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13 ワケあり女はラスボスと戦う?

〝あ……、お母さん〟

〝あなた……、いったいどういうつもりなの?〟

〝あれ……、ここどこ? あ……、頭痛い。そういえば、ご飯は〟

〝ここは病院よ。食べてる途中に倒れたのよ。あなた、丸一日寝てたんだからね〟

〝えっ……。えっ、今日は何日?〟

〝…日よ〟

〝お母さん、帰ろう。ポスター描かないと、〆切が……〟

〝あんなものやらなくて良い。捨てておいたわ〟

〝捨てたって……、なんで捨てたの……、なんでそんな酷い〟

〝酷いのはあなたでしょ? 良い加減にしなさい。詩音も小さくて手がかかるのに、あんなポスター描くために無理して倒れて迷惑かけて。お姉ちゃんでしょ〟

〝好きでお姉ちゃんになったわけじゃないよ……〟

〝なんてこと言うのよ。それにその目つき……。そんな目で睨まないでっ〟

 分かった、もう分かったよ。だからお母さん、そんな怖い目で見ないでよ……。


* * * * *


「……知らない天井だ」

 これ元ネタなんだったっけ?

 身体が酷く怠くて重い。頭にも靄が掛かっているような気がする。

 知らない天井ではあるが、この雰囲気は病院だな。

 右手には点滴の管。

 布団の上を、白髪混じりの長い髪が流れている。左手は、その人の細い指にがっちりと握られている。

「お母さん……」

「あ……、歌奏美……、起きたの? 歌奏美、歌奏美……」

「お母さん……」

 布団から顔を起こした母の目は真っ赤で……、酷く疲れていた。

「歌奏美……、どこも痛くない? ねえ、ちゃんと話せる?」

「うん……、大丈夫」

「良かった……。あなたに何かあったら、私、もう生きていけない……」

 そう言うと母は泣き出した。わたしの右手が濡れ、母の手の爪が食い込んだ。

 痛い……、痛いよ、お母さん。


* * * * *


 どうやらわたしは、喫茶店の入り口の扉を閉めた直後に、ぶっ倒れたらしい。

 AKさんが一一九に電話した直後に目の前の鞍馬口医療センターに電話してくれた結果、ストレッチャー出してくれて結局直に運び込まれたらしい。

 ……今回は丸二日、寝てたそうだ。それでもまだ、頭も体も鉛みたいに重い。

 見舞いに来た桑原さんにメチャメチャ怒られた。AKさんが連絡したようだ。

 あんなにマジで怒った彼を初めて見た。

 ……あんなに声を震わせて弱々しく泣く彼を初めて見た。

 後一日、二日、様子見で入院するらしい。……AKさんは来ない。

「ねえ……、わたしをここに連れてきた男の人、来てない?」

 わたしは、ベッドにべったりとくっついてわたしから離れない母に訊いた。

「知らないわ」

「えっと……、多分今、ロビーにいると思うよ」

「修司さん……、あなたなんでそれを言うの?」

「だって美歌子さん、彼、可哀想じゃない? 歌奏美さんの恩人じゃない」

「恩人じゃないわよ。側にいながら歌奏美がこんなになるまで放っておくなんて、あんな人をこの子の恋人だなんて、私認めませんから」

「いやあの……、彼は恋人じゃない」

「……じゃあ、どういう関係なの?」

「うーんと……、趣味の友達?」

「歌奏美……、あなたがこんなになるまで根を詰めた理由はなんなの?

 仕事……じゃないんでしょ? その趣味ってやつなんでしょ」

「まあ……そうかな」

「一体、何をやっているの?」

「えっと……」

「まさかとは思うけれど、詩音の部屋にあったものと関係があるの?」

 これは、まずい。母の目が〝あの時〟と同じような冷たい目になってきている。

 下手な答え方では、全て捨てられる。

 どうしよう……。

「あの……、お母さん、ちょっと冷静になって聞いてね?

 ちょっと説明すると長くなるんだけど、あの詩音の部屋にあったものは『Snow Medoly』って言って……」

「知ってるわよっ。十八禁の如何わしいゲームでしょっ。そんなものにのめり込んだせいで、あの子は無理をして……。

 その上、今度は歌奏美まで私から奪おうと言うの?

