12 ワケあり女は断捨離して妄想して暴走する
「まさか歌奏美さんが冬コミにエントリーするとは思いませんでした」
「いやこの人アホだぞ。まだ全然書けてないくせに、締切まで後三か月ないんだぞ」
「アホって言うな。自分で言うのは良いけどあんたに言われると腹が立つ」
九月の上旬、わたしを含めて京都勢四人は烏丸蛸薬師東入の居酒屋に集結し飲んでいた。今日はわたしの失恋記念パーチーだそうだ。
少し腹が立ったがAKさんが奢ってやると言うので、あいつの財布をトバスつもりで参加したのだが、連れて来られた店がココの段階で財布がトブ前にわたしの意識がトブ可能性が考慮され、む、無理ぽ……と結論した。
もっと高い店連れてけよ記念パーチーならよっ!
まあココは何食べても飲んでも美味しいから別に良いんだけどね。
「で、書けそうなんですか?」と、めんかたさんが言う。
「まあ、書けそうな雰囲気が微レ存……?」
「なんだと?」と、AKさんが言う。
「一応、各節のプロットは建て終わってて、数話を除いて書かなければならない課題も整理できたと思う。それで、書けそうな話から書き始めてるんだけど、まだ詩音の残した前半部分を完全には覚えてないから、書いてから矛盾が見つかったら怖いなーって感じで、恐る恐るなの。あいつの文体の癖みたいなものも掴みきれてないし」
「そんなの気にしないでどんどん書き進めた方が良いぞ。自分の思ったように書いてみないと分からないこともいっぱいあるし。話を全部通してから全体を調整すれば良いんだよ。細部も大事だけど、プロットが立ったんなら、まずストーリーを完結させてしまえよ」
「でも『神は細部に宿る』とも言うし……」
「まだ一作も世に問うたことのないテキスト屋が神とか口にすんじゃねーよ」
「うっさいわね」
「で、想定では全体で何字位になりそうなんですか?」
二杯目から日本酒に切り替えているモラベーさんが言った。
「えっと、四十万字位でなんとかしたいなーっと」
「あと何字必要だと計算してるんですか?」
「えっと、十万から十六万字位が予想されます」
「つまり、十六万字と仮定した場合、締切まで九十日程度残っているので、最低でも一日千八百文字は書く必要があるんですね」
「そ、そうですね」
「読み通して、細部を修正するのに、何日位は必要だと思ってます?」
「い、一週間、いや十日位?」
「じゃあ、残り八十日程度なので一日二千字ですね。
まあ、それ位なら行けるか……」
「ところがな、この人、表紙と挿画もやってみたいんだと」
「……何ですと?」
「中学の頃、美術部でデッサン死ぬ程やらされたから、できないかなーって思って」
わたしは鞄の中からさっき本屋で買った『Photoshopちゃっかり入門・増補改訂版』を取り出して見せる。
「今からフォトショ習得するつもりですか!」
あれ……、めんかたさんに驚かれた。AKさんがヤレヤレしてる。
「……何枚描くつもりなんです?」と、モラベーさんが訊く。
「表紙はね、手を繋いだアリサと深雪の立ち姿!
扉絵は、困惑した表情の晴臣とアリサと、黒い笑いを浮かべる深雪。
それから、ヒロイン五人と最後にアリサと深雪の二人の抱擁シーンの六枚!」
あれ? 三人にヤレヤレされた。
「無茶を言いますねぇ。一日に何時間、制作に当てるつもりですか?」
モラベーさんが眼鏡をくいっと上げた。
「一日三時間位は確保したいな」
「フルカラーイラストって、早く描ける絵師さんでも一枚二十時間は掛けてるって、俺以前、歌奏美さんに言ったよな?
一日三時間って、一週間みっちりやって表紙描けるか書けないかだろうが。
今からお絵かきソフト習得してフルカラー一枚、白黒七枚って普通に死ぬぞ」
「それにPhotoshopって幾らかかると思ってます?」
「知らない。明日京都駅のソフマップで買おうと思ってるから」
「えっと……、今はダウンロードが主流って知ってます?
