第1話(目覚め)
18歳の神坂幼楓は、目覚めた時、数十年後の未来となっていた。
何かしらの特別の能力が付与された代償として、半世紀以上の時間が経過していたのだ。
彼を管理していた組織からは、戦士となるように求められ、知己もいない厳しい状況から、生き抜く為に、その条件を受け容れた幼楓。
高校3年生からの学生生活で人生のリスタートを切るのであった......
「ここは?」
呟きながら幼楓が目覚めた時、周囲は全く見覚えの無い空間であった。
自身の体を確認すると、見たこともないベッドに寝かされていたことに気付く。
それは彼が今まで知る世界とは明らかに異なる高度なテクロノジーの機器に囲まれており、ベッドというよりは、未来の手術台のように思われた。
「対象の意識が目覚めたようです」
ガラス越しの別室から監視・管理されていて、そんな小さな声が静寂に包みこまれた空間内に聞こえて来たので、声のした方を一瞥すると、数人の科学者っぽい男女が動いている姿が見えたのだった。
幼楓は、ひとまず体を起こして、手術台のようなベッドから降りてみる。
特に体に違和感は無い。
『あれっ。 何か改造でもされたのかと思ったけど』
真っ先にそんな風なことを考えてしまうような雰囲気一杯の室内であったからだ。
やがて、部屋の重厚なドアが開き、数名の人物が入ってきたが、責任者らしい初老の男と2人の科学者か医学者らしい男女の他は、重武装の兵士であった。
「お目覚のようだね」
「......」
「自分の名前を覚えているかな?」
「神坂幼楓」
「その通りだね。 年齢は?」
「18歳でした」
なんとなく過去形で答えたのは、既に時間が相当過ぎているような予感が有ったからである。
「それ以外に覚えていることは?」
その質問に対して、記憶を呼び返そうとするが、何も思い出せない。
暫く考え込むも、駄目であった。
「何も思い出せません......あっ、一つだけ。 僕は原因不明の謎の病気に罹って衰弱してしまい、治療方法が無いので、そのまま死んだような記憶があります。 覚えているのはそれぐらいです」
その答えを聞き、頷く初老の責任者らしい男。
「概ねその通りで合っているよ。 ただ君は病気に罹ったのでは無く、突然未知の力に襲われて、それと適合する過程で死にかけてしまい、技術が進歩するまで眠りに就いていただけなんだ」
意味不明の説明に、不思議そうな表情を浮かべる幼楓。
暫く考えてから、質問をしてみる。
「では、僕は死んでないってことですか? ずっと眠っていただけだと?」
「そういうことになるな。 そうだ申し遅れた。 私は大井宗次郎。 この施設の研究部門の責任者だ」
自己紹介を受けた後、研究施設が民間のものであること、上条財閥の傘下にあることなどの説明が続いたのであった。
「ところで、今は西暦何年なのですか?」
「2090年だよ」
「すると僕は、65年間も眠り続けていたのですか?」
「そういうことになる。 仮死状態だったことと特別な力との融合で、老化は一切進んでいない。 だから君は18歳のままで目覚めたということだ」
その言葉を聞き、ガックリと項垂れる幼風。
高校三年生だった筈だが、自分のことを説明してくれる家族や親族も既に居ないだろうことは、容易に想像出来たからだ。
「目覚めた以上、君は高校三年の途中から、人生を続けて貰うことになるが、人並みの普通の人生を送るのは無理だということは、理解出来るかな?」
「身寄りも居ないし、生活能力もありません。 先ずはリハビリをしなければ、時代に付いていけないってことですよね?」
「それだけではない。 65年前に君は特別な力を授けられている。 でもそれが何かは、この時代でも解明出来ていない。 その為、我々の財閥が創立した特別な学校に入って貰い、学びながら力の解明や訓練も平行して行う必要が有るっていうことだ」
その言葉に黙ったままの幼楓。
ただ、潜在的な何らかの力が有るからこそ、高額な費用が掛かる仮死状態を維持されて、生き続けて来たということは理解出来ていた。
「僕は適度な管理下で、生きていくしか無いっていうことですね」
「君が物分かりが良くて助かったよ。 そういうことだ」
大井博士からの簡単な説明が終了すると、暫く待機するように言われたので、再び手術台のようなベッドに横たわることにする。
