No.9
魔術師は危険な存在だ、というのは、考えてみれば当たり前なこと。
いえ、考えなくてもわかるようなことでしょう。
魔術というのは、拳銃やナイフと大して変わらないもの。全ての魔術がそうではないけれど。とても危険な武器となるものは多い。
魔術師の基本として、お父様に教わった身体強化。これだって、一般人からしたら恐ろしいもののはず。
だって、魔術師の腕にもよるけれど、身体強化を施した魔術師は、コンクリートを素手で砕くことだって出来るのだもの。危険じゃないはずがない。
道を踏み外さないことが重要。それはきっと、その通りで。もし踏み外せば、私は化け物として扱われるかもしれない。
──もしくは、悪魔になるということさえ。
*
悪魔がどういうものか。その疑問については、はっきりとした答えが出た訳じゃない。
とても難しい問題のように思える。少なくとも私にとっては。
だけれど、よくよく考えてみれば、あまり深く考える必要のある事柄でもない。
疑問に思ったのはそもそも、キリィの立ち振舞いに違和感を覚えたから。自分の中の悪魔像とはかけ離れているような、そんな存在だったから、疑問に思った。
でも、彼がどういう存在なのかは判明した。昨夜、本人に直接聞いて。
元は人。後天的な悪魔。だからこその違和感。
答えは出ている。だから、『悪魔とは』という問題に、これ以上向かい合う必要性はない。
今の私が向き合うべき問題。それは私自身について。自由に外出できない理由。その原因についてなのだから。
もしも、私が外に出してはならないような人物なのだと、お父様に判断されているとしたら。
……少しだけ。いえ、とても、凄く悲しいけれど。美鈴さんの言っていた通り、これからの生き方次第で状況は変えられるでしょう。
だけれど、もしそうではなかったら。別の原因があるとしたら……。
「私の手で、どうにか出来るのなら良いのだけれど。やっぱり、直接お父様に聞いてみないとわからないかしらね」
「はい? 何か言いましたか、アイリお嬢様」
「一人言よ。気にしないで良いわ」
「そうですか。それでは、タイマーもセットしましたし! 実戦訓練を始めましょう!」
凛さんは胸の前で両手を握り締め、元気な声を響かせた。気合いが入っているのが一目でわかる。フンスという擬音が聞こえてきそう。
──失礼だけれど。見ようによっては、尻尾をブンブン振っているようにも……。
「え、えっと。アイリお嬢様? 私の顔に何か……?」
「いえ、何でもないわ。あなたの顔はいつも通り、可愛らしいものよ」
「そんなことないですよ! アイリお嬢様に比べたら私なんて、全然。でも、ありがとうございます!」
勢いよく彼女は頭を垂れる。
素直な人だから、喜んでいるのが凄くわかりやすいわね。
「ところで、凛さんとの訓練は初めてだけれど。戦えたのね、あなたも」
「ええ、戦えますよ! あ、でもですね。ロドウィンさんや、美鈴先輩のようには、流石に……」
「あの二人は使用人の中でもトップクラスなのでしょう? 比べる相手が悪いと思うのだけれど。──待って。それは何かしら」
「準備です! 私は体術よりも、こういったものが得意でして!」
そう言って彼女が取り出したのは、中身が見える透明の小瓶。
中身は……何かしら。わからない。
見えるのは、半透明の水のようなもの。そして、その液体には赤い……。
「あ……」
思い出した。
いえ、思い出してしまった。
昨夜、見回りをしていた彼女が引き連れていたもの。二匹の犬……と呼べなくもない、かろうじてそう見える、謎の液体生物を。
簡単に言うなら、気持ち悪いアレ……!