一年契約で二万五千円位掛かりますよ」
「えっ、嘘でしょ。一回ばーんって買えば四、五年は使えるとかじゃないの?」
「何時の時代の話だよ」AKさんは呆れたように言った。
「おまけに、パソコンは何使ってんの?」
「良いの使ってるよ! 三年位前に買い替えたノートなの。十万円位したんだから」
あれ? 今度は三人に残念そうな顔をされた。
「それでも動くと思いますけど、重くて思い通り動かない可能性もありますよ」
「えっ。そうなの」
「画像ファイルは重いですよ。デスクトップ型で、十二、三万位の買わないと」
「モニターも良いのが要るよな」
「ぺンタブも入りますしね」
「えっと……、ペンタブって何です?」
「えっ! そこから?」あれ、AKさん、マジ驚いてる?
「というか、どうやって書くつもりだったの?」
「スケッチブックに線画で描いて、職場のスキャナーで取り込んで、マウスで指定して色を塗ろうと思ってた」
「……描いてみたものあるか」
「えっと、こんな感じ?」
わたしはA4サイズのスケブ(スケッチブックのこと。界隈ではスケブと略されてると最近知った)を取り出し、昨晩描いてみたアリサのイラストを見せる。
「上手ですね……」めんかたさんに褒められた。ふふふん。
「そうですね。確かに上手いけど……。ちょっと古風な感じもしますね」
モラベーさんの評価は意外だった。やっぱりお鼻を少し高くしてしまったのが良くなかったのかしら?
「それに、スキャナーで取り込んで色を塗るのに適してるかどうか」
「そうだな。繊細すぎるな、このタッチは。線が閉じてないから塗るの苦労するぞ。
絵の具塗ったのはないか?」
「えっと」わたしはスケッチブックを戻してもらってめくる。
「こんな感じ?」前の週末にちゃちゃっと描いた風景画だ。
「きれいだな」おっとAKさんにも褒められた。
「でも、淡いな……。他のもあるか?」
「えっと……、好きにめくっても良いよ」
「…………」三人は一枚目から見てくれる。少し恥ずかしい。
「上手いと思う。技術的には問題ないと思うけど、さっきのアリサも含めて、ちょっと写実寄りで二次元の萌えがないな」
「やっぱり、そうかー」うーん、鼻穴が無いのがやっぱり気になるんだよ。
「クラスタがぱっとみて、スノメロのキャラだと思えるかどうか。
それと、色の載せ方とか、髪とか影の色の付け方見ると、ダイレクトにペンタブで入力した方が合ってるような気がする」
「だからペンタブって……」
「ググってみ」
ペンタブ……、ペンタブレット、あっ、ペンでポインティング操作してモニターで確認しつつ電子的に絵を描いていくのか……。
「確かに、こっちの方がわたしに合ってる気がする。でも……」
マスターできるかな?
Photoshopなら簡単な資料作るのに使ったことあるから着色とか編集はできると思ったんだけど、これってIllustratorとか使うんだよね?
難しいソフトだったように思うし、あれは高かった気が……。
あー、フォトショと同じ位か……。
「SAIっていうソフトが安くて使いやすいって聞いたことあります」
「あー、それってレーテさんが使ってるソフトだよね」
モラベーさんとめんかたさんがグラスを持ちながら言った。
「へー、そうなんですね」
どんなソフトなのかな。えっと、ウィキさんによると〝ペイント機能に特化。高速レスポンスを重視、ペンタブで直接描くのに向いている〟とある。
「これでやってみようかな……」
「いや、無茶だって。テキスト十六万字はどうすんだよ。歌奏美さんもレーテさんに頼みなよ。あの人いずれは絵で食べてくつもりなんだから、受けてくれると思うぞ」
「いいや。わたし、自分で描く」
「いや、絶対地獄見るから止めとけって」
「描くって言ったら描くの。パソコンもモニターもペンタブも買う」
「AKさんパソコン詳しいんだから、姉さんの買い物に付き合ってあげたら」
何故かめんかたさんがニマニマしながら言った。何なのよ?