 絶対に認めない……。あなた、もうあんなものに関わるのは止めなさいっ。

 お願いだから、もう止めて……、なんで私ばっかり奪われるのよ……」

 そう言うと母は、ベッドに乗り出してわたしの腰を強く抱きしめた。

「お義父さん……、教えました?」

「いや、自分で調べたみたいだよ」

 これは困ったことになった。〆切がどうとかいう問題じゃないな。


* * * * *


 泣き疲れて眠る母をようやく腰から引き剥がし、隣に寝かせた。

 担当の看護師さんからは小言を言われたが、離れないのだから仕方ない。

 よく寝たおかげかどうかは分からないが、病院の夕食はなんとか食べられた。

 母はよく寝ている。

 豊かだった黒く長い髪には明らかに白髪が増え、頬の肉は落ち、手は骨ばっているように思う。眦には皺が見える。あんなに怖く思ってた母が小さく見えた。

 派手な美人で……、威圧的で……、すぐ怒る母が、頼りなく見えた。

 そりゃそうか、五十歳を過ぎてるんだものな。

 愛する夫と、愛する息子を失った、不幸な女。感情的で、……本当は情の濃い女。

 あれは小学校四年生の頃だ。わたしは環境に関するポスターのコンクールに出品する作品にのめり込んだ。誰も描いたことがないようなモチーフを探そうと粘ったあげく実際に描く時間が足りなくなった。親に隠れて夜遅くまで描いてた結果、食事中に寝落ちして頭を打って、そのまま気絶して病院に運ばれた。

