」
最下層に降りる通路の途中、手頃な岩陰にジオと屋台を誘導し、こそり、と小声でジオに耳打ちする。
既に、ゴツ、ゴツ、と岩と岩をぶつけるような音がこの先から微かに聞こえてくる。かなり距離がある為正確には分からないが、僅かずつ、向かって右側の方に移動しているように思える。
最下層は迷宮の主の縄張りとなっている為、ここに他の魔物が近寄って来る事はない。ティポタロプスは自分が引き付け、入口付近から離れて戦えばジオに被害が及ぶことは無いだろう。
「わ、わかった。マーシャなら心配ないかもだけど、気を付けてな。これ、一応、ポーション渡しとくよ」
ジオは小声でそう言って、二本のポーション瓶を手渡してくれた。使うことは無いかもしれないが、有難く受け取って携帯ポーチにしまう。
「ありがとう。じゃあ、静かに待っててね。終わったら呼ぶよ」
携帯ポーチと剣だけを身に着け、強張った表情でコクコクと頷くジオを入口に残し、私は一人、最下層へ降り立った。
最下層に満ちる濃い魔力の流れが、ちりりと肌を撫でていく感覚。主から発せられる気配が、前回よりも大きく、強い。
前回とは違う、強者との戦いを予期させる空気にざわざわと昂る気持ちを抑え、ゆっくりと足を踏み出した。
岩を打ち付ける音は一定の間隔で聞こえてくる。気配を消しながら音のする方へ、なるだけ真正面には回り込まないように意識しながら近付いていく。
慎重に足を運び、地底湖のほとりまで来たところで、岩の音がぴたり、と止んだ。
光源魔法の出力を上げて、音の消えた先を強く明るく照らす。せり出したような地形になっている地底湖を挟んだ奥、ティポタロプスの姿を目視で確認した。
この距離からでも分かる。その姿は、前回遭遇したものよりも一回り以上大きく、浅黒い。
そして、ティポタロプスは既にこちらを向いており──私に攻撃を繰り出していた。
「『氷塊』!」
風を切って飛んできた石礫に、素早く生み出した氷塊をぶつける。それらは中空で衝突し、ガシャリと砕け散って地底湖の水面を弾けさせた。
それを皮切りにして、私は全速力でティポタロプスに向かって駆け出す。
想定していたよりも気付かれるのが早く、先手を打たれてしまった。距離を詰めなければ。この遠距離では、分が悪い。
対するティポタロプスも完全に臨戦態勢に入っていた。
唸り声を上げ、何度か強く石棍棒を壁に打ち付けた後、荒く砕いた石くれを絶え間なくこちらに投擲してくる。その狙いの正確さも威力も、前回よりも格段に上である。
間違いなく、あのティポタロプスは変異種だ。
本来であれば、ジオの身の丈を倍にした程度の体躯に、陶器のように白い肌を持っているのだが、ここから見る限りでもティポタロプスの大きさは私の身の丈の二倍を優に超えており、その肌は黒炭を混ぜたように黒ずんでいる。
冒険者ギルドから出されている『混迷の洞窟』の開示情報の中には、迷宮の主が変異するという情報は無かった。
何故、そして、どのような変異を遂げたのかは分からないが、確実に一筋縄ではいかない相手となっているだろう。
通常種と比べて、肉体の強靭さや戦闘能力が上がっているのは間違いない。その上で、何か新たな技能や特異な能力を得ている可能性もある。
……上等だ。
無意識に口角が上がるまま目前の強敵を見据え、打ち負かすべく思考を巡らせる。出来れば一瞬で決めたいところだ。
高い精度で飛んでくる石くれを、左右に身を振って避けながら、地底湖のほとりを回り込むように駆け、前へ前へと出る。
その最中、手元を空ける為にポーチから火の魔石を取り出し、展開していた光源魔法をギリギリまで込める。
こうすることで、光源魔法が手元から離れても、魔石に込められた魔力が尽きるまで暫く灯り続ける明かりとなるのだ。
「『氷刃』!」
完成した灯火の魔石を氷魔法で覆って鋭い刃状にし、洞窟の天井に射出して突き刺しておく。
それと並行して作り出した氷の刃をティポタロプスにも複数本射出したが、それらは石棍棒で軽く振り払われてしまった。
投擲した石が命中せず、有効な攻撃手段ではないと判断したティポタロプスが動く。石棍棒を構え、その巨体からは想像できない速さでこちらに向かって突進し、距離を詰めてきた。
私は回避に移れるよう、その場で留まる。
そして、この隙に残り二つの火の魔石を取り出し、今度はこれらを攻撃に用いる為、風魔法を込めていく。
魔石に込める魔法の相性や加減によっては、魔石が魔法の器として耐え切れなくなり、魔力量に応じた規模の暴発を起こす。
