17. 『森林の小道』と蜂
ブリクストを出発した私たちは、ブリクストの西側に伸びる街道を道なりに進み、やがて青々とした木々が繁る『森林の小道』へと足を踏み入れた。
『森林の小道』は、ブリクストといくつかの街と村、そして王都ディラナスとを繋ぐ長い街道の途中に位置する、幅の広い並木道が東西に通っている形の迷宮である。
左右に立ち並ぶの木々の間には所々細い横道があり、その先を進むと、植物型、小動物型の魔物の住処や、薬草の群生地、小さな湧き水のある広場等、ちょっとした空間がある。
横道の先に棲む魔物たちは、獲物を待ち伏せする生態を持つものや夜行性で臆病なものが多く、日中に幅の広い並木道に出て来る事はほとんどない。
したがって、こちらから住処に立ち入らなければ、不意に襲われるような事も滅多に無いのである。
東西に通り抜けるだけであれば安全な迷宮であり、街道を飲み込むように存在している為、その立地上、通行する人々も多い。
これらの条件を鑑みて、危険度Fランクに指定されている初心者向けの迷宮である。
私たちが『森林の小道』に入ったのはそれなりに朝の早い時間ではあったのだが、何人かの初心者と思われる冒険者達のグループがちらほらと見えた。
大方、薬草の採取か、ネストレミング等の魔物討伐にやって来たのだろう。どの横道に入るべきか相談しているようであった。
私たちはそんな彼らを横目に見つつ、幅の広い並木道をジオと横並びになって、さくさくと落ち葉を踏み締めながら進んだ。
……さて。ジオの話によれば、この迷宮を抜けた先に納品の依頼人がいるとの事だが。
「ここを抜けた先、って言ってたけど、依頼人は王都の人?」
「んや、違うぞ。西方面じゃなくて、北に抜けるぜ」
「え、北に?」
横道の奥を突き抜ければ『森林の小道』を抜けられないこともないのだが、北や南に無理矢理抜けても森が広がるだけで、近くに人里は無かったと記憶している。
それに、そんな森の中を屋台が通り抜けられるものだろうか。
「おう。その人森の奥に家建てて、一人で住んでるんだ。んまあ、その、実は依頼人って言っても、オイラの知り合いでさ。割と頻繁にお邪魔してるんだよな」
なるほど。家を尋ねるまでの道中は、ジオの案内に任せれば問題なさそうである。
聞けば、その依頼人というのは少々変わり者らしく、かなりの人嫌いなのだとか。街で暮らすのは性に合わないので、人目につかない森の中に住居を構えているとの事だ。
ただ、人嫌いとは言ってもなんだかんだ面倒見の良い所があり、知り合ってそれなりになるジオには何かと目をかけてくれているのだそうだ。
「そうだったんだね。なら、その人の家までは同行しない方が良い? でも、森の中だとそれなりに危険もあるよね。どうしようか」
「んーと、そうなんだよなあ~。……リフ、何て言うかなぁ……」
ジオは片手を顎に当てて、もそもそと何事か呟いた。
そうして、眉間に小さな皺を寄せながら唸る事数十秒、ジオはへにゃりと眉毛を八の字にし、難しい顔をして遠慮がちに私を見上げた。
「……ごめんだけど、どこまで一緒に行くかは一旦保留でも良いかい?」
「構わないよ。ジオの好きなように指示してくれれば言う通りにするから」
「ん、ありがとな。……あと、もう一個お願いがあるんだけどさ」
「なぁに?」
私の返事に一拍間を置いて、いつになく真剣な声色で、ジオは言葉を続けた。
「マーシャに、その、聞いて欲しい事、っていうか、相談したい事があるんだ。けど、いまいちオイラの中で纏まってなくてさ、もうちょっとだけ、考える時間が欲しくて。だから……お昼の時にでも、聞いてくれるかい?」
