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昨夜同じベッドで寝て、2晩目。私は自室とフレッドの寝室の間の廊下で迷っている。
(そろそろ一緒に寝ましょうってことは、昨日だけ一緒に寝てみましょうって意味ではないわよね)
フレッドは私のことを好いているかもしれない。その可能性に対して、動揺と戸惑いが強い。
政略結婚のはずなのに、苦手に思われてそうだと思っていたのに、と混乱中。
(一緒に寝るってことは、つまりその、そのうちキスとか……)
フレッドとキス。考えただけで全身が熱くなる。
(シルフィード、愛してる。好きだ、とか言われるの? まさか)
想像してみたけれど、フレッドの仏頂面ばかりが頭に浮かぶ。渋い表情で「愛してる」なんて素敵な台詞を言う者は居ない。
(デートは楽しかったわ。あの笑顔で言うの?)
穏やかながら熱を帯びた眼差し。柔らかな微笑み。今日、時折見た表情で想像してみる。
(シルフィード、愛してる……)
うん。悪くない。むしろ嬉しい。
(まさかね。勘違いよ。私って、自惚れ屋ね)
ペシペシと自分の頬を両手で叩き、自室へ向かう。
(でも……愛しのシルフィって……)
そう。もう聞いたのだ。愛しているシルフィード、ではないが「愛しのシルフィ」という単語を確かに耳にした。
「シルフィード?」
背後から声を掛けられて、振り返る。困り笑いを浮かべるフレッドが立っていた。
「ノックするか迷っていたとか? それなら、そんなもの要りませんよ」
目が合わない。なのに、手を繋がれた。昨夜と同じように部屋に招かれる。
フレッドは、やはり昨日と同じで、眉間に深い皺を作り、唇を尖らせている。
(彼、どういう心境なのかしら)
手を離されて、ベッドへどうぞ、というように掌で促される。
横並びから向かい合わせに移動。疑問は聞くことでしか解決出来ない。と、思ったらフレッドは私に背を向けた。
「俺、そういえば苗の仕分けを忘れていたんで。先に休んでいて下さい」
背中越しにそう告げられた。フレッドが部屋から出ていく。
1人残されて部屋を見渡す。昨夜はあっという間でよく見ていなかった室内をつい観察。
(家の掃除はお母さんに任せているから、この部屋も……)
本棚が2つに作業机が1つ。
(本、植物や園芸に関するものばかりね)
すんなり園の仕事に馴染んでいるフレッドらしい本の数々。その中に、背表紙に何も書いてない薄い本を数冊見つけた。
(何かしら……)
少々迷ったが、好奇心には勝てない。手に取って本を開く。
中身は手書きのノートだった。
(ハーブについて色々書いてある)
ページをめくりながら、感心してしまう。症状とそれに効くハーブティーの配合や、ハーブオイルの組み合わせなど。
2冊目のノートは造園や体験講座について記述してあった。
(跡取り息子じゃないけど、園の経営をしたかったってことよね。元々経営に携わっていたって聞いていたけど)
丁寧で読みやすい文字を指で撫でる。仕事ぶりと良く似ている。私はフレッドの、こういう細やかで丁寧なところに好感を抱いているので、ますます好ましく感じた。
(お父さんのハーブ園に前から目をつけていたのかしら……)
それなら、と心の中で呟く。
(それなら昨日の台詞は何?)
ノートを本棚に戻し、頭を抱える。思い出したら恥ずかしくてならない。
(愛しの、愛しのシルフィってどういうこと⁈ 一先ず添い寝って、一先ずって、その先はどうするつもりなの⁈)
3冊目のノートを手に取って、落ち着こうと試みる。
ハラリ。ノートの最初のページを開いた時、掌大の紙が床へ落下。しゃがんで、摘み上げる。
「えっ……」
拾い上げた紙は、絵だった。
「私……」
手に取った絵に描かれているのは私だった。正確にはこのハーブ園の薔薇エリアに立つ、薔薇の花を抱えた私。
(作業着じゃなくて、この種類の薔薇だと……夏祭りの出店の準備? そうだわ。これ、一昨年の夏祭りの時の服装だわ)
昨年捨ててしまった、お気に入りだったネイビーのワンピースと同じ色のカチューシャ。この服装にこの薔薇や庭の様子は、一昨年の自分だと気がつく。
ノートの中身はオイルマッサージの方法について、だった。絵とノートの関連性はない。
私は絵を同じところに戻し、ノートも本棚にしまった。
室内をうろうろし、考える。
(愛しのシルフィで、一昨年の私の絵を描いたものがあって、一先ず添い寝で……)
導き出される答えは1つだ。
(フレッドさんは以前から私を知っていて、それでも結婚した……? それでもというか、私だから……?)
答えは出ても、疑問がある。
(エルフィールは? 彼、最初はエルフィールと婚約したわよね。つまり、エルフィールでも良かったってことよね。それにヘレンお嬢様は?)
疑問解消はフレッドに聞くしかない。けれども、勝手に絵を見たとか、実は昨夜独り言を聞いていました、なんて恥ずかしくて聞けない。
フレッドの仏頂面が蘇る。あの私を苦手、と言わんばかりの表情は怖い。勘違い女、なんて思われるなんて嫌だ。
(明日、エルフィールを探して聞いてみよう……)
そう決意し、私は戸惑いながらもベッドに上がった。布団に潜り込み、フレッドが寝る場所に背中を向けるように横たわる。
緊張して眠れない、かと思ったら、昨夜と同様に意外にも睡魔に襲われた。
疑問はあるが、嫌われていない可能性が高い。そのことに、昨日と同じく安堵したから。安心で、眠くなった。