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3/16

3 最初は甘酸っぱいお話だと思っていました

「で、円盤観たわけだ」

 土曜日の昼下がり、ベッドの中で桑原さんは言った。

「円盤? ワレワレハウチュウジンダ?」

 わたしは、彼の腕の中から質問した。なんで急にSF?

「あれのことだよ」

 彼はわたしの寝室のワークデスクの上に積まれたBlu-ray discの箱を見ていた。

 それらは昨夜、弟の部屋の本棚から持ってきたものだ。

「オタクの人達は、そう言うんですか?」

「いわゆる、光ディスクメディアのことをね」

「でも、それじゃBlu-rayなのかDVDなのかCDなのか分からないですよね」

「確かに。で、どうだったの?」

「可愛い感じ? 学園祭でのライブに向けて、バンドで頑張る青春アニメですけど」

 それが素直な感想だった。

「何話まで見たの?」

「昨日は六話までです。桑原さんも、ひょっとして観たんですか」

「一応、最後までね。だから、今日はかなり眠い」

「家でアニメ観てて奥さんに笑われません?」

「iPhoneで密かに見てたからね」

「どうやって?」

「アップロードされた映像で観た」

「ズンチャズンチャズンチャズンチャ〝違法にアップロードされたものと知りながら映画や音楽をダウンロードするのは犯罪です〟」

 わたしは鼻をつまんでその台詞を喋ってみた。

「クッソ可愛いな」

 彼は軽くわたしの唇にキスをする。

「……観るだけだからセーフ」

「そうなの?」

「そうなの」

「どうやって海外の違法サイトはデータ入手してるの?

 ていうか、どうやって海外の人は日本のアニメ観てるの?」

「海外の専門チャンネルでの配信があるし、世界中に日本のアニメ、ジャパメーションのファンがいるよ。だから、違法アップロードが多いんだ」

「youtubeとかですか」

「違う違う。ヨウツベ」

「ヨウツベって何?」

「ローマ字読みしてみ?」

「ヨウ…、アホですか」

「ネット民はみんなそう言ってんの。まあ、僕が見たのはアニツベだけどね」

「アニツベ?」

「anitube。南米のアニメ専門の違法アップロードのサイト」

「やばそうな匂いがプンプンしてるんですけど。ウイルスとか」

「真面目な歌奏美ちゃんにはお勧めしません。で、アニメ版前半の感想はそれだけ?」

「そう…、ですね。結構面白いと思いました」

 

* * * * *


『Snow Melody』アニメ前半の話はこんな感じ。

 舞台は、東京と思われる場所にある有名私立大学の高等部。

 主人公は、学年主席の優等生、元生徒会長、融通の利かない、説教大好きな男。

 北岡晴臣。

 三年生になり内部進学が確定、受験勉強が必要ない晴臣は、普通の学生らしく、卒業までに一度くらいは羽目を外してみたいと考えた。

 親友に相談し、バンドを組んで秋の文化祭のステージに出ることに。

 だが、ボーカルの女子を巡るメンバー間の恋の鞘当てがこじれて、バンドは解散。

 晴臣は新たな女性ボーカルとメンバーを探すが、なかなか見つからない。

 諦めかけていた晴臣が教室で古いポップス「Snow Melody」を弾いていると、隣の音楽室からピアノが聴こえ、晴臣のギターに合わせてくる。

 すると、ギターとピアノに合わせて誰かが歌いだした。

 晴臣が思わず歌の聞こえる渡り廊下に向かうと、そこいたのは文化祭裏企画「ミス付属」二年連続の女王。

 小田切深雪(みゆき)

 晴臣は、深雪をバンドに誘うが、深雪は断る。しかし、誘いが嫌なわけではなかった。常に当たり障りのない微笑みを浮かべ、特定の友人、恋人を作らず、お嬢様のように振舞ってきた深雪。一人カラオケに行くほど歌うことが大好きな自分を、それまで隠してきたのだ。

 一日の躊躇の後、深雪は改めてバンドに参加すると晴臣に伝える。だが、一緒に演奏していたピアニストも入ることが条件だと言った。

 晴臣はあの時のピアニストを探したが、すぐにはそれが誰か分からない。焦った晴臣は音楽室の教卓の後ろに隠れ待ち伏せした。やってきたのは晴臣と同じクラスで隣の席に座っている不良の女の子。

