3. 麦粥と横槍
食べる、食べる。一心不乱とはまさに、といった様相で、私はひたすら麦粥を口にかき込んだ。
ようやく食べ物にありつけた安心感と、久しく感じていなかった温もり、そしてその余りの美味しさに言葉にできない気持ちで胸が満たされる。
「その様子じゃあ、大層気に入ってもらえたと思うんだけどさ、念のためさ、おいしいかい? それ」
少年はニコニコしながら味の感想を求めてきた。そんなもの、回答は一つだ。
「……おいひい……ほんとに、すっごくおいひい」
きっと私は今、中々にひどい顔をしているだろうけど、取り繕うよりもこの感動と幸福を素直に伝えたかった。間違いなく人生で最高の麦粥だと断言できる。
飢餓で倒れ伏し、ここで死ぬのだと絶望した暗い気持ちもほぐれて消えていく。温かい食事によって体力も精神も癒され、活力が湧いてくるようだ。
「んへへ、これだけ喜んでもらえるとオイラまで嬉しくなっちゃうぞ! おかわりもあるから、いっぱい食べてくれよな」
「うん、うん……ありがとう」
照れたように笑った少年はもう一つの器を手に持ったまま、屋台を背もたれにしてこちらを嬉しそうに眺めている。
余裕の無い食事の様子をこうもまじまじと見られていると恥ずかしい気もするが、自分が作った料理を食べるお客を眺めるのも料理人の特権というやつなのだろう。
少し落ち着きを取り戻し、涙を拭って、残りが半分ほどになってしまった麦粥を食事のペースを少し落として再び味わう。
汁気の多い麦粥はするすると胃に落ちていこうとするが、口の中に留まっているわずかな間にしっかりと出汁に溶け出した野菜と肉の旨味が広がる。
野菜類はほどよく柔らかに煮込まれており、肉のプリっとした食感がアクセントになって楽しい。具材の旨味は出汁に溶け込んでいるが、よく噛んでみればそれぞれの味わいは残っており、食べ進めるのに飽きを感じさせない。
舌触りの良い麦の粒もしっかりと噛み締めるほどに麦のほんのりとした甘み、浸みこんだ出汁の風味を感じ、それらが全体の調和となって、充足感で満たされていく……。
ふと、仲間達との反省会を思い出す。
あの時の麦粥はやや小粒な麦と刻まれた蕪が塩で味付けされて煮込まれただけのシンプルなものだったが、ひどい目にあって疲れ切った身体と、ささくれた精神に染み込んでいくような優しさと温もりがあった。
失敗の原因について小競り合いをしていた仲間達も、麦粥を食べて何となく柔らかい雰囲気になり、経験を共有して次へと繋がる前向きな反省会が出来たものだ。
気持ちが落ち込んでいる時の反省会は建設的では無いし、失敗の悔恨に苛まれる一方だ。今回の探索の一人反省会もここを無事に脱出してから、もう一度やり直そうと思った。
行きつけの酒場で林檎のパイや肉串でも齧りながらやるのが良いだろう。その場に熟練の冒険者が居れば、声を掛けて助言を乞うのも良いかもしれない。
そんなことを頭の隅で考えながらも大層美味な麦粥を食べ進める手は止まらず、ペースは落としたつもりであったが、あっという間にぺろりと平らげてしまった。
「……なくなっちゃった」
意識して出した声ではなかったが、自分でも驚くほど悲しそうな声が出てしまった。それだけ、旨味のたっぷり詰まった麦粥はいつまでも味わっていたいと思うものだった。
「な、まだ食べるだろ? おかわりは沢山あるけど、今食べたのと、こっちのと、どっちが良い?」
少年が空になった器を受け取りながらそう尋ねてきた。おかわりと他のメニューがある事を聞いて、自分の心が少々踊るのが分かる。我ながら食い意地が張っていることだ。
少年に空の器を手渡し、入れ替わりに私の目の前に差し出されるのは、先程より小ぶりな器とスプーン。その中には先ほど壺から器に移されていたクリーム色の塊がある。
「これは……何の料理?酒場じゃ見たことないかも」
