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1 なんでこんなことになってんのよ

 弟が死んだ。

 関西の梅雨入りが宣言された月曜の午後。昼食を終えてオフィスでコーヒーを飲んでいると、スマホが鳴った。

 ボタンに触れた途端、向こう側で母が半狂乱で喚きだした。

 最初は何を言っているのか分からず、義父が死んだのかと思って慌てた。

 だからわたしは、死んだのが弟だと分かった時、なーんだ、と思ったのだ。

 悲しい、という感情は湧かなかった。

 とは言えそのまま仕事を続けることもできず、家族に突然の不幸があったことを上司に伝えて、わたしは職場を出た。

 四条烏丸の低いビル街に垂れ込める雲は重く、地下鉄までの道程は蒸し暑かった。


 * * * * *


 弟はコンビニで倒れたらしい。

 病院に着くと、母がカンファレンスルームで半狂乱になっていた。

 わたしより先に駆けつけた義父が寄り添っていた。

 身動きの取れない二人に代わり、わたしは医師から死因を聞くことになった。

 仕事が医療関係だったから、仕方ない。

「脳動脈瘤の破裂でしょう。生まれつき血管に奇形があったのではないかと推測されます」

 死亡後の頭部CT写真を画面に映しながら、担当医は言った。

「直接の引き金となったのは、血圧の上昇ではないかと思います。

 若年者でも、過労やストレスが原因で血圧が上がることは多いですから」

「えっ。過労やストレス、ですか?」

 嘘でしょ。あの、のほほんとした弟が?

