15
「フレッド、大丈夫? 無理しないで良いと思うわ」
「いや、無理していませんよ」
階段の手摺りを掴むフレッドと、寄り添うようなヘレンの姿。彼女は松葉杖を持っている。フレッドの右足には包帯がグルグル巻きだ。
両足の骨折のうち、左足はもう治ったの?
彼女の手がフレッドの背中に伸びていく。
「待って!」
気がついたら、叫んでいた。
「えっ?」
ヘレンが顔をしかめる。
(しまった……つい……)
こうなったら、と意を決して階段を登る。
「会わせてもらえないから、会ってくれないから、でも心配で顔を見にきました」
フレッドを見据えて、正直に話す。
「その声、シルフィ? えっ?」
フレッドは瞬きを繰り返し、首を捻った。私は帽子を取った。
「はい、フレッドさん。元気にしているのか気になってならなくて。差し入れや手紙、届いているのか不安で……」
「差し入れや手紙?」
再度フレッドが首を捻った。彼の隣に立つヘレンが気まずそうな顔をしたのでそれで、ピンとくる。
(ヘレンお嬢様。もしくはあの執事。私の手紙やら差し入れ、隠すか何かしたんだ)
私は階段を更に登った。フレッド達へ近寄る。途中、フレッドは笑った。パアアアアアと霧が晴れるように。
その後、彼は片手で顔を隠し、私から顔を背けた。気持ち、顔が赤い気がする。
「差し入れや手紙が何だか知らないけど、知らないけど? ヘレンお嬢様、どういうことです?」
「えっ? ええ、何のことかしら」
「シルフィはドジな俺に会いたくないって、怪我なんてして情けないって言っていたって」
「さあ、そんなこと言ったかしら」
(とぼけた! あの小娘、とぼけた!)
可愛らしく、儚げに微笑むヘレンにムカッ腹が立つ。
「屋敷の警護は厳重だから、門番が何か勘違いしていたのかもしれません」
「はあ……。まあ、何でも良いです。シルフィが来てくれ……来てくれた。くはっ」
突然、フレッドは体を折ってしゃがんだ。足が痛むのかと心配で更に近寄って屈むと、彼はニヤニヤ笑いを浮かべていた。
(えっと……)
「シルフィちゃん、マイスイートエンジェル……」
(今、変な単語が聞こえた……)
思わず固まる。
「ゴホゴホッ! ケホッ。コホン。シルフィ、お見舞いありがとう。この通り、元気です」
(今の咳は具合が悪い咳じゃないから、突っ込まない方が良いのよね?)
ニコリと笑うフレッドに、ジンワリと胸が温まる。やはり私の信じた通り、フレッドはヘレンと何かあったりしない。
ようやく会えた。長かった。
「あの、元気なら良かったです。毎日心配で」
「毎日? 毎日俺のことを気にかけてくれたんですか? もしかして、世話なんてしたくないなんて、嘘でした?」
「当たり前です!」
スルリ、と出てきた言葉に自分で驚く。当たり前なのか。
(ヘレンお嬢様、世話なんてしたくないなんて嘘まで吹き込んでいたのね!)
私が腹を立てていると、フレッドは片手の拳を握り、明後日の方向を向いて目を瞑っていた。
「フレッドさん?」
「……った」
「た?」
「良かった。怪我して良かった」
フレッドが右手の拳を上に上げた。よっしゃぁと聞こえてくる。
「まあ、そんなことありません。怪我の調子はどうで……」
「私を無視してベタベタしないで!」
ヘレンが叫んだ。そりゃあ当然だ。こんな風に見せつけられて嫌な気分だろう。同情心も無いわけではないが、ザマアミロという気分でもある。嘘つきヘレンには良い薬だ。
「ベタベタ? ヘレンお嬢様、ベタベタして見えました? もしかして、ようやく夫婦の空気感が出てきたってことか? ヘレンお嬢様、どう思います?」
フレッドが手摺りを掴んで立ち上がり、いやあ、と照れ臭そうに髪を掻く。これは、うん、少し可哀想。ヘレンは涙目だ。
「ん? ヘレンお嬢様、目にゴミでも入りました?」
「違います! 私……」
キッとヘレンに睨まれてたじろぐ。あっと思ったら、ヘレンは私に掴みかかってきた。
「チンチクリンのくせに! 出てって! フレッドはずっとこの屋敷で暮らすんだから。もう嘘の結婚生活なんて終わりなんだから!」
「あ、あの。ヘレンお嬢様……」
階段の上で揺すられるなんて怖い。片手で手摺りを掴み、反対側の手をヘレンの手を引き剥がそうと動かす。
「ヘレンお嬢様、危ないです。どうしたんですか、急に」
「急にじゃないわ! ずっと好きだったんだから!」
ヘレンは私から手を離し、フレッドの胸に寄り添った。うわああああん、と泣き始める。
「えっ……」
「フレッド! 私、結婚させられてしまうの! 貴方以外なんて嫌! このままこの屋敷にいて! せめて愛人になって!」
ヘレンはフレッドに抱きついた。ギュッとキツく抱きしめたように見える。唖然としていると、フレッドは困ったような表情で視線を落とした。
「いやあの、すみませんヘレンお嬢様。お気持ちには答えられません」
フレッドはヘレンの両肩に手を置き、彼女をそっと気遣わしげに引き剥がした。
「実家の薬草園がどうなっても良いの? ファチュンハーブ園だって! そのくらいの力、私にはあるのですよ!」
えええええ、ヘレンお嬢様、脅迫に出てきた。
「何を言っているんですか。顧客の一つくらい失っても平気です。風評被害も跳ね返せますよ。うちは誠実さをモットーにしていますから。そもそもヘレンお嬢様にそんなこと出来ませんよ」
「フレッド……」
「ヘレンお嬢様、お気持ちは嬉しいです。断られる辛さも分かっています。でもすみません。俺はもうこの人だ、という方を見つけてしまったので」
そう口にすると、フレッドは私を見据えた。ヘレンの体を更に遠ざけ、私に近寄ってくる。
「大事にします。シルフィが嫌だと思うことは絶対にしたくありません。なので嫌な時は、また嫌だと言って下さい。心配して来てくれて嬉しいです。ありがとう」
フレッドは私に会釈をした。ヘレンが泣き崩れて座り込む。執事やメイドがヘレンに駆け寄ってきて、メイドが彼女を労わるように連れていく。
途中、ルーズベル子爵が現れて執事とヘレンの間を右往左往した。その後、彼に睨まれた。とりあえず、会釈をする。
「フレッドさん、ありがとうございます」
執事が近寄ってきて、フレッドに頭を下げた。どういうこと?
「このように面と向かって話すつもりなんてなかったんですが、すみません」
「いえ。お嬢様には可哀想な話ですが、ハッキリと断られた方が良いものです。ありがとうございます」
その後、執事は私達2人を馬車へ促した。その際に「お嬢様を振るように頼んでいた」と執事に言われた。
それなら、応接室でのやり取りはなんだったのだ。私は馬車に乗り、椅子に座ると脱力してしまった。
すると執事が扉を閉める前に私に耳打ちした。
「惚れた相手が気のない方と結婚した、となると諦めつきませんからね。来てくださってありがとうございます」と。
私が乗り込んでくるの、見透かしていたの? 貴族屋敷の執事とは食えない人物らしい。私は掌の上で転がされていたと気がつき、ますます脱力してしまった。




