2 エロゲって、なに?
「桑原さん、このキャラクターって、誰か分かります?」
翌日、わたしは少し寝不足気味の頭で出勤した。
そして昼休み、サブカル好きの先輩……、うちの課長に弟の部屋の写真を見せた。
「何これ……。凄いオタク部屋だね」
「オタク部屋?」
「典型的なオタクの人の部屋じゃない。東雲さん、変わった趣味してるね」
「とりあえず、わたしの部屋じゃないです。……知ってますよね?」
「しぃー。じゃあ、セーフハウスの方?」
「ええと……、セーフハウスって、何です?」
「隠れ家って意味」
「違います。そんな別宅、あったら困るでしょ?」
「……ひょっとして、弟さん?」
「……まあ、はい」
「やっぱ、亡くなってからこういうのが残ると困るよね」
「そう、ですよね」
「このキャラは知らないなあ。あ、ポスターのここ、題名じゃない?
拡大してみて。えっと、『Snow Melody』……かな?」
「そう、ですね」
「じゃあ、ウィキペディア先生に訊いてみて、と。えっと…」
彼の眉間にしわが寄った。
「エロゲだね、これ」
* * * * *
「面食らった?」
東大路三条の行きつけのジャズ・バーで、わたし達は赤ワインを飲んでいた。
桑原さんの大好きなBill Evansの「You Must Believe in Spring」が流れている。
彼は雑食のサブカル好きを名乗ってはいるが、基本的に上品な趣味の人だ。
「そりゃ、面食らいましますよ。
わたし、エロゲなるものが存在すること自体、今まで知らなかったんですから」
「日本独特のサブカルらしいね」
「で、もうちょっと詳しく教えてほしいんですけど、エロゲについて」
「ググれカスミ」
「ググってもよく分からないんです」
「そうなの? えっと……」
彼は自分のiPhoneの画面を親指でスススっと上手く擦る。ちなみにわたしのはAndroid携帯だ。普段はメールと写真撮影ぐらいしか使っていない。
も一つちなみにSNSは苦手です。
「アダルトゲームで検索してみて」
「あっ、ありました。えーと……、長いな……」
「帰ってから読んだら。僕、退屈だし」
「桑原さん、かい摘んで教えて下さいよ。得意でしょ、適当にまとめるの」
「僕もあんまりよく知らないよ。
簡単に言うと、コンピュータ用の性的シーンがあるヒロイン攻略ゲームがエロゲ、エロいゲームすなわちアダルトゲームなんだと思う。十八禁恋愛アドベンチャーゲームという会社もあるみたいだけど」
「はあ」
「複数の女の子を攻略対象とし、シナリオの要所に置かれた選択肢を、どう選ぶかによって、攻略できるヒロインが変わる。
攻略したヒロインとは、エッチできる。具体的には、そういうイラストと喘ぎ声を楽しめる」
「複数の女の子と、……楽しむ、ね」
うー。あいつがあんな部屋で一人、パソコンをカチカチやって、そういうイラスト見ながら、……してたかと思うと正直気持ち悪い。
「まあ、エッチな要素がないと、需要につながらないからね」
「そうなんでしょうけど」
「攻略したヒロインごとに終わる結末をエンドと言って、ヒロイン毎の名前を冠して誰々エンドと呼ぶ」
「つまり、一つのエンドではその娘とだけ付き合うの?」
「そう単純でもないみたい。一旦は主人公とメインヒロインが付き合うけれど、他の娘と浮気する話もある。その結果、寝取られるエンドとか、紆余曲折を経てメインヒロインと仲直りするエンドもある。現実離れしたハーレムエンドとかもね」
「はあ?」……なんと男の欲望に忠実なご都合主義。
「浮気がバレて修羅場になって殺されるようなバッドエンドもある」
それ、自業自得ですよね、と言いかけて、わたしは口を噤んだ。
「あと、細かいこと言うとね。エッチなシーンのある十八禁の美少女攻略ゲーは通称美少女アダルトゲームと言うんだけど、元々エッチなシーンのないストーリー重視のものや、エッチなシーンを抜いたコンシュマー版は、ギャルゲーと言うらしい」
「コンシュマー版? 一般消費者向けってことですか? そんなのもあるんだ」
「一方、フ女子向けに美形男性キャラの同性愛を描いたボーイズラブゲームっていうのもあるよ。フ女子のフは腐ってるの腐ね。結構多いんだよ腐ってる女子は」
「……そうなんですね」なんだそれ?