ハンドルを握り直したジオの手は少しだけ強張っていて、その表情は平静を装いつつも勇気を振り絞ったような、目の奥にほんの僅かな怯えが見えるような、そんな様子だった。
ジオからは初めて向けられる声音だったが、以前にもこんな風に話を切り出された記憶がある。元パーティー仲間に悩みを打ち明けられた時だ。
今のジオはかつて私が出会ってきた、自分だけではどうにもならない問題を抱えていたり、簡単には人に明かせない悩み事を持っている者達と同じ目をしている気がした。
まあそれが何にせよ、ジオが私に話したい事があると言うなら、私は真摯に耳を傾けるのみである。
「もちろん、聞くよ。お昼の時に、なんて言わないでも、纏まるまでいくらでも待つ。なんなら野営を挟んだって良いし。ゆっくり考えてよ」
私の返事を聞き、ジオは安心したように表情を緩めて「ありがとなあ」と笑い、「でも、昼には話すよ。あんま後に引き摺っても仕方ないからな」と続けた。
私も、自分の考えを纏めて言葉にするのは、少々苦手な質である。
思ったことが上手く相手に伝わらずに歯痒い思いをしたことも一度や二度ではない。急かされている時は尚の事、適切な言葉が出て来ない物だ。
自分の中で考えを纏めて、その一つ一つに丁度いい言葉をあてがうのには、ゆっくりとした一人の時間が必要なのである。
幸いにも、今回の納品の期限は定められていないと聞いているので、時間には多少余裕がある。
私が居れば迷彩海老の冷凍保存に問題は無いのだし、慌てる事はない。海老の鮮度が許す限りは、ジオを待つつもりであった。
じゃあ、暫く道なりにのんびりと進もうか、となった所で、前方の横道に入りかかっていた冒険者の一団が俄かに騒がしくなった。
彼らは何かを振り払うように数度剣を振り回したかと思えば、どうにもならないと言わんばかりに身を翻した。
「う、うわあ! だめだ! 逃げるぞ!」
「ひゃあぁ、さ、刺される!」
切羽詰まった悲鳴が聞こえ、こちらに向かって駆けて来る。そして、その背後に目を凝らすより先に、特徴的で耳障りな羽音が聞こえた。
「ありゃ。ブライトビーの群れだね。巣をつついちゃったのかな」
「ブライトビー……あっ! あの蜂だな!」
ブライトビーは人の拳大ほどの大きさで、森林や高原に広く生息し、木の根元や地面の裂け目等に巨大な巣を構築する、蜂の魔物である。
こちらから何もしなければ大人しいのだが、少しでも巣を害すると豹変し、一斉に巣から溢れ出して襲い掛かってくる。
腹部の末端には太く鋭い毒針を持ち、人を殺すほどの毒では無いのだが、刺されると激しい痛みを引き起こす。そしてその上、熱を持って凄まじく腫れ上がるのである。
顔をやられると人相がまるで変わってしまう程であり、腫れが引くまでは道行く人々にぎょっとした顔で見られる事だろう。
「マ、マーシャ。あいつらこっち来るぞ!」
「……うん、大丈夫。一応屋台の影まで下がっててね」
さっと周囲を見て他の魔物が居ない事を確認し、ジオの前に進み出る。軽く魔力を練りつつ、こちらに逃げてくる冒険者達に向けて声を張り上げた。
「走って! 早くこっちに!」
「あ、ああ! すまない!」
バタバタとやってきた彼らが後ろに駆け抜ける瞬間、ブブブブ、と低い羽音を響かせて襲いかかって来たブライトビーの大群に向け、魔法を放った。
「『凍結風』」
ぶわり、と凍てつく突風が吹き荒れる。ブライトビーの大群は飛んできた勢いをそのままに、巻き上がる風に絡め捕られて空中に高く舞った。
少しして群れを丸ごと包んだ凍結風は収まり、白く凍り付いたブライトビーがばらばらと落ちて地面に積もる。凍り切らなかったものも動きを鈍くして地面に転がり、うずくまった。
