8 あなたにはそんな風に言われたくない
リサねこ / Snow Melody Arisa End After 連載中 2016/7/8
〝今晩は。少し忙しくて低浮上していたリサねこですが、少しずつ再開します。
よろしくお願いしますm(_ _)m
夏コミ三日目、AK-89さんのスペースで売り子しますので、ぜひぜひお立ち寄りください。〟
うしがら @ushigara
〝返信先 : @risa_nekoさん
リサねこさん、再開、お待ちしていました。
夏コミ、お隣ですね。またお会いできるのを楽しみにしています。〟
詩音の持っていたiPhoneは6Sという機種だ。わたしはそれを使って、詩音になりすまし、Twitterで呟いてみることにした。あいつが眺めていた世界、TL(Time Line)をわたしも眺めてみたいと思ったからだ。
驚いたのは十人以上のフォロワーさんから歓迎のリプ(リプライ、返信)があったこと。あいつ、Twitterの中でこんなに愛されてたのか。pixiv連載のコメント欄は辛辣なコメントが溢れていたと言うのに、リプは本当に暖かかった。
身バレしている(実生活の個人情報がバレている)京都勢には当面黙って暖かく?見守ってほしいとお願いした。
しかし、百四十字と言う制限があるせいか、独自に発達した「ツイッター用語」というのは独特だなー。
「垢」がアカウント、「ふぁぼ」がFavoriteつまり♡マーク、「エゴサ」がEgo Searchingつまり自分の評価を検索すること、「こマ?」がこれってマジなの?、「(ry」が(略)とか(以下略)の略、「小並感」が小学生並みの感想、「微レ存」が微粒子レベルで存在しているつまり限りなく可能性が低いがゼロ%ではない、「NTR」が寝取られとか……、分からなかったから全部調べたよ!
「w」が(笑)を意味してるとか全然知らなかった。「www」みたいにすると草が生えてるみたいだから転じて「草」とか「草生える」が(笑)と同じ意味だとか意味わかんないけど、古くからある伝統的ネットスラングらしい。
詩音の書き残したテキストは印刷して二回読み返した。ちょっと技術的に読みとりにくい箇所が散見されたので、ご愛用の赤いフリクションペン(消せるペンね。時々消えてなくなるのは性能ではない)で訂正しつつ読んでいる。
深夜アニメも一通り見てみたけど、……多過ぎるし、異文化ショック起こした。
とまれ(ともあれ)ゆっくりとあいつの見ていた世界を覗いていこうと思う。
* * * * *
京都の夏は祇園祭の前祭の山鉾巡行で始まり五山の送り火で終わる。三方を山に囲まれた盆地は湿気が凄くて確かに恐ろしく暑いけれど、暑い時期は意外と短い。
因みに「五山の送り火」のことを左京区浄土寺の如意ヶ嶽に灯る右大文字に因んで「大文字焼き」と呼ぶ人がいるが、こう言うと殆どの京都人は「饅頭とちゃいますえ」とか「山焼きと一緒にせんといておくれやす」と返して良い顔をしない。
もう一つ因みに広島のお好み焼きのことを「広島焼き」と呼ぶ人がいるが、広島駅周辺で「広島焼き食べようか」とか言ったが最後『仁義なき戦い』ばりの怖いおっさん達に取り囲まれ「なんならおどりゃ広島を焼くん言うんか関西も焼いたろか」と凄まれるので必ず「広島のお好み焼き」又は「お好み焼き」と言うべきである。
なお「広島風お好み焼き」なら「チッ」と舌打ち程度で済まされる世界である。
……今日は七月十五日金曜日、祇園祭の前祭の前々日、つまり宵々山だ。
わたしの職場は四条烏丸にあり、この時期は周辺に有名な山鉾が立ち並ぶ。
夕刻を過ぎると御池から四条までの烏丸通りは歩行者天国になり屋台が立ち並ぶんだけど、やっぱり「広島焼き」という暖簾や幟は止めた方が良いと思うんだよ。
「うーん。今年の宵々山は金曜日で一段と観光客が多いねぇ」