「あとは、女性がプレイヤーとして複数の男子を攻略する乙女ゲーム、ショタ向けの少年を攻略するショタゲ、男性同性愛者向けのゲイ向けゲームというのもある」
「すみませんショタって何です?」
「少年愛のことだよ。ロリコンの男の子版だね。ショタの語源は『鉄人二十八号』の主人公・金田正太郎くんで、結構古くから存在する文化なんだよ」
「すみません。頭が拒否反応を示してるんですけど……。もう、理解したくない」
「理解しなくて良いんじゃない。性の多様性だけ肯定すれば。どっちにしろ、市場は美少女アダルトゲームが中心だから」
「はあ。その美少女アダルトゲームに限っても……、エッチなシーンを見るのが目的なんですよね。なんでこんな間怠っこしいことを」
「確かに。基本的に音声付き紙芝居だから、アニメみたいに動かないしね」
「それじゃ……、えっと、AV借りてくれば、良いんじゃないですかね?」
「エロゲーマーの多くは、シナリオとか、ストーリーを楽しんでいるらしいよ。
エロゲの中には、泣いてしまうほどシナリオが良い、泣きゲーと呼ばれるものがある。ビジュアルノベルと言っても過言ではないらしい。
だから、エロシーンを排除したコンシュマー版があったりする。AVが代わりになる、とは一概に言えないみたい」
「桑原さんは、やらないんですか」
「奥さんがいるのに、どうやってやるの? 見つかったら大変だよ?」
「まあ、それもそうか」
やらないのによく知ってるな。きっと調べてくれたんだろうけど。
「僕は元々ゲームが好きじゃないんだよね。それに、偏見かもしれないけど、やっぱりダメなんだよ、ああいうの」
「まあ、そうですよね」あなたなら。
「ちなみに『Snow Melody』は、最近のエロゲの中で頂点と言われている作品みたいだよ。シナリオが高く評価されているみたい。相当売れたらしいよ」
「へえ」
「二〇一一年三月に前半販売。同年十二月に後半販売。翌年十二月PS3版発売か」
「PS3版があるってことは、かなり売れたってことですか」
「どうなんだろうねえ。数万枚は売れたんだろうけど。
でも、エロゲっていうのは日本独特のサブカルらしいから、海外の販売も見込めないだろうし、今はそんなには儲からないだろうなあ」
「ふーん。そうなんだ」
「制作現場はキツイだろうね。それこそ、オタクの、オタクによる、オタクのためのメディアだよね、エロゲは」
「はあ……。なんでそんなものにはまったのかなー、あいつは」
「弟さん、彼女とかは?」
「聞いたことないですね。いなかったと思います。欲求不満、だったのかなあ」
「そう……。えっと、これ、二〇一三年秋にアニメ化してるんだよ」
そういえば、棚にBlu-ray discが並んでたような気がする。
「へえー。エロゲーって、アニメにして良いんですか?」
「……さあ、どうなんだろ。でも、まずそれから見てみたら?」
「えっ?」
わたしは彼の顔を見た。彼はいたずらっ子のような顔をしていた。
「だって、興味あるんだろ?」
「敵わないな……」
「やっぱ、弟さんのこと、ショックだったんだね」
「いやー、それは全くないです。でも、あの部屋のもの、ゆくゆくは処分するにしても、内容も知らないのに処分できないな、って、義父と話してて」
「真面目だね、歌奏美ちゃんは」
「……真面目じゃないですよ」
「そうだね……。じゃ」
既に、ワインのボトルは空だ。
「真面目じゃ無い歌奏美ちゃんの部屋に、これから行っても良いかな」
「……良いですけど。今日、奥さんは?」
「実家。いとこの結婚式だって」
「コンビニで〝あれ〟買ってくださいね」
「え、もうなくなってたの?」
「残り一つなの。桑原さん、元気過ぎだから、一つじゃ足らないでしょ?」
会計を済まし、タクシーを拾うまでの間、桑原さんはわたしの肩を抱いて言った。
「やっぱり僕には必要ないなあ、エロゲ」
* * * * *
翌日の夜、わたしは実家を訪ねた。
「お義父さん、一人ですか」
テーブルにはコンビニで買ったと思しき弁当とビールが一缶。
「ああ。お母さんね、相変わらず、引きこもったままだよ」
「そう、ですか…。お義父さんもかなり疲れてるみたい」
「まあ、そうだね。仕事のペースが掴めなくてね。
息子が死んだというのに、一週間もしたら会社に行かなければならない。
なんのために生きてるんだか……。正直に言って、辛いね」
「……わたしの飲む分は、ありますか?」
「ああ、どうぞ」
義父は冷蔵庫から一缶取り出す。静かなキッチンに、プシュっという音が響いた。でも、それは何時ものような嬉しさを伴わない。
「やっぱり、寂しいよ」
「…………」
「悲しいし、悔しい」
「お義父さん……」
義父は目頭を押さえて静かに嗚咽した。
「あの子は……。あー、なんで僕は詩音のことを、あの子、って呼んでるのかな。
多少頼りなくても、大学も卒業して仕事もしていた男だというのに」
「…………」
「詩音は、本当に大人しい子でね」
知ってます。それくらいなら知ってます。
「それが最近は会話も増えてね。少し活き活きとした表情も見せるようになって」
「そうなんですね」
「その原因は、あの、部屋のね……」
「あれ、ですか」
「うん。でも、ひょっとしたらあれのせいで、あの子が死んだのかもしれない、という気持ちもあってね」
「え、どういうことですか?」
「何か、文章を書いていると言っていた」
「文章?」
「それで、あの三人を救いたい、とかなんとか。それで、無理してたみたいなんだ。
ニジソウサク、とか言ってた気がする」
あの、ばかやろう。何やってんのよ。
あんな訳の分からないエロゲの、何……?
ニジソウサクって、何?
2016年の設定です。
不倫ダメ絶対。
次回03話は、2024年12月18日07時に更新予定です。