はて、それは本当にしたかったことなのか?
自分は、絵を描くことしか取り柄がない。
だから、学校やいろんな場所でも、自分の取り柄や長所、自慢できることに対して、いつも「絵を描くことです」としか言えなかった。いいや、それしかなかった。確かに、絵を描くことは得意ではある。自慢できるとも言える。だけれど、「果たして、絵を描くことは本当に好きなことなのか?」
と聞かれたら、そういうわけではない。
「絵が上手」というステータスがあり、始めてその場にいることが出来る自分。絵は好きなはずだ。好きかどうか確かめようと思って、キャンパスに向かって見るとどうも意欲は湧かない。
つまり、「好きではない」ということ。
だけれども、そうではないといけない。
皆が思う自分は、絵が上手な自分。
そうでないといけない。きっと、これから先もずっと。
だって、変われそうにないから。長年連れ添ったステータスを今更崩すことは出来ない。
つまらないことを一生頑張って生きていく。きっと、人生ってそんなもんであって、本当にいきたかったばしょ、したかったこと、得たかったもの、なんて掴めているのは本の一部なんだと思う。
今を生きる、サラリーマンの中にも、きっと将来の夢が「プロ野球選手」だった人も多く居るだろう。でも、現実はサラリーマン。国のため、町のため働く、家族や愛するもののため働く立派な人だ。立派な人でも、夢を勝ち取ることは難しい。
望まないことを、つまらないことを、どれだけ必死になって、こなして行くことが普通な現在に、自分は飲み込まれてしまっている。
さて、君はどうだろう。
なりたい自分になれているのだろうか。
屈強な人になれているのだろうか。
この、現在の回るループに流されては居ないだろうか。
どうかは、自分次第。
今、やりたいことをできて居なくても、その反吐が出るような、うんざりする様なことを必死にこなして、沢山回り道して行くことも大切だと思うんだ。
どれだけ必死になれるか。
自分は、変えることは出来ない。だから、まずは絵を描くことを「好き」になりたい。
そして、こんな不条理に打ち勝てたとすれば、それは誇って良いこと。
なりたい自分になれたのなら、こうすればいい。
全国放送のニュース番組を乗っ取って、マイクを強奪して、誇らしげに自慢するといい。
「僕は、不条理に打ち勝ち、なりたい自分になったぞ」と。
その言葉の裏には数知れない努力の跡が、きっと聞いてる人々に届くだろう。
まぁ、そんなことしたら、捕まっちゃうけどね。
でも、誇って良いことだ。
素晴らしいことだ。
そんな人に、自分は酷く憧れてしまう。
だから、自分もそんな人になりたいと強く思う。
作者の感性である。
皆の意見は違えど、自分はこう思う。
個人主義で申し訳ない。
読んで頂きありがとうございました。