すると、健康状態の最終チェックが自動的に行われ、問題無しと確認されてから、ようやくその部屋を出る許可が下りたのであった。
その後、別室に案内されると最初に、今後の担当者を紹介された。
上条財閥学校運営部の畠山課長
国防航空宇宙軍から出向中の主任教官櫂少佐
政府内務省情報局から出向中の角熊課長
の合計3人であった。
『財閥だけではなく、軍と政府の担当が付いているということは、僕は潜在的に何か危険な力を持っているということなのかもな』
直感でそう理解した幼楓。
そして、早速学校への転入手続きも始まったのだ。
学校の説明担当者、財閥が関連する上条財団の学校運営部大学・高校課の遊佐主任が現れて自己紹介をしてから、先ずは寮へと連れて行かれる。
全寮制の条月大学附属高校。
条月大学は英語表記でネオアルテミスユニバーシティとなっており、この国を代表する2つの財閥である上条財閥と璃月財閥が共同運営する超難関大学だ。
小学校〜大学までの一貫教育で全寮制。
卒業まで、寮を出て生活することは一切許されないという、私生活まで厳しく指導・管理する教育システムが採用されている。
その代わり、寮は高級マンションといった造りであり、各自の部屋もそれなりの広さが確保されている。
特待生は全費用が学校を運営する財団持ち。
それ以外の学生は、かなりの高額な学費が掛かるが、それでも入学させたいと、希望者は後を絶たない。
16年間の一貫教育制度が導入されているが、あらゆる機会において、優秀な学生、特別な能力を持つ学生を常に求めており、それらの者達が適宜編入入学されることから、大学卒業時において、小学校から進級してきた者の割合は、3割程度であるとのこと。
これは、中・高・大それぞれの進学時に、成績落第となって学校を去る者が多いという証でもあった。
それ程にまで、人材育成と確保につとめる特別な学校が創立されたのには、勿論理由があった。
この国は、2030年代から急速に衰退が始まり、天変地異なども重なって、2060年代には事実上経済が破綻状態に陥っていた。
しかし、海外シェアの高い2つの財閥を中心として、多国籍企業と言われる企業群が、国内の利益をギリギリまで削りながら、国外で稼いだ利益を還元することで、一定水準のレベルで国の経済を支え続けたことと、国際金融マフィアの総売り攻勢に対抗する為、絶妙なタイミングでの新通貨発行が功を奏し、国の財政が劇的に回復して通貨の価値も高まり、最悪期を何とか乗り切れたことで、その後20年余りの間に経済が急回復していたのだ。
先ずは復興に成功したことで、今度は再発展に向けて歩み始めていた。
特に、次代を担う優秀な人材育成は、国の基盤となる非常に重要な施策である。
その方針に基づき、資金不足の国の代わりとして、官民一体の旧来のものとは全く異なる、実務面での人材育成だけに絞り込んだ、新しい教育機関がいくつか創設されたのだが、その中でも最難関の学校が条月大学とその附属学校であった。
この学校が求める人材は、政治や経済といった一般的な分野のスペシャリストだけでは無く、軍事、謀略、諜報活動、傭兵等といった、特別な分野も含まれているのが異色である。
幼楓は、この特別な軍事分野の特待候補生としての編入となったのだ。
「ここが、君の生活する部屋だよ。 完全全寮制で居住地を自由に選べない代わりに、現代における快適な生活を不満無く送れるよう、最新設備を常に導入してあるからね」
遊佐主任の案内に、
「すげえ~部屋だなあ~」
思わず言葉が出てしまう程の設備と部屋の高級感。
案内された寮の部屋には説明通り、最新の家具や電化製品が一通り備えられており、洗濯も料理も半自動。
もちろん食堂や多目的ルーム、コンビニまで完備しており、それだけでも十分驚くレベルであった。
「次は君が今後学ぶ、校内を案内するよ」
寮を出て、少し離れた低層建物群が建ち並ぶ校内へと進んで行く。
この学校に定員は無いものの、超難関校で一芸に秀でている人材に求められるレベルも非常に高いので、どの学年も人数は決して多くなく、少数精鋭といった感じである。
しかも、細かい分野別の特殊な教育の授業コマ数が多く、高校や大学というよりは、専門職業訓練大学校という感が強かったのであった。
「神坂幼楓君。 君が編入されるのは、このクラスだよ」
