4 A4版縦書き二段組、総ページ数二三〇頁
「上司として、ちょっと看過できない程の疲労っぷりだね」
次の日の昼休み、わたしは普段人気のない資料室にいた。床にレジャーシートを敷いて、寝ていたのだ。
「辛かったら、午後から帰っても良いよ」
「いえ、仕事残ってるんで。今ちょっと休んだら、大丈夫なんで」
「東雲さん。君、やっぱり、弟さんの死を受け入れられてないんだと思うよ」
「……違います。単に、エロゲにハマっただけです。すみません」
「それじゃ上司としてフォローの理由にならないんだけど?」
「……すみません」
「とにかく、程々に」
桑原さんは怪訝そうな心配そうな眼差しを残して出て行った。
はー、最悪だ。あの曲が流れた時点で、無理矢理にでも寝れば良かったんだ。
なんだこれなんだこれなんなんだよっー。
頭の中疑問符で一杯になったままプレイを進めてしまった結果、朝を迎えた。
一時間しか寝ていない。馬鹿かよわたしはよー。
アリサはニューヨークのジャズシーンで売れっ子のピアニストになっていた。
デビューアルバムはコンテンポラリー・ジャズのカテゴリーでは上々の売り上げ枚数になっている。ビジュアルと相まって爆発的な売れ行きとなりそうな気配。
ヴィレッジ・ヴァンガードで再会した、二人と一人。
圧倒的な演奏で観客の心を、晴臣と深雪の心を奪った。
帰国した晴臣と深雪の心の中に、微妙なすれ違いが生まれる。
そんな中、アリサが帰国して凱旋ツアーをするというニュースが飛び込む。
アリサに公私ともに密着してインタビュー記事を担当することになった晴臣。
晴臣と距離を取り、かつ仕事が忙しくなって、会うことができない、深雪。
それぞれの思惑と、愛情と、友情と、嫉妬と、猜疑が絡み合う。
自虐的なジョークと濃厚な悲劇的緊張感を纏いながら、出口の見えない下りトンネルを転がり落ちて行く……。
わたしは、その話を無我夢中で追いかけるしかなかったのだ。
……今日は木曜日。今日は絶対早く寝よう。そして、金曜の晩から週末を使って、絶対に最後までやり終える。
* * * * *
「で、終わったの?」
「終わりました……」
月曜日。木曜日に貯金した睡眠時間は使い果たされ、過重債務状態となっていた。
だから本当はすぐ帰って寝たかったのだけど、なんだかもやもやして、誰かに話したかったのだ。だから桑原さんを何時もの隠れ家的ジャズ・バーに誘った
「最終章のルートは四通りでした」
「晴臣が八方美人の対応を繰り返して、アリサも深雪も離れて行く、バラバラエンド。
晴臣が中途半端にアリサを受け入れ、浮気する形で爛れたセックスを繰り返して、刹那的に逃避行した挙句、晴臣の精神が破綻したせいで、アリサが晴臣を慮って別れを切り出す浮気エンド」
「よく知ってますね」
「ネットを流し読みしたの」
「バラバラエンドから抜け出すのに時間がかかってしんどかったです。
抜け出したと思ったら、晴臣とアリサが破滅的な、サディスティツクなエッチを繰り返すし……。せっかく最後はアリサが美しく晴臣を振ったのに……、晴臣がアリサとの完全な離別への悲しみと、深雪への裏切りの呵責に耐えかねて、台所の包丁を自分の喉笛に突きつけた時には、ビールの空き缶マジで投げましたよ。ほんと……」
〝ほんと浮気って怖いですよね〟と言いかけて、わたしは言葉を飲み込んだ。
「……深雪はまた自分が悪いと思い込んで鬱症状に陥るし、最悪でした」
「あのエンド、PS3版はちょっと違うんだよ」
「だからネタバレすんなって……。そうらしいですね」
「コンシュマー版があんな残酷な話じゃヤバすぎるからね。何処で知ったの?」
「ネタバレサイトで知りました。でも、ライバルと浮気を続けていた婚約者が、ライバルに振られてメンタルやられちゃったのを甲斐甲斐しくケアするなんて……」
〝男に都合の良い話すぎませんか〟という言葉も、わたしは飲み込んだ。
「あれ、さっきから変だね?」
「いえいえ。深雪らしいですよね。最後の最後に自分のものにすれば良いなんて」
「そんな感じの終わり方なのか。そこまでは調べてなかったな。で、あと二つが」
「アリサの活動を、晴臣と深雪が一緒に支えつつ、アリサが二人との友情を確信して、一段高いステージに上がったのを見届けたら、アリサが深雪に折れて、晴臣と深雪との結婚式を迎える、深雪エンド。