 冬夜(とうや)アリサ。

 アリサの親はプロのジャズミュージシャンで、彼女も一時同じ道を目指していた。

 アリサは参加を渋った。しかし彼女は、遅刻、無断欠席の累積に加え、学業不良のため、留年の危機に陥っていた。晴臣と深雪から、試験勉強への協力を得ることを条件に、参加を承諾した。

 アリサの家にはロフトのスタジオがあった。アリサの厳しい指導の下、晴臣はスタジオに寝泊りしながら、短い期間の間に腕を上げていく。

 晴臣の両親は離婚していて、母親と住んでいるけど、母親は愛人と過ごすために別に部屋を借りていて家には殆どいない。

 アリサの父親は不明で、母親も世界を飛び回っていて家に親は不在だ。

 学園祭一日目。本番を翌日に控えた晴臣は、お化け屋敷で雪女のコスチュームを着ていた深雪を攫って、アリサの自宅スタジオへ行く。

 そして三人は、カヴァー二曲に加え、晴臣が歌詞を書き、アリサが曲をつけたオリジナル曲のラヴソングを演奏できるよう練習する。

 連日の夜間練習で疲労はピーク。でも、気持ちは徹夜ハイ。

 でも、まるで三人だけの祭りを楽しむかのように、笑いながら……。


 一つの目標を達成するために、短いけれど密度の濃い時間を過ごす、二人の女の子と一人の男の子の物語。その関係は、友達以上、恋愛未満。


「素敵なお話だと思いました。甘酸っぱいですよね。

 ただ、やっぱり大きくて書き込まれた目と、簡略化された鼻が馴染めないですね。

 最初はそればかり気になって、ちゃんと観られない感じでした」

「あれでもまだ描いてある方だと思うなあ」

「そうなんですか」

「最近のアニメをざっと斜め観た印象では、いわゆる美少女アニメのヒロインの鼻は、点しか描いてないね。でも、今のヒロインたちの鼻が点になってしまったのも、エロゲの影響なんだと思うよ」

「そうなんですか?」

「エロゲーはアニメほど絵が動かせない。データを軽くするため、動きは紙芝居が基本になる。だから、表情に差をつける時に、顎を動かさずに口だけをパクパク動かすための面積が必要だから、鼻が簡略化されたんだよ、たぶん。それがアニメや、漫画にも影響して、一般化したの。ちなみに、これが原因になって、松本零士風の鼻筋の通った美女画が淘汰されたと、僕は思ってる」