『軍事戦略戦術科』と掲げられた入口。
その建物内は、普通の高校と言えるものでは無かったのだ。
大学と設備は共有となっているものもあるが、国防軍士官大学校にも存在しない最新設備がズラリと揃っている。
全自動化された射撃訓練場に潜水訓練場は当たり前。
屋外訓練場では、スイッチ一つで砂漠から熱帯ジャングル迄、ありとあらゆる地理的条件が設定可能。
どのような戦闘訓練をも行うことが出来る。
潜水艦やイージス艦を模したシュミレーターまで存在。
もちろん、戦闘機や戦車等のシュミレーターは当然完備している。
軍事面の英才教育を行う専門の学校と言っても、これ程の設備と施設は世界中見渡しても、おそらく存在しないであろう。
案内を続ける遊佐主任。
学校施設内の奥の方に進むと、
「国防軍士官大学校コース課程」
と掲出された部屋の前に到着。
主任がドアをノックすると、中から訪問者を確認の後に開錠され、自動ドアが開いたのだ。
ついに、幼楓が編入される小クラスの担任と学生達との初対面となる。
「こちらが担任の秋月先生だ」
遊佐主任のその言葉に振り返った担任。
思わず、見惚れてしまう程の美女であった。
「秋月です。 貴方が神坂幼楓君ね。 よろしく〜」
簡単な自己紹介をすると、手を振って奥の方で何かの訓練を行っていた教え子達を呼び寄せる。
「幼楓君と一緒に学ぶことになる3人の同級生を紹介するわ。 右から九堂鏡水ちゃん、央部焔村君、京頼石音ちゃんね。 みんな幼楓君と同じ系統の特別な能力を持つから、切磋琢磨してね〜。 それとひとこと付け加えさせて貰うけど、同じコースの同級生と言っても、必要以上に仲良くする必要は無いわよ。 ライバルでも有るのだからね」
「神坂幼楓です。 よろしくお願いします」
と自己紹介してから、秋月先生の言葉に、
「皆さんは同じ系統の能力なのですか? 僕の能力は不明だと聞きましたが」
幼楓は質問をする。
「あら、そうだったけ? 私のところに配属となったから、もう判明しているのだと思っちゃいました」
秋月先生はそんな言い訳をしながら、ニコッと笑うのだった。
「遊佐主任。 まだ案内が残っていますか?」
秋月先生の質問に、
「書類とか残っていますが、授業終了後に先生が連れて来てくれれば、このまま授業に入っても構いませんよ」
「では、早速授業を体験して貰いましょう。 その方が色々と早く済みますから」
そのやり取りで現時点から正式に、
『条月大学附属高等学校軍事戦略戦術科士官大学校コース課程』
の生徒としての学生生活が始まったのであった。
「では、訓練の続きを」
担任の言葉を合図に、3人の生徒は時計型の機器を利き腕に装着すると、自動的に出て来る標的に向かって、攻撃を始める。
央部焔村は、右手のひらから発した火炎玉を放ち、命中させた標的を燃やしてみせる。
九堂鏡水は、左手の指先から次々と撃ち放った強力な水弾の連射で、標的を貫く。
京頼石音は、両腕に力を込めて、遠くの標的直下の地面をグラグラ動かし、標的ごと倒してしまう。
3人のその姿を見て、唖然とする幼楓。
『一体、彼等は何者なんだ。 超能力者?』
そんなありきたりな言葉で表現するしかない。
それ程の驚きの姿であったのだ。
「次は幼楓君の番よ」
秋月先生の言葉に、目を見開いてしまう。
「僕は何も出来ないと......思いますが」
「最初から出来ないというのは、この学校では禁句よ。 可能性を否定するのは絶対にダメ」
そう言いながら、胸のあたりから3人が着けている時計型の機器と同じモノを取り出す。
「これを着けてみて」
美女がブラに装置していた機器を取り外して幼楓に手渡したので、心臓のバクバクが一気に激しくなる。
「転校生イイなあ〜。 潮音先生の温もりを味わえて......」
焔村が思わず本音を口走ってしまう。
「これだから男子は。 イヤらしい」
鏡水が蔑む目付きで焔村を睨む。
「潮音先生は胸が小さいからね〜。 そんなに羨ましがるものでもないわ」
石音が少し笑いながら、鏡水の言葉のキツさを和らげる。
ドキドキしながら、腕時計型の機器を右腕に装置。
なんとも言えない、人肌の生暖かさが、幼楓の鼓動を更に速くする。
つい、秋月先生の胸の方を見詰めてしまうのは、年頃の男の子であれば致し方ないであろう。
