No.6
『あっぶねぇ!?』
キリィはそう言って驚いた素振りを見せつつも、刃を両手で挟み、いとも簡単に攻撃を止めて見せた。
「見事な白刃取りね」
避けるか、もしくは意に介さず攻撃を受けるか。そのどちらかを予想していた私は、予想外の光景に笑みをこぼしてしまう。
『なかなか、面白いサプライズしてくれるじゃねぇか。お嬢様よぉ……!』
「だって、この程度のことに対応できなきゃ、私のボディーガードとして役に立たないでしょう?」
『悪魔より悪魔みてぇなことしやがる……。──おらっ』
「まあ」
硬い物が折れるような音がしたと思えば、鉄の刃が音をたてて床に落下する。
正直な話、少し驚いた。だってまさか、鉄製の剣が目の前で、いとも容易く折られるだなんて。
きっと、予想していても驚いてしまうでしょう。
だけど、驚いたのはそれだけじゃなくて。その後彼がしたことも、私が驚いた原因の一つ。
なんと、キリィが騎士の兜を鷲掴みにしただけで、鎧がバラバラと崩れてしまったのだ。
まあ、騎士の動力源である魔力が絶たれたら、活動できなくなってしまうのは知っているのだけれど。
ゴーレムなんかの、人工の兵士は大体同じ。砂になったり灰になったり、まるで糸の切れた操り人形のように、動かなくなる。
つまり驚いたのは、鎧がバラバラになったことじゃなくて、『触れただけで魔力