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少女は悪魔に魅入られた。  作者: 鬼石 イノ
7/26

No.7


 ベッドの近く。枕の隣にあるランプに明かりを灯して。

 戻ってきた部屋の中。薄暗いその中で、私は改めて彼と対面する。

 キリーマン・ダリィ。愛称はキリィ。私が、そう決めてそう呼んだ。

 彼は悪魔であり、本人の言うことが正しいのなら、元々は私と同じ人の子でもある。

 悪魔も、いくつか分類分けされているのかしら。元から悪魔であるか、否か。

 もしそうなのだとしたら、一体目に呼んだ方は前者だったと思う。確証は無いけれど、纏っている雰囲気が違う気がするもの。

 見た目的にも、明らかに人ではなかったし。まあ、悪魔になる過程で姿も大きく変わってしまうのなら、外見なんて全くあてにはならないわけだけれど。

 実際に、目の前に浮かんでいる彼の頭には、牛や羊にあるような角が生えている。


『……ん? 角が気になるのか?』

「それは、悪魔になる際に勝手に生えたものなの?」

『ああ、これな~』

「えっ……」


 私は、目を丸くしてしまう。

 だって、角が取れたのだから。彼が被っていた帽子を脱ぐと、その帽子にくっついたまま、簡単に。

 開いた口が塞がらなかった。偽物だったなんて、思いもしていなかったから。


「ただの飾りだったのね……わからなかったわ」

『いやあ。悪魔なのに角の一本も無いんじゃあ、威厳とか無いかと思ってな』

「確かに、帽子を脱いだあなたは、風変わりな海外の紳士といった感じだけれど」

『だろぉ? ほれ、被ってみるか?』


 放られた帽子を受け取って、私は思う。

──意外に重いわ、これ。


「こんなもの被ったら、頭が重くてフラフラしてしまうわ」

『角自体は本物らしいからな。どういう仕組みで帽子にくっついているのかは知らんが』

「まあ、それは良いのよ。私が知りたいのはあなた自身で、あなたの帽子のことではないわ」

『へいへい。んじゃ、何から話したもんかね──ちょっと座らせてもらうぜ』


 彼はそう言うと、黒いもやでしかなかった下半身に足を形作った。

 そして、そのまま彼は椅子を手で引いて、ゆっくりと腰掛る。

 その振る舞いからして、育ちは悪くなさそうで。もしかしたら、本当に紳士だったのかしら。だなんて、そんなことも考えてしまう。


『実は言うと、記憶は曖昧(あいまい)になってきててね。印象に残ってることしか話せないんだが』

「忘れっぽいの?」

『いやいや、そうじゃない。なにしろ、悪魔になってから百年二百年と経ってるからな。忘れても仕方ないだろ』

「あら」


 それは……とても想像できはしない、途方もない年月。とても、とても長くて。いえ、長すぎて、私にはわからない。

 私が経験してきたのは、生まれてから今までの時間だけ。十年と、あと数年数日を足した程度。

 それだけの時間でも私には、決して短かったとは思えない。

 だというのに、その十倍以上の年月を生きていると言われると……。


「よくわからないわね。そこまで長く生きていると言われても」

『その方が良い。寿命以上の人生なんて、ろくなもんじゃないからな。今は悪魔で、人の生を謳歌してるわけじゃないが』

「あなたはどうして悪魔になったの? 聞いてはいけないかしら」

『いや。大したことじゃないからな。話すのは構わない。だが』

「だが?」


 条件でも出してくるのか、と少し警戒したけれど。その心配は杞憂となる。


『凄くくだらなくて、つまらない話だぜ。酒のツマミにもならん』

「お酒は飲めないし。私は笑い話を聞きたいんじゃないのよ。くだらないとかつまらないとか、そんなの気にしないわ」

『あ~、そうかい』


 いざ話すとなると気恥ずかしいのか、それとも思い出すのも辛いことなのか。彼は机に肘を置いて頬杖をついた。

 視線はどこに向けられているのか。虚空を見つめている、というのが正しい感じで。少なくとも、私の方へは向けられていない。

 一瞬、間が空いた。部屋は無音となり、沈黙に包まれる。

 時計の小さな針の音に意識が向いてしまいそうになるなか、彼は意を決したのかゆっくりと口を開いた。


『俺はな、欧州の生まれなんだ。故郷どころか、国の名前すら今じゃ思い出せない。生前の記憶で覚えているのは、自分の名前と、俺が営んでいた酒場のことくらいだ』

「あら。バーのマスターだったのね、あなた」

『いや、そんなオシャレな感じじゃなかったな。店に来るのは大抵見知った連中で、俺はそいつらと毎晩のようにバカ笑いをしていた。酒を飲んで、世間話をして、愚痴をこぼして、性別なんて関係なく歌って踊って騒いでいた』