 描きかけのポスターはびりびりに破られて捨てられていた。

 その時に思ったのだ。〝ああ、わたしはこの人に愛されていない〟って。

〝わたしのことは、弟の次なのだ。だから、わたしはおとなしい、母親の言うことをよく聞く子にならなきゃ〟って。

 それ程までに、あの時の母の視線は冷たかった。恐ろしかった。

 でもあれは、わたしに対して怒ってたわけではなかったのだろう。わたしを愛し、わたしの身を気遣うあまり、感情を上手くコントロール出来なかったのだろう。

 だって、さっき同じように凄んだ母を見ても、何も怖くなかった。

 ただ、酷く狼狽えて見えた。現に今わたしの横で寝ている母は、ただの弱い女だ。

 消灯時間を過ぎた、暗い個室の病室。画面の明るさをかなり落としたスマホでTwitterを開いて、「趣味の友達」にDMを送る。

〝AKさん、まだ起きてる?〟

〝ああ。体調はどうだ。〟

〝まだ何となく怠い。〟

〝じゃあ、もう寝ろ。〟

〝ちょっとだけ付き合って。〟

〝ちょっとだけだぞ。〟

〝うん。今回は本当にごめんなさい。わたし本当に馬鹿だったよ。〟

〝謝らないでくれ。俺は今、かなり落ち込んでいる。〟

〝何故あなたが落ち込むの?〟

〝歌奏美さんのお母さんの言う通りだからだ。俺がもっと早くに気付いていたら、あんたをこんな危険な状態まで放置せずになんとかできたかもしれないのに。〟

〝今回は大事なかったけど、もし何か重大な病気になって障害が残ったりしてたら、俺は自分を許せなかったと思う。〟

〝いやAKさんは関係ないよ。わたしだけが悪い。〟

 …………。

〝関係ないと言われると、ちょっともやっとする。〟

〝そうなの?〟

〝ああ。〟

〝わたしと、関係ある方が良いの?〟

〝言い方!〟

〝ふふふ。ありがとう。〟

 …………。

〝ねえ、わたし、どうしたら良いかな。

 怒られるかもしれないけれど、今でも諦められないのよね。〟

〝そう言うと思った。ヤレヤレ〟

〝どうしたら良い? どうすれば出せると思う?〟

〝俺が手伝ってやる。〟

〝手伝うって、何を?〟

〝校正は俺に任せろ。頭っから熟読して、文章の破綻とか矛盾とか辻褄とか、ミスは全部チェックしてやる。〟

〝本当に? 大変だよ。だって四十万字だよ?〟

〝任せろ。だから細かいこと気にせず、兎に角、できる限り作業を先に進めるんだ。

 ただし、一日の睡眠は毎日七時間厳守。〟

〝いや、同人活動やり始める前から、わたし、睡眠時間六時間なのよ?〟

〝七時間厳守。体調を第一義的に考慮しないなら、俺は作業に協力しない。

 修司さんに、あんたがまた暴走しているって、チクる。

 電話番号、交換したからな。〟

〝それは困る。そんなことされたら絶対、母に伝わって妨害される。〟

〝最低七時間厳守。(大事なことなので二回言いました)〟

 いや三回じゃん。おまけに三回目は最低条件になってるじゃん……。

〝分かった。その代りに、ちゃんとわたしの〇〇管理してよね。〟

〝何〇〇管理って? それって男子が管理されるやつ?〟

〝H! 睡眠管理よwww。わたし毎朝七時に起きてるから、シンデレラ・タイムが近づいたら、毎日お休みコールしてくれるかな?〟

 …………。

〝分かりました。させていただきます。〟

 よしよし。〝それならちゃんと寝る。〟

〝寝る前にはお風呂にも入るんだぞ。ぬるま湯にゆっくりとな。〟

〝そんなことしてたら本当に作業時間なくなるよ。〟

〝スマホ活用。ジップロックに入れて防水して湯船の中で入力するんだよ。〟

〝うしがらさんが言ってたね。分かった。〟

〝じゃあ、もう寝なさい。〟

〝お父さんかよwww ねえ、お願いがあるの。〟

〝何?〟

〝明日お見舞いに来て。〟

〝門前払いされるよ。〟

〝説得しておく。お願い。〟

〝分かった。じゃあ、もう寝なさい。〟

〝大事なことなので二回言いました? お休みなさいzzz〟

〝お休み。〟


「毎晩、彼とそうやってメールしてるの?」

 画面を暗転させて布団に潜り込むと、母が訊いてきた。

「起きてたの?」

「途中からだけどね」

「怒らないの?」

「だって、あなたの顔が嬉しそうだったから」

「……そうか。やっぱりね」

「何がやっぱりなのよ」

「ねえ、お母さん。わたし、あの人のことが好きなのよ」

 母に恋人と言われて、はっきりと自覚した。

「やっぱりお付き合いしてるんじゃない」

「してないよ。わたしだって気持ちに気付いたのつい最近なんだから。彼は同好の士で、戦友なの。これからどうなるかは分かんないけど、大事な人なの」

「辛い恋の相手、じゃないのよね?」

「んー? ちょっと意味分かんないけど……、道ならぬ恋の相手……ではない。

 だから会って、ちゃんと話を聞いてくれないかな」

「でも、あの如何わしいゲームの関係の友達なんでしょう?」

「確かにあのゲームはエロゲ……、十八禁美少女ゲームだけど……、純愛ものなの。

 一人の男の子が、運命的に二人の女の子を同時に愛してしまって……、どちらかを選ばなければならなくて、悩んで、傷付いて。

 二人の女の子にも、それぞれに想いや事情があって、お互いに友情も感じている。

 そういう物語なの」

「…………」

「簡単に分かってもらえるとは、思ってないけど……」

「一人の男の子が、運命的に二人の女の子を同時に愛してしまって……、か」

「どう、したの?」

「私はね、大学の時、二人の男の子を同時に好きになってしまった」

「えっ……」

「それがあなたの父親の奏太郎さんと、修司さんよ」

「そう……だったの」

 ……そうか。うちの親って、うしがらさんと同じ年代だ。確か第二次……

「八十年代後半は第二次バンドブームでね。BOØWY、HOUND DOG、レベッカ、BARBEE BOYS、プリンセス・プリンセスとかが流行ってたかな」

 ……うん。有名だけど、どれも聴いたことがないんですけど。

「私達の大学時代、沢山の人が楽器を演奏してた。私達は同じ大学の同じ軽音楽部に入っていた。最初は先輩のバンドのお手伝いから始まって、先輩が卒業していったら、そのバンド、私達三人しか残っていなかった」

「何故?」

「へんてこりんな音楽しかしてなかったからよ」

「へ、へんてこりん?」

「あなた、奏太郎さんのレコードとかCDとか聴いてて、何も思わなかったの?」

「あ……、あー」察し……。

 確かに変わった音楽しかないなーって思ってたんだよな。聴けたのはThe Beatles、The Smithと、Cocuteau Twinsとか言うのだけだったな。後は「世界の民族音楽シリーズ」とか「空想の音楽会シリーズ」とか「ユーロ・プログレッシブ・ロック・シリーズ」とか?

 JazzはESPとかいう自主制作レーベルみたいな怪しい盤しかないし?

