5.二人のスピーチ
朝日が顔に照るので起きました。窓から太陽がサンサンと輝いています。なんて美しいのだろうと思いました。私は自分の顔を鏡で見て、唖然とします。
何て醜い顔なんだろう。髪はボサボサ、眼は虚ろ、肌はカサカサ、着ている服はシミだらけ。あの可愛かったルリはどこへ行ったの。(笑)可愛いは余計でしたね」
参加者からヤジが
「今でもかわいいよ」(爆笑)
ルリさんは苦笑いをしながら
「ドナルドさん、好意的なヤジをありがとうございます。続けますね。わたしは三度目の入院を決め、立ち直るために平戸病院へ行きました。これが三年前のことで、アルコールを断つために覚悟をしたのです。
以前の入院と、心構えが違いますね。常に前向きで入院中も、ASのミーティングに参加していました。あれからスリップしていません。あのときが※底つきだったのではないかと、今では思っています。
※筆者注:底つきとはこのまま何もせずに飲み続けていたら、破滅が待っていると感じた気持ち。
だから、もうスリップは嫌です。入院は絶酒するための準備でした。それを叶えてくれたのがASだったのです。ミーティングに出ていれば、飲酒要求を抑えることができました。わたし一人で、我慢しているのではないと。
これがわたしの入院です。ありがとうございました。次にお話ししたい方はいらっしゃいますか」
何を思ったのか、青野さんが手を挙げた。
「はい」
「意外な方から手が上がりました。青野さん、どうぞ」
青野さんはキリッとした顔で
「本日、飛び入りで参加させて頂いている、平戸病院の青野です。数か月に一度、皆さんのお話を聞かせてもらっていますね。
ルリさんが入院したとき、わたしも依存症病棟にいました。彼女とは、それ以来からのお付合いです。今日は看護師として補足説明させてください。
依存症で入院される患者さんは3種類いらっしゃいます。絶酒目的、身体が治ったら再飲酒、アルコール依存症の理解不足のどっちつかず、この3つですね。一番多いのが再飲酒、次が理解不足、そして一番少ないのが絶酒目的です。
アルコール依存症を患っている方は他の病気と違って、人数が特定できません。患者がアルコール依存症だと、認識していないから。認識していても、病院に来ない方が多いですね。厚生労働省は100万人と予測しましたが、ある民間研究機関では400万人としています。
わたしは400万人でも少ないかなと、最近は思うようになりました。なぜなら、コロナ渦で家飲みが増え、毎日飲酒が増加したからです。また若者が道路で飲酒する居酒屋状態もですね。
このような現状にもかかわらず、病院に通院している方はたったの1万人です。患者のわずか0.25%しか、通院していません。残り399万人の言ってみれば、酒吞童子たちは相変わらず毎日飲み続けているのでしょう。
自助グループに所属している方は多くても2万人です。こちらは0.5%ですよ。皆さんは0.5%の少ない方々なのです。
アメリカの自助グループメンバーは100万人、人口が3億3千万人で日本の2.7倍ですね。人口を調整すると、日本の自助グループメンバーはアメリカの5.4%でしかありません。
いかに日本国民はアルコール依存症を知らないかを物語っています。ですから、皆さんはよく気付かれたと思いました。依存症という精神病を回復するのは並大抵ではありません。
意志の力はもちろんのこと、自助グループなしで成し遂げるのは困難でしょう。わずか0.5%しか回復の努力をしておらず、逆に99.5%の人がアルコールを飲み続けているのです。酒は魔王の飲み物に、わたしは思えました。
皆さんはこれからも魔王の誘惑に乗らないで、ノンアルコールの健全な生活をお送りください。ありがとうございました」
会場は一瞬の静粛から、大きな拍手に包まれた。ルリさんが感動した顔で
「青野さん、ありがとうございます。数字的なことは全然知りませんでした。わたしたちはたったの0.5%なのですね。これからも貴重なお話、よろしくお願いします。