「なんだか、楽しそうね」

『ああ。楽しかったさ』


 私の経験したことのない光景が、頭の中に広がる。

 オレンジ色の照明に照らされた部屋。

 ワイン等のお酒を注がれたグラス。

 それらに口をつけ、赤く頬を染める人々。

 笑っていたり、怒っていたり、涙を流していたり。

 様々な表情を作り、歌って踊って。きっと、近所迷惑になってしまうけれど、幸せそうに思える風景。

 それは妄想。キリィから聞いた情報から思い浮かべたもの。

 私が経験したことのない、私の知らない幸せの形。

 なんだか、空腹になった時のような、不思議な不快感のようなものが去来する。

 ああ、きっと。これは、きっとそう。そういう気持ちなんでしょう。

 初めて感じる気持ち。切なくて悲しくて、だけれど、それだけじゃない。よくわからないものが渦巻いているけれど、この気持ちの名前はわかる気がする。

 それは、羨望。羨ましくて、望んでいるんだわ、私は。

 他愛のない日常の中にある、見落としそうな幸せの形を。


『あ……? えっ……おま、なんで泣いてるんだ!?』

「泣いている……? ああ、そう。私は、涙を流しているのね。久しぶりだわ。涙がこぼれるだなんて」

『……お嬢ちゃんは、どんな生活をしてきたんだよ』

「話すのはやぶさかではないのだけれどね。今は私の番じゃなくて、あなたの番よ、キリィ」


 慌てふためくことなんてあるのね。

 そんなことを考えながら、私は涙をふき、続きを促す。

 あれだけのことで涙を流すだなんて、私にとっても予想外だった。でも、そのおかげで、自分の気持ちに少し気づけたのかもしれない。

 私は好奇心だけで世界の外を見たいのではなく、少なからず現状に不満を抱いていたことも関係していたのだと。


『え~、まあ。そうだな。続きか。続きな……』

「思い出せないの?」

『いや、覚えてるさ。どんな大切なことよりも、根深く記憶に残ってることがある。恥ずかしながら、俺の日常ってのはさっき話した通りでね。それ以外のことはあまり覚えてないんだが、これだけは忘れられない』

「それは、あなたが悪魔になった原因?」

『そうだ。人間の恐ろしさと愚かしさを経験した出来事だったね、あれは』


 心なしか、彼の声が冷たいものになった気がする。

 きっと、強い怒りが彼の中にあるのでしょう。空気がピリピリとしているのを感じる。


『ある日、見慣れない連中がやって来たんだ。警察だったか役人だったか、とにかく、お偉いさんが来たのさ。そして奴等は俺に言った。"貴様には裁かれるべき罪がある"ってな』

「罪? 犯罪に手を染めていたの?」

『まさか。多少人に迷惑かけてしまったことはあるが、法を破るようなことをしたことはない。だが、そんなの関係なかった。奴等の中では、俺に罪があるのは確定事項だったからな』

「罪の無い者の断罪だなんて、その方々はいったい何でそんなことを?」

『当時、俺の町では麻薬が出回っていたみたいでな。奇行を繰り返したり、幻聴や幻覚に怯える奴が数人出てきていたんだ。最悪の場合は死に至る。──俺の知り合いも何人か犠牲になった』


 彼の心に反応しているのか、部屋の中を黒いモヤが漂い始める。この様子だと、もう少ししたら部屋中を埋め尽くしてしまいそう。

 有害か否かはわからないけれど、あまり良い気はしない。だから、キリィに声をかけようとして、口が止まった。

 何故だか、口を出せる雰囲気じゃない気がして、言葉が出せなくなってしまう。


『麻薬の存在自体は、多くの者が知っている時代だったと思う。だが、目の前の人間が変貌したのは、悪魔に取り憑かれたからだ。そう言われてしまえば信じる者も大勢いた。そんな時代だった』


──役人は、罪に覚えがないと言った俺に、面白いことをのたまったよ。

 そう言って微笑む彼が指を鳴らす。すると、たちまちに黒いモヤが増えていき、私に見たことのない景色を見せつける。

 幻術の類いだと、すぐに気づいた。けど、抵抗はしない。

 私に危害を与えるものではないと、直感していたから。

 だから、私はその幻術を受け入れて、彼の見せるものを受け入れた。




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