「興醒めな話ですね」

「まあ、慣れだよ。にしても、まあ、後半楽しみだね」

「今のところは、いかがわしい感じはないですからね。観れそうです」

「まあ、テレビ放映版ではエッチなシーンは放送できないからね」

「そうなんですか」

「でも、高校生の頃の、異性を求める恋心は荒ぶるからね。

 春の小川のような清々しさを見せていたとしても、イベントという名の突然の豪雨によって、ピンク色の濁流となり主人公たちを悲劇へと押し流していくもんだよ」

「……さすが桑原さん、性格悪いです。話の先、聞かせないでくださいよ」

「〝あくまで一般論です〟」

 彼は鼻を摘んでその台詞を言う。

「クッソ可愛くない。で、この後、そんなにひどい展開が?」

「いや、良い話だよ。ただ、三人とも騙すのがうまいんだ。だから傷つけてしまう」

「言うなって……。騙し合いですか」

「そうじゃない。三人が騙して傷付けるのは、自分自身なんだ」

「えっ」わたしは嫌な予感がした。


* * * * *


 桑原さんが帰った後、わたしは一人、いつもの様に両膝を抱えながら、彼が飲み残した赤ワインを片手に、アニメ『Snow Melody』の七話を観た。


 深雪が歌い、アリサがキーボードを弾き、晴臣がギターを弾いたステージは大成功だった。

 二年連続ミス付属の深雪が歌うというだけでも成功は間違いない。

 加えて、つっけんどんで口と態度が最悪に悪いと嫌われていたアリサが、本当に楽しそうに演奏する姿は、観衆を魅了した。

 そして、露出度高めの衣装をまとった二人は、体育館に溢れるほど集まった客に、それぞれの美貌と、素晴らしいスタイルを披露した。

 きっと明日は職員室に呼び出されてお叱りを受けるだろう。

 晴臣は制服姿で、二人の歌と演奏に惚れ惚れしながら、堅実に演奏をこなした。

 最高に楽しい、三人だけの時間が、あっという間に過ぎた。


 ステージの後、深雪はクラスの出し物即ちお化け屋敷へ駆り出された。

 アリサと晴臣は、誰も使っていない音楽室で、余韻の中、会話を重ねた。

「また、冬夜と、深雪と一緒に、ライブしたいな」

「あたしは、上には行かないぞ」

「何でだよ」

「お前が、演奏する楽しさをあたしに教えたからだ」

「どういう意味だ」

「あたしは音大に行く」

「アリサ……」

「だから……、だからさ、もしお前が、これからもずっと、あたしと一緒にいたいなら、お前があたしに合わせるんだな」

「音大は無理だよ」

「ばか。ほ、他にもあたしと接点を持ち続ける方法があるだろ」

「お、やっと俺の親友になってくれるのか?」

「も一つばか。……そうじゃない」

「へっ?」

「もういい。ちょっと自分で考えろ」

「ああ。しかし、良いよな、お前の弾くピアノ。これ、何て曲?」

「Waltz for Debby」

「三拍子だな。そうだよ、三人で演ろう。三人なら完璧なんだよ……」

「ふん。鈍感な奴」

「お前に言われたくないよ……」

 そう言いつつ、アリサのピアノを聴きながら、睡魔の誘うまま、寝てしまう晴臣。

 ……気がつくと、音楽室は暗闇に包まれていた。

「起きた?」

 晴臣の目の前には、深雪が佇んでいた。そして、アリサはいない。

「ねえ、晴臣くん。わたし、頑張ったの」

「そうだな。深雪が歌ってくれなければ、あんなには盛り上がらなかったよな」

「それに、ミス付属もとったの」

「凄いな」

「ねえ、晴臣くん。頑張った女の子には、何かご褒美が必要だと思うの」

「そう、だな。何が欲しい?」

「ご褒美はね、ねだるもんじゃないんだよ」

 深雪は晴臣が上着の中に入れていた手に、細く冷たい指を絡める。

「冷たい、な」

「そうなの。だから、わたしの欲しがってるものが何か、分かるよね」

 深雪は晴臣の手から指を離して、晴臣の上着の中に手を入れて背中に回した。

「深雪っ?」

 深雪は晴臣を見上げ、そして目を閉じた。

「唇も、冷たいの。だから、温めてほしいな」

「…………」

 ミス付属三年連続ナンバーワンの可愛い女の子が目の前でご褒美をねだっていた。

(さず)けるのを決めるのは、晴臣くんだよ……」

 可憐な唇が微かに震えていた。

 晴臣は深雪にキスした。


「あーあ。やっちゃった。やったら、だめじゃん。

 ……なによ、これ。バンドで頑張る青春アニメじゃなかったの。

 アリサも深雪も、何で急に女の顔をするの。

 ……これ、どっちかが泣かないといけない展開になっちゃうの?」

 わたしは思わず一人ごちた。流し込んだワインが鉛のように胃に落ちていった。


* * * * *


「東雲さん、顔色悪いけど、体調、悪いの?」

「桑原さん……。すみません」

「今日、予定ないなら、有休、消化してくれたらどうかな」

「……お言葉に甘えます。早退させてください」

 土曜の晩も、日曜の晩も全く眠れなかった。わたしは仕事を早退して、部屋に帰るなりベッドに倒れこんだ。

 でも、やっぱり寝られなかった。晴臣と深雪とアリサが、悲しそうな顔の彼女達が、頭の中から出て行ってくれなかったから。

 悪い予感の通り、アニメ『Snow Melody』八話目以降の展開は、前半と打って変わって、胃がざらつくような三人の人間関係の崩壊を描いていた。

 つまり、女の子二人と男の子一人の急造バンドは……、友達以上、恋人未満の甘酸っぱい関係の三人は……、お互いを傷つけないためにお互いを騙して、結果的に最悪の結末を迎えた。

