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霧の中の怪物  作者: つっちーfrom千葉
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霧の中の怪物 第二話(完結)


「私が一度だけマルタの町を見たとき、あの町の姿は幻覚のように揺らいでいて、まるで霧の中に浮かんでいるように見えました。これこの通り地図にも載っている町であります。ただ、ここから北進して無事に辿り着けたという話もあまり聞きません。もしかしたら、あの町は死者と古の神々にのみ、その姿を見せるという、蜃気楼の町なのかもしれません。それにしても、本当ははるか遠く、普通の人間には到底到達できぬ彼方にあると思われます」


「どれほど遠くにあろうと、我が国を取り戻す方法がそれしかないとするならば、喜んでそこに向かおう」


 王の決意は少しも揺るがなかった。老齢ながら、再び長い長い旅に出る覚悟をすでに決めていた。王は自分の持つ唯一の貴重品である胸の勲章を外してマーグレンに手

渡すと、彼の手を一度がっちりと握って感謝を伝えた。翌日の朝、彼は北の町に向けて旅立った。


 この辺り一帯を覆っている深い霧は、北の森の奥まで延々と続いていた。どちらの方角が目的地に近いのか、自分が今どの辺りを進んでいるのかなどはすぐに分からなくなった。他の生き物の姿はどこにも見えなかった。聴こえてくる鳴き声は、そのすべてが幻聴と思われた。白樺や赤松や樫の木が視線の届く限り延々と立ち並んでいた。何時間もの間、彷徨い歩いても目的地に近づいているようには思えなかった。


「今となっては遅すぎるが、こんな無謀な旅をせずに、あの寂れた漁港で、もう少しの間、助けを待っていた方が賢明であったかもしれぬ」


 王は次第に不安に襲われるようになり、そんなことを呟くようになっていたが、今となってはすべてが遅すぎた。


 ふと、霧の奥に腰をかがめて野草を摘んでいる、幼い子供の姿を見かけたような気がした。いや、それは確かに存在していた。


「おお、お主は幻の町の住民か? いや、会いたかったぞ」


 しかし、その子はすっかり脅えていた。まともな返事は戻ってこなかった。言葉も通じていなかった。この女の子の目に、自分がどのような姿で映っているのかが分からなかった。そこで、カヴィン王は身振り手振りで、自分が海の向こうの国からやってきたことを語り、その上で、お前の存在がもし幻覚でないのであれば、一度マルタの町に戻り、食料と水を持ってきてくれぬかと、そう伝えた。その女の子は戸惑いを隠せず、霧の中に突然現れた老人の存在に脅え、ただ、震えながら濃霧の中に佇んでいた。


「オーグストの王に私が会いに来たことを伝えてくれぬか」


 最後に大声でそう叫ぶと、その女の子は恐怖に負けて走り去り、霧の中にその姿を消してしまった。すでに体力のほとんどを失ってしまった王は、その後ろを追いかけることも出来なかった。辺りの風景は今はすっかり霧の中に埋もれ、前へ進むも後ろへ下げるも出来なくなっていた。やがて、鳥の鳴き声も小川のせせらぎも聴こえなくなり、真っ白で無音の世界の中にカヴィン王はひとり取り残され、そこに呆然と立ち尽くすしかなかった。


 自意識は徐々に薄れていった。今となっては、寂しさも熱い怒りも感じなかった。『もしや、自分はすでに生を終えていて、冥界を漂っているのではないだろうか?』カヴィンの王は次第にそう考えるようになっていた。おそらくは、ここが旅の終着点であると。しかし、ああ、哀しきかな。この旅は今ようやく始まったのであって、実際には、この霧の森の内部をこれから永遠に続く長い道のりであった。


 カヴィンの王を名乗る人物が、霧の中を彷徨い歩いている頃、マルタの町では、皆が皆、夕方近くになっても自宅に戻らない女の子の捜索にあたっていた。約一時間後、警備隊のひとりが南の森の入り口付近でうずくまっている少女の姿を見つけた。彼女はずいぶん脅えていたが、集まってきたみんなからの問いかけにはしっかりとした口調で答えることができた。


 その子が語るには、南の森の中ほどで、霧の中に怪物が現れ、乱暴な態度で食料と水を要求してきたという。それらを早く渡さねば、お前の内臓を喰らってやるぞと、そのように脅されたという。しかも、その怪物はしきりにカヴィンの王を名乗っていたという。この女の子は誠実で賢いことで知られており、この怪物出現の話を信じぬ者がほとんどいなかった。この怪物が無事に退治されるまで、南の森へ侵入することは禁止されることになった。


 後に彼女の話の整合性を取るための調査も行われた。オーグスト城の書庫にある歴史書によると、この半島の正面の海域を越えたその先に、かつてカヴィン王国という大国が実在したことも分かった。


 しかしながら、その王国は内乱が原因となり、約二百年前にすでに滅んでいるという。さらに、その調査の過程で、この南の森を抜けた先に、かつて小さな漁港が存在していたことも判明した。しかしながら、大津波によって、数十年前にすでに滅ぼされており、現在の捜索においては、住民はひとりも発見されなかった。


 その町の片隅にある小屋の中に、カヴィン王の勲章が、今もなお、ひっそりと置き去りにされていることは、この調査にあたった誰しもが知る由もなかった。結局のところ、南の森の捜査においても、件の怪物の姿を見つけた者は現れなかった。結論として、南の森の奥深くに濃霧が出ている日に迷い込むと、怪物に襲われる可能性があると、そのひとつの教訓を得て、今回の事件は解決とされた。


 最後までまで読んで頂いて誠にありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。他にもいくつかの完結済みの短編作品があります。もし、気が向かれたら、そちらもぜひ、ご覧ください。2023年5月6日

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