「奏太郎さんの変なキーボードと、修司さんの下手なベースと、やる気のなさそーな私の歌。ドラムはRolandのリズムマシーン、TR-808。

 いや私はやる気あったのよ。ただ周囲からそうは見えないって言われてただけで」

「何よそれ。おっかしー」

「結構人気あったのよ。毎月ライブハウスに出て……、対バンと打ち上げに行って、お酒を飲んで、馬鹿騒ぎをして……。まあ、今で言う黒歴史……かな。

 でも私達は音楽で食べていこうとは思ってなかった。だから卒業したら解散することは決めてたのよ」

「社会人やりながら続ければ良かったのに」

「ずっと三人のままじゃいられないって、三人とも分かってたから。私がどちらかを選べば、この関係は終わりって、分かってたから」

「…………」

「口には出さないけど、二人が私を好きなことは分かっていたし、私は二人共大好きだった。

 修司さんは、苦学生でね。アルバイトいっぱいしながら、自分で学費も生活費も稼いで、バンドもやって……、とにかく忙しくて……。

 四年生になると、就職活動とか卒論とかで余計に忙しくなって、会わない日が多くなって……。

 側にいてくれた奏太郎さんに傾いてしまった」

「そうなんだ……」

「就職して一年後には結婚して、すぐにあなたを身籠った。二人で働いてたからすぐ払い終えると勘違いして、身の丈に合わない大きな家を買って……。

 そう言えばあなたが二歳の頃かな……、奏太郎さんの書斎に入って、CDをケースから取り出しては投げて遊んでたのよ。奏太郎さん、顔を青くして取り上げて、泣きながら押入れの上段に隠していたわ。

 でも、怒りはしなかった。『悪魔め』と言ってたけど『可愛い悪魔だから仕方ない』と言って苦笑して諦めていた。本当は優しい人だった。

 わたしも飛ばしてみたかったわ。

 そんな生活をしていた矢先、奏太郎さんの病気が見つかったの」

「…………」

「膵臓のがんは、特に見つかりにくくてね。見つけた時には殆ど手遅れなのよ。

 直径一センチ以下で発見できて五年生存率は八割、一から二センチで五割程度なんだって。それに、二十歳代で罹る人は本当に稀なのよ。

 あなたが三歳になる前くらいかな……。奏太郎さんの膵臓がんが見つかった。

 大きさは一・五センチ位だった。手術することになったんだけど、門脈っていう所に染み込んでてね。そういう場合、まず抗がん剤で癌を小さくしたり、殺したりしてから手術するの。その治療過程がきつかったみたいでね。

 あなたが物心ついた頃の奏太郎さんは、あまり良い精神状態じゃなかった。

 些細なことで私に当たって、一生懸命喋り掛けるあなたをうるさいと叱って……。

 私は私で仕事と家事と、あなたを保育園へ連れて行く送り迎えや、奏太郎さんの相手とか、もういっぱいいっぱいで疲れていて……、あなたに構ってあげられなかった。

 奏太郎さんのご両親は関東だったし、私は両親と仲が悪かったから、頼れる人もいなくって。

 とにかく手術はして、一時は少し落ち着いた生活をしてたんだけど。

 でも再発しちゃってね。

 二度目の手術は難しかったみたいで、辛い抗がん剤治療が始まって……。

 今はもっと良い薬や治療法があるのかもしれないけれど、奏太郎さんは痛みと気怠さと吐き気で取り乱すことが多くて……。

 あの時期は……、本当に辛かった」

 そういうと母はまた、静かに泣き出した。

 よく考えたら、母は義父の前では、わたしの父、奏太郎のために泣くことができなかったのかもしれない。

「正直言って、病院に入院して、坂道を転げ落ちるみたいにどんどん悪くなって、麻酔で鎮静されて……、私は楽になった。

 亡くなって、お葬式をあげた時、悲しさよりも気持ちが呆けてしまった。

 何も考えられなくて、奏太郎さんのご両親や親戚にも何も言えなくて、怒らせてしまった」

「仕方ないよ、そんなの」

「私もそう思ってる。でも向こうの家が本当に怒ったのは、私がお葬式に来ていた修司さんと再会して、奏太郎さんが亡くなってから一年も経たない間に再婚してしまったことよ。