「晴臣が悪いんじゃん。なのに的外れな説教ばかりして、アリサを怒らせて……」

 二人の恋人同士と、共通の親友という三人になった彼ら。

 けれど、アリサは少しずつ、晴臣と深雪に、距離をとり始める。

 それは何故か。十話、十一話のアリサの回想シーンが教えてくれる。

 晴臣に対するアリサの最初の印象は、最悪だった。

 でも、孤高を気取っていたアリサは、しつこく干渉してくる晴臣に、段々と心を開いていく。

「好きになっていったのよね」

 でも、恋愛経験が皆無のアリサは、その気持ちが恋だと自覚できていなかった。

「深雪に奪われて初めて気がついた。

 でも、晴臣を好きなように、深雪のことも友達として好きになっていた。

 だから……」

 アリサは、二人から黙って離れようとした。アメリカ合衆国マサチューセッツ州、バークリー音楽大学へ入学するために。

 でも、晴臣はそれを許さなかった。

 何故なら、晴臣はアリサに一目惚れしていたから。

 ただし、そのことを明確に認識していなかった。

 彼も、深雪と付き合うまで、恋愛経験がなかったから。

 アリサが離れていこうとしたことで、アリサへの気持ちに初めて気がついたのだ。

 だから「これは、浮気とか、心変わりとは言えない」。

 それに「晴臣は、深雪を好きじゃない、わけじゃない」。

 彼女の想いを受け入れて幸福に思う程には、深雪に恋している。

 結局、晴臣は深雪と付き合ったまま、アリサを諦めきれない。

 十二話、卒業式の夜、アリサは渡米直前に晴臣に電話して……。

「やっちゃうよね……。そりゃ」

 これが、桑原さんの言う、「荒ぶる恋心、ピンク色の濁流……か」

 十三話、晴臣が寝ている間にアリサは部屋を去った。

 部屋で放心している晴臣を、深雪が連れ出す。

 最後は、アリサが成田から渡米するシーンで終わる。

 晴臣はロビーでアリサを見つけてしまい、深雪の目の前にも関わらず、本能のままにアリサを抱き寄せ、涙を流しながらキスをする。

 深雪も二人を見つめ、涙する。

 そして、文化祭のステージ、最後のオリジナル曲を楽しそうに演奏する三人の姿が回想される。

 もう、再び訪れることはない、楽しかった日々が……。

 三角関係……。揺れて、揺られて。

「奪って、奪われて……、か。いったい……」。

 いったい、あいつはこの物語の何処に魅入られて、のめり込んだんだろう。

 わたしは、それを知りたくなった。

 一方で、それを知るのが怖くなった。だって……。

「ひょっとするとあいつ……」

 ううん。絶対そんなことはありえない。

 だって、あいつがわたしに関心があるなんて、ありえない。

「でも……」

 どうしよう。わたし、この物語の続きを知りたくて仕方がない。

 知らなきゃならない気が凄くする。


* * * * *


「最近、お誘いがないけれど、彼氏ぃ、ができたのかなー」

 平日昼休み、会議室で一人仮眠してると、桑原さんがやってきて耳元で囁いた。

「……彼氏はできませんが、彼女ならできました」

「えっ。ちょっと待て。どうしてそんなことになってんだよ」

美晴(みはる)ちゃんでしょ、千姫(ちひろ)ちゃんでしょ、眞理子(まりこ)さんでしょ……」

「その名前……。ひょっとして『Snow Melody』第二章の三人のヒロイン?」

「その通り」

「そうか……。ついに原作ゲームに手を出したわけね。そりゃ時間かかるわ」

「全然終わらないんです。テキスト量が膨大すぎて」

「そうらしいね。それで夜更かししてるのか。

 ゲームは一日二時間までだぞ」

「……すみません」

「やってるのはWindows版?」

「そうです」

 ニヤリと笑って、彼は「エッチシーンありだね」と囁いた。

「違和感はないの?」

「ありまくりですよ。それに痛々しいエッチばっかりじゃないですか」

 暖かい、安らぐようなエッチシーンが殆どないのだ。

「でも、弟の部屋にPS3版とPS VITA版もあったけど、未開封だったし、ゲーム機も見当たらなかったんで」

「ふーん。でも、ファンの間ではエッチシーンの台詞も重要だと言われてるよ」

「そうなんですよ。アレの時の台詞が結構重いんですよね。特にアニメ版だと終始無言だった晴臣とアリサの台詞が、後々の物語に凄く影を落としてる気がして……」