「そうですねぇ……」
ここ数年宵々山……つまり前々日の夜は、桑原さんと屋台のビール片手に山鉾を見て回るのが恒例になっている。焼失していた大船鉾が二年前の二〇一四年から復興し、これを機に山鉾巡行が前祭と後祭に別れた。復興した大船鉾が後祭の殿だ。
だから一昨年、去年と、祇園祭の期間は二回、彼と飲んでいることになる。
祭が二つに別れたのに、前祭の人出はむしろ大幅に増加しているという。我々地元民でさえ、「動く美術館」と言われる山鉾をゆっくりと楽しむことはできない。
前祭は二十三基の山鉾が巡行する。宵々山と言えども混雑する人混み、茹るような暑さ、交通規制もかかって四条烏丸周辺は身動きも取りにくい。
だから二十三基を全て見るのは殆ど不可能。四条通沿いに悠然と立ち並ぶ「鉾」達……、長刀鉾、函谷鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾、船鉾を見れば後は室町か新町を北に「上がって」数基の「山」を眺めつつ落ち着ける飲み屋を探すことになる。
……たぶんこのルート採りで彼が向かうのは三条烏丸西入ル、大正九年に建てられた木造の洋館「文椿ビルヂング」二階、「お酒の美術館」だな。
まあ、あの店ならかち合うことはないだろう……。
そんなふうに考えていた時期がわたしにもありました。
「トイレ行きたいから先に入って席取っておいて」と言われて店に先に入り(トイレはビル内の共用スペースにあるんだよ)、店員に案内されたソファー席の奥には少し見慣れた広い背中があった。その向こうの丸テーブルに、モラベーさん、めんかたさん、……そして、テタンジェさんの笑い顔が見えた。
「こんちゃっす」「奇遇ですね」と、めんかたさん、モラベーさんが人懐っこく笑う。
「本当に……。て、テタンジェさん、どうしてまた京都に……」
「北京で講演した帰りに関空に降りて祇園祭前祭を見に来ました(にこっ)」
ぐっ、グローーーバルかよぉぉぉっ。
「……久しぶりだな」
そう言って、広い肩中の男……、AKが振り向いて不機嫌そうに言った。
「えっと……、あの……、AKさんっ、お願い」
そう言ってわたしはAKさんの横まで行って耳打ちする。
「彼と一緒なの。ごめん、もう直ぐ来ると思う。他の席にうつ……」
ざっと周囲を見渡したが、この席しか空いてないようだ。
「お願い。わたし達のこと、無視しててもらえるかしら」
「……分かった。三人に言っておく」と、不機嫌そうに彼は言った。
「ごめんなさい」
わたしは案内された机の入口側に座り、桑原さんを奥に座らせようと画策する。
……じゃなくてっ。満席だって嘘をついて出れば良いのよ!
後ろを振り向いて入口横の清算カウンターを見ると、既に桑原さんは何かのソーダ割りを注文して、店員と話ながら杯が満たされるのを待っている状態だった。
ダメだこりゃ……。
幸いにも桑原さんは三杯程生ビールを飲んでいて、ちょっと酔いつつある。
後ろに気を取られなければAKさんに気付く可能性は……、無いとは言えぬが!
わたしは開き直って、振り向きつつ大きく手を降り、桑原さんを呼んだ。
* * * * *
赤いベルベットを貼った壁には、色とりどりに彩色されたCAMUS社のコニャックの古酒「Napoleon」の古い陶器のボトル「Book」が並ぶ。その他にもベルを型どった古い陶器のスコッチウイスキーのボトル「BELL'S」や、意匠を凝らした古酒のガラスのボトルが並ぶ店内は洋酒好きにとっては確かに美術館だ。
でも、ワンショットのお値段はお手頃で穴場中の穴場。十四時から二十二時までHappy Hourで、五百円払えば割と良い洋酒がワンショット五百円で飲めちゃうの。
昼間っから飲んでる酒飲みにはホント最高の店なのよキャピキャピ!