 奏太郎さんが生きていた間から私達が付き合っていたと勝手に思い込んで、不貞だと罵って、奏太郎さんの保険のおかげで残ったあの家を渡せと主張してきたの」

「そんなことあったんだ……」

「奏太郎さんが生きていた間から付き合っていたというのは事実じゃない。だから、向こうの馬鹿げた主張には反論し、裁判するならやってみろと突っぱねた。

 でも、私と奏太郎さんが修司さんを忘れたことはなかったし、私が奏太郎さんと結婚しながら修司さんのことも想い続けていたことや、……女性の再婚禁止期間六か月が過ぎる前に男と女の関係になったのは事実なの」

「そうだったのね」

「だから、私と修司さんは罪を犯していないとは言えないの」

「そんなの……、どうだって良いことじゃない」

「いいえ……。修司さんと再婚して、すぐに詩音を身籠って、産んだ後は仕事を辞めてあの子にばかりかまけて、あなたを蔑ろにしてきた。

 ずっとあなたを甘やかせてあげられなかった。それに……」

 母の左手がわたしの頬に触れた。

「あなたは美人よ。本当に奏太郎さんにそっくり」

「えっ……」

「私はね、女顔の美男子だった奏太郎さんにどんどん似てくる、あなたのことが苦手だったのよ、歌奏美。

 まるで、責められているような気がして……、少し辛かった。

 奏太郎さんと同じ切れ長の目、涼しげで、理知的な瞳……。

 それを長い間曇らせていたのは私なのね。

 私が〝そんな目で見ないで〟と言ったからなのね。

 だからあなたは前髪を長く伸ばして、眦を見えないようにした。

 背が高くてスタイルも良いのに、俯いて喋るようになった。

 全部、私のせいなのね」

「お母さん……」

 違うよ……、と言えば嘘になる。でも、そうだ、と言うべきものじゃない。

 誰も悪くない。そういう巡り合わせだったのだ。

「でも、今回、あなたが倒れたことで漸く気がついたわ。私、あなたを失ったら、もう本当に生きていけない……。たぶん、あなたの後を追う」

「やだ、ちょっと物騒なこと言わないでよ」

「だって……、もう嫌だもの。もう誰も失いたくない……」

 そういうと母は、私を抱きしめた。

 わたしの腕の中にいるその人は、最早わたしよりも小さくか細い。

 本当はもう、わたしが守るべき人なのだ。

 …………。

「ねえ、お母さん。わたし今、詩音の残した小説の未完成の部分を書いているの」

「小説って、オリジナルの?」

「ううん。『Snow Melody』の登場人物の、ある結末のその後を綴ったお話よ。

 二次創作小説って、言うんだけどね」

「……そんなもののために、あの子は無理を重ねていたの?」

「わたし、検死してくれたお医者さんから聴いたよ。確かに過労が影響していないとは言えないけれど、それが直接の原因だったんじゃないって」

「じゃあ、あの子は何故死んでしまったの?」

「誰のせいでもないよ。悲劇的な事故なのよ……。青天の霹靂……、晴れた空から落ちた稲妻のようなもので、誰も防ぐことができなかった」

「でもあなただって倒れたじゃない」

「わたしは本当に馬鹿みたいに無理してた。だって今年の大晦日のイベントで出版するつもりだもの。でも詩音はそこまで具体的に考えてはいなかった。

 だから、無理する理由はなかった。

 あいつの病気は本当に偶然にあいつを襲っただけで、誰も悪くない。

 だから……、もう原因を探すのは止めよう?

 そして、お母さんが元気にならなきゃ、お義父さんも辛いよ。

 元気になって、あいつの最初で最後の作品が完成するのを、後押ししてよ」

 そう言って、わたしは母の背を撫でた。

「分かったわ。頑張ってみる」

 嘘をつく時は本当の話を混ぜるのがコツだと言うけど、わたしは今、母を納得させることができたのだろうか?

 納得できなかったとしても、わたしはこの嘘をつき通す。

 詩音の本当の死因と、桑原さんとの関係の話は、絶対、母に伝えたくない。

「それで、どんなお話の、どんな続きを書くつもりなの?」

「えっと、話すと長くなるけれど?」

「じゃあ、明日、葛西さんに聞かせてもらうわ」

「えっ」名前、知ってたんだ……。

「じゃあ、もう寝なさい。えっと……、大きいわね」

 そう呟くと母は、わたしの胸に顔を埋めて寝入った。


* * * * *


「……と、大体こういう話です」

「成る程。婚約までしていた女を裏切って初恋の相手と逃避行した訳ね」

「有り体に言えばそうです」

「なんだか概要だけ聞くと昼メロみたいな感じもするわね。懐かしいというか……」

 母はいったん帰ったと思ったら美容室で髪を整えがっつり濃いめの茶髪に染めた上にウェーブさせ黒い薄手のハイネックセーターに銀のネックレスを付けて濃ゆい紫のパンツスーツを着てヒールの高い黒くテラテラ光るパンプスを履いて病室に戻ってきた。何故なんだ? うん。病院の安物のパイプ椅子が全然似合ってない。

 おまけにその化粧……、バブルの残り香がしていた九十年代の名残だろうか?