「でも時々はリアルなおじさんとの飲み会シーンもプレイしてほしいな」

「良いですけど、桑原さんの口からプレイとか言われるとかなりセクハラです」

「嫌だった?」

「ううん」

「……じゃあ、今日プレイできる?」

「……うん、良いよ」


* * * * *


 先日、早退した日。わたしは実家に行き、弟の部屋からWindows版『Snow Melody』を持ち出して、自分のパソコンにインストールした。

 それから、家に帰れば寝るまでずっとプレイしている。

 桑原さんと、会っている時以外は。

 全く知らなかったが、クールジャパンの代名詞みたいに持ち上げられている日本のアニメは、今ほとんどが深夜帯に放映されているらしい。

 ということは、日曜日の朝に放映されているアニメとは、明らかに視聴者層が異なるということだ。

 つまり売りたい対象が違う。

 深夜アニメの原作は漫画ばかりではない。今の「アニメっぽい」絵柄の表紙をまとった、ライトノベルと言われる、ファンタジー、英雄譚、異世界ものの小説。

 ライトノベル寄りの青春群像小説や、ライトミステリー小説。

 そして、アドベンチャーゲームや、エロゲ。

 それらは原作の広告が目的なのだ。人気が出た時の様々なメディア展開も狙っている。つまり、アニメ『Snow Melody』もゲームを売るための作品だった。

 だって、アニメはゲーム版の序章にあたる第一章の要約なんだもん。

 ウィキペディアによれば『Snow Melody』は三つの章から構成されている。

 晴臣、深雪、アリサの出会いと最初の別れを描いた第一章。

 晴臣と深雪の関係を柱にしながら、別の三人のヒロインのルートを用意した第二章。ここからが恋愛アドベンチャーゲームとしての本編だ。

 第一章から、テキストの量が半端なく多かった。心理描写が恐ろしく詳細で、主人公が理想とする建前と、滲み出る本音のギャップが心を引っ掻く。

 でも、そのゴツゴツとしてスムーズじゃない独特の言い回しや、少しオールドテイストなギャグが段々面白く感じるようになってくる。

 キスと吐息、ラブシーンの喘ぎ声が生々しくて、まとわり付いた背徳感が重い。

 びっくりしたのは、第二章がいきなり三年後だったこと。

 三人の可愛くてクセの強いヒロイン達が晴臣の生活を引っ掻き回す。

 深雪との関係をどうしたいのか、アリサへの想いは途絶えたのか。はっきりしない晴臣の心の隙間に入り込む。

 困ったのは、どうもこの三人と付き合って、各ルートを最後までクリアしないと、深雪やアリサとは付き合えない仕様になっているらしいこと。

 可愛いし、各ルートのストーリーが面白くて愛らしく感じてしまうから良いのだけれど。


* * * * *


「で、第二章は終わったの?」

 梅雨真っ只中の蒸し暑い夕方。弟が死んで約三週間経った。

 仕事帰りの居酒屋。一杯目の生ビールが美味しい。

 ぷはー、と一息ついた瞬間、彼は訊ねた。

「三人の攻略は終わりました。今は、深雪を攻略中です」

「攻略か……。歌奏美ちゃんから、そんなゲーム用語を聞くようになるとはねえ」

「す、すみません」

「攻略本か、ネットのルートガイド読んだんだよね?」

「そんなのあるんですかっ?」

「あるよ」

「……それなら、あんなに四苦八苦しなくてよかったのに。

 選択肢が出るたび、ノートに書いてルート探るの、大変だったんですから」

「頑張ったじゃん。自力でやったほうが楽しいんじゃない。テキストも頭に入るし」

「確かに。でも、深雪の悲しい泣き声を何度も聞くのは辛いですよ」

「あれで胃痛になる人が沢山いるらしいしね」

「分かる気がします。それに千姫ルートに入る前にクリスマスのホテルで深雪と晴臣が決別するシーンがあって、深雪の台詞が物凄く心を直撃するんです」

「へー、どんな台詞なの」

「晴臣はアリサを無理矢理忘れて深雪と付き合おうと決心して、クリスマスのホテルを予約するんですけど、深雪がシャワーを浴びてる間に、自分も記事を書いたアリサの特集冊子を眺めて、アリサとの決別を決意するんですよ。

 で、晴臣がシャワーを浴びてる間に、深雪はそれに気付いて怒るんです」

「何で怒るの?」

「晴臣くんは、雑誌の中のアリサと話していたんだよね?

