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マジックショーなんて初めて。私とフレッドは、あのマジックのタネは何だろう? という共通の話題で盛り上がった。
政略結婚で、私がタイプではない。けれども、両親の手前か世間体なのか、私と交流する気があるというのは朗報。
それも、花を贈ってくれたり、素敵なレストランを予約してエスコートしてくれたりと事務的ではない。照れたように緊張しているのも嬉しい。
マジックショーが終わると、行きと同じで手を繋いで帰宅。玄関前で、両手を取られた。
「シルフィード、今日はありがとう」
マジックショーからは、ずっと談笑していたのに、フレッドは朝と似たような仏頂面になった。この表情は苦手。まるで私が苦手、といわんばかりで。
「いえ、こちらこそ。1日楽しかったです」
なんだが心臓が嫌な音を立てるので、フレッドの顔が見られない。
手を握られていて恥ずかしいのもあって、上手く笑えない。
「楽しかったなら良かった」
次の瞬間、気配がする、と顔を上げたらフレッドの顔が近寄ってきた。えっ? と固まっている間に、頬に唇がちゅっと触れる。
「ただいま帰りましたお義父さん、お義母さん」
フレッドが玄関を開けて中に入る。私を促す。私は唇が触れた頬に手を当てて、茫然としてしまった。
(何? 何で?)
自分に問いかけて、夫婦だからだと結論付ける。
「今日は園のことをありがとうございます。おかげでリフレッシュ出来ました」
フレッドの声が遠ざかっていく。当然だ。彼自体がもう玄関にいなくて、リビングへ入ったから。
私は爆発しそうな胸を両手で押さえ、階段を駆け上がった。そのまま自室に飛び込む。
「キ、キ、キス……。キスされた……」
触れられた頬を指でなぞる。
「フレッド、フレッドさんって……」
軽いの? 引き離された恋人のヘレン令嬢は? 良いの? エルフィールの方が気に入っていたのでは?
疑問が次々と浮かぶ。状況整理が出来ない。
☆
翌日、各種体験教室の予約表を確認していたら、ポプリ作り体験講座の予約者が増えていた。
(ヘレン・ルーズベルって、彼女?)
つい先週顔見知りになったお嬢様の顔が浮かぶ、残りの2名の名前には覚えがない。
計3名様、という文字の筆跡は母だ。昨日、予約を取ってくれたのだろう。
昨日、ヘレンが園に来たのか? と、母に訪ねると執事が来たということだった。
フレッドと挨拶はするけれど、目も合わない生活に戻り3日が経ち、その日はやってきた。
(ハーブ園見学を勧めて、その後に特別に紅茶とケーキを出そうかしら。そうしましょう。顧客拡大よ)
前日あれこれと悩み、オレンジのシフォンケーキとケーキに合う紅茶の葉を用意した。
そして当日、正午過ぎのうららかな時間、ヘレンと友人2人と共にポプリ作り体験講座が始まった。
ポプリ作り体験講座は至ってシンプルな内容。様々な彩りの乾燥ハーブや乾燥フラワーを選んでもらい、フレグランスオイルや保存作用のあるハーブオイルを混ぜて瓶に詰めてもらう。ハーブの効能を説明しながらそれを行う、というもの。
ご令嬢達はこのポプリ作り体験をキャッキャうふふと楽しみ、次にハーブ園を見学。
ファチュンハーブ園の塀の向こう側に、男達の人垣が出来た。
(こんな市民層のハーブ園に上流階級のお嬢様達なんて珍しいものね)
ハーブ園を案内しながら、感心してしまった。
自分は20歳。お嬢様達はどうやら成人間近の17歳。たった3つしか違わないのに、身のこなしや話し方、指の動かし方まで随分と違う。
日傘をさすお嬢様達と、野暮ったい垂れ衣付き帽子姿の自分。どうしても、少し惨めな気分になる。
フレッドは元恋人と自分を、比べたりしないのだろうか? するに決まっている。私ならする。
ふと気がつく。薔薇エリアのところにフレッドが居る。目が合った瞬間、バッと顔を背けられた。
(あーあ、隠れられていないわ。やっぱり恋しいのね。気持ちは分かるけど、仕事中よ。仕事しなさいよ)
思わず睨む。するとフレッドはそそくさと薔薇エリアから去っていった。
(見た目と違って軟弱なのかしら? 一睨みで撤退って……。ああ、だからエルフィールみたいに駆け落ち出来なかったってこと。ヘレンお嬢様、ある意味可哀想……。エルフィールは元気かしら。まあ、元気でしょうね。そろそろ会いに行ってみようかしら)
そんなだから、世間体が気になるから、私とおざなりでも親しくしようとして、頬にキスなんてするんだ! と無性に腹が立つ。
(未練タラタラなのに、なんなのよ!)
