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9.茜の告白

 彼女はニコッと笑って手を挙げた。オレは小走りで対面の席に座る。

「早いですね。何分前に来たのですか」

 茜さんは悪戯っぽく

「寺田さんが来ないと思った時間です。何分前だと思いますか」

 彼女のこの顔にオレの心は動揺しつつも、テーブルの飲み物を見て

「30分前ですか」

 茜さんは楽しそうに

「ブー!違います、一時間前でした」

 外したオレは

「エッ、そんなに早くですか。飲み物は2杯目ですね」

「ブー!3杯目でした。いくら何でも早すぎましたね。待っている間に心の整理もつきました。飲み物を取りに行かれては。オーダーはわたしがやっておきます」

「ありがとう」

 紅茶を取りにドリンクバーへ行く。茜さんの顔が清々(すがすが)しく感じ、吹っ切れたように思える。席に戻ると先ほどの笑顔から一転して、キリッとした顔の茜さんが

「寺田さん、看護師のわたしが患者さんであるあなたに話していいものか、この1週間自問自答しました。そして決めました、あなたにこそ聞いてもらいたいと。よろしいですか」

 オレは彼女の申し出に面食らってしまう。

「よろしいも何も、大恩ある青野さんの頼みを断る訳がありません。オレじゃ役不足でしょうが、どうぞ思いのまま話してください」

 茜さんは今にも涙が零れそうな目で、オレを見つめながら

「寺田さん、ありがとうございます。それではお話しします。夫と巡り会って結婚したのは31歳のときでした。夫は5歳年上の36歳です。アルコール依存症に掛かるのですから、毎日飲酒の酒好きでした。

 たくさん飲むわけでもなく、飲んでも顔色や態度はあまり変わりません。見た目にはアルコール依存症には見えませんでした。

 しかし体質のせいか、夫は比較的早く発症したのです。毎日飲酒が始まって5年足らずで、指の震えが起きました。結婚2年で、うちの病院へ無理矢理連れていきます。

 そのころわたしは依存症科ではなく、精神科病棟に勤めていました。医師の診断はもちろんアルコール依存症で、即入院を勧められます。

 夫は嫌がりました。わたしは説得して、何とか一か月後に入院させます。入院期間は三か月で、その間にアルコール依存症の勉強をして、夫の治療計画を作りました。入院中にもASのミーティングへ連れ出します。

 夫はミーティングへ行くのは拒みませんが、スピーチは心ここにあらずの内容でした。自分の内面を他人に話すのが嫌だったのでしょう。

 退院してからも、近くのAS会場へ連れて行きました。わたしが同行するのは構わないのですが、一人では行ったことがありません。

 これには困りました。それで夫の休みに合わせて、病院を土日休みにしたのです。毎週、どちらかの休みは夫婦でAS通いでした。 

 夫が亡くなってからルリさんに言われましたが、家族の付き添いの方は定着しにくいそうです。確かにその通りでした。アルコール依存症の本人が止めたいと思わない限り、100%の絶酒は無理でしょう。

 夫は止める気が100%ありませんでした。そして見事にわたしを騙して、外で飲んでいたのです。彼は量より質を重んじて、わたしにわからないよう工夫したのです。

 肝臓が強くないせいもあり、高くて美味いお酒を飲んでいたようでした。この状態が2年続きますが、やはり依存症はボロがでます。

 いつも9時前には帰ってくる夫が11時過ぎても帰ってきません。メールや電話も出ないので、先に寝ていました。午後11時過ぎに、タクシーで帰ってきた夫は明らかに飲んでいたのです。この日一晩かけて問い詰めて、今まで飲んでいたことを白状しました。

 アルコール依存症患者は酒を飲むためだったら、平気で嘘を付き万引きもする。この言葉を思いっ切り理解させられました。そして自分では認めない、否認の病であることも。

 最愛の夫が毎日、わたしに飲まないふりをしていたのです。今から考えると、夫も苦しかったのでしょうね。しかし当時のわたしは浮気されたように、アルコールへ嫉妬したのでした。

 失望と怒りに走ったわたしは別居したのです。夫は何も言わずに、出ていくわたしを見送りました。このときに二人の愛は壊れたのです。

 それからの夫は会社に行きもせず、自滅の道へ踏み入れてしまいました。すでに肝炎だった夫はアッという間に肝硬変に進行し、肝臓ガンへと悪化したのです。

 夫から連絡を受けたときは肝臓ガンとなり、助からない命となっていました。彼は命と引き換えに、わたしに教えてくれたのです。アルコールは魔王の飲み物で、コントロール不可能だと。

 夫が亡くなってから、わたしは自分の傲慢さに嫌気がしました。看護師の風上にもおけない愚か者で、偽善者であることを。

 わたしは看護師を辞めようと決心し、辞表を持って看護師長に提出しました。

『何ですか、この辞表は』

 看護師長は怒りをあらわにします。わたしが事情を説明すると

『考え方が逆でしょう。青野さんは依存症科に移って、アルコール依存症の患者さんが旦那さんのようにならないよう、勤めるのが彼の供養になりませんか』

 こう言われて、わたしは絶句します。言葉を失って立ちすくんでいると

『今日はお帰りなさい。明日明後日は休みです。ゆっくり考えて週明けに、あなたの考えを聞かせて。筋が通っていれば、好きにしていいですよ』

 看護師長は優しく話してくれました。 

『夫のような患者を出さないように勤める』

 この言葉に将来を賭けようと思うのでした。お話はここまでですね。わたしは詰まらない意地を張って、夫を捨てた女です。寺田さん、呆れ返ったでしょう」

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