「じゃあお願い。明日京都駅南側のソフマップに午前十時に集合。詳細はDMにて」
「お前らな……」
* * * * *
翌日の土曜日、わたしは何か落ち着かないAKさんと京都駅南側のイオンモールで待ち合わせし、四階のソフマップで思い切って高性能のパソコンその他付属品を購入した。ペンタブはレーテさんオススメの機種らしい。これについてはおとなしくアドバイスを聞いた。
「セッティング、できるのか?」
「少し不安だけど。……手伝ってくれるの?」
「良いけど……。部屋、行っても良いのか?」
「アカウント名しか知らない仲でも無いから。ただし、ちょっと時間潰してて」
わたしの部屋は地下鉄烏丸線の鞍馬口を東に入ったごちゃごちゃした所にある。
部屋の前まで機材を運んでもらって、二十分程で簡単に部屋を片付けた。
「広いな……。ひょっとして、持ち家か?」
「買ったよ。広く見えるのはリビングだけ。後は寝室とクローゼットしかないし」
「モノが無いから広く見えるのか。趣味のものとかは、寝室か?」
「わたし、あんまりモノを持ってないの。それに最近、かなり捨てたのよ」
沢山あった訳じゃないけど、桑原さんと一緒に旅した時のお土産や、彼と一緒に使ってた食器とかは、思い切って捨てた。あったら、未練が残る気がして。
どうせ、思い出は消せないだろうし。
「パソコンは、何処に設置するの?」
「寝室のワークデスクに」
「ししし、寝室?」
「うん。いやさっき片付けたから、エロく無いよ?」
「う、うるさいわ」
AKさんが来ることは予想してなかったけど、整理しておいて良かったよ。
その寝室は何の変哲もない、京間六畳程度の洋室。
二畳程度のウォークインクローゼット、小さな木製ワークデスク、小さな鏡台、何の変哲も無い文庫本が並んだ本棚。本棚に置かれた小さなステレオと数枚のCD。
わたしが桑原さんを迎え入れて、逢瀬を重ねていた部屋。
ベッドのシーツも布団もマットレスも買い直した。掃除も念入りにした。
できる限り窓を開け、空気を入れ替えている。
彼の香りが残らないように。わたしの思い出の中の、彼を消し去るために。
今でも、彼は良い上司だ。変わらずわたしを気にかけてくれる。
仕事上の差し障りもない。
でも口調からは、わたしだけに語られていた親しみのある言い回しが消えた。
というか、無くすように意識して努力してくれてる。
時折周囲が「?」マークを飛ばしていた主語なしトークも無くなった。
「ねえ、お昼パスタで良い? 二十分くらいでできるから」
「いやいや、すぐセッティングして帰るよ」
「食べてって。何にもお礼できないし」
AKさんが寝室にいるという違和感で上書きして、無理やり彼を忘れようとする。
だから作るパスタも、わたしがいつも食べてるような簡単なレシピだ。
桑原さんが好きだったトマトソース系は、少しの間、封印だ。
「美味しかったな。ありがとう」
「ありがとう。でも何回褒めてもあれ以上のお礼はできないわよ」
「歌奏美さんは、あんな量で足りたのか? 俺の半分もなかったけど」
「ああ、大丈夫大丈夫。今日、朝ごはん多かったから、お腹減ってないし。
ねえ、セッティング終わったら、書き溜めたテキスト、読んでもらえないかな?」
「良いけど……、少し時間かかるから、進めとけよ」
秋の昼下がり、窓からは落ち着いた明るい空が見えた。わたしは紙コップにカフェオレを入れて一つをAKさんに差し出した。わたしは学生時代から使っていた、ちょっと年季の入った白クマのイラストのマグカップだ。捨ててなくて良かった。
ちょうど気持ちの良い季節だ。大体のところは目星が付いた。
あとは細部をイメージして書き込むだけだ。