 アリサを忘れる勇気を、アリサにもらったんだよね?

 わたしを抱く踏ん切りを、アリサに煽ってもらったんだよね。

 あなたは何時迄も、わたしのためにわたしを騙しき続けるんだね。

 騙した。晴臣くんは騙した……。騙した……、騙した騙した騙したっ。

 って……。えっと……、桑原さん、顔色悪いですよ」

「凶悪な脚本だな……」

「はははは……」

 あなたみたいな欺瞞のベテランでも堪えるとはね。さすみゆ(さすが深雪)。

「で、第二章ガールズの三人のうち、どの子が好みなの?」

「千姫ちゃんですね。あのめちゃくちゃな性格に憧れる」

「芝居○チガイの子だったっけ。三人のうち、一番人気ないんじゃない? あの子」

「差別用語止めて。……どの子が人気あるとか、そんなの分かんないですけど」

「歌奏美ちゃんは、Twitterとかやらないの?」

「Twitterですか? SNSとか、よくやる気になりますね」

「Twitterは匿名がデフォだから、気楽だよ。言いたいこと言いっぱなしでOK」

「わたし、自分のことを世の中に伝えたいって気は全く無いんですよね」

「ふーん……。そういうところ、勿体無いと思うよ。仕事でも、そうだけどさ」

「そうですか?」

「まあ、仕事の話は置いておいて。最近のオタクの人は、やっぱりTwitterとPixivに集まってると思うよ。情報収集のために、アカウント作ってROMるくらいはした方が良いんじゃないの?」