魔力の加減を誤れば大きな被害をもたらす現象であり、公には推奨されていない使い方なのだが、上手くやれば有効な攻撃手段となるのだ。
私を叩き潰さんと振り下ろされる棍棒を、既の所で飛び退いて躱す。地面が大きく抉れ、破砕されて飛び散った石片が衣服や肌を掠めていく。
それを気にする間もなく、棍棒は私を追いかけて続け様に振るわれ、もう片方の腕も私を捕らえようと容赦なく迫る。
巨躯であることは、それだけで脅威だ。
質量が大きいだけで攻撃の威力は跳ね上がり、ただ乱雑に振るわれただけの拳でも、まともに当たれば致命的な強打となる。
その上、ティポタロプスの間合いの内側に潜り込まなければ、急所はおろか、脚の腱にさえ私の剣は遠く届かない。
絶え間なく襲い掛かってくる攻撃の回避に集中しなければならない今、発動できる魔法はせいぜい小規模な攻撃魔法程度だ。
このまま戦いを長引かせるのは得策ではない。剣の一撃を急所に叩き込んでやる為に、仕掛ける。
先程から手の中に握り込んでいる、限界まで風魔法を込めた火の魔石に、水魔法の魔力を一気に込める。
反発する魔力が急激に膨張するのを手の中に感じた瞬間、私は二つの魔石をティポタロプスの頭部を目掛けて投擲し、同時に地面を強く蹴って、耳を塞ぎながら大きく後方へ飛び退いた。
ティポタロプスが自分の顔に向かって飛来してきた小石を弾き飛ばすべく、腕を振ろうとした、その直後。
二つの魔石は甲高い破裂音と共に爆発し、強烈な熱気と水蒸気を凄まじい勢いで撒き散らした。
私は爆発に備えて練っていた魔力で目の前に氷壁を生み出し、熱風を上手くやり過ごす。
「グオ、オオォ」
水蒸気で煙る中、猛烈な熱風をまともに浴びたティポタロプスが苦悶の声を上げている。それにあの爆音を至近距離で食らわせたのだ、聴力も奪えたはずである。
これくらいで倒れる様子はないが、ティポタロプスは予期しないダメージに棍棒を取り落としている。切り込むなら今だ。
剣を抜き、未だ残る熱気で周囲が白く煙ったティポタロプスの足元へ飛び込んで行く。確実に止めを刺す為に、先ずは、脚。体勢を崩すのだ。
私の接近に気付き、慌てたように振り回された腕を躱し、そのまま駆け抜ける勢いに乗せて、左脚の腱を切り裂いた。
がくり、と片膝をついたティポタロプスに追撃をすべく、完全に機動力を奪う為に今度は右脚を狙って接近し───
「ウオ、オ゛オ゛オ゛ォ!!!」
「ぐっ!?」
この、広い空間を丸ごと打ち震わすような、凄まじい音量と、爆発のような衝撃波を伴う咆哮。コイツ……!やり返してきた!
辛うじて耳は塞げたが、怯んだ私の隙を見逃さず、ティポタロプスは横薙ぎに私を殴りつける。
回避は間に合わない。
「ッ、『氷盾』!」
咄嗟に出した盾では衝撃を殺し切れず、殴り付けられた勢いのまま、砕かれた盾の氷片と共に大きく弾き飛ばされて地面を転がる。
壁際まで転がされ、追撃が来るかとすぐさま飛び起きるが、ティポタロプスは纏わりつく蒸気から逃れ、熱傷を冷やそうと地底湖に転がるように飛び込む所だった。
ざぶりと地底湖に身を沈めたティポタロプスを警戒しつつ、一旦その場から距離を取った。
防御に使った左腕が酷く熱を持ち、重い痛みを訴えている為、ジオから貰ったポーションを使わせてもらう。
コルク栓を引き抜くのも面倒なので、飲み口を割り開けて一気に中身を呷った。特有の苦みと熱の後、するりと左腕の痛みが引き、岩肌で打ち付け、擦り切れたそこかしこの傷も癒える。
それとほぼ同時に、ティポタロプスがばしゃりと水飛沫を上げて岸に這い出してきた。
岸辺の程近くに取り落としていた棍棒を掴み取ると、それを支えにしてぬう、と立ち上がる。
ティポタロプスの頭部と上半身はぐずぐずに焼け爛れて酷い状態になっている上、左脚も碌に使えなくしてやったのだが……鼻息を荒く吐きながら、体表に血管を浮き上がらせて震えている様子は、その凄まじい怒りと私への敵意を如実に表していた。
「……簡単には倒されてくれないか」
私を睨みつけて(まあティポタロプスに目は無いのだが)、牙を剥き出しにしているティポタロプスから怒気と殺気が色濃く発せられ、私の肌をざりざりと削るかのように逆撫でてゆく。
これは弱るどころか、怒りで力を増しているように思える。
対する私は、使える魔石を使い切り、ジオから受け取ったポーションは残り一つ。
煙幕玉は視覚に頼らない相手には意味を成さない。
スクロールの簡易結界程度では直ぐにティポタロプスの攻撃で砕かれてしまうだろう。僅かな時間稼ぎにしか使えない。
現状、使い物になるのは、手持ちの剣と、魔法。己の身一つである。
…………ああ、上等だ!