二十八話、晴臣が書いた歌詞(『Snow Melody』の劇中歌〝Answer Song〟である『返歌』の一番の歌詞)を盗撮した深雪は、それに対する返答の歌詞を書く。今でもあなたを愛していると。そして、その歌を歌うところをビデオに取り、ビデオメールで晴臣とアリサに送ってくる。そんな曲の録音をアリサに手伝わせることはできないと考えた晴臣は、事務所で深雪を見つけて押し問答になり、よろけた深雪を晴臣は抱き寄せてしまう。それを盗み見たアリサは逃亡する。
二十九話、深雪はアリサの逃げたホテルを訪問する。深雪はアリサに対して最初、あれは事故で晴臣と何かあったわけではないと静かに諭すように話していた。でも、アリサは捻くれた言動を繰り返し、恋愛において自分を卑下する態度をとり、自虐的な皮肉に塗れる。アリサと晴臣の前で複雑な想いを示すのを我慢することに疲れていた深雪の口調は激しくなる。次第にお互いの心に溜まっていた恋敵へのわだかまりは爆発する。
殴り、蹴り、罵声を浴びせる二人。
……暴力は何も解決しない。暴力で相手に理解を求めるなんてできない。
でも、お互いが相手にも自分にもどうしようもない感情を持っている拗れに拗れた親友同士なら、その拳の熱は何かを変えるかも知れない。
……もっとも喧嘩なんてしたこともない非体育会系女子二人の争いなんて、腰の入らない平手打ちと腰の引けた蹴りの応酬くらいのもので、ぶつけているものは物理より感情だ。
言いたいことを言い合えば、お互いの赤い頬を見て我に帰る。
仕事に使う両手に着いた爪痕を見て冷静になる。
本当に憎悪を感じてるならもっと陰湿にやる。
でも、二人にはもう、なんらかの形でぶつかりあうしかなかったのだ。
わたしは「やらなかった」からこそ分かる。
本気で相手が欲しかったら、真正面からぶつかるしかないのだ。
お互いのどうしようもなさを認めて、最後に抱きあって泣くしかないのだ。
……こんなものかな。なんとか山場は抜けたか。
そして……、ああ、二十七話が書けない。なんだかもやもやする。詩音のメモ書きを読んでてもしっくりこない。なんとかしなきゃ……。なんとか……。
…………。
「おーい、セッティングできたぞ」
「え……」部屋には夕日前のゴールデンタイムの明かりが差し込んでた。
「あー、ごめんなさい。寝落ちしてたのね」
「昨日から思ってたけど、やっぱ根を詰めすぎじゃないか」
「そうでもないよ。ちゃんと一日五時間は寝てるし」
「……五時間は短いと思うぞ」
「まあ、それくらいあれば、なんとかいける」
「考えることも多いんだろうし、気疲れは意外と疲労が溜まるんだぞ」
「大丈夫よ、えっと、テキスト見てもらわなきゃ」
「今日はもう休めよ。一応パソコンのことだけ説明したら、俺は帰るから」
「えっ、そうなの。夕ご飯奢るわよ」
とは言え、何処に行こうか? 桑原さんと行ってた店は外さないとなー。
「いや帰るよ。だから、ちょっと椅子に座れ」
「分かった」
と言って立ちかけたわたしの肩から男物の薄いジャケットが落ちる。
「これ、AKさんの?」
「ああ。こういう中途半端な季節は風邪を引きやすいんだぞ。残り時間少ないんだから、健康には気を付けろよ」
「ありがとう」なんだよ。優しいな……。
「良いから。簡単に教えるぞ。操作方法はここにまとめてあるから」
そう言って、彼はわたしにA4のレポート用紙を渡す。
「えっ、ありがとう。助かるわ」
「リサねこさんがSAI始めるって話したら、レーテさんがPDF送って来たんだよ。ソフトに付属してる解説だけじゃ分かりにくい所があるからって」
……本当に仲が良いわねぇ、お二人さん。
