エピローグ
約束の3日後。シンはあっさり出て行った。
「最後のお願いだから、パーティーのエスコートだけして!!」
と必死で縋り付いたが、汚物を見るような目で断固拒否された。
おかしいなぁ……。従者やら護衛やらが、実は主人への叶わぬ想いを秘めていて、最終的に身分差を乗り越えて結ばれる……というのも、小説では定番のストーリーなんだが。
わたしの人生、ちっとも甘くない。
そして、迎えたパーティー当日。
わたしは、これでもかという程に可愛らしく着飾っていた。マリナーン男爵家は、爵位こそ低いが、かなり裕福なのだ。
しかし当主夫妻の視線が辛い。ぼっちのわたしを、そんな残念そうな目で見ないでくれ。
会場には、わたしだけ、後からこっそり入ることにした。なるべく目立たないタイミングで、誰かに紛れて入り込もう。
しかし会場入口で、わたしは意外な人物再会したのだった。
「シン! どうしてここに?」
1ヶ月ぶりに見たシンは、以前にも増して有能そうなオーラを纏っていた。より仕立ての良い服で正装していたから、尚更かもしれない。それはもう、攻略対象者にも引けを取らない格好良さだった。
「ご無沙汰しております、マリナーン男爵令嬢」
例の機械的な笑みを貼り付け、優雅な礼をするシンに、酷く距離を感じる。
シンが居なくなってから改めて考えてみれば、彼の存在はそのチート能力以上に、わたしの支えになっていた。ただ1人本音で話せる、良き相談相手だったのだから。
しかしそのシンがここに居るということは…………。
「もしかして……わたしの、エスコート」
「致しません」
食い気味に否定された。違うんかい!
「現在私は、アーソナル公爵家でお世話になっております。本日は、ヴィンセント様の付き添いで参りました」
「そうだったの……」
アーソナル公爵家となれば、わたしのお守りとは比べ物にならない程、仕事にやり甲斐もあるってもんだろう。
「……はっ! じゃ、じゃあ、わたしはこれで!」
まずい。早くこの場を去りたい。わたしはくるりと踵を返した。
「お待ちください。会場は反対です。それにそろそろ……ほら、いらっしゃいました」
ほら、じゃない!!!
シンの視線の先では、ヴィンセント様がこちらに向かって真っ直ぐに歩いて来ている。だから逃げようとしたのに……。
「ユリア嬢!」
ああ……。ヴィンセント様、会いたくなかった……。
エスコートもいない惨めなわたしの姿を、一番見られたくない相手だ。そしてヴィンセント様は、その事にすぐ気が付いてしまったようで、さっと表情を曇らせた。
「その……まさかと思うが、エスコートは……?」
「…………………………1人です」
…………死にたい…………。
わたしの言葉を聞いて、ヴィンセント様は、ちらりとシンを見やった気がした。そして、口を開いた。
「もし、ユリア嬢が良ければ……私に、エスコートさせてもらえないだろうか」
「はい!?」
いや、なんで??
「そういう訳には……。ヴィンセント様も、他にエスコートされる方がいらっしゃるでしょう?」
同情ならば、余計に惨めになるからやめてくれ。
「実はいないんだ。ユリア嬢さえ嫌でなければ、今夜は私のパートナーになってもらえると助かる」
なんの奇跡だろう。……生きてて良かった……。
もちろん、断るという選択肢は無かった。
***
会場に入った途端、視線が集まるのを感じた。うんうん、今夜の正装姿のヴィンセント様は、いつも以上にそれはもう、輝かんばかりの美しさだからね!
……と言いたいところだが、好意的なものばかりでもないようだ。
主に在学中のわたしたちを知っている、若い世代の視線が痛い。特に女子たちは、ヒソヒソと噂話を始めた。
「アーソナル公爵令息とご一緒なのって、もしかして……」
「マリナーン男爵令嬢よ! ほら、元孤児だからって、王族の方々が自ら気にかけてくださったのをいいことに、随分派手な振る舞いで、目立っていたでしょう」
ああやっぱり……。そこはお約束、ヒロイン、ちゃんと周りの貴族から嫌われてました。
それにしても、コソコソ話している割には、全部きっちり聞こえてくる! それとも、あれか? わざと聞かせてわたしにダメージ与える作戦か?
