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それぞれの山物語 親友とアサギマダラ

作者: 輝海

男は、鹿児島県と宮崎県に跨がる霧島山系、韓国岳からくにだけの山頂を経由して、反時計回りで火口のほぼ反対側の北峰きたみねへと向かっていた。

ミヤマキリシマツツジの咲く時期になると、南方より海を渡り、飛来する蝶がいる。

その蝶は、アサギマダラと言い、多くのアサギマダラが、北峰付近で羽を休めている姿を見る事が出来る。

そんな、アサギマダラを見る為に、中学生時代から付き合いのある親友と毎年のように韓国岳北峰に訪れてていたが、今年は親友の姿は無かった。

「どうだ友よ。今年もアサギマダラが、こんなにも飛来しているぞ」男は、親友に話かけるようにしながら、北峰へと歩みを進める。

「ただ、いつもと違うのは、お前がいない事だけだ!」男が、歩くたびにアサギマダラ達は舞い上がり、男が去ったのを確認するように、小枝や葉っぱに停まり何事も無かったように、また羽を休すませ続ける。

満開を過ぎたミヤマキリシマに進路を阻まれ、足元のアザミのとげに刺さりながらも、北峰へ到着すると、男は保冷バックで、しっかり冷やされた一本の缶ビールを取り出し北峰頂上に積んである石積ケルンの傍らに置く。

「小生は、下戸だったからな。舐める程度にしか付き合えんかったが、これなら一本くらいは付き合えるぞ」そう言うと、今度は、もう一本ノンアルコールの缶ビールを取り出だす。

「さぁ、飲もうぞ。我らの友情に乾杯だ」プルタブを勢いよく引くとザックの中で揺られてきた為か、泡が吹き出す。

そして、男は吹き出した泡に口をつけ、一気に飲み干そうとして、最後は少しせてしまった。

「ははは、情けないな。この程度で噎せてしまうとは」まるですぐ傍に親友がいるかのように、話続けていたが、既に男の目からは大粒の涙が溢れ落ちていた。

「本当に、お前は大馬鹿者だ。今年も、小生と北峰にアサギマダラを見に来ると張り切っていたではないか!孫の実奈みなちゃんの結婚式を、あれだけ楽しみにしていたのに、山なんかで落ちやがって、この大馬鹿者が!」そう叫ぶと男は、膝から崩れ落ち、声を押し殺し泣き続けた。

ひとしきり泣いて落ち着いたのか、男は立ち上がると、北峰に積んである石積の傍らに置いた缶ビールを手に取る。

プルタブを引くと「さぁ、飲め。お前の分だ」男は、石積にビールを注ぎ始める。

「実はな友よ、小生はガンだ。膵ガンだそうだ。医者の言うには、早くに見つかったから、これから治療に専念すれば完治するそうだ」男は、両の口角をあげて笑うと「まっ、そう言う事だ。まだまだ、お前のところに行くわけにはいかんからな!残念だったな」そう言うと、手に持っていたビールを、飲み干してしまった。

「いかん」男が間違ってビールを飲んだと気付いた時には、既に飲み干した後、急激に心拍数が上がっていくと同時に、呼吸が荒くなったいく。そして、突然の睡魔が男を襲い始めた。

「ここで、眠るわけには…」男は、必死に眠るまいと我慢したが、ゆっくりと意識が遠のいていくのが分かった。


目を醒ますと誰か、一人立っていた。「よぉ、こんなところで寝てる場合じゃねぇぞ」そこに立っていたのは、親友だった。

「あぁ、すまんすまん。間違えてビールを飲んでしまったようだな。以後気をつけよう」立ち上がろうとしたが、上手く足に力が入らずよろけてしまう。

「まぁ、無理するな飲めもしないアルコールを半分飲み干したんだ。もう暫くここで、ゆっくりしてから帰ればいいさ」男は、親友の言葉に素直に従う事にした。

「そうだな。そうさせて貰おう」男が、ふと空を見上げると辺りには、数千、数万の黒とオレンジで縁取られた浅葱色あさぎいろの薄羽を、羽ばたかせたアサギマダラの群れが男達の周りを舞っていた。

「凄いなぁこれ、こんな事は初めてじゃないか?」その圧巻の光景に暫く目を奪われいたが、思い出したように首から下げている、型は古いが自慢の一眼レフカメラを手に取ると、この神秘的とも言える光景をカメラに納めようと、アサギマダラにレンズを向けるが、いくら操作してもピントも合わなければ、シャッターも切れない。

苛立ちながら親友の方を見て「すまない。どうやら、肝心な時に壊れっちまったようだ。後でカメラ…」先ほどまで、そこに立っていた親友の姿が見当たらない。

男は、暫く動きを停めていたが、やがて思い出したように呟く。

「あぁ、あいつ死んじまったんだなぁ」側頭部が鈍く痛む。

遠くで人の声がする。

何か叫んでいるが良く聞き取れない。

「何を言っているだ?」そして強烈な眩暈に、その場に立っていられなくなり、男は倒れ込んでしまった。


「大丈夫ですか?分かりますか?」夫婦らしき男女二人の顔が、男を覗き込んでいる。

男が目を醒ましたのを見て「あぁ、良かった。病気か何かで、もう駄目なのかと思いましたよ。目が醒めて良かった起きられますか?」男は、体を起こし頭の鈍い痛み以外は大丈夫な事を確認する。

「だ、大丈夫です。ご心配お掛けしました」まだ少し、ふらついたが立つ事は出来た。

あの夢は、何だったのだろうか?死んだ友が小生を心配して、夢に出てきたのだろうか?などと、夢について思考を廻らせていると「良かったら、下山は同行しましょうか?」夫と思われる男性が申し出てくれた。

心配そうに、見つめる夫婦の申し出に、有難いとは思ったが、これ以上は迷惑を掛ける訳にはいかないと、丁寧に申し出を断り明日の入院の準備をする為に韓国岳北峰を後にした。


一年後。

韓国岳から北峰に向かう登山道に、一組の若い男女の姿があった。

「実奈ちょっと待ってくれ」「どうしたの?」

「ちょっと、こいつで撮っておこうと思って」

「あぁ、アサギマダラね。お爺さんの形見のカメラだもんね」若い男の手には、古い型の一眼レフカメラが握られていた。

アサギマダラにレンズを向け、ピントを合わせに手間取っていると、アサギマダラは、ゆらゆらと上空へと逃げていく。

どこまでも、どこまでも、高く遠くへ…。


今年もアサギマダラは、その浅葱色の薄羽を羽ばたかせ、ゆっくりと、まるで何もなかったかのように、北峰への登山道を静かに舞っていた。


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