「とくとくと溢れたるは、生命の水。生まれ出でたるは、不滅のもの。忠実な眷属。なれば私も応えましょう」
「……」
呪文と思われる詠唱と共に、凛さんが小瓶の中身を床へと垂らす。
床に辿り着いた液体は、水溜まりとなる。その水溜まりは、呪文と魔力に反応して変異した。
私は思わず後退りしてしまった。顔も少しひきつっているかも。でも、きっと声に出してはいないはず。偉いわ、私。
「ふふっ。とても可愛い!」
「ど──」
どこが可愛いの!? と叫びそうになって、
「どうでしょうね……」
必死に軌道修正をする。
ズルいわ、凛さん。そんな嬉しそうに言われたら、目の前の奴に酷いことは言えないじゃない……。
──私の目の前に現れたのは、巨大なトカゲのような姿をした何か。丸呑みされてしまいそう。そう思えるほどの大きさ。
不思議で仕方ない。小瓶の液体から、こんなに大きなものを作り出せるなんて。
可愛いと感じられるのも不思議。私には備わっていない感性の持ち主なのでしょう。
「さあ! ゲーちゃんの準備は整いました! タイマーが五分を切ったら開戦としましょう!」
「わかったわ。よろしく頼むわね」
ゲーちゃんの『ゲ』というのは、やはりトカゲの『ゲ』から来ているのかしら……。
そんなことを考えているまに、タイマーの時は進んでいき──。
「従い戦え!」
という凛さんの声を合図に、私は床を蹴った。
電気を走らせ、風を巻き起こしながら。
*
「うぅ、やだ……。未だに感触を忘れられないわ……」
お風呂上がりの私は、普段よりもしっとりとした髪を揺らしながら、体を震わせた。
頭に浮かぶのは、訓練での光景。そして、こびりついて忘れられない、ゲーちゃんの感触……。
具体的に何が起きたのかというと……。まあ、なんというか、あまり思い出したくないことではあるけれど……。
呑み込まれてしまった。簡潔に言えば、そう。
別に、口から食べられてしまった、というわけではなくて。
私は、打撃が効くのかを確かめるために、ゲーちゃんのお腹目掛けて突きを繰り出した。
その結果。私は呑み込まれてしまった。驚いた。凄く驚いた。
例えるなら、食事をするクリオネ。アレが一番近いと思う。今夜夢に出てきてしまいそう。
思い出すだけで、本当に身震いしてしまうわ……。あの感触……。水とは違って粘度が高くて、魔力を奪われていたのか力も抜けていくし……。
しかも、ゲーちゃんでも凛さんでも良いから、電流を流して倒してしまおうと考えたのに。あの子の体は電気をあまり通さなくて、上手くいかなかった。
結局、風でゲーちゃんを四散させて抜け出せたのだけれど……。
動揺していた私は、凛さんに対して少し乱暴にしてしまった。ケガはしていなかったし、本人は『大丈夫です~』と言っていたので、問題は無いのでしょうけど。
今回の件は、トラウマとして刻まれてしまったかもしれない。思わず涙を流してしまいそうだったもの。出来ることなら、二度と同じ気持ちは味わいたくないわ。
『随分と不機嫌だねぇ、お嬢ちゃん。火にかけたヤカンみてぇだ』
ベッドに腰掛け、枕を抱き抱えていた私に、キリィがそんなことを言ってくる。
「巨大なトカゲ型クリオネに体を包まれる恐怖があなたにわかる?」
『トカゲなのかクリオネなのかどっちなんだよ』
「どっちでも良いわよ……」
私はパタパタさせていた足を止めて、枕をベッドの上に放る。
そして、すぐさま立ち上がって部屋の外へと出た。
『習い事とかは終わったんじゃねぇのか』
「気分転換よ。散歩とか、とにかく体を動かしておきたいの。別についてくる必要は──」
『どうした』
私が廊下の真ん中で突然止まるものだから、後ろを追ってきていたキリィが不思議そうな声を出す。
だけど、私は何も言わずにその場に留まっていた。視線の先の『それ』に、焦点を合わせたまま。
赤いカーペットの上。普段なら目立ったゴミ一つ存在しないその場所に。それは存在している。
──キリィ。バレないように近づいて、アレを捕らえなさい。
直接声を口から発したのではない。念話によって言葉を彼に伝え、指示を出す。
彼に、『何だいきなり』と返されたけれど。良いから、と強引に押し通した。
数秒後。視線の先のものが宙に浮く。
彼が持ち上げたのだ。捕まった対象は、小さな鳴き声を漏らしている。
「ご苦労様」
『何でこんなとこにネズミがいるんだ? よく出るのか』
「まさか。使用人の方達は優秀なのよ? ホコリ一つ見逃さないんじゃないかってくらいに」
『でもこいつは入ってきてる』
「あなたは知らないかもしれないけど。動物は若月家の屋敷を避けるのよ。近づくことはあっても、中に入ってくるなんてことは無いの」
『じゃあ、こいつは』
私はネズミの瞳を覗きこみ、微笑みを浮かべる。その先にいるであろう、『何者か』の存在を思いながら。