そう思っていたら、ヴィンセントが、噂話をしていた令嬢たちを、ギロリと睨んだ。そして、わたしに気遣わしげな目を向ける。
「気にする事はない」
や、優しい……。大好き。
「大丈夫です! 事実ですし、気にしていません。ありがとうございます」
ところが今度は後方から、はっきりと悪口が聞こえた。
「アーソナル公爵令息って素敵だと思っていたけど、見る目はないわね」
「在学中にベタベタしていた他の子息は皆、今ではご自身の立場を自覚して、距離を取っているというのに……。公爵家の跡取りとして、ちょっと、……ねえ?」
今言ったやつ、出て来い!!!
わたしは自業自得だから、悪く言われても仕方がない。
でも、こんなわたしに親切にしてくれるヴィンセント様を貶めるのだけは、絶対に許せない。
わたしは思い切り後ろを振り返った。
しかし、さっきの発言が誰からのものか分からない。
皆が一様に、好奇心たっぷりといった目で見ている。そればかりか、ざわざわと悪意が広がっていくのを感じた。
周りが敵ばかりに見える。
わたしのせいで、ヴィンセント様までもが、この視線に晒されているのだ。足元から恐怖心が這い上がってくる。
「ユリア嬢」
その言葉に、ハッと我に返った。見上げたヴィンセント様は、いつだって美しい。
わたしは、足にぐっと力を込めた。ヴィンセント様のことは、わたしが守る!
大きく息を吸い込む。広い会場で、なるべく声が通るように。
ヴィンセント様を真っ直ぐ見据えて、言った。
「ヴィンセント様。ずっと好きでした!結婚してください!」
シン……と会場が静まり返った。
こんな日に、こんな場所で告白するなんて、アホにも程がある。更に断られでもしたら、死ぬまで笑い者だ。
でも、それでいい。もともと嫌われ者のわたし一人が笑われることで、ヴィンセント様の評判を取り戻せるなら。
会場の隅で青ざめているお父様、お母様、ごめんなさい。マリナーン男爵家の名を汚した罪で娼館に放り込んでくださったら、たっぷり仕送りします。
静まり返った会場内。皆がわたしたちの様子に釘付けの中、ヴィンセント様は、わたしの手をそっと取った。
「私で良ければ、ぜひ」
………………はい?今、なんと??
「ユリア嬢。私も、あなたを好ましく思っている」
いやいやそんなはずはない!なんかのバグか!?
「えええと……ヴィンセント様、わたしのこと、もう好きじゃないって仰ってましたよね?」
「言っていない。確かに、盲目的な想いから目が覚めた、とは言った。でも、好意的な気持ちはずっと変わらなかった」
会場内に大きなどよめきが起こった。なんだかクラクラする。天井のシャンデリアが眩しくて、でもヴィンセント様はもっと眩しい。これ、わたしの夢かな?
「あなたは、王妃になる器だと思っていた。両王子殿下とも卒業後も親しくしていると分かり、私は身を引いた。しかしあの日、あなたに別れを告げられて、とても後悔していたんだ。……だからあなたの気持ちが、とても嬉しい」
なにそれ聞いてない。
最早意識を失いそうだ。わたしが考えることを放棄しようとしたその時。
「いい加減目を覚ませ、ヴィンセント!」
割り込んで来たのは、短髪マッチョイケメンの、騎士団長の息子クリス様だった。
しかしこいつ、脳筋だったか?いくら学園で友人同士だったとはいえ、ここは公の場。伯爵令息の分際で、ヴィンセント様を呼び捨てにするな。
クリス様のお陰で、ちょっとわたしは平静を取り戻した。ありがとう脳筋。
「その女は、王族や高位貴族とあらば、誰彼構わず愛嬌を振り撒き、はべらせていた悪女だぞ!?」
否定は出来ないが悪意がすごい!