「ありがとうございます。って、言っといて」
「いや自分で言えよ。というか、フォローすれば良いじゃないか」
「してます。既に相互フォロワーですぅ」
「なら自分でお礼しとけよ」
「はーい」
「なんだよ、そのカッコ棒みたいな返事」
「いやそのカッコいらないよね。ただの棒だよ」
「そうだな……、じゃなくて、常識ある社会人としてだな」
「はーい(棒)」
「お前な……」
「お前とか言わないのわたしの方が年上ですぅ。歌奏美お姉さんですぅ」
……AKさんからレーテさんの話を聴くと何かこう、もやっとする。
理由はひょっとすると……、〝あっ……(察し)〟なのかな。
……さて、どうしたもんかなー。
* * * * *
それからわたしは、一生懸命突っ走った。
できる限り定時で帰るために、仕事中は凄い勢いで業務をこなし。
地下鉄の行き帰りでは詩音の残したテキストを読み込み。
部屋に帰れば速攻でメイクを落としジャージに着替え(実は部屋着はジャージ派なのよ。元彼が来てた時はおしゃれなルームウェア着てたけどそれも捨てた)。
コンビニで買ったサンドウィッチ一つを食べつつ、寝室のワークデスクに座る。
先ず始めに昨晩まで書いたテキストを見直す。それから本文の続きの入力に取り掛かって、文章書くための妄想が尽きたらイラストに取り掛かって。
気になる背景描写や音楽知識や設定で気になる所があればググってググってググり倒す。これが意外にしんどい。
というか、わたしは今まで本当に何も知らなかったと思い知る。
でも、妄想って本当に面白い!
日本中を、世界中をツアーするアリサと晴臣を妄想する。ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、ニューオリンズ、ロサンジェルス、カンザスシティー、モントルー、大西洋を渡ってパリ、ベルリン、コペンハーゲン……。偉大なミュージシャンと共演して一歩も引かないアリサの勇姿を、汗を、充実した笑顔を妄想する。有名なライブハウスを調べて、どんな街にあるのか、近くにどんな店があるのか、どんな人達が生活しているのか妄想する。
大きなコンサートホールで歌う深雪を想う。華やかな衣装、魅了する歌声と笑顔を妄想する。アリサが施したポップで独特で一瞬にして曲へ引き込むアレンジ、照明や舞台の大道具を妄想する。
全ての都市の歴史と概要をウィキペディアで調べ、ライブハウスのホームページを見てどんな箱か調べて、咀嚼して、必要な描写を書き入れる。
甘い物好きなアリサが飛び付きそうな名物お菓子を探す。
次第にアリサと深雪は勝手なことを言い出す。わたしは二人に振り回される。
楽しい……。例えわたしの書いたアリサと深雪が、他のクラスタの人達のイメージと違うキャラクターに成っていると批判されたとしても。
キャラ改変というのだそうだ。詩音が既にアップしていたSS二十話分に対する批判の中にも結構あった。最初、わたしは出来るだけそれを直そうと試みた。
でも、過度なすり合わせをするのは早々に断念した。
だって、あいつの残したテキストの中で、アリサと深雪は確かに生きていた。
深雪を不幸のどん底に陥れ、周囲の登場人物から軽蔑され、日本での居場所を失ったアリサと晴臣。至高の恋愛ストーリーであって、同時にバッドエンド。その美しさ、純粋さ、厳しさを大事にするアリサ派のファンから見て、わたし達の試みが邪道に思えるのは仕方ない。だってその気持ちも分かる。
深雪派のファンから見て、ご都合主義に思えるのも仕方ない。
だってその通りだもの。
でもわたしは、どん底に落とされた深雪の元気な姿が見たい、二人だけの世界にいたアリサの心のしこりを無くして自由に羽ばたかせてあげたいと考えた、詩音の構想を支持する。例え批判の方が多くなっても、あいつの想いを優先したい。
