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3.スリップ(再飲酒)

 平戸病院に3ケ月の長期入院をする。一人静かにベッドで寝ているとき、アルコールを飲んで数々の蛮行をしたのは何だったのだろうかと考えた。酒は百薬の長か、はたまた気違い水か。

 入院中に色んな講義やカリキュラムを受ける。しかし、あまり真剣に聞いていなかった。理由は周りの患者たちに影響されたのである。この病院の男性患者は30名で、アルコールと薬物依存症の割合が2:1であった。約20名のアルコール依存症患者の1年未満再飲酒率は90%である。

 つまり2人しか、アルコールを絶っていなかった。こんなことは当然だが、オレは知る由もない。ところがひょんなことから知ってしまうのである。それは自助グループメッセージの患者出席者数で把握できるのだ。

 平戸病院では二つの自助グループが毎月1回、メッセージという紹介ミーティングを実施している。アメリカ発祥のAS(アルコホリック・ソサエティと、日本発祥の絶酒会であった。 

 このメッセージに参加した患者はASが3名、絶酒会は4名という低人数である。自助グループに興味がない人はアルコールを止める気がないということ。

 オレはこれに気付いてしまう。これで一気にやる気をなくすのである。3ケ月経過すると、病院仲間は次々と退院していく。彼らの3割方は退院したその日に祝杯をあげるという。なぜなら朝食のとき、退院予定の患者たちが

「昼にはビールで乾杯だよ」

 と笑顔で牛乳を美味そうに飲んでいた。こいつら何のために、3ケ月も入院しているのだろうか。簡単である、体調を万全にするためであった。朝から毎日飲んでいると、肝臓や腎臓がもたない。

 そのための緊急避難で、病院ならアルコールを飲まずにすむのだ。慢性肝炎で入院したオレなど、代表的な入院であろう。そして待ちに待った、退院の日を迎えた。オレは入院費を払うと、自宅へと向かう。

 バス停の前にコンビニがあり中へ入ると、酒売り場が目に飛び込んでくる。黒霧島、いいちこ、八海山、上善如水等が飲んでくれとばかり、オレに泣きついてきた。 

 やばい!このままでは買ってしまうと思い、オレは店を飛び出す。ハアハア息をしながら家に帰り、グッタリとソファに横たわる。くつろぐどころではない、この先は飲酒要求との戦いとなった。

 この超強力な飲酒要求に、逆らえたのは担当医の宮本先生の言葉だった。

「生きていたいなら、アルコールは飲まないことです。飲んだら3年の命、賭けてもいいですよ。よく考えてアルコールと向き合ってください。命を長得るか、短く燃え尽きるか。すべてはあなたの行動にかかっています」

 ビデオテープみたいに思い出せた。

『フーム、しばらくは飲まずにいよう。肝炎は治ったが、まだまだ本調子ではないからな』

 飲む気がありありである。このときは止めようなんて思っておらず、担当医から説教されたので様子を見ていた。 

 1週間が経過し、飲酒要求に苦しみぬいて1ヶ月が過ぎ去る。旧友から連絡があり、定例の飲み会を開くとのこと。行くか止めるか、散々考える。アルコールを飲まないで、ウーロン茶で何とかなるだろうと判断した。 

 こんな甘い考えでアルコールが止められる訳がない。案の定、退院後1ヶ月足らずでスリップ(再飲酒)し、一度飲んでしまえば元の木阿弥になる。入院前の生活になるのは一週間とかからなかった。

 アルコール依存症の怖さはここにある。スリップすればするほど、病気は悪化するのだ。10回以上スリップした人の中にはアルコール性痴ほう症になり、精神病院の閉鎖病棟から一生出てこれないだろう。進行性のある病気の恐ろしさはガンだけではない。

 そしてオレは入院前の生活になるのに、1週間とかからなかった。3ケ月後、酒浸り人生に酔いしれていたら、激しい腹痛に見舞われて救急車を呼んだ。今度は盲腸に襲われる。治り次第、以前入院していた平戸病院へ転送された。以前の主治医である宮本先生と面接して

「早かったですね。実質の絶酒は何か月もちましたか」

 オレは面目なさそうに  

「1ヶ月でした」

「そうでしたか。それにしても、盲腸になってラッキーでしたね」

 オレはムカッとして

「病気になって、何でラッキーなのですか」

 宮本先生はニヤッと笑い 

「盲腸にならなかったら、1年2年と飲み続けたでしょう。運が悪ければ、ガンで手遅れになっていたかもです」

 オレはハッとなり

「仰る通りですね。盲腸にならかったら、間違いなく飲んでいます」

「盲腸は神がおこしてくれた病ですよ。これをある自助グループではハイアーパワーと言います。つまり高い処の力、天からの力、意訳すると『神様からの贈り物』ですね」

 オレはビックリして

「盲腸は神様からの贈り物ですか。ウーン、そうかもしれない。先生、自助グループって何ですか」

「前回入院しているとき、自助グループが二つ来て話して言ったでしょう。ASと絶酒会です。今度見学に行きませんか」

「思い出しました。ASはキリスト教の回し者みたいで、胡散うさん臭かったな。絶酒会は20年間、アルコールを一滴も飲んでいないとか言っていたけど、信じられませんね。両方とも夢みたいなことばかりですよ」

 宮本医師は少し悲しそうな顔で

「寺田さんは信じないのですか」

 オレは当たり前のように

「ええ、信じろと言っても無理でしょう。まして性格も穏やかになったとか。そんなことは有り得ない」

 主治医は微笑みながら

「一回、自助グループのミーティングに参加しませんか。うちの病院にAS担当がいますので、その看護師と同行してみたらいかがでしょう。ハイアーパワーのことを聞いてみるのも、面白いですよ」

 オレはなるほどと思い

「わかりました。よろしくお願いします」

 その日の午後に、思いもよらない看護師がオレの病室に来た。

「寺田さん、こんにちわ」 

 オレは彼女の顔を見て 

「アッ、青野さんじゃないですか」

 青野さんは嬉しそうに

「名前を覚えてくれてたんですね」

 オレは自慢そうに

「可愛い女性は忘れませんから」

「お褒めに預かって、ありがとうございます。前回の入院以来ですね。わたしは外来にいたので、話す機会がありませんでした」

「そうでしたか。だから会えなかったのですね。実はオレ、スリップしちゃいました」

 彼女は慰めるように

「気にすることありませんよ、アルコールを止めるのは大変ですから。宮本先生から伺ったのですが、ASのミーティングを見学したいと聞きました」

「ええ、ハイアーパワーに興味を持ったので。青野さんがASの担当とか」

「はい、3年ほどやっております。寺田さんは良いところに気付きましたね。もしかしたら、もしかになりますよ」

 オレはキョトンとして

「何ですかそれ?」

 青野さんは悪戯っぽい眼でニコッと笑った。この笑顔にオレは見惚れてしまうのである。61歳にもなって、かなり年下の女性に熱を上げる第一歩であった。

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