とか言ってる場合じゃない。
「ここは本当に安くて美味しいねぇ」
「そ、うですね」
本当にそうらしい。向こうのテーブルでテタンジェさんが話しているのを小耳に挟んだ所によると、東京のバーで同じウィスキーを飲んだら五倍から十倍の価格になるとのことだ。
現在進行形で日本産のニッカやサントリーの古い「ウヰスキー」は中国の富裕層に買い占められて飲めなくなりつつあるし飲めてもかなり高い。それがまだかなり揃えてあるし海外の古いお酒も沢山あって、同時に安いのがこのバーの売りだ。
だから桑原さんみたいな「よく知っている人」がやってくる。
けれどまさか、テタンジェさんがこの店に足を伸ばすとは思わなかった。
それにあの京都勢三人……、入稿は終わったのかしら?
「それで……、弟さんのオタク部屋は片付いたの?」
少し眠そうな目で桑原さんが言った。
「えっと、まだ全然、手がつけられなくて……」
「そうかぁ。ああいうグッズって、寺町六角周辺西入ル『らしんばん』とか上がった所の『メロンブック』とか『とらのあな』とかで買い取ってくれると思うよ」
「そのお店って、何です?」
「漫画とかライトノベル専門の本屋さんで、同人誌の委託販売とか中古の同人誌の買取・販売とかしてるお店かな。フィギュアもタペストリーもゲームも円盤も買い取ってくれると思うよ」
「そうなの……。考えてみます」
「まあ、ヤフオクとかメルカリで売った方がお金になるとは思うけど」
「でも、わたし、ヤフオクで買ったことはあるけど売ったことないし、メルカリはそもそも使ったことないから……」
「まあ、メルカリはよくトラブルっていうし、相手は絶対オタクだから、面倒な売り買いになるかもしれないしね」
「…………?」
なに、この感情?
「でもまあ、コミックマーケット限定とか、東京でのイベント限定グッズなんかは、地方のオタクは買いにくいからね。あのタペストリーとか、そういう限定グッズじゃないかなあ。それなら販売価格の倍以上の値段で売り買いされてるみたいだし、メルカリの匿名配送とか使って後腐れなく売ってしまった方がお得かもね。
弟さんがどういう風に入手したかしらないけど、あんなものでも売ってお金になるんなら、スノメロがオワコンになる前に売っといた方が良いよ」
「……オワコンってなんですか」
「終わったコンテンツ、一時人気があったけど、今では誰も見向きもしなくなった漫画とかアニメとかゲームのことを言うらしいよ。
エロゲ業界自体がオワコンかもって言われているからなー。どんどんメーカーが解散してるらしいし、今はほんの数社しか黒字出してないらしい」
「……なんで、そんな感じになったの?」
「だって、今の若い子はパソコン持ってる子自体、少ないんだよ」
「えっ。なんで?」
「だってスマホがあるじゃない。スマホでインターネットするのが普通だし、だから無料エロサイト見放題だから円盤も借りない。違法サイトで漫画もアニメも見放題、無料アプリで暇も潰せるし。
パソコン持ってる若い子は、サビ残乙のワーカホリックか、クリエーターか、ガチのゲーマーぐらいだよ。
大体、パソコンだって記憶媒体がハードディスクじゃなくてSSD主流になってきて、円盤のドライブが付いてない。
そんな時代にWindows向け紙芝居ゲームなんて売れるわけないよ。
実際……、えっと、名前忘れたけど、聖杯戦争だとか英霊召喚だとかやるゲーム、あれも元々エロゲーだけど今じゃすっかり様変わりしてスマホアプリゲーの方で儲けてるじゃない?」
「そう、なんですね」
「だから、早いうちに始末した方が良いよ。バカなオタクがいるうちにね」
「…………」
何? わたし今、凄くイラっとした。
「ご両親も、ずっとあの部屋のままじゃお辛いんじゃない?
お二人とも、部屋にも入れない程、嫌がってるんでしょ?」
「嫌がっているというか……、複雑な思いを抱えているというか……」
「元々の弟さんの部屋に戻してあげたら、気も休まるんじゃない?」
「そうかも……ですね」
そう、なんだろうか……。以前の無味無臭の部屋にか?
「歌奏美ちゃんも、ゲーム全部終わって、一段落付いたんでしょ?