なお、角打先生の文体を真似るのは早々に諦めた。あのウィットと独特のレトリックは一朝一夕で真似られるテクニックじゃない。む、無理ぽよ……。
飛ばしていたSS二十五話、アリサのデビュー作は、破天荒な人生を歩んだ天才的ピアニスト兼アレンジャーの母親の名前が影響して売り上げたが、二枚目は母親の影から離れてスタンダードを独自の解釈でアレンジし鮮やかに演奏した名演として、グラミー賞ジャズ部門のアドリブ賞候補になっていたという設定。帰国第一枚目の録音は、母親に元気になってほしいと願い、母親と過去に交際があった日本のミュージシャンと共演し、母親の曲の数曲とオリジナル曲二曲を収録する。オリジナル曲「For M」では深雪に対する複雑な想いを、「For H」では晴臣に対する愛を演奏に込める。圧倒的な演奏に対して、録音に立ち会った深雪は焦燥を隠せない。
二十六話、曲作りのためにアリサの家を訪れた深雪は、晴臣が不在のキッチンで一冊のノートを見つける。それは高等部三年の学園祭で三人で演奏したオリジナル曲の歌詞が書かれたノートだった。無断でページをめくると〝Answer Song〟『返歌』の一番の歌詞が書いてある。深雪を愛していたこと、何故別れの日がやってきたのか、という切々とした想いが書かれていた(ここは曲から歌詞引用)。深雪はその歌詞をスマホのカメラに収める。
二十七話はちょっと飛ばす。二十八、二十九話のキャットファイトは先に書いた。
三十話、冬夜家のスタジオで膝を抱える晴臣のスマホに、第二章のヒロインの一人・美晴から、深雪がアリサを見つけたと連絡が入る。晴臣そっくりな説教癖のある美晴は実は既に深雪の友人だった。アリサと晴臣がニューヨークに逃避行して以降、深雪が二人を日本に連れ戻して三人でまた学園祭の時のような音楽活動をできるように、複雑な想いを抱えながら如何に頑張ってきたか、周囲にも二人を受け入れるように説得を続けてきたかを〝説教しつつ〟伝える。
三十一話、美晴から教えられたホテルへ、晴臣はアリサと深雪を迎えに行く。小傷だらけだが憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔をしている二人と会って、晴臣は考える。抉られたお互いの傷は深いけれど、選んだ結論を変えることもできないし、深雪がそれを許してくれるのならば、アリサと深雪の二人の音楽活動を支えることで、変わっていくかもしれない未来を見つめていきたいと。
三十二話、美晴から冬夜アリサへのインタビュー。ここはアリサの精神状態が落ち着いたことと、美晴のことも書いたよ、程度で軽くまとめた。
三十三話、深雪の家で、深雪の両親と酒を飲んでいる千姫と美晴。深雪の両親は当然晴臣のことを許していない。アリサと晴臣が帰国して、深雪の音楽活動を支える現状に不安を抱く二人に、千姫は三人のことは三人しか分からないし、娘のことを信じるべきだと諭す。
三十四話、アリサのコンサートツアーと、深雪のコンサートツアーが始まった。二人の日程と場所は近い。お互いにゲスト出演したり、夕食を共にする中で、お互いの音楽活動に対する共感が深まっていく……。
「という感じの進捗状況よ」(ドヤっ)
「…………」
十一月に入った。わたしは冬コミに当選した。出展日は大晦日、土曜日。東地区5の辺り、ギャルゲーのブロックのスノメロ島(『Snow Melody』関連同人が集まっているブロック)の真ん中辺り。右隣がAKさん、左隣がうしがらさん。モラベーさんはAKさんの右隣だ。