「オイラ的にはこっちのも中々の自信作だぞ! 作るのにちょっと手間がかかるんだけどさ……」
──と。
話を聞こうとした時、少年が通ってきた横穴の、一つ隣の穴から嫌な気配と生臭い空気が流れてきた。
立ち上がって剣を抜き、おや、と疑問符を顔に出した少年を庇うように前へ出る。
「少し下がって。魔物が来る」
「うえぇ!?」
少年は素っ頓狂な声を上げると両手に器を持ったままでわたわたと慌て、そのまま屋台の陰にしゃがみこんだ。
怯えた様子で私が体を向けた方向をちらちらと覗きつつ、身を固くしている。
「に、逃げないのかい? オイラは隠れてて大丈夫かい?」
「うん。数は多くないし、すぐ終わるよ」
少年はどうやら戦闘に不慣れらしい。この階層まで来るのに全く魔物に出くわさないで進んできたのか、それとも魔物に遭遇してはひたすら逃げ回って来たのだろうか。
一旦、それは思考の端に追いやって臨戦態勢をとると、魔物はすぐに横穴から姿を現す。
四足歩行で地を這ってずるり、と出て来たのは巨大なヤモリのような風貌をした魔物、ケイブサラマンダーだった。
一般的に魔物は、その生息地や迷宮内の環境に応じてその姿を変え、亜種、変異種、上位種、希少種などに進化することがあるとされている。
今目の前に対峙しているケイブサラマンダーもその類で、この迷宮の環境に適応して成長を遂げた変異種である。
その体高は人間の膝上ほどで、基本的なサラマンダー種と比べてやや大きい程度。
特筆すべきは、暗い洞窟内でも効率良く獲物を発見して捕らえられるように、視覚、嗅覚などの感覚器官が独自に発達している点だろう。
大きく飛び出た目玉に死角は無く、光の無い暗闇の中でも獲物の姿を捉えられると言われている。真後ろに位置取ったとしても、ケイブサラマンダーの間合いに入ってしまえば、正確に噛み付きや爪、尻尾での攻撃が飛んでくる。
その上、聴覚による気配察知にも優れているので、少しでも音を立てればこちらに気付かれてしまうのだ。
接近しての奇襲がほぼ不可能であり、ぐずぐずしていると仲間の戦闘を察知した群れが集まって来て取り囲まれてしまう。
その為、迂闊に手を出した冒険者が次々と集まってくるケイブサラマンダーを処理しきれず、逃走も出来ぬままやられてしまうケースもあるらしい。
討伐するのであれば、仲間が集まって来ないうちに迅速に殲滅する必要がある。
それなりに機敏な動きでこちらの動きに対応してくる魔物だが、その装甲は薄く、細剣でも刃は通る。
私はつい先程まで動けぬほど衰弱して倒れていた訳だが、ポーションを飲み、温かい食事も食べさせてもらった。全快とまではいかないが、この程度の相手なら気力も体力も十分だ。
穴から出てきたケイブサラマンダーは二体。おそらく群れから離れて獲物を探して徘徊していたのだろう。
どちらも既に私の存在を捕捉しており、相対すると大きな黄緑色の目をぎょろりと動かし、姿勢を低くしてこちらへ飛び掛かる素振りを見せた。
「『氷弾』!」
ケイブサラマンダーが飛び掛かって来る直前の溜めを見計らって、予め練り上げていた魔力で複数の氷弾を瞬時に生成し、打ち出す。
大きな目を狙って打ち出された氷の礫は狙い通りに着弾し、突然視覚を奪われパニックになったケイブサラマンダー達はその場で頭を振って出鱈目に暴れだした。
それと同時に地面を蹴って一息で距離を詰めると、暴れる動きが鈍った一瞬を見計らい、右側のケイブサラマンダーの首を半ばまで切り裂く。
振りぬいた勢いのまま剣を切り返し、未だ体勢の整わないもう一体の喉元も深く切り上げながら、ケイブサラマンダーの間合いの外に飛び退いた。
尻尾をバタつかせながら口を大きく開け、やがて二体のケイブサラマンダーはばたり、と倒れて動かなくなった。
穴の奥とその周囲にも他の魔物の気配が無い事を確認し、剣に付いた血を払って少年の方に顔を向け、声を掛ける。