そろそろ変なオタク研究も終わりにして、僕とも遊んでもらえないかな?」
「そう、ですね」
「山車と言えば、一昨年の川越まつりも楽しかったねぇ……」
そして桑原さんは、やっぱり少し酔ってきたのか、わたし達が今まで二人で旅行してきた思い出の場所について語り出す。
わたし達の付き合いは、もう四年以上になる。別に大声で喋ってるんじゃない。
周囲の席の人だって、わたし達の会話なんて聞いていない、と思う。
だから、自意識過剰だって、そう思いもするけれど。
でもね、でも……、いやだ。なんか嫌なの。
あの四人に聴かれている気がするのが、凄く嫌なの。
桑原さんの肩越し、三メートル程向こうの、奥の席。四人はわざと目線を伏せて静かに飲んでいた。
明るくて理知的なモラベーさん、気さくな研究肌のめんかたさん、世界を股に掛けるリア充なのに基本がオタクのテタンジェさん……。
そして、豪胆ガサツに振舞ってるくせに、繊細で実直で優しいAKさん……。
桑原さんがオタクの人達を貶したり、わたし達二人の関係について話している内容を、あの人達に聴かれたくない。
たった一回だ、彼らと会ったのは。
でも、わたしは彼らをかなり気に入っていた。
AKさんは言った、〝志を同じくするイカれた奴ら〟だって。
そうなの。そんな素敵な人達に、わたしのダメダメな所を見せ続けたくない。
「…………」
わたしは、相槌を打つのも止めて、水滴をまとうグラスを見ていた。
「んーと。どうしたの?」
「ねぇ、そろそろ帰りません?」
「どうしたの? 疲れた?」
「えっと、わたしね、少し前に『Snow Melody』クラスタのオフ会に参加したのよ」
「……へぇ」
「確かにみんなオタクだったわ。でも、みんなすっごく気持ちの良い人達だった」
一部に鬼畜DKとかいたけれど。
「ふーん。引っ込み思案の歌奏美ちゃんにしては思い切った行動だね。でも、どうせエロゲのファンなんでしょ。女性からしたら気持ち悪い存在じゃないの?」
「気持ち悪い人なんて一人もいなかった」
「グッズとか持ってる奴はどうなの。イラストTシャツ着てる奴とかいなかった?」
「Tシャツ着てる人はいたよ。でもそれだけだよ。ハンサムな男の子だったよ」
「へぇ……。歌奏美は、弟さんの部屋、気持ち悪いって言ってたじゃない?」
彼は、わたしにマジで話しかける時は、名前を呼び捨てにする。
「うん。言ってたよ。でも、今は違う気持ちになってる」
「……違うとは、どういう風に?」
「処分するんじゃなくて、わたしに譲ってもらえないかって思ってる」
「あれだけの量のグッズ、何処に置くの?
確かに歌奏美の部屋はクローゼットも広いけど、あの量は置けないでしょ?」
「そうだけど……」
そうだけど、わたしの部屋の間取りを知っているように言うのは止めてよ。
「なに?
ひょっとして、スノメモを好きになったってこと?」
「そうかもしれない。
……ううん、好きよ。わたしはあのコンテンツが好き」
最初は義務感だった。爽やかな青春ストーリーだと思って警戒せずに眺めていた、アリサと深雪の涙を見て、泣きじゃくる姿を見て、感情移入しているうちに沼に嵌まってのめり込んだ。オフ会に行ってクラスタの人達のことが大好きになった。
そして今、自分が馬鹿馬鹿しい偏見しか持っていなかったことを凄く後悔してる。
「歌奏美はスノメモクラスタに仲間入りしたってわけだ。
……オタクに毒された?」
「毒されたなんて言わないで!」
何……。自分でも驚くような声量で言ってしまった。
AKさんが振り返り、驚いたような顔をしてわたしを見ている。
「……………」
軽い冗談のつもりだったんだろう。桑原さんも驚いた顔をしていた。
「ごめん、なさい。……でも、失礼だと思うの。
あんなに真剣な恋物語を大切に思ってる人達のことを、オタクという言葉でまとめた上に、十把一絡げに馬鹿にしないで。
それに、わたしは毒されてないよ。ただ素直にあの物語を好きになっただけだよ。