「ROMるって何です?」

「あれっ? 今はそう言わないのかな。Read Only Member、略してROM。

 読むの専門、読み専、だね。2ちゃんねるとかでも、読み専の人は多い」

「はあ。勉強になります。でもわたし、2ちゃんとかも苦手で」

「まあ、あれは無駄で汚いテキストが多いからねぇ」

「意味のないテキストを読むのは疲れます」

「読み流し方にコツがあるんだよ。真面目な人はついつい読んじゃうからねえ」

「だから、匿名の文章なんて、意味があると思えないんです」

「Twitterは読みたい相手を選べるから。嫌な発言するする奴はミュートできる。

 自分が読みたい相手だけフォローして自分で選べば良いの。百四十字しか書けないから、だらだらした文章も読まされないし」

「へぇー」

 それなら面白そうかも。

「話戻すけど、スノメロのファンって、結構、Twitterやっててね。ハッシュタグつけて検索したら、毎日、誰かがつぶやいているんだよ」

「へえ……」

「僕はゲームまではお付き合いできないから、ゲーム版の話は付いていけないよ。

 だからTwitterでクラスタを探すのをお勧めしているわけ」

「クラスタってなんです?」

「集合体。大好きな人の集まり、かな。Twitter用語らしいけど」

「そう、ですか」

「まあ、ネタバレされても困るだろうから、全部終わってからで良いかもだけど」

「そうですね。考えておきます」

 思ったより酔いが早い……。毎晩遅くまでプレイし過ぎだ。ちゃんと寝なきゃ。

「大丈夫? 顔が赤いよ」

「ああ……。大丈夫です」

「部屋飲みに切り替える?」

「……良いんですか。今日は水曜日ですよ?」

「うん……。だから、あんまり遅くまではいられないけれど」

 今日は、居酒屋。唐揚げが美味しくて、店員が元気で、客の回転が早い店。

 彼が烏丸蛸薬師東入のこの店を選ぶ日は、さくっと飲んでさくっと帰りたい日だ。きっと彼は部屋に来たら、すぐにわたしを抱いて、慌ただしく帰ってしまうだろう。

 でも、今日のわたしは、そんなのは嫌だった。

 並行するパラレルワールドの中で、深雪は何度も晴臣に振られ続けている。

 一途に想い続けているのに、添い遂げられない深雪の苦悩と涙を何回も見るのは、なかなか辛かった。

 ……彼がわたしの部屋から帰る時、わたしは何時もあっさりと見送ってきた。

 でも、本当は帰ってほしくなかった。

 「帰らないで」「もう少しだけ側にいて」「もっとわたしを愛して」

 そう言いたかった。

 でも、言えなかった。重い女だと思われたくなかった。

 彼がわたしから逃げていく。それを想像すると怖かった。

 深雪の場合もそうだった。深雪が晴臣に近づけば、晴臣は深雪への罪の意識と、アリサへの想い出で苛まれ、深雪から逃げていく。

 だから、第二章の深雪は、晴臣に簡単に近づけない。痛々しい努力を重ね、何度も関係を再構築しようとしては、失敗する……。

 晴臣を他のヒロインに奪われ、そして、人知れず泣くのだ。

 第一章中盤、文化祭の後で、三人の友情を壊し、晴臣を自分だけのものにしようとした、自分を責めて……。

「おーい、歌奏美ちゃーん」

「……あ、すみません。ちょっとぼうっとしてました」

「送っていこうか」

「いえ。今日は一人で帰ります。桑原さんも、今日は遅くなるって、言ってないんでしょ。お勘定しましょう」


 今晩は、一人でいい。だって、もう少しで深雪が晴臣と結ばれそうだから。

 それを確認したら、幸せな気分で寝られるだろう。

 ……まあ、アリサが出てこないのが気がかりだけど。


 部屋へ帰り、パソコンを立ち上げてから約三時間後、三人のヒロイン達へ傾きそうな迷いを捨て、紆余曲折を経て晴臣は深雪を口説き落とした。

 勢い余った二人が晴臣の部屋に雪崩れ込んで、熱くて濃厚なイチャイチャを三回繰り返し……。

 いきなり二年が経過した。

 就職一年目。晴臣と深雪は甘々の甘のバカップルになっている。

 アルバイト先だった出版会社にそのまま就職した晴臣は、音楽系雑誌の編集部で、就職一年目から大量の仕事をこなしている。英仏独語を話せるスキルのおかげで、海外出張も任されるようになっている。

 深雪は、レコード会社に就職。時々はライブハウスで歌ってる。

 年末年始の休みを使って、二人は冬のニューヨークへ旅行する。セント・パトリック大聖堂のクリスマス・コンサートに行ったり、セントラル・パークを散歩したり、ホテルから夜景を見ながらイチャイチャしてまったりと過ごす。

 ああ……、良かった。良いエンディングだわ。Hシーンが長すぎて疲れたけど。

 特に、お口でしてあげるシーンが長いのが、ちょっとしんどい。

 あれが好きな女は、男が思っているよりずっと少ない。というか、そんな女いるのかしら。気が向いたらしてあげても良いけど、毎回求められるのは嫌。

 桑原さんは……、その気にさせるのが上手いんだよな。

 ニューヨークから移動する前日。晴臣と深雪は、有名なライブハウス「ヴィレッジ・ヴァンガード」へ行く。二人は最前列のテーブルに座り、本場のジャズを楽しむ。

 そろそろゲームも終わりかな……。そう思った時だった。

 バンドリーダーの黒人サキソフォニストが嬉しげに言った。

 「じゃあここで、ゲストを紹介するぜ。先日デビューしたばかりの新人だ。

 見た目は日本人形みたいだが、舐めて聴いてると心臓が止まるぜ。

 バークレー主席卒業の天才、ピアノ、冬夜アリサっ!」

 「えっ」

 高校の時と全く変わらぬ長い髪、切れ長の目、長い指先。深い紺色のワンピースドレスに包まれた、モデルのようなスタイル。深い胸の谷間。

 そして、観客に向かって軽く会釈する。その瞬間、画面はアリサのアップになる。

 一度閉じられた目が見開き、唇が皮肉に開くと、少し震えた声で台詞が聞こえた。

 「……久しぶりだな、晴臣、……そして、親友」

 最終章を告げる字幕と、第一章のテーマソング……、三人のオリジナル曲が流れ出した。

2016年の設定です。

不倫ダメ絶対。

Twitter → 現「X」

Anitube → 日本アニメ専門の違法アップロードサイトで現在は閉鎖されているはずです。

これもダメ絶対。

次回04話は、2024年12月18日19時に更新予定です。

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