唯一の肉親である母親の不治の病いを知って、目標を失ってしまい、自分さえも失いそうになるアリサを、晴臣が深雪に隠れて心身共に支えるうちに、自分しかアリサを支える人間はいないと決意し、その愛を運命的に深めて行く一方で、深雪を裏切ることになる、アリサエンド」
「だね」
「深雪エンドは、大団円って感じでしたね」
「そうなんだ」
「やっと終わったと思って、ネタバレサイトでチェックするまで、もう一つエンドがあると思ってなかったんですよ。気づいたのが日曜の昼過ぎだったから……」
「最後にアリサエンドやったのか。きつかったんじゃない?」
「はい。また深雪の慟哭を聞くことになるとは思わなかったので。まるで、今まであの子が見ていたのは、幻だったような気がして……」
「成る程、そういう気分になるのか。
ところで、歌奏美ちゃん的にはどのエンドが一番好きなの?」
「わたしは」
〝えっ、……わたしは、……どのエンドが?〟
「深雪エンドですね。みんな幸せになりますし」
「そうなんだ。まあ、やっと終わってよかった。これで弟さんの供養もできたかな」
「そう、ですね」
* * * * *
その日は、そんな感じでお開きになった。
「金曜日の夜は、また、君の部屋に行って良いかな」と、別れ際に彼は呟いた。
けれどわたしは、「大学時代の友達と遊ぶ約束が」と、嘘をついて断った。
……だめだ。彼には本当の気持ちを言えない。これじゃ、この悶々は収まらない。
彼と、気持ち良くなれない。
正直に言うと、わたしは深雪エンドを好きになれなかった。
確かに、深雪エンドは『Snow Melody』の大団円なんだと思う。
深雪エンドの彼女は完璧だ。晴臣を信じて信じて信じ抜く。決して晴臣に甘えず、甘やかさない。だから晴臣は、アリサへのフォローを自分が抱え込むのではなく、アリサの親友であった深雪に相談するのだ。
そして、深雪とアリサは本心を曝け出して言い合い、殴り合い、その結果打ち解ける。アリサは、深雪には勝てないと諦める。
でも、美人で優しくて誰からも愛される女が、ライバルにも認められて、最後に美味しいところ全部持って行くというのが、わたしは気に食わなかった。晴臣が頼りなくてカッコ悪いのも嫌だ。それに、友達の立場を守らされたアリサの心情が微妙に負け犬っぽいのが気に食わない。
じゃあ、アリサエンドが好きなのかと言われれば、それも少し違う。
わたしにとって、一番マシだと思ったのはアリサエンドだ。あんなに愛している二人のうちどちらかを選ぶのだ。上手くまとまってハッピーエンドになんてありえない。誰かが傷つく。そして、親友を想って勝者でさえも傷つく。納得できた。
でも、アリサが親友を不幸に追いやって、婚約者から男を略奪するという結果が、アリサ自身の将来に暗い影を落とすようで不安で仕方なかった。
晴臣は出版社を辞めて、アリサのマネージャーになって、世界を相手に二人で戦うことになる。その未来を影が覆っているように思えた。
それに、深雪が可哀想すぎて吐きそうになる。
諦めさせられた女……。略奪された女……。
ライバルの幸せのために、晴臣を抉り取られた傷……。
「不倫相手に、こんな生々しい気持ち、話せないよ」
わたしは、夏だと言うのに暖かいジャスミンティーを飲みながら、独り言ちた。
しかし、アリサエンドは本当に後味の悪い終わり方だ。日本での人間関係を全てぶっ壊して、ニューヨークに二人だけで逃避行するなんて。
でも晴臣が愛する女のために、クズな男に徹した姿は、潔かったな。
深雪の両親に罵倒され、深雪の妹に引っ叩かれ、蹴られ、唾を掛けられ……、旧知の親友から軽蔑され……。
ボロボロになりながらも、深雪との別れの作業を黙々とこなして。
でもなあ……、深雪がなあ……、本当にズタズタになるからなぁ。
アリサエンドの最後の最後、二年後の晴臣とアリサの元に、元気になってピアノを弾きながら歌う姿をBlu-Ray Discに焼いて送ってくるけど。
あの後、どうなるかも分からないしなー。あの深雪がまた不穏なんだよなー。
「ふん。何が終わっただよ」何にも、終わってない。
「ああもう……」アリサエンドでもみんな幸せになる方法はないのかよっ。
「って、んっ?」
〝何か、文章を書いていると言っていた。ニジソウサクって言うのかな〟
〝あのエンド、PS3版は違うんだよ〟
ひょっとしてあいつ……、わたしと同じこと考えたとか……。まさか?