「若者は将来への不安、新しい生活環境、対人関係などでストレスを抱えている人が多いです。

 そこに過労が重なったりすると、血圧が急に上がることがあります。

 弟さんは最近、お仕事が忙しかった、ということはないですか?」

 わたしは「分かりません」と言うことしかできなかった。

 だってわたしは、最近のあいつのことを何も知らなかったから。

 就職はしていたはずだ。

 でも、そんなにブラックな環境だったとは聴いてない。

 しかし困ったな。

 死因をそのまま母に伝えるのは止めた方が良いだろう。

 特に「生まれつき」の部分なんか母が知ったら、自殺でもしかねない。

 上手く誤魔化すための説明方法を、わたしは医師に相談した。


 * * * * *


 四つ違いの弟は、わたしにとって、全く興味の持てない存在だった。

 可愛げがなく、面白みもない奴だからだ。 

 保育園の頃から、無口で、何を考えているのか分からなかった。

 あいつは、努力しなくても勉強は常に中の上、運動も中の上、容姿も身長も中の上。

 絵も歌も没個性な程度に上手く、好き嫌いも言わない。

 特に欠点がないのだ。

 逆に言うと、得意分野や特徴を探すのも困難を極めた。

 というか、見つけたとしても全く面白くないので徒労感に陥る。そんな奴だった。

 何故そうなったのだろう。

 母の溺愛が過ぎたのかもしれない。溺愛され至れり尽くせりだったこどもは、自分から何かを求める力に欠けると聞いたことがある。

 でも、他の家に比べてそれほど極端だった訳でもない。

 弟は生まれつき、そうだったのだろう。

 だからわたしは、あいつを可愛がった記憶がない。

 逆に泣かした覚えもない。

 本当に小さい頃は一緒に遊んでやったこともあったのだろう。

 でも、全く記憶に残っていない。

 わたしが大学に入って一人暮らしを始めて以降は、話した記憶もおぼろげだ。

 わたしが卒業した大学に入ったことは知っていた。

 でも就職先は知らない。

 それくらいの知識しかなかった。最近の弟に関しては。


 * * * * *


 梅雨の時期だ。

 葬儀日程は早めになる。

 通夜に訪れた弔問者は少ない。

 午後九時には途絶えた。

 人工大理石に囲まれたチェーン店の斎場には、わたしだけが残された。

 うちは親戚が少ない。

 母は実家や親戚筋との付き合いが悪く殆ど縁が切れている。

 義父は元々天涯孤独な人だった。

 泣き疲れてふらふらになった母親を義父に託したら、線香の番をするのはわたししか残らない。

 でも、今時の香は蚊取り線香のような渦巻き型で、わたしが居ても居なくても、そうそう絶えることはない。

 でもまあ、今晩だけなら付き合ってあげるよ。

 それにしても酷い顔をして死んでるな、お前。

 明らかに、疲れた顔をしてる。

 目の下のクマ、重量級じゃないの。

 お前は母に可愛がられるしか役割のない人間だったのだから、母より先に死んじゃダメじゃない。

 ばか……。

 それにしても、この寿司と酒は美味しくないな。

 クーラーが効いているとはいえ、アテにと思って搔き集めてきた残り物の寿司の味は落ちていた。

 ビールも生温いのしか残っていない。

 お前の寝ているその箱には、ドライアイスを次から次へと突っ込んであるから、明日くらいまでは持つだろうけどね。


 わたしには、弟の死より、寿司と酒が不味いことの方が重要だった。

 だって、死んでるんだもん。どうしようもないじゃん。

 どうしようもないよ。

 ばか……。


 葬式は通夜よりも弔問者が少なかった。

 あいつの上司と名乗った人以外、あいつの職場関係の人は来なかった。

 後は義父とわたしの職場関係ばかりだった。

 母と弟の交友関係が如何に狭かったのか、「やっぱり」という感じだ。

 おかげでお辞儀し過ぎて疲れる、という経験はせずに済んだ。

 それよりも、母の前で、悲しいふりをすることの方が疲れた。

 しかし、お前の遺影、もっと良い写真無かったのかな。

 あいつの大学の合格祝いで外食した時に撮った、〝家族〟の集合写真じゃない。

 母と義父は嬉しそうな顔をしてるのに、お前とわたしはなんだか微妙な顔をして。

 そういえばわたし達が大きくなってから、顔合わせた時はそんな顔しかしてなかったのかもしれない。


 * * * * *


 火葬場から帰って、数少ない親戚に仕出し弁当を食わせて、礼を言って帰らせる。

 何もできない母の名代を務める。

 母は焼場でも止めどなく泣いていた。

 棺桶を炉に入れる時も、止めてと泣き叫ぶ母を引き剥がすのに苦労した。

 家に帰ってからも、泣き続けていた。

 泣き疲れた母が眠った後、わたしはまた、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。

 仕事帰りの立ち飲み屋の味がした。


歌奏美(かすみ)さん、ちょっといいかな」

 母を寝かしつけた義父が、声をかけた。

「はい」

「ちょっとお願いしたいことがあるんだ」

「何でしょう」

「何時でも良いんだけど、詩音(しおん)のパソコンを見てもらえないかな?

 弔問に来てくれた人以外にも、お伝えしないといけない人がいるかもしれないし。

 カードとか、有料のインターネットサービスとか、そういうのも解約しないと。

 だから、あの子には悪いんだけど、連絡先とか、メールとか、ネットの履歴とか、最小限のところは、チェックしないといけない」

「あー、契約とか早く解除しないと、無駄な出費になりますしね」

「うん……。

 でも、僕たちは、今、ちょっと部屋に入って、パソコンに触ることができなくてね」

 義父はそう言うと、わたしの前で初めて目頭を押さえた。

「そう、なんですか?」

 何の問題があるのかしら?

「悪いけど……、調べてもらっても良いかな」

「もちろん、良いですよ」

「申し訳ない。

 それと、これ、詩音の携帯」

「え、あいつ、iPhoneユーザーだったんですか」

 何に使ってたんだ、こんな多機能端末。

「パスワードが分からないから、ロックが解除できないんだよ。

 もし分かれば、これもお願いしたい」

「はい。分かりました」

 わたしはiPhoneを斜めにして画面のテカリを確認した。

「親よりも、姉弟の方が、あの子も恥ずかしくなくて良いだろうし」

「はあ? まあ、そうですね」

 わたしはあいつに、あんまり興味もないし。

「とりあえず、今、ちょっと部屋、見て来ますね」

「悪いね…。

 あの……、びっくりしないでね」

「はい?」


 * * * * *


「なんなの、これは……。

 なんでこんなことになってんのよ……」

 弟の部屋のノブを回し、一歩入って電気を点けた途端、沢山の大きな目が、わたしに向けられていた。

 手が差し伸べられていた。

 長い黒髪のモデルみたいなスタイルの女の子と、明るい茶髪ツインテールのアイドル体型の女の子。

 二人のポスター、壁掛け、クリアファイルが、六畳間の天井と壁を占拠していた。

 小さな本棚にぎゅっと並べられた、映像ディスク、CD、漫画、文庫本、A4サイズのカラー冊子。本棚の上に置かれた透明ケースに並ぶ、幾体ものフィギュア。

 全てが、その二人の女の子だった。

「……嘘でしょ」

 わたしは嫌悪感で目眩がした。

 でも、何処にも倒れこむ場所はなかった。

 ベットには半裸の二人の全身像を描いた抱き枕が二つ並べられていたから。

 床には二人の姿が描かれたカーペットが敷いてあったから。

 ちゃぶ台にも二人のイラストが描かれていた。

 そこに置かれた二つの蓋つきマグカップにも。

 わたしは一刻も早くこの部屋から立ち去りたい気持ちで満たされた。

 わたしは後退り、写真を一枚だけ撮って、義父に「すみません。今日は帰ります」と言って逃げるように実家を後にした。

 何やってんだ、あいつは……。

2016年の設定です。

不倫ダメ絶対。

次回02話は、2024年12月17日19時に更新予定です。

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