「こら。 私は胸がコンプレックスなのだから、そんなに見ないでよ」
先生とは思えない言葉が出たので、笑いが起きる専用教室内。
顔を真っ赤にしながらも、幼楓は開始線に付く。
距離は10メートル。
とりあえず3人の真似をしてみることに。
右手をかざして、標的の方へ一閃。
すると、小さな旋風が標的の方に放たれたのだ。
クルクルと回る旋風。
やがて標的にぶつかると旋風は消えたのだった。
3人の同級生からは、小さな笑いが起きる。
失笑という感じであった。
その様子を見て、秋月先生が3人を睨みつける。
それに気付くと、3人は下を向いてしまう。
見た目と異なり、秋月潮音は相当怖いらしい。
「初めての割には、上出来よ幼楓君」
思わぬ褒め言葉に、少し笑みが溢れる。
「先生。 これが僕の能力なのですか?」
その質問に頷く潮音。
「大井博士でも、僕に与えられた能力がわからなかったのに、先生はどうして?」
「ふふふ。 私は大井博士よりも立場が上なのかもね?」
冗談だが、よくわからない理由を述べる秋月先生。
それ以上は何も答えてくれないのだった。
その後も実践演習の授業が続く。
やがてチャイムが。
「次は座学ね。 居眠りしないように、みんな」
潮音はそう言いながら、手を振って去って行くのだった。
「改めて、よろしくお願いします」
幼楓は3人の同級生に再度挨拶をし直す。
「そんなに畏まった言い方をしなくてもイイのよ。 私達は4人しか居ない、特別な存在だから。 それにさっきはゴメンね。 あまりにもカワイイ旋風だったから笑ってしまって」
鏡水が幼楓に謝罪を含めた挨拶を返すと、一緒に頷く焔村と石音。
「もしかして、3人もずっと仮死状態だったのですか?」
幼楓の質問に頷く3人。
仮死状態の年数はそれぞれ少しずつ異なるが、目覚めたのは2090年の新学期以降だそうだ。
ただ、幼楓は3人とは3ヶ月遅れの目覚めだったとのこと。
だから、間もなく夏休みという時期での転入になったということであった。
その後も、少しずつ質問する幼楓。
徐々に打ち解け、お互い名前で呼び合うことに決まり、丁寧語もなるべく禁止でと。
先ずは目先の次の授業について質問する。
実践訓練の後の座学の授業は、相当な睡魔に襲われるらしい。
「幼楓。 勉強は得意か?」
焔村の質問に、
「いや。 得意という程では無かったと思うけど」
そう答えたが、65年前の学業成績を思い出すことが出来ない。
そのことで、少し顔色が冴えなくなり、
「どうしたんだ? 顔色がよくないぞ」
焔村の言葉を聞き、心配そうな表情を見せる鏡水と石音。
「記憶が無いんだ。 今まで勉強してきた記憶も」
「じゃあ、授業についていけないかもってこと?」
「それが急に心配になって......」
幼楓は考えすぎで顔面蒼白。
この学校は最難関校だと聞いたので、座学で落ちこぼれると、落第になるのではないかと気付き、心配になったのだ。
「多分、大丈夫よ。 私達は仮死状態の間に色々と脳を弄られたみたいなの。 だから初めての授業内容でも理解出来る筈」
石音がポンポンと幼楓の背中を叩きながら、安心するようにと告げる。
残りの2人も、うんうんと頷いたので、少し心配が解消した幼楓であった。
その後の二時限の座学は、眠気に少し襲われつつも、無事に終えることが出来た。
初めて聞く内容の授業であったが、不思議と理解出来たのだ。
座学は、軍事戦略戦術科の高3生全員が揃っての授業なので、ピリピリした雰囲気に満ちていた。
「なんか凄い雰囲気だね」
幼楓は初めての座学を終えた感想を焔村に話し掛ける。
「そうだよな~。 みんな選ばれしエリートでライバルだし、期末試験が近いから、余計だよ」
「期末試験?」
「今日は7月3日。 試験は明後日からだからね」
その言葉に焦りの色を見せる幼楓。
「そんな〜。 絶対赤点だらけじゃんか〜」
「転入したばかりだから、赤点でも補習授業で済むと思うよ。 それにこの学校は夏休みって言っても、自主的に授業を選んで受講出来るカリキュラムになっているし。 座学の少ない長期休暇にしか出来ない授業も設定されている筈さ」
その説明に頷く幼楓。
だからこその全寮制なのだと得心が行くのであった。
放課後になってもそんな話を続けていると、担任の秋月潮音が迎えに来た。
