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私とフレッドの帰宅はほぼ同時だった。園の門のところで、フレッドと友人達と遭遇したのだ。
「こんばんは。奥さんもお出掛けだったんですね。すみません、飲ませ過ぎて」
フレッドは友人の1人におんぶされている。実に気持ち良さそうに寝ている。あどけない、可愛い寝顔だなと思ってしまった。
「こんばんは。友人と食事会で。あの、送っていただきありがとうございます」
「おいフレッド、家に着いたぞ。起きろ」
友人がフレッドを背中から下ろした。フレッドが、よろよろしながら立つ。
「んー、バレット、ありがと」
パチリ、とフレッドと目が合う。彼はへにゃと柔らかな笑顔を浮かべた。
「ネッド、ネッド、ネッド。シルフィがいる。俺の可愛いシルフィだ。俺、飲み過ぎだな。幻覚まで見るなんて」
クスクス笑うと、フレッドは私にひらひらと手を振った。思わず、手を振り返す。
「かっわいい……。可愛い! おい。ジョイ。見るな。シルフィの幻覚が腐る。ネッドは良い。レストランで笑わせてくれたからな」
更にクスクス笑うと、フレッドはよろめいた。口に手を当てて「うえっ……」と小さく呻く。
「あー、奥さん。すみません。本当に飲ませ過ぎたみたいで。では、失礼します」
「このくらいなら自力で歩くんでこいつ。すみませんがよろしくお願いします」
「よろしくお願いします。また2人でうちのレストランに遊びに来て下さい」
フレッドの友人3人に手を振られ、会釈を返す。
「じゃあな」
フレッドがブンブンと腕を振る。その後、彼はヨタヨタしながら園の中へ入っていった。門を閉め、かんぬきをし、鍵を掛け、後を追いかける。
「あの日の幸せが〜」
歌い始めたフレッドの隣に並ぶ。機嫌の良さそうな笑顔だ。
「あの日の喜びが〜」
多分、最近流行りの男性歌手の曲。この間、広場で聞いた歌と似ているから多分そうだ。
フレッドは私に気がついていないのか、眼中にないらしい。歌いながら、楽しそうに園を進んで行く。
途中、彼は薔薇エリアで足を止めた。薔薇を手折ろうとして、その手を途中で止め、クスクス笑い始めた。
「いやあ。嬉しいだなんてそんな。シルフィ、薔薇は数ごとに花言葉があるって知っています? 俺の気持ちです」
うんうん、と頷くとフレッドはため息を吐いた。
「1本か、3本か悩むな。一目惚れして貴女しかいないと思っていますと、シンプルに愛しています。どっちの方が心に響くんだ?」
薔薇を見つめながら、独り言。フレッドは悩ましいというように腕を組んだ。
(どちらも嬉しいです……)
思わず、心の中で返事をしてしまった。ここで話しかけたら、面と向かって今の台詞を聞けるかもしれない。そう思ったので、私は息を吸い込み、フレッドに手を伸ばした。
しかし、フレッドがふらふら歩き始め、私の手は空を切った。フレッドはまた歌い始め、機嫌良さそうに玄関へ向かっていく。
そうして玄関に到着すると、フレッドが玄関扉の鍵を開けて中へ入った。私も後を追う。
「ただいま帰りました。しーっ。皆もう寝ているよな」
完全に酔っ払いだろう。フレッドは独り言を呟きながら、靴を脱いだ。私のことは目に入らないようだ。玄関に鍵をかけ、靴を脱ぎ、後を追う。
「おかえりなさいフレッド。ご飯にする? 湯浴みにする? それとも私? なーんつって。たははっ」
思わぬ独り言に、ブホッと吐き出しそうになった。
慌てふためいていると、フレッドは階段前に座り、階段に頭を乗せていた。
「昨日に戻りたい……。嫌われる前に……。添い寝に戻りたい……」
ぼやきに対し、申し訳なくなってくる。こんなに傷つける気なんてなかった。
「あの、フレッドさん……」
屈んで、そろそろ、と背中に手を伸ばす。
「……。……シルフィード?」
バッと体を起こしたフレッドの勢いに気圧される。
「あの、寝るならベッドへ……」
「えっ? ああ。あー、すみません。飲み過ぎて、今帰りました。起こしました?」
「いえ」
フレッドが背筋を伸ばして会釈をする。
「明日も早いのでさっさと湯浴みして、とっとと寝ます。すみません」
立ち去ろうとしたフレッドに思わず腕を伸ばす。シャツを掴んでいた。
「あの、嫌いでは、嫌いではないので……」
今言わないと、タイミングを失う。そう思って口にした。フレッドからの真っ直ぐな気持ちは、素直に嬉しいと思う。
誤解を与えて傷つけたことを、とても悲しいと感じる。
とにかく結婚してしまえ、という考えはどうかと思うが、結婚してからのフレッドに強引さはあまりない。
ゆっくり、順序立てて、という考えは思いやりのようで嬉しく感じる。
だから、口からするりと言葉が出てきた。
「もう少し心の準備が出来たら、また添い寝して下さい。まだ恥ずかしくて……。あとあの、シルフィで良いですよ」
無表情で固まっていたフレッドが、突然バシンと自身の頬を引っ叩いた。
「痛くない」
「えっ?」
「痛くなかった……」
フレッドはフラフラしながら浴室の方へ去っていった。
(今の、何だろう……)
歌ったり、階段に突っ伏したり、突然自分をビンタしたり忙しい人。私は何だかおかしくて、その場でクスクス笑ってしまった。
自室に戻り、鏡台前でボーッとしながら何度もフレッドの歌を思い出す。
あの日の幸せ、あの日の喜び。フレッドは私とデートした日のことを幸せで喜ばしい日々と思ってくれているらしい、そのことに胸が温まる。
結婚指輪を眺め、ゆっくりと息を吐く。
(仮面夫婦なんて嫌だと思っていたけど、いざ好かれているって分かると、何をしたら良いのかしら……)
フレッドの足跡がした後、私も湯浴みに向かった。体を洗いながら、考える。
(添い寝の延長線って、キスとか……それ以上よね……)
この日、私は眠れない夜を過ごした。