* * * * *
「パスコード、解けそうなの?」
翌火曜日夕刻。わたしは実家のキッチンテーブルで義父と向き合って座っていた。
母親は、まだ寝室に閉じ籠っている。
テーブルの上には、弟のiPhoneとノートパソコン。
「画面の状態が良かったですね。ほら、光を反射させてみて下さい」
「あっ、指紋が固まって付いてるところがあるね、三つ」
「はい。これをiPhoneの画面でみると、1、9、0になります。アリサ、あのお話の黒髪の女の子の誕生日が、9月10日なんですよ」
アリサはクリスマスベイビー。父親が誰かは不明、母親は彼女を突き放している。けれど本当はアリサを溺愛してるし、その男を未だ愛している、という設定。
ちなみに深雪の誕生日は11月3日で、ヴァレンタインベイビー。あの子は設定上、両親からベタベタに愛されてる。
「ということで間違い無いと思いますが……、0910、来ました」
「凄い……」
「凄くないです。お義父さんが、あまり触らずに保管してくれてたから」
ていうか、数字三つって、杜撰すぎ。
「ということで、諸々のパスコードをメモってないか、メモ帳を見にいきます。
えーと、これかな」
あいつはほんと面倒くさがりだなー。こんな分かりやすいところに、重要情報を書き込んで……。ほんと、バカな奴。
それに何、〝kasumi_to_arisa〟っていうキーワード。
「パソコンを開けます。……えっ、何これ?」
あのバカ。WORD開けっぱなしじゃないの。……結構、膨大な量のテキスト。
A4版縦書き二段組、一頁当たりの字数は二十六字カケル二十八行カケル二段の一四五六字。総ページ数は二三〇。
「研究レポートとか仕事の関係、というわけではなさそうだね」
義父は、複雑な顔をして言った。
現在開かれているページの番号は一八〇で、そこから後ろ二ページ程は白い空間。
それから、何だかまとまりのないメモ書きというか、断片があって、最後にまとまった文章がある。
「多分、あいつが書いてた、二次創作小説だと思います」
二次創作小説とは原作に登場するキャラクター、ストーリーを利用して、二次的に創作された小説だ。ネット民は「SS」と言っている。サイドストーリー或いはショートストーリーという意味だ。サイドでショートかもしれない。
「しかし、この文章はショートではないよね」
ネットから得た知識を義父に解説してみたが、かえって混乱させたようだ。
「こんな長い文章、何処かで発表するつもりだったのかな」
「さあ、それは分からないですけど……、えっ」
わたしは途中の断片をスクロールしている時に、気になる記述を見つけた。
「今、歌奏美さんのこと、書いてなかった? 『姉さんが……』とか」
「お義父さん。このパソコンとiPhoneの事後処理、わたしに任せてもらえませんか」
「何故?」
「SNSって、知ってますか?」
「Face Bookとか、LINEとかのことだよね。僕は全然やったことないけど」
「有名なのはそれなんですけど、その他にもあるんです。例えばこの鳥のマークです。
Twitterといいます。百四十字という文字制限のあるSNSです。日本人のTwitter好きは、世界的に見ても突出していて、世界全体で三億二千人のユーザー数のうち、一割が日本国内なんだそうです。で、アプリのアイコンの赤い丸の中に20と書かれてます。これは、あいつがTwitterのアカウントを持っていて、他の人と関わりを持っていた、ということを示しています」
「そうなんだ」
「でも、その会話の内容が、お義父さんや母さんを悲しませる内容かもしれません。だから、わたしが先に調べます。さっきの二次創作小説の内容もです」
「……分かった。歌奏美さんに任せるよ。エッチな内容だったら、親に知られるの、あの子も嫌だろうしね」
「ははは……。すみません、それと料金はわたしが払うので、このiPhoneの契約、ちょっとの間そのままにしておいて欲しいんです」
* * * * *
その日、部屋に帰ってから、わたしは弟のiPhoneでTwitterを開けてみた。
プロフィール画像とヘッダー画像は予想どおり「冬夜アリサ」。
自己紹介欄には〝Snow Melodyが好きです。アニメから入りました。アリサ派です。アリサエンドアフターをpixivに連載中〟と書いてあった。
フォロー六百人、フォロワー五百人……か。結構な数だ。
ん? この封筒マークって、ダイレクトメッセージ即ちDMだったよな?
ぽちっとな。おっと、元ネタ知らないのに使っちゃった。
〝モラベー@夏コミ……2016/7/1 お久しぶりです。
最近、TLでお見かけしませんが、お元気ですか?
四日土曜日のスノメロ関西勢交流会、参加大丈夫ですか?〟
01〜04話で物語の「起」は終了。
次回05話から物語は「承」に入り、動いていきます。
キャラも増えます。
次回05話は、2024年12月19日07時に更新予定です。