大教場にまだ多く残っている生徒のうち、大半の男子生徒の視線が潮音の方に向く。
あまりの美女であるので、年頃の子達の興味が向くのは当然といった感じだ。
反対に全体の四分の一しか居ない女子生徒達は、そんな男子達に冷たい視線を送る。
「幼楓君。 こっちこっち~」
笑顔で呼ぶ潮音のそんな姿に、残っていた多くの生徒の注目を浴びてしまい、めちゃめちゃ恥ずかしくなった幼楓。
「先生の呼び出しの用件は、転入手続きだよね。 あとは寮で話そうか?」
焔村は潮音先生の姿を見て『目立ち過ぎ』と笑いながら、幼楓を送り出すのだった。
潮音の後を歩き、大学・高校部の管理棟に入ると、広い事務室の応接セットへと案内された幼楓。
「ここで座って待っててね〜」
秋月先生がそう言いながら、事務室内で仕事中の担当者を呼びに行く。
すると、先程案内をしてくれた遊佐主任が深々と頭を下げて、秋月先生に謝意を述べている姿が見えたのだ。
『歳下の担任に、管理部門の主任さんが随分丁寧な態度を取っているなあ~。 さっき冗談っぽく言われた通り、先生は博士より立場が上なのかな~』
そんなことを考えていると、主任がやって来て、書類の説明を始める。
18歳だから未成年では無いとは言え、両親も保護者もおらず、手続きは全部1人で行うしかない。
真剣に説明を聞く幼楓。
今後生き抜いていくには、先ずはこの学校で認められて、道を切り開いて行くしかないのだ。
主任が一旦立ち去った後も、書類を確認しながら、書き込めるものは書き込む幼楓。
ただ、保護者欄というのが幾つか有ったので、どうしようか迷ってしまう。
すると、様子を見に来た担任の秋月潮音が応接セットに座ったのだ。
「その欄は私が書くよ」
そう言いながら、すらすらと記入を始める。
住所とかは省略。
代わりにその欄には官職を書き始める。
その内容を見て、驚く幼楓。
『国防軍統合作戦本部参事官少将秋月潮音』
と記載していたからだ。
「私が、担任するコースの保護者だから宜しくね。 それと君を含めた4人以外の学生・生徒には、私の肩書教えちゃ絶対ダメだよ」
人差し指で唇を抑えて、シーッというサインをしてから、記載済みの書類を確認する潮音。
「全部記入済みね。 これは預かるわ。 今日は疲れたでしょ? 早く休みなさい」
そう言い残すと立ち上がって、わざとらしく幼楓に向かって敬礼。
そして悠然と歩いて去って行くのであった。
「今日は、色々なことが有ったなあ〜。 ああ、疲れた......」
寮に戻ると、食堂に向かう幼楓。
焔村とは食堂の一つ、和洋食食堂で待ち合わせだったからだ。
そこに行くと、既に同じコース課程の3人が談笑しながら食事をしていた。
幼楓も、適当に選んだメニューをトレイに乗せて、3人が待つ場所へと向かう。
「ゴメン。 だいぶ遅くなっちゃって」
「転入書類提出したのでしょ?」
「うん」
「じゃあ、潮音のサインも目の前で見たのね」
鏡水がその事実を確認してきたので、頷く幼楓。
「驚いたと思うけど、私達はこの学校でも特別なコース課程の生徒なのよ。 あんなのは序の口。 どうして潮音が保護者なのか、そのことを良く考えて、覚悟を決めた方が良いよ」
「特別なコース課程?」
「幼楓。 今ここでコース課程名を言ってご覧」
石音の問い掛けに、
「軍事戦略戦術科国防軍士官大学校コース課程......」
「気付いた?」
「もしかして、この課程を卒業すると、士官大学校に入学したのと同等の資格が与えられるってこと?」
「半分正解。 正式にはもう入学した現時点で、士官大学校入学と同じ扱いなんだよ」
3人が口を揃えて答えると、あまりにもキレイに揃ったので、少し笑いが起きる。
「ということは、周囲の同級生達から妬まれ易いってこと?」
「うん、まあ、そういうこと」
そのことを知り、周囲を見渡すと、なんとなく睨まれているような感じがある。
「なんか、視線が怖いね」
肩を竦めて、小声で話す幼楓。
「今日は余計にだよ。 私達が4人に増えたことと、さっき、この学校のアイドル秋月潮音が笑顔で幼楓を呼んだでしょ?」
「アイドル?」
「そう、アイドル。 この学校は規律も厳しいし、あんな肩書きを持つ潮音が、私達以外の生徒の前で笑顔を見せるって余り無いの。 ただでさえ私達だけの担任でしょ? これでまた他の生徒達の当たりが強くなるわ」