印刷はAKさんが使ってる会社に頼んだ。印字が鮮やかで読みやすいと定評のある堅い会社で、あまり出稿が遅れると高くなるそうだ。締切は十二月十日にした。
今日は三日・木曜日、文化の日。TwitterのDMで近況を訊いてきたAKさんに、今朝まで書いてたテキストを査読してもらってる。
「(ドヤっ)」
「ドヤ顔うざい。というか、なんなんだ。その目の下のクマと顔色の悪さ」
「えっ、そうかな」
「それに……、痩せたよな?」
「そうそう、中学三年生位の体重まで戻ったの。上手く痩せたでしょ?」
「今は何キロだ。あれから何キロ痩せた」
「えっと……」わたしの目が泳いだ。
「乙女の体重を尋ねるなんて、女の子にモテないぞ♡」
「冗談抜きで何キロ痩せたんだ」
おっと……、〝誰が乙女だよ〟とは言わないのね。
「えっと……、五キロかな」
「ここ一月でかよ……。今も全然食べてないじゃないか」
目の前には食べかけのサンドウィッチ。場所は前から時々一人で来ていた烏丸鞍馬口の古い喫茶店。ここは食べ物も美味しい。時々ジャズライブもやってるらしい。
……運ばれてきた時には全部食べる気満々だったのよ。でも、四つ切りのハムとレタスのサンドを二切れも食べたら、もう食べられなくなった。
「なんでかなー。さっき飲んだエナドリのせいかなー」
「なんでかなーじゃねーよ。そんなもん飲んで無理やり眠気飛ばして頭酷使して碌に食べず眠らずで無茶してたら倒れるぞ。何やってんだよ」
「何って……、同人活動よ」
「あのな……」
「見通しついたら休むから、大丈夫大丈夫。それより原稿はどうよ」
「良いんじゃないか。コンセプト通り書けてる」
「そうでしょうそうでしょう」
「でも誤字脱字文章の欠落が酷い」
「えっ、そんなに?」
「こことか、意味分からん」
「……あっ、なんかまるっと消えてる! なんで?」
「誤操作だろ。集中力が落ちてんだよ。だから、今晩と今週末は休めよ」
「だめだめ。だってテキスト後五話分も必要なのよ。晴臣が刺されるシーンのアイデアも、記者会見のアイデアも浮かんでないし……、カヴァーだって手付かずなの。
詩音が書いたテキストの見直しも必要だし……、仕事もあるし……、無理やりでもやり切らないと間に合わないもん」
「煮詰まった時は、休むことも必要だぞ」
「だからだめだって。今週中にテキストだけでも見通し立てたいの。AKさんだって、入稿前は無理するんでしょ?」
「あのなあ、だからって体壊したら元も子もないだろうが」
「原稿落とす方が元も子もないよ」
「じゃあ、二分冊にして今回は前半だけ出せ。それなら、後はイラストだけで済む」
「二分冊……。だめよ、これは冬の物語だもの。夏コミには出せないわ。そしたら来年の冬コミになるじゃない。そんなに引っ張るのは嫌」
「何そんなに意固地になってんだよ」
「……分かんない。でも絶対に今年の冬に出したいのよ」
色々なものを捨てたんだもの。だから、区切りを付けておきたいの。
「……聞く耳持たないのなら、俺が此処にいても仕方ないな」
「……そうね。ごめんなさい、忙しい人を呼び出して。良かったらそれ食べといて」
わたしはそう言って、伝票を掴み、レジへ向かった。
なんでもっとわたしを認めてくれないのよ。親でもない、ただの友達のくせに。
わたしの……、とは違うくせに。
落とし所のない苛立ちを抱えながら清算をして扉を開けたら、外の光が眩しくて、わたしは一瞬目眩がして……。
…………。
起承転結の「転」は終わり。次からは「結」に入ります。
目眩に襲われた主人公は気がつくと異世界に転生しています(嘘)。
次回13話は、2024年12月23日07時に更新予定です。