現在進行形で、あの作品のオタクになりつつあるだけだよ」
「…………」
店内に流れるBGMは控えめで、席を埋める客達の会話で満ちている。
きっと誰も聴いていない。こんな爛れたカップルの痴話喧嘩なんか。
聴いてない、聴いてない……。お願いだから聴かないで。
桑原さんは困ったような顔で右肘をテーブルに付き、少し考えてから口を開いた。
「歌奏美の言いたいことは分かった。でも、あの物語はエロゲなんだよね?」
「そうよ」コンシュマー版があったって元はエロゲよ。
「歌奏美は、あの物語以外のエロゲについてどう考えてるの? 原作脚本家の過去作も含めてさ」
「そんなの、やったことないし、分かんないよ」
「エロゲの中には、レイプモノ、陵辱モノ、輪姦モノ、ネクロフィリア……、それだけじゃなくて、対象が幼女幼児少女少年の……、それこそ目を背けたくなるような反社会的な内容のものだってあるんだよ。
あの物語がエロゲであって、エロゲで成り立ってきた会社からリリースされた作品だということは、事実なんだよ。あの作品があのジャンルの中にある以上、特別な作品なんだということを説明するのは、難しいことだと理解できる?」
「でも、あの脚本を書いた人は今ライトミステリーの作家になっていて……」
「それって、保守的な人たちに通じる話だと思う? 例えばご両親に」
「…………」
理詰めだ。わたしは、彼の理詰の話が、苦手だ。だって、冷たいんだもの。
あの少し諦めたような目付きで理詰めの説得をされると、ごめんなさいと言いたくなる。
「ごめ……」
「桑原課長、今晩は」
「……あぁ、葛西さん!」
「今晩は、東雲さん。課長と東雲さんも、祇園祭見物ですか?」
「そうそう。今まで職場のみんなと一緒だったんだけど、若いのは僕に長くは付き合ってくれなくて」
桑原さんは何時ものようにするすると嘘を吐いた。
「そうなんですね。東雲さんもお若いと思いますが?」
「あっ、そうですね。そうそう。うちの事務所では僕が飲みたくなってくれる時に付き合ってくれるのは、若手では東雲くんだけなんだよ。みんな、お酒が弱くって。
ところで、えっと、お友達の方々?」
「そうなんです。みんな関東から祇園祭を観に」
「そうなんだ、今年は日曜日が前祭の巡行だものね」
「国家公務員法の関係で、友達と飲んだりするだけで色々ややこしいので、今日、ここでお会いしたことはご内密に。僕も勿論、誰にも言いませんから」
「あ、ああ、そうですね。そうしてもらえると」
「ところで、東雲さんって、お酒強そうに見えますよね。ひょっとして、課長が潰れた時の介助要因なの? ウワバミなの?」
「何言ってんのっ、わたしも弱いわよっ。上から数えて五番目位なんだから」
「いや、あれだけ職員がいて上から五番目って強すぎるでしょ」
桑原さんがちゃちゃを入れる。
「う、うるさいですね」
「まあ、彼女以外で強いのは、みんなベテランの方々なんだけどね」
「成る程。まあでも、自称でも弱いというなら、そろそろ切り上げたらどうですか。顔が赤いですよ。では課長、失礼します」
そう言って、京都勢三人とテタンジェさんは店を出て行った。
わたし達は完全に気を削がれた。
「あーびっくりした。葛西さんがいたとは思わなかったなー」
「わたしも気がつきませんでした」とするする嘘をつく。
「職場が近くですからね。あり得ないとは言えないでしょ。
ねぇ、ちょっと疲れたから、わたし達も今日は帰らない?」
「あー、そうだね。今日は帰るか……」
きっと今AKさんに会ったせいで、桑原さんは気分が慎重になって、今日わたしの部屋に行きたいという選択肢は消えたと思う。わたしはちょっとほっとした。
今日は、この人に抱かれたくない。なんとなく、そんな気分だった。
払うと言うと千円札一枚だけ摘まれて後は全額奢られるといういつものやり取りの後、わたし達は阪急の地下入り口で別れた。
彼は大阪方面へ、わたしは地下鉄で北へ。