鏡水はそう言うと、少し頭を抱えてしまう。
「でも、当たりが強くなっても、コース課程が違うし、それ程問題ないって思うんだけど......」
幼楓のその言葉に、
「甘い。 甘すぎるぞ幼楓」
再び3人の言葉が綺麗に重なり、笑いが起きる。
「この学校は、コース課程別対抗のテストが沢山有るんだよ。 座学でも実戦でもね。 それで成績不良だとペナルティーが課せられる。 連帯責任という大きな課題なんだ」
「なるほど。 少人数とはいえ組織の重要性を学ぶ授業ですか。 確かにこの学校らしいカリキュラムだね」
焔村の説明に納得の幼楓。
やがて幼楓が気になる期末試験の話題に。
「今回の試験に関して幼楓は、コース課程別の順位算出の対象外の筈だから、そんなに気にしなくて大丈夫よ」
「コース課程別順位?」
「そうよ。 1人でも点数が悪いと、コース課程別の科目平均点から算出される順位が大きく下がる原因になるわ」
「それも連帯責任?」
「そうだよ。 年5回の中間・期末試験でコース課程別順位が全部最下位だと、そのコース課程全員の大学への進学が認められないことになっているのさ」
「げっ」
「だから、みんな必死よ。 まあ私達はその規程の対象外だから、試験直前でもこんな感じで集まっていられるけどね」
「対象外?」
「その代わり、年3回実施される実戦・実践試験において、コース課程別順位で一度でも最下位になると、クビになるらしいわ。 因みに『コース課程=クラス』と呼ぶ子も多いからね」
「俺達は座学で入学したクチでは無いからね。 特別な能力を持つことでの転入だから、実戦実技で他のコース課程に完敗するのは許されないってこと」
「年3回ってことは、一度目は終わったのかな?」
幼楓のその質問に、拳を突き上げる焔村。
「当然首位よ」
「でも結構僅差だったじゃない?」
「それは......」
鏡水、石音、焔村が順番に反応。
「他のコース課程には、強化人間や遺伝子操作されて生まれた子達も居るんだよ。 この国は最近まで数十年に渡り、軍事的に非常に厳しい情勢が続いていて、人道的な考えよりも、勝ちを優先しなければならないという亡国の危機に有ったからね。 軍事戦略戦術科には傭兵や将官を目指す人が多いから、学内での戦いも決して楽じゃないよ」
焔村の言葉に気を引き締める幼楓。
「幼楓には、早く旋風から竜巻レベルの風を繰り出せるまで、レベルアップして貰わないと」
「ということは、僕の特別な能力って風を自在に作り出す能力?」
「そういうこと。 極めれば、台風レベルの風をも作り出せるでしょうね」
「本当に?」
実は4人の氏名。
本来の氏名では無い。
後から能力に合わせて付与されたものだという。
その過去と記憶は完全に抹消されているらしい。
既に65年以上仮死状態に有ったことで、4人を生んだ両親は亡くなっている。
兄弟とか親族が居たのかも、全くわからないのだ。
特に軍事的に苦しかった十数年前まで、国家としては何度も強制的に目覚めさせて、切り札として実戦投入する計画が上がっていたが、それを阻止し続けた人物が居たのだという。
その人が居なければ、中途半端に目覚めさせられ、能力の1割も発揮出来ない状態で実戦投入されて死んでいただろう。
そんな状況説明も3人から受けた幼楓。
「僕達も作られた戦士ってことか。 経緯はわからないけど」
強化人間や遺伝子操作という言葉も聞き、戦争の現実の怖さをなんとなく感じ始めた幼楓。
他人事だと思っていたような話が、身近になっただけではなく、自身が当事者なのだとようやく実感が湧いてきたのだ。
そして、その極致のような学校に入学することになってしまった現状を受け容れるしか、生きて行く道が無いということに、改めて覚悟を決めるのだった。
翌日。
朝食を食べに行こうと自室のドアを開けるとトラップが仕掛けられており、いきなり泥まみれに。
紙コップ1杯分の泥水がかかってしまったのだ。
廊下を見渡す幼楓。
人の気配は無い。
夜中のうちに小細工をされたらしい。
「早速転入生に対する洗礼か〜。 でもトラップなんて、この学校らしいや。 とにかく制服を着ていなくて良かった」
そんなことを呟きながら、ひとまずシャワーを浴びて泥汚れを落としてから、洗濯をする羽目に。
「朝は時間が無いのにな~」