「す、すげえ……。一瞬で全部……」
「あの、なすりつけるみたいになって、ごめんなさい。助かりました」
息を切らした年若い冒険者達に礼を言われ、護衛の延長だから気にしないで、と返した。
駆け出しの冒険者と見える彼らは、一般的な薬草の一種であるエルク草を採取しにやって来たのだそうだ。
適当に選んだ横道に入る際、足元のブライトビーの巣に気が付かず蹴ってしまったらしい。
薬草の群生地がある横道の選び方と、ここいらで注意するべき魔物を簡単に教えてやると、彼らは再び礼を言い、私たちが歩いて来た方向へと横道を探しに去っていった。
凍ったブライトビーを興味深そうに指先でつつくジオをやんわりと窘め、軽く風魔法を起こして道の真ん中に積もってしまったブライトビーを端の方へ押し除ける。
下手に死骸を踏み荒らすと体液の匂いに釣られて魔物達が並木道に出て来かねない。駆け出し冒険者達や街を行き来する一般人も多く通るのだ、余計なリスクは避けてやる方が良い。
道をさっと片付けて振り返ると、ジオはちらちらと前方を気にし、何か言いたげな様子であった。
「ジオ、どうかした?」
「おお、あのさ、護衛してもらっといてなんだけどさ。さっきの、ブライトビーの巣があったってとこ、見ても良いかい? 折角だから、ちょっとばかし蜜を取りたくてさ」
どことなくばつが悪そうな顔をしたジオが指さすのは、先程の彼らが巣を蹴ったと話した辺りだ。
言われてみれば、ブライトビーは少し変わった蜜を集める習性があると聞いたことがある。実際に目にした事は無いので、どんなものなのか少し気になるところである。
「良いよ。まだ巣にブライトビーが残ってるかもしれないから、丸ごと冷やしちゃう方が良いかな」
「や、大丈夫だぞ。巣の、蜜が入ってるところだけコッソリ頂戴するだけならやり方があるんだ。んじゃあマーシャ、ちょっとだけ手伝ってくれよ。上手く採れたら味見しようぜ!」
「うん、わかった」
表情を緩めて笑ったジオと共に前方の横道へ向かう。
横道に少し踏み込んだあたりに転がる倒木の下に隠されるようにして、明るい土色がまだらになった巣が形成されていた。
姿勢を低くして近付き過ぎない距離から観察してみると、その巣は地面の窪みに埋まるような形で形成されており、どこまで深いのか全容が見えない。
巣の手前側、入り口と見える部分が少し欠けているのは先程の彼らが蹴ってしまったという跡だろう。
今の所、見える範囲にブライトビーはいないが、もし巣の中に残っているなら、さぞかし気が立っていることだろう。下手に刺激したくない。
採取中にいきなり至近距離から飛び出してきたとすれば……まあ、ジオは守れるのだが、魔法の加減が出来ずに巣を破壊してしまう気がする。
「……うーん、結構埋まっちまってるなあ。けどまあ、こんくらいなら何とかなりそうだな。お~し、採るぞ!」
ジオは気一つ合を入れて、屋台の荷物をごそごそと漁りだした。蜜をコッソリ頂戴する為には何かしらの道具が必要らしい。
それにしても、採取となるとジオの表情が途端に生き生きとする。
採取の準備をするジオの楽しげな横顔を視界の端で眺めつつ、ふと、自分の口角も自然と上がっている事に気が付いた。
おそらくだが、私もジオと似たような顔をしていたのだろう。
ジオが欲しがるという事は、それが優れた食材であるという事だ。既に今から採取する蜜の味が楽しみになっているのは事実である。
緩んだ自分の頬を引き締めようと顔を手で揉んでいると、不意に顔を上げてこちらを見たジオに不思議そうな目で見つめられてしまった。
私はなんとなく気恥ずかしくなり、曖昧に笑い返したのだった。