「倒したよ。多分増援も来ない」
戦闘の様子を見ていたらしく、目をまん丸にして屋台の陰からこちらを覗く少年と目が合った。
「……はー! アンタ強いんだなあ! あんなにさっくりやっつけちゃうなんてさ!」
「ありがとう。でも、戦い方を知ってるだけだし、そんなに大したことないよ」
「いや、凄かったぞ! 剣のキレだけじゃなくて、身のこなしとか魔法も速くて凄かった! オイラは剣も魔法もからっきしダメでさあ、やっぱり冒険者って強くてカッコいいよなあ~!」
キラキラとした尊敬の眼差しを向けられ、少々こそばゆい。
剣の腕前だけであれば格上ランクの冒険者達とも少しは渡り合えるかもしれないが、総合的な実力で見ればまだまだ未熟である。こうも手放しで褒められてしまうと、どうも気がひける思いだ。
「その、ここって結構深い階層だし、魔物もそれなりにいると思うんだけど。あなたはどうやってここまで潜って来たの?」
話題を変えようと、先程から疑問に思っていたことを口に出してみる。すると、少年は頬をぽり、と掻いて答えてくれた。
「戦うのはダメなんだけどさ、オイラこう見えて結構すばしっこいから、逃げ足には自信あるんだ。勿論、逃げ切れないヤツもいるから、そんなのと遭っちゃった時は秘密兵器とかでどうにかする! あ、それと、迷宮に入る時は魔除けの聖水使ってるぞ。ケチって安くなってるの買ったから、多分もう効果切れちゃってたんだろな」
「なるほど……道具で魔物を回避して進んで来たのね」
魔除けの道具は様々な種類があるが、迷宮に潜る冒険者の間ではあまり使われない。冒険者にとって、魔物を討伐する事もその稼業の一部であるからだ。
迷宮の内外を問わず、基本的に魔物は人々に害を為す存在であり、古来より戦いの歴史が刻まれている。
手付かずになっていた迷宮で異常増殖した魔物が外に溢れ出し、餌を求めて近隣の都市を襲い、それによって滅ぼされた街も多数ある。
魔物の数が膨れ上がってからでは、討伐の危険度は跳ね上がってしまう。その為、正規の冒険者達の間では、可能な範囲で積極的に討伐する事が暗黙のルールとなっている。
だが、その恐ろしさの反面、魔物は価値のある資源でもあるのだ。
魔物を倒せばその魔物の素材が手に入り、魔物の種類や得られる素材は多種多様。それらの用途もまた様々であり、装備品の加工強化だけに留まらず、魔道具の触媒としての利用、生活用品や消耗品の材料、工芸品への加工等々、山ほどある。
そのため、冒険者ギルドには日々魔物の討伐依頼、素材の納品依頼が集まり、冒険者達に向けて公開される。
数が増えやすいスライム、ゴブリン等の魔物の討伐依頼は常時貼り出されている場所も多い。
迷宮に深く潜らずに依頼を複数受注し、その報酬だけで生活をする者も一定数いる。わざわざ高価な魔物除けを使い、稼ぎ口を自分から遠ざける冒険者は少ないのだ。
ちなみに、先程倒したケイブサラマンダーの利用可能な素材は眼球と皮くらいだが、眼球は氷弾で潰してダメにしてしまったし、手触りが悪く色味も地味な皮は需要があまり高く無い。
買取価格にも期待できないので、今回は持ち帰らない事にした。
「おお、そうだ、邪魔が入っちゃったけどまだ食事中だったんだよな。食べるかい?」
少年が持っていた器はいつの間にか屋台の上に置かれており、中身はそのままもったりとしている。食べ物の事を思い出すと、いまだに食べ足りないらしい腹の虫がくぅ、と鳴いた。
「うん、貰いたいな。今度はそっちの……クリーム色のほう」
すっかり少年の料理に胃袋を掴まれてしまったようで、その器の中身の風変わりな料理に期待を膨らませている自分がいる。
再び笑顔で器を差し出してくれる少年に歩み寄り、器を受け取る。先程聞きそびれた少年の話も聞きたいところだ。
元いた岩にもう一度腰掛け、次の料理と対面するのだった。




