6 今本当に君を送り出せた気がする
「で、姉さん、あんた一体誰なんだ?」
「ぶっ」
二次会の店は四条御幸町を北に上がった日本酒バー。AKが突然そう言ったので、わたしは口の中の日本酒を吹いてしまった。微発泡の香りが鼻に抜けていくのを楽しんでいた所だったから、思いっきり霧が出た。
「グレートカブキかよ……」
「いえいえ……、リサねこですが、何か?」
わたしは口を拭いつつ微笑んだ。
「お姉さん、僕たち三人は本物のリサねこさんに会ったことあるんです」
ちょっと困ったような顔をして、モラベーさんが言った。
「僕はラーメン友達ですしね」
するめを咥えたまま、めんかたさんは言った。
驚いた。あの弟とリアルの世界で一緒に行動する人がいるとは思っていなかった。
「他人のアカウントでオフ会に参加しちゃダメだよ」とAKがダメ押しする。
動揺したわたしに誤魔化す余裕はなかった。「ごめんなさい」と謝るしかない。
「何か、理由があるんですか」とモラベーさんが言った。
「幹事担当の三人としては、理由を聞かないとね」
「お話しします。えっと……」
自分でも目が泳いだのが分かる。
「本物のリサねこは……、六月八日に急死しました」
「なん……」
「えっ……」
「姉さん、悪い冗談はやめてくれ」
AKの目付きが一層悪くなった。
「わたしはあいつの、東雲詩音の父親違いの姉で、歌奏美といいます」
「僕達、リサねこさんのリアルの名前は知らないんです」
「えっ、そうなの?」
「この界隈の連中は簡単に本名明かさないぞ。十八禁の活動してる人も多いから」
「そうなんだ……。どうやって証明するかな。えっと、これ、わたしの名前です」
わたしは鞄から免許証を取り出し、住所と誕生日を指で隠しつつ提示した。
「これ、弟のスマホです」
あいつのiPhoneを取り出してロックを解除した。
設定画面で持ち主の名前を表示する。
「弟の名前、東雲詩音です」
そしてTwitterを開いた。
「アカウントはこれです」
「リサねこさんだ……」
モラベーさんが目を見開いた。
「悪いけど、このスマホの写真見せてもらって良いか」とAKが手を伸ばした。
「分かりました」
一応チェック済み。ちょっとエッチなイラストデータが何枚かあったけど、他人に見せられないような写真はなかった。
わたしと詩音のこどもの頃の写真がデータ化してあったのはびっくりしたけれど。
三人は自分のスマホを開いて、弟の写真と見比べる。
「Twitterに上げている写真がある。ヴァリエ違いのも……」
少し震えた声でAKは言った。
「リサねこさんの、スマホなんだろうな、これ」
「そうだね」
「…………」
「嫌でなければ、お葬式の写真、見ますか」
三人は顔を見合わせた。一瞬の後AKは静かに「見ても良いか?」と言った。
わたしは自分のスマホの写真フォルダーから、葬式の祭壇の写真を開いた。
三人があいつの遺影を見て、息を呑む音が聞こえた。
「リサねこさん……、うそ、でしょ?」
そう言うと、めんかたさんが両膝に両手をついて俯き、ボロボロと泣き出した。
「死因を、聞いても良いか」
「脳動脈瘤の破裂による突然死です。生まれつき血管に奇形があったんじゃないかと言われました」
「最近、全然ツイートしてないし、DM送っても無視されるから、何かあったんじゃないかと思ってました」と、モラベーさんは暗い声で言った。
「pixivのSS連載も止まってたし……」と、めんかたさんは涙声で言った。
「くそがっ」と、AKは自分の膝を叩いた。
……詩音、良かったね。あんたの死を知って、泣いてくれた人がいたよ。
黙って、涙を堪えて、唇を噛んでくれた人がいたよ。
理不尽な不幸に怒りを感じて、爪が食い込む程、手を握り絞めた人がいたよ。
わたし達四人は、少しの間、黙って杯を重ねた。
ああ……、今本当に、あんたを送り出せた気がする。
わたしは少し泣いた。
詩音が死んだことで泣いたのは、初めてだ。
「ごめんなさい。辛いことを思い出させましたね」
モラベーさんが囁いた。
「いえ……。皆さん、弟とお付き合いいただいて、ありがとうございました」
「あんたが、リサねこさんのお姉さんだということは信じよう。
それで今日、リサねこさんだと名乗って参加した目的は何だ?」
「弟がpixivに連載している『Snow Melody』アリサエンドの後日譚について、みなさんご存知ないですか? 中盤以降、あいつがどんな展開を考えていたか」
「あれ、未完なのか」
「はい」
「pixivの連載最新話は、二十話でしたよね」
めんかたさんが涙を拭って言った。
「二十四話まで書いてあります。でも、二十五話から三十九話までは、表題と簡単なメモ書きしか残ってないんです。四十話、最終回は書いてありました」
「結末は、どうなってた」
「年末の大忘年会の席上、深雪は晴臣を振ってあげると言います。深雪の納得を受けて、アリサと深雪は、友情で強く結ばれます。晴臣は一生、二人の音楽活動と友情を支えていくと決意します」
「僕はその構想、聴いたことあります」
めんかたさんはまだ涙を拭ってる。
「深雪派の俺としては、ちょっと同意し難い終わり方だな」とAKが言った。
「皆さんは中盤がどんな展開になるのか、知ってらっしゃるんですか?」
「いや、俺は知らない」とAK。
「僕も知りません」とモラベーさん。
「めんかたさんは、何かご存知ないですか」
「温泉回は絶対入れるって言ってた。後は、晴臣は刺されることにします、とも」