「ユリア嬢に失礼だクリス。すすんでユリア嬢のそばに居たのは私たちだ。大体、そのせいで他の生徒が近寄りがたくなり、彼女は他に友人も出来なかったんだ。自ら王族と高位貴族以外の者を寄せ付けなかった訳ではない。非は我々にある」
そんな風に思ってくださっていたなんて……。ああもう、泣きそうだ。
「しかし、王妃の器というのは、いくら何でも買いかぶりすぎではないですか? ヴィンセント様」
そう問いかけたのは、長髪メガネイケメンの、宰相の息子ロイ様だった。ロイ様、あんたもか。
ここに来て突然出しゃばってくる攻略対象者たちに思うところがない訳では無いが、その反論についてはわたしも激しく同意だ。
「公式に発表されてはいないが、ユリア嬢は、王家の膿を取り除く為に尽力した功労者だ。しかしそれを笠に着ることもなく、ただより良くあれという王家への思いは、王族にも匹敵すると私は思う」
どうしよう、ヴィンセント様の中で、全てがわたしに都合のいいように解釈されている!
逆に不安になってしまったわたしは、おずおずと言った。
「ヴィンセント様……。わたし、そんな大層な人間ではなくて、本当に、人に媚びることしか能がないんですけど……」
「貴族として、人の顔色を窺うのは大切な事だ。あなたのその特技には、将来公爵家当主婦人として他家と交流をする際に、きっと私も助けられるだろう」
そして、とろけるような笑みを浮かべて、言った。
「何より……自分が恥をかいてでも、私の名誉を守ろうとしてくれた。そんなあなただから、私もあなたを守っていきたい。どうか、私の妻になって欲しい」
とうとう涙が溢れた。こんなわたしを受け入れて、評価してくださる方は、他にいない。
「はい…………喜んで」
***
その後。
王族の入場と共に、婚約発表パーティーは開始された。すっかり話題をかっさらわれたアレン様が不服そうにしていたが、知ったこっちゃない。
わたしたちは余りにも場を騒がせてしまったので、簡単な挨拶だけを済ませ、早々に会場を出た。
会場出口で出迎えてくれたのは、よく知る意地悪な笑みを浮かべたシンだった。
「……ねえシン。どこまで読んでたの?」
「さあ? でもやっぱり、おもしれー女ですね、お嬢様は」
きっと全て、この全能な執事の手の平の上だった。だからこそ彼は今、ヴィンセント様に仕え、そしてこれからも面白い事を求め、わたしの周りを掻き回すのだろう。
……いや、掻き回されていたのはずっと、わたしの脳内だけか。
それでもいい。この無敵キャラがいてくれれば、わたしとヴィンセント様は、どんな危機も2人で乗り越えられるだろうし。ついでに旧知の仲なわたしとシンが仲良くしてたら、ヴィンセント様が妬いてくれるかも……。
「これからもよろしくね! シン」
「……今、強烈に気持ち悪い想像してましたよね。近寄らないでください」
わたしとシンのやり取りを見ていたヴィンセント様が、言いづらそうに話し始めた。
「実は……シンに、ユリア嬢が好きなのは私だと、伝えられていたんだ。だから、エスコートを申し込むようにと。そこまで言われないと行動できないような情けない私だが、本当にいいだろうか」
「大丈夫です! 優秀で仕事出来るけど、ちょっとヘタレなところも、可愛いって思ってます! 自分のカッコ悪いところも正直に言っちゃう誠実さも、大好きです!」
コンプレックスを共に受け入れ合ったわたしたちは、最強だ。
わたしはヴィンセント様の手を、ぎゅっと握った。ヴィンセント様の頬が、赤く染まっている。きっとわたしも同じだろう。
終わらないハッピーエンドの、その新しい一歩を、わたしは今、踏み出したのだ。