8.人生の自助グループ
「寺田さん、てらださん!聞いてますか」
あまりの嬉しさに、ボーとしていたオレは
「アッ、ごめんなさい。何でしたっけ」
茜さんは怒ったような顔をして、これがまた素敵である。
「わたしが今言ったことを聞いていなかったのですか」
「すんません。青野さんの旦那さんて、さぞカッコ良かったと色々想像していました。お洒落だったのではないですか」
彼女はすまし顔になり
「何でそう思うのですか」
「茜さんがオシャレだからです。趣味が同じだと、男女はくっつきやすいから」
彼女は急に顔を崩して
「フッフッフ、当たりです。夫は寺田さんと違って、ヨーロピアンファッションでした。カラーコーディネートはわたしと合わなかったですね」
「でも仲は良かったのでしょう」
茜さんは辛そうな顔をして
「ごめんなさい。この話はまたにしてください」
オレはしまったと思い
「すんません。余計なことを聞いてしまいました。これから気を付けます」
茜さんは苦笑いをして
「いえ、わたしもそろそろ、呪縛から逃れないと。そのうち話しますね」
「呪縛ですか。人は大なり小なり、いろんなものを背負っています。オレなんか、ありすぎて背骨が折れそうですよ。でも青野さんのお陰で、依存症の荷物が軽くなりました。ASみたいな、人生の自助グループがあると楽になるんですがね」
彼女は一瞬、目を輝かせて
「そうですよね、人生の自助グループがあれば……。もうすぐ12時です。来週の日曜日に、お会いしませんか」
「はい、オレはいつでも構いません」
茜さんは迷いが吹っ切れたような顔で
「それでは午後2時に、ここでよろしいですか。そのときに、続きをお話しします」
オレはビックリして
「あの、あまり無理をしてまで、話さなくてもいいではないですか。オレが人生の自助グループなんて、変なことを言っちゃいましたね」
彼女は首を横に振って
「違います。寺田さんなら話せそう。わたしが考えたあの人の治療方法をお話しします。それがあなたのために、役立つかもしれません」
この日はこれで別れた。来週、茜さんはどんな話をするのだろう。旦那さんがアルコール依存症から肝臓ガンで亡くなっていた。これは何を意味するのだろうか。夫に先立たれても、結婚指輪をしているのはやはり……。
ウジウジ考えても仕方がない。昔ならこういうとき、マッカランのストレートをダブルで飲むのだが。一気に飲むと、後でグラッとくるので、薫りを楽しみながらチビチビやっていた。
今はマスカットティの香りを楽しむことにしている。バニラティも悪くない。もうオレにはスコッチウイスキーのマッカランや白ワインのシャブリ、吟醸酒出羽桜の香りとは無縁となった。
アルコールを飲まなくなって、趣味趣向に変化が現れる。一日5杯は飲む珈琲党だったのに、紅茶に衣替えした。今では日に10杯を飲むこともある。
肉好きだったのにステーキを食べなくなった。肉の代わりに、魚を好むようになる。見るのも嫌っていた甘い煮付けが好物となった。酢の物も苦手であったが、平気で食べる変わりようだ。
趣味も新たに、三つほど追加される。ギターと麻雀、ナンバープレイスであった。ナンプレ以外は30年前に止めてしまったのを復活させる。ギターと麻雀は出直すつもりで、教室に入会した。
どちらの教室も女性が多く圧倒される。麻雀は24名中20名、ギターは5名中4名であった。世の男どもは何をしているのだろうか。以前のオレみたいに居酒屋やスナックに行って、下らない話をしているのだろう。
麻雀は50代が4名、60代は5名、残りの15名は70代以上である。ボケ防止のため、覚えようとのこと。ギターは反面30,40代が2名、50代は2名、オレは最年長であった。
教室には麻雀1年、ギターは3年通うことになる。麻雀は4時間千円の麻雀連盟の同好会に入り、2回役満を完成させて新聞に写真付きで出る。月間成績で最高位は2位であった。
ギターは教室の紹介でポップスの高齢者グループに入り、お年寄り向けのボランティアで歌っている。ナンバープレイスは9種類の数字のパズルで、入院中に病院の講座で習った。雑誌を買って懸賞に応募したら、1,000円が当たり止められなくなる。
依存症を回復するために、趣味という依存を持つ。考えてみれば飲酒は趣味趣向の一つであろう。他の依存症であるタバコ、薬物、ギャンブル、インターネットも同じだ。
アルコールの止め方は千人千通りある。止めることができれば正解なのだった。飲酒をしていないオレのやり方は間違ってはいないようだ。
そして運命の日がやって来た。待ち合わせの20分前に、カモメ亭につく。店内を見回したら、以前座った席に茜さんがいるではないか。