皆さんはスリップしても、連続飲酒して入院しませんね。……、どなたも返事がありませんが」
全員が
「はーい!」
ルリさんはニコッと笑って
「ありがとうございました。それでは、今日初めて参加された寺田さん、何かお話しして頂けますか。気が進まないのなら、パスもオーケーです」
いきなり指されて慌てたが、パスなどは思いの外であり席を立つ。
「はい、寺田鷹介です。私は平戸病院で二度目の入院をしており、二度とも他の病気が原因でした。前回は慢性肝炎、今回は盲腸です。それがなければ相変わらず、今も飲んでいるでしょうね。
私は病気に命を救われたと思いました。どちらの病気も全快しましたが、アルコール依存症は健在です。主治医からはアルコールを飲み続けると肝硬変から肝ガンになり、アッという間にあちらの世界へ逝くとのこと。
さすがにこの歳では心残りなので、アルコールを止める決意をしました。さらに主治医は肝炎や盲腸になったから病院にこれたので、これはハイアーパワーのお陰だそうです。どなたかハイアーパワーについて教えてください」
ルリさんは頷きながら
「スゴいですね。ASに入る前から、ハイアーパワーを経験するなんて。いや、違いました。ハイアーパワーの言葉を知ったことです。わたしはハイアーパワーとは奇跡と考えています。普通ではあり得ないことですね。わたしが3年も、アルコールを飲まないなんて奇跡でしょ。
こういったことが一年に何回かあります。アルコールを飲んでいたころは全くなかったのですよ。アルコールを諦めたお陰で、奇跡が起こるようになったのです。寺田さんは幸先が良いですね」
ルリさんはニッコリと笑って、オレを祝福してくれるかのようだった。
「丁寧な説明をありがとうございます。納得できました。今後とも、よろしくお願いいたします」
言い終わって席に座ると、会場にいる全員が拍手をした。ルリさんが
「寺田さん、ありがとうございました。これからも、一緒に歩いていきましょう。入院中も退院後も、お待ちしていますね。それではトミーさん、お願いします」
……中略……
「定刻になりました。これで上永谷グループのミーティングを終わります。ありがとうございました」
90分のミーティングが終わって、青野さんが
「ルリさん、今日はお世話になりました。テーマまで寺田さん向きにして頂き、ありがとうございます」
ルリさんは笑顔で
「青野さんには色々と面倒かけていますから、当たり前のことです。それに寺田さんが絶酒の決断をするのに、私たちの経験が活かせれればうれしい限りですよ」
オレは感謝感激して
「ルリさん、ありがとうございました。これから、こちらに通わせてもらいます」
ルリさんは満面の笑みで
「はい、お待ちしています!」
会場を後にして、上永谷駅を歩きながら青野さんは
「いかがでしたか、ASのミーティングは」
オレは少し間をおいて
「アルコールを止めるために、皆が集まってミーティングしている姿は新鮮でした。それに冗談を言いながらも、真剣に話していましたね。各自の生き様を現わしていました。立派ですね。今までのオレは何をしていたのか、恥ずかしくなります」
青野さんは眼を大きく見開いて、真面目な顔で
「寺田さん、スゴい。一回のミーティングで、そこまで気付きましたか。でも勝負は始まったばかりです。わたしも応援しますから、飲まない生き方を考えましょう」
オレは益々、青野さんを女神として崇拝することになる。いい歳をして20歳くらい年下の女性を偶像化するなんて、我ながらすげえなと思う。オレもマダマダ、捨てたもんじゃないさ。彼女に丁重なお礼を言い、地下鉄の改札口で別れ、東戸塚駅行のバスで病院に戻った。
寝ながら、青野さんのことを思い出す。スゴい美人ではないが、彼女を尊敬するレベルに達していた。愛だの、恋だのを超越している。女神相手に恋愛感情などはないに等しい。いや、そうとも言えないか。どちらにしても、青野さんはオレをアルコールから立ち直るキーパーソンだ。