ぼやきつつ、朝食はサンドイッチでもコンビニで買うことにして、制服に着替えてから、今度は慎重に自室を出る。
この日は午前中は座学で、午後はコース課程別の実践訓練であった。
高3の軍事戦略戦術科が使っている大教場に入ると、厳しい視線が幼楓に突き刺さる。
「みんな目付きが悪いな~」
『ガンを付けた』とかのイチャモンを言われないよう、なるべく視線を合わせないようにして、同じ課程の3人を探しながら大教場内を歩くも、3人はまだ来ておらず、見つからなかった。
そこで、とりあえず適当な座席に座ると、
「おい、人の席に勝手に座るんじゃねえよ。 孤児転入生の分際で」
いきなり厳しいひとことを浴びせられ、周囲から嘲笑するような笑い声が起きる。
仕方なく立ち上がり、3人が来るまで席に着くのは止めることにした幼楓。
それでも罵声が続く。
「おい、なんだか泥臭えなあ〜。 臭いが付いたから座席を消毒しろよ」
その意地悪な声の主が、今朝のトラップを仕掛けた犯人の一人だと気付き、その人物を睨み付ける幼楓。
「おお、怖いねえ~。 特別課程のエリート軍人さんは」
そんな冷やかしを聞き、その別の声の主を一瞥する。
2人共、ガタイが良く、如何にも軍人を目指している生徒だと見受けられた。
『こんな連中とトラブルを起こしても、同じ穴のムジナになるだけだな』
そう思い直して、階段状の大教場を降りて行く幼楓。
『あれがエリート課程の新しい転入生か......少しその能力を試させて貰おう。 二学期の実戦試験ではエリート課程にも勝たなきゃならないんでね』
その後ろ姿に向けて、誰かが消しゴムを全力投球で投げ付けたが、その時咄嗟に幼楓の能力が発動されたのだ。
一陣の風が天井方向に吹き上がり、消しゴムはその風圧で軌道を変え、誰も居ない場所に落ちたのであった。
「おい、今のは何だ?」
一瞬の強風の発生に、気付いた生徒達がざわつく教場内。
しかし当の幼楓は、自身の能力の発動に全く気付いておらず、そのまま廊下へと出てしまうのだった。
そして大教場の最上部にある教師控室から、その一部始終を見ていた人物が居た。
担任の秋月潮音であった。
幼楓の転入2日目なので、
『きっと何かしらの洗礼を受けるのではないか?』
と様子が気になって、こっそり見に来ていたのだ。
「2日目で早くも能力発揮みたい。 これはちょっと面白い子ね」
小声で呟きながら、彼女は自身の能力で目に映る時間を戻し、大教場内の出来事を確認する。
「消しゴムを投げ付けたのは、傭兵養成コースA課程の尚武真紗人だね~。 流石、傭兵クラスの成績トップ。 めちゃくちゃ豪速球だわ。 こんなの当たったら、超痛い筈」
妙な感心をする潮音。
その時幼楓は、右腕に腕時計型の機器を装着していたものの、特に腕を動かしている様子は無い。
それにも関わらず、風の力で怪我を防いだのだ。
更にその前まで、幼楓の時間を巻き戻しながら確認し続けると、朝、自室のドアを開けた際、トラップに引っ掛かって泥まみれになっている姿が見えたのであった。
「キッカケは意外とこれなのかもね」
自己防衛本能が、潜在能力の発揮に繋がることは十分有り得ることだ。
『これは午後の授業が楽しみだね~』
潮音はそう思いながら、教師控室を出て行くのであった。
一方、焔村、鏡水、石音の3人は、寮のコンビニ前で合流してから、大教場に向かっていた。
「幼楓に昨晩、朝のいつもの集合場所のこと説明するの忘れちゃったね」
そんな話をしながら、教場前に到着すると、幼楓が廊下で立って、外の景色を眺めていたのだ。
「幼楓おはよう〜」
その言葉にホッとした表情をみせて振り返り、
「みんな、おはよう」
と返事をする。
「どうしてこんなところで立っているの? 早速何かの罰直?」
その質問に、さっき有った出来事を説明する。
「ゴメンね〜。 朝は寮の前のコンビニのところで、集合してから向かうんだけど、説明忘れちゃって」
1人で居ると、嫌がらせを受けることが時々有るので、集団登校しているのだと言う。
「ここの生徒達って、小中学生レベルなの?」
思わずそんな感想を漏らす幼楓。
「常在戦場。 常に競争っていう教育方針だし、コース課程毎の成績があるから、そういう嫌がらせで精神的なダメージを与えて、成績を少しでも下げてやろうっていう考えを持つ人達が、一定程度出るのは仕方ないさ」