 細眉が怖いんだよ。AKさん完全にびびってるじゃない。

 お義父さんがなんだか嬉しそうなのもちょっときもい。

「で、どんなお話を書こうとしてるの?」

「深雪が歌手としてメジャーデビューして、その勢いでアリサと晴臣をニューヨークまで迎えに行って、まあ色々と紆余曲折を経て、深雪とアリサが友情を取り戻す、みたいな?」

「ドロドロの展開はあるの?」

「ないわ」

「十八禁描写はあるの? 販売対象は?」

「それとない描写はあるけど、一応全年齢対象の範囲内で書くつもり」

 ただし、詩音の書いてたなんか妄想がイタ痒いラヴシーンは書き直す。

「分かった。健康に無理のない範囲なら、書き続けても構わないわ」

「ありがとう、お母さん」

「ただし、歌奏美は家に帰ってくること。あの部屋、売っちゃいなさい」

「いやいや、そんな無茶な……」

「放っといたら、またあなた、根を詰めるでしょ。また倒れでもしたら、私……」

 そう言って母はベッド上のわたしに振り返り、悲しそうに見つめる。

「分かった。分かったから、えっと……、どうしようかな……」

「昨晩、僕は歌奏美さんとメールで打ち合わせをしまして、歌奏美さんの同人活動については、僕が協力させていただくこととしました」

 AKさんが、母を真正面に見て、言った。

「協力とは? 具体的に?」

「主に編集者のような立場から、文章を校正させていただきます」

「それだけ?」

「えっと、しっかり食事と睡眠を取るよう働きかけたいと思います」

「どうやって?」

「えっと、毎日定時に連絡をとり、食事、入浴、就寝を促したいと考えています」

「ふーん。そんなやり方でこの子が大人しくするかしら……。

 二度目なのよね、何かに根を詰めて倒れるのって……。

 そんなんでは母親として放っておけないなぁ」

「えっと、えーと、でしたら……」

「ちょっとお母さん止めてよ、AKさん困ってるじゃない」

「わ、分かりました。仕事終了後、毎日歌奏美さんのお宅に伺い、布団に入るまで見届けます」

「ちょっとあんた、何言ってんの?」

「夕食も一緒に食べてね。あと、子守唄とモーニングコールも」

「了解しました」

「なんならお風呂も一緒でも良いわよ」

「ちょっとお母さんっ!」

 ドヤ顔して振り向いた母がバチン、と音がするようなウインクをした。

 お母さん、それじゃまるで、アリサの母親みたいな画策じゃん。

 いやだから細眉が怖いって……。


* * * * *


 なんだか気分が舞い上がったせいか体調がマシになった気がして、話のついでに退院手続きをしてしまった。まあ、午前の診察で問題ないと言われてたからね。

 一日実家に泊まって、明日の午後から出勤すると、桑原さんにメールする。

〝これからは有給休暇を活用して身体に負担を掛けないようにしてください。〟

 そっけない、他人行儀な文面。でも、ありがたいと思った。

 義父が作ったうどんを食べ、風呂に入り、歯を磨いて、置きっぱのジャージに着替えて、……久しぶりに詩音の部屋に入る。

 あぁ可愛い。めっちゃ可愛いなー……、アリサと深雪は本当に可愛い。

 このタペストリー、去年の冬コミの企業ブースで販売してたやつだ。

 こっちは去年の夏コミ、これは一昨年の冬コミだなー。

 ああっ、これってめちゃめちゃ有名な絵師さんが描いたタペストリーじゃん。

 このポスターはアニメ雑誌、このポスターはパソコンゲーム雑誌の折り込み。

 このイラストのちゃぶ台はパチンコの景品だったっけ。

 このマットは一瞬だけ限定販売されてたやつだなー。

 アニメから入ったクラスタはオークションでしか入手できなかったグッズが沢山あるなー。高かっただろうなー。

 このマグカップ、一時期アマゾンで取り扱ってたのよね。可愛いなー。

 フィギュアは何処で手に入れたのかなー。よく分かんないけど可愛いなー。

 うっとりと一通りグッズを愛でていたら、わたしの眦から雫が流れた。

 全然気持ちが違う……、初めてこの部屋に入った時と。