「えっ、分岐でバッドエンド作る気かよ」
「そんな風には言ってなかったけどな」
「後は、後は何かっ」
「……ごめんなさい。リサねこさん朴訥だから、何時も俺ばっかり喋ってて……。
雑談で断片的に何か言っていたさっきの話位しか、記憶ないです。ごめんなさい」
「そ、そうですか……」
「で、その未完部分の情報、集めてどうすんだよ」
「えっと、その……」
言って良いものだろうか。言えば後戻りはできない気がする。
でも、言うと決めてしまわなければ、先には進めない。
「わたし、あのSSの空白を埋めてしまおうと思うの。
残りを書いて完成させたい。
だから皆さん、手伝ってもらえませんか?」
わたしにしては、思い切ったお願いをした、と思う。
だが、返事は芳しいものではなかった。
「なんで、完成したいの?」
「あいつ、あれを書き上げるのに無理をしていたみたい。それで血管に負荷がかかったんじゃないかって医者に言われた。でも、そこまで思い入れをした文章なら、完成させてやりたいの。
あいつがこの世に残した、数少ない思い残しの一つだと思うから」
「具体的にはどう手伝えと」
「あいつが中盤どう展開するつもりだったか、意見が欲しいの」
「…………」
三人は顔を見合わせた。
「……俺たちのサークル、夏コミに出展するんだよ」とAKは言った。
「はい?」
「僕とめんかたさんは考察本、AKさんはSS本を頒布するんです。今は作成と編集の山場で、今日は景気付けの会なんです」
「俺達には今俺達のやりたいことがある。だから今は簡単には付き合えないんだ」
「そうですか……」
わたしは自分でもびっくりするくらい、落胆した。
「あれ、結構な量のテキストだよな。もう全部読んだのか?」
「まだです。あれの存在を知ったのが、四日ほど前なので……」
「全部読むのが先だろ。全部読んで、何が必要なのか、自分なりに解釈してみろよ」
つう……。確かにそうだわ。わたしは唇を噛んだ。
「AKさん、口調キツイって」と、モラベーさんが言った。
「でも、僕もその通りだと思います。読んでみて、解釈して見て、それから何が不足しているか、考えてみた方が良いですね。僕達、目を通してはいますが読み込んではいないので、リサねこさんの構想までは思いが至りませんから」
「皆さんの仰る通りです。ごめんなさい」
「……まあでも、僕達も出稿が済めば、何か手伝えるかもしれません」
「そうだな。何ができるかは分からんが」
「ありがとうございます。しっかり読み込んでおきます」
「えっと、リサねこお姉さんはpixivのコメント欄、読んだことありますか?」
めんかたさんが恐る恐るという感じで聞いた。
「コメント欄? そんなのあるんですか」
「読んでないのか……。一言言っておく。読むな。読むなら期待するな」
「どういう意味です?」
「賛否両論なんだよ、リサねこさんのSSは」
* * * * *
帰ってから思ったのだが、景気付けの会に重い話を持ち込んで悪いことしたな。
自分の衝動的な思いをぶつけ過ぎた。……わたしにしては。
あのA4版、二十六字カケル二十八行カケル二段カケル二百三十ページに入力された、約二十四万字に達する詩音が残したテキスト。
わたしは、その書かれていない空白を埋めて、完成したいと思っていた。
まだ全部は読めていない。でも、真ん中の空白に疎らに書かれたメモを読んで、わたしは決心したのだ。
テキストに書かれていたのは、残酷な純愛物語の、犠牲者の甘くてほろ苦い復讐。
御都合主義上等で、誰も読みたいとは思わないかもしれないハッピーエンド。
愛情と友情を、親愛へと変えるための下手くそな錬金術。
そして、わたしのこと。
あいつが、姉弟としてわたしのことをどう思ってきたのか。
……どう愛してくれていたのか。どう心配していたのか。
それがアリサと深雪と晴臣の友情と愛情と家族への愛憎と、綯い交ぜに書き連ねてあった。
* * * * *
あの後、なんだかんだ言いながら、彼らはSS第二十話までの感想を、とても慎重な言葉遣いで語ってくれた。
・とにかく重い「アリサエンド」後のSSを書く人は、アリサと晴臣の幸せを願ってイチャラヴを書く人が殆どだから、リサねこさんのSSは質量共に異色。
・深雪の復讐劇を思わせる文章は興味を惹かれる。
・文体は角打先生とはまるで違う。でも無理に合わせる必要はないと思う。読点が多過ぎて却って読みにくいから技術的には整理が必要。
・簡単な感想を言うには長すぎる。
・あの文章量が必要だという理由があるはずだからそれを考えるべき。
部屋に帰ってからわたしは、何時も鞄の中に入れている仕事用の取材用メモ帳の書きなぐりを見ながら、化粧を落とした。
明日の日曜日、彼らの感想を意識しながら、SS本編を読んでみよう。
うん。明日だ。くそ……。
確かに、気楽に読むべきじゃなかった。
酔った勢いで興味本位に見てしまって後悔した。コメント欄を。
これは、かなりきついわ。批判的意見の方が多いじゃないの。
それでも……、意見を書くと言うことは読んだと言う証だ。
わたしはまだ読んでいない。だから、彼等に反対意見を言う資格はないのだ。
でも、こんなこと書かれながらも、あんたは書き続けたかったんだね、詩音。
〝二人に共通するのは、自己肯定感の喪失?
家族に愛されていないと感じていた、友達に裏切られてしまった、空虚感?
僕と彼女が奪ってしまってたのかな……、姉さん〟
次回07話は、2024年12月20日07時に更新予定です。