「なるほどね〜。 人間社会の建前だけではなく、本音のドロドロした部分をも経験させようという隠れた意図が有るのかも」
焔村の説明に、そんな感想を述べる幼楓。
「そこまで考えているのかな? 学校側って」
ちょっと疑問を投げ掛ける石音の言葉。
「負の感情や考えから発生する出来事は、あくまで自然発生的なものであって、そこまで意図されて作られた競争制度では無いと思う。 ただ事後的にそういう出来事が発生しているのに、特に改善しようと学校側が動いていないのは、嫌がらせでダメージを受けてしまう様な人間は、他の学校に行きなさいっていう意思表示なのだろうね」
その鏡水の意見に同意する他の3名。
「さてさて。 廊下での立ち話もなんだから、教場に入ろうか?」
その声に4人が振り返ると、4人だけの担任である秋月潮音がいつの間にか立っていたのだ。
「先生、おはようございます」
「潮音ちゃん、おはよう〜」
堅苦しい挨拶は幼楓。
砕けた挨拶は他の3人で有った。
「おはよう、みんな。 ちょうどここで会ったから、午後の授業での訓練予定を渡しておくね」
そう言いながら、1枚の紙を渡すと、
「じゃあ、後でね~」
あっという間に立ち去ってしまうのだった。
「秋月先生が朝ここに居るなんて、珍しいね」
「教場には用件が無いと来ないよね?」
「今朝は、この紙を渡す為?」
受け取った石音が持つペーパーを覗き込むも、特別な内容が書かれている訳では無かった。
「きっと、幼楓の様子を見に来たんだよ。 他のコース課程のイジワルな連中に嫌がらせされていないかって」
焔村のその意見に、
『案外、面倒見が良い担任なのだな』
と感じた幼楓。
そして、4人は大教場内に入っていくのであった。
大教場内の座席だが、今まで3人はほぼ決まった場所に座っているのだという。
高3がスタートした初期の段階で、概ね大教場内の座席のポジションはコース課程毎に決まってしまっており、転入生であった3人は、不人気で空いていた右側後方の、柱が有ってホワイトボードが見にくい場所となってしまったのだ。
「机にモニターが有るから、ホワイトボードが見えなくても問題無いけどね」
「こういう特別な学校だから、みんな授業に積極的。 前方から中央まではほぼ埋まっているし、最後方も全体を見渡せるから埋まっているでしょ」
幼楓に説明をする鏡水と石音。
すると、
「そうだ、誰? 朝、幼楓に罵声を浴びせたヤツは」
焔村の質問に、机のモニターで教室内を映し出しながら説明する幼楓。
「またアイツ等か〜。 大体俺達に吹っ掛けて来るのは決まっているけど......」
それは、傭兵養成コースA課程とB課程。
それぞれ5人ずつのクラスで、士官大学校コース課程とカリキュラムが似ており、訓練でも度々バッティングするのだという。
「俺達が実戦・実践試験での最大のライバルだからさ。 でもしょっちゅう嫌がらせするなんて、人間が小さいんだよ傭Bの連中はさ」
「だって所詮傭兵でしょ? とりあえず戦士として強ければイイっていう考えだから、そういうくだらないことばかりする下等な人間に育っちゃうのよ」
鏡水の手厳しい意見に、
「言うね~」
と言いながら賛同する焔村。
幼楓のモニターにアップで映し出された同級生達の顔を見ながら、
「今回幼楓の部屋のドアにトラップを仕掛けた連中はBコースだろうね。 泥臭いって言い放ったというヤツは、後部慧悟。 Bクラスのリーダー的存在だよ」
後部の父親は、十数年間某国の外人部隊に在籍していた経験を持つ著名な軍事評論家。
父親がこの国では有名な傭兵なので、それを鼻に掛けていて性格は悪いが、実力はかなり高いのだという。
「ヤツは強化人間だろうね。 あの筋力は人間ではあり得ないから」
高3の第一回実戦・実践試験における後部の体力は、誰の追随も許さない程、抜きん出ていたと3人は語る。
「アイツはゴリラ。 多分ゴリラの改造遺伝子を組み込んだ肉体改造をしているわ」
「その分、人間としての知恵が落ちているんだよ。 だから周囲を威圧して、自身を誇示することばかりに固執しているの」
鏡水と石音は女の子。
見た目がイカツくて、性格も良くないから、生理的に受け付けない、とボロクソに語り続ける。
『いやあ、随分嫌われた御仁だな~』
3人の盛り上がる会話に、そんな感想を抱く幼楓であった......