 アリサと、深雪が、愛おしい。わたしは二人を愛してると思う。

 わたしはベッドに座り込む。

 ベッドには、アリサと、深雪の、二つの抱き枕。

 染み一つない、きれいなプリント。まるで今卸したかのようにふかふかだ。

 その二人の抱き枕を撫でてたら、涙がどんどん溢れてきた。

 詩音……、お前、アリサと、深雪と、一緒に寝てもらってたのよね。

 ひょっとしたら、わたしと、あゆみのことに想いを馳せながら、アリサと深雪に挟まれて寝てたのかしら。

 わたし……、わたし、可愛くないお姉さんだったね。

 もっとあなたと話せば良かった。あなたばっかり狡いって、お母さんを独り占めして狡いって。

 そうしてお互いに思ってたことを言い合って、カッとして取っ組み合いになって、二人してお母さんに怒られて。

 そしてお義父さんに宥められて、仲直りして、うどんを食べる。

 それから両親に隠れてDSをやるのよ。

 叶わない、夢。あり得ない妄想。

 わたし達がそんな姉弟だったら、どんな青春を、青年期を過ごしたのだろう?

 でもそんな姉妹だったら、わたし達は『Snow Melody』に会えなかったかもしれない。会っていたとしても、通り過ぎたかもしれない。

 もしも詩音が生き続けて、自分でこのSSを完成させ、ゲームと一緒に送ってきたとしたら?

 わたしはあいつの勧めに応じてプレイし、SSを読んで、周囲との関係を変えていっただろうか?

 分からない。

 分かることは、人間は死ぬ、ということだ。

 だから、死んだように生きないように、死なないように生きられるように、何時死んだとしてもできる限り悔いを残さぬように、死ぬまで生きなければならない。

 ありがとう。詩音。わたしに『Snow Melody』を教えてくれて。

 姉さん、あなたがあの世でわたしをハラハラドキドキ心配しながら見守らず、さっさと次の世界へ転生できるように、頑張って幸せになるよ。


* * * * *


 SS二十七話、晴臣はアリサを伴い、確執があって大学進学以後殆ど会っていない母親に会いに行く。晴臣が中学の頃、両親は離婚、裁判で争って母親が親権を得たが、家を開けることが多かった(親が家に殆どいないのは、エロゲやラノベのよくある設定だけど)。それは何故か?

 別れた夫が浮気をしていた腹いせに、離婚後自分も妻のいる若い男と付き合っていたことを引け目に感じていた。父親に似てくる晴臣を見る度に、別れた元夫との楽しかった日々を思い出し、辛くなった。「私はあなたを愛している。でも、自分はあなたに愛される資格のない女だ」と泣く母の肩を抱き、晴臣は自分こそ愛されていないと思い距離をとったのだと告白し、二人は和解する。

 和解を願っていたアリサだが、晴臣の母への愛情の渇望が、家族愛に満ちた深雪への憧憬につながっていると感じて、少しもやっとした感情を抱える。

 …………。

「よく書けたじゃないか」

 うん。褒めてくれてめっちゃ嬉しいんだけど、何処で探してきたの、それ?

 AKさんが持っているカフェオレの入ったマグカップ。それ、わたしのお古の白クマちゃんと同じのじゃない? ここ、突っ込んで良い所かしら。

 夕食後の、短い、けれど充実した時間。

 母が画策してくれた、大好きな人との時間。

 ところで、いつになったらこの人は、茶髪ツインテール派から黒髪ストレート派への転向を表明する気かしら。

 一度茶髪にしてみようかな。

 今なら前より痩せてるから、スレンダーな深雪の真似もできるかもしれない。

 ……でも、わたしがツインテールで白いニーソとかは履くのは事案だな。

 うん、とりあえず待とう。

大人ってそんなに大人じゃないんですよね。

だからと言って、こどもに辛く当たって良いわけじゃないんですけど。

なお、主人公は一つの恋を引きづらないタイプの人です。

ちゃんと区切りをつけて次に迎えることができるタイプ。

次回14話は、2024年12月23日19時に更新予定です。

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