先日触れられたほっぺたが、急に忌々しく感じられる。
園の見学途中、カゼボで紅茶とオレンジのシフォンケーキを振る舞った時、ヘレンが小さな悲鳴を上げた。
「きゃあ! む、虫……」
ヘレンの持つフォークに刺さっているのは彼女の小指程の太さの青虫。うにうにと動いている。
「ケーキの中に虫だなんて……」
そう告げるとヘレンは涙目になった。カラン、とフォークがテーブルの上へ落下する。
(はっ、はあ? 焼いたケーキの中にいた虫が動くわけないじゃない!)
下手に謝ったら負け。どう対処するべきか思案する。
「まあ、なんて園なのかしら」
「ケーキに虫なんてあり得ないわ。ヘレン、大丈夫?」
しくしく泣くヘレン。私を睨むお嬢様2人。
「風で飛ばされてきたのでしょうか? すぐに新しいケーキを……」
「何を言っているのです? ケーキの中に虫がいたのに飛ばされてきた、なんて」
ヘレンの友人エミリアに睨まれた。
「また来たいと思っていたのに残念です」
「良いハーブを育てているようで、今度注文しようと思っていたのに……」
エミリアとレーナが眉間に皺を作った。
(えー、風評被害まっしぐら? 最悪ね……)
チラリと見たら、顔を両手で覆っているヘレンの唇が歪んでニヤリと笑った。
(わざと⁈ こんの陰湿女! 駆け落ちしてもらえなくて可哀想とか思った自分がバカだった!)
宣戦布告に来た訳か、と心の中でヘレンを睨みつけた。表の顔はすまなそうな困惑顔。客商売で生きてきたから、使い分けくらい可能だ。
「急なことで驚いたのでしょうが、ケーキの中に虫がいたのなら……」
正当性を主張しようとしたその時、ガゼボ内がやや暗くなった。
「悲鳴が聞こえましたが何かありました? 表の不埒な男達は軒並み排除したつもりでしたが、何か言われたり、まさか何かされました⁈」
小さなスコップ片手に登場したのはフレッドだった。
「フレッド! 聞いて、恐ろしいことがあった……」
「うえっ、ヘレンお嬢様。飛んできた芋虫をフォークで一刀両断とは流石肝が据わっていますね。手で触れないからフォークで刺したってところですか?」
「あの、その芋虫はケーキの中に……」
「こんにちはエミリアお嬢様。ケーキの中だなんて、ははっ。オーブンに焼かれてこんなに元気な虫がいたら不死身で恐ろしいですよ」
フレッドはフォークを摘み上げた。芋虫を抜いて、ポイっとハーブ畑に捨てる。その後エプロンのポケットにフォークを突っ込んだ。
「えっ? フレッド、あの……」
「まあ害虫は殺せって何度も教えましたからね。しかしまあヘレンお嬢様くらいですよ。そこまで出来るのは。ハーブや花を育てる事に憧れるでしょうが自然には虫が付き物。しかし皆さん、安心して下さい。お屋敷の庭園は、虫達も含めて庭師の私達にお任せ下されば良いのです」
白い歯をキラリン、と見せて満面の笑顔を振りまいたフレッドに、ヘレンお嬢様はポーッと目をハート型にさせた。
「あなたの教えが身に染みているみたいでして、私」
「皆様、将来の庭園の想像をしたことはありますか? 美しい庭は美しい屋敷の条件の一つ。絵を描いて考えてみるなんてどうです? お茶会などで褒められること間違いなしですよ」
「是非お願いします」
ヘレンの目は蕩けているように見える。フレッドに熱視線。フレッドはというと、ヘレンではなくエミリアやマリルを見ている。
フレッドに目配せされる。腰を軽く叩かれた。向こうへ、任せろというような態度。
(助けてくれた……?)
会釈をして下がりながら、チラリとフレッドの様子を確認。爽やかで優しげな笑顔を振りまいている。私には見せたことのない表情。
先日のデートの時にも見なかった。彼女達と親しい、いやヘレンと親しいと伝わってくる笑みだ。
(あれっ、もしかして体良く追い払われた? ヘレンお嬢様の接客をしたかったってことよね)
悲しみと息苦しさに襲撃される。惨めな気分で泣きそうになったが、仕事をすることでなんとか耐えた。