きっと桑原さんは、何か変に思ってる。だって最近、全然抱かれてないもの。
わたしは、詩音の書いたあの長いSSを読んで以来、彼に抱かれていない。
桑原さんを嫌いになった訳じゃない。変わらず好きだ。愛してる、と思う。
でも、あのSSは、わたしの心を抉ったし、同時に温めている。
今はそのことしか考えられないのだ。
地下鉄に乗って、少し気になって、Twitterの方からAKさんにDMする。
〝見苦しい所、見せてしまって、ごめんなさい。〟と。
返信がすぐ返ってきた。
〝気にするな。それより、近くで日本酒飲んでる。来ないか?〟
四人がガラスのお猪口を持つ写真が送られてきた。
〝烏丸蛸薬師のあの居酒屋の二つ隣の日本酒バーだね。楽しそう。
でも、地下鉄乗っちゃったし。それに、バレちゃったでしょ。
わたしが爛れた恋愛してること。
今は顔合わせ辛いから、遠慮しとく。〟
〝自虐ネタかよ。爛れたとか言うな。恋愛なんて色んな形があるんだろうし。〟
〝ありがとう。〟
〝肯定した訳じゃないぞ。〟
〝他の皆んなは……、ドン引きしてなかった?〟
〝ドン引きはしていないが、心配はしている。〟
〝心配?〟
〝辛い思いをしてるんじゃないかって。〟
〝うーん。どうかな。よく分からない、かな。〟
わたしは、辛いのだろうか? これは辛い恋愛なのだろうか?
〝ねえ、それよりも。わたし、エロゲを好きになっちゃいけないのかな?〟
〝ジャンルの問題なのか?
作品個別の問題じゃないか?
俺は角打先生の作品しかやったことないから、分かんないけどな。〟
〝それで良いのかな?〟
〝個別の問題を一般論に持ち込んで説得しようとする手法は感心しないな。
じゃあ、あの人は自分のしていることを他人から責められたら、どう答えるつもりなんだろうな。〟
……痛い所を付くなぁ。でも、桑原さんがどう答えるかは、既に知っていた。
〝それを言われると、わたしも困るのですが。〟
〝知らんがな。〟
えっ。
〝って答えれば良い。
自分達の恋愛は、自分達のものだ。本気なら、通せば良い。それだけのことだ。
なんなら、アリサのように、奪ったって良いんだよ。〟
……彼を、奪う?
〝そこまでは考えてないよ。〟
〝じゃあ、リサねこさんが残した空白を埋めていくためにも、自分がどうしたいのか、考えてみても良いんじゃないか。
そうすれば、晴臣を奪ったアリサが、深雪と再び出会って、周囲を巻き込んで幸せになっていく過程を妄想できるかもしれないぞ。
まあ、あれだけ周囲を傷つけてニューヨークに逃げたんだから、生半可なストーリー展開じゃ、俺は納得しないけどな。〟
あいつが書かなかった空白部分。そこに書こうとしていたポイントは、
・二十七話、晴臣と母親の確執の解消。
・二十九話、キャットファイト。深雪エンドでの喧嘩を参考に。転換点。
・三十六話、温泉回。深雪は改めて晴臣から別れを告げられる。
・三十九話、事件の記者会見の中で、アリサは懺悔する。
の、四点だと思う。
でもそれって全部、わたしが抱えている問題に近いのかもしれないと思っていた。
それは偶然、わたしの目の前に現れたのかもしれないし、詩音は何時かわたしに突き付けようとしていたのかもしれない。
どちらにせよ、その問題はもう、わたしのものだ。
〝歌奏美さん?〟
〝ごめんなさい。駅に着いちゃった。〟
〝そうか。じゃあ、気をつけて帰れよ。〟
〝ありがとう。お休みなさい。〟
京都市地下鉄の北限、国際会館駅のホームは流石に閑散としていた。
降りるべき駅はとうに過ぎており、わたしは此処まで乗り過ごしていた。
でも、今ならまだ引き返せる。
「帰る」にしても「行く」にしても、「此処」で佇んでいる訳にはいかないのだ。
不倫ダメ絶対。
「お酒の美術館」烏丸三条本店は移転、「とらのあな」京都店は閉店。
時が経つのは速いですね。
第8話で起承転結の「承」は終わり、「転」に入っていきます。
次回09話は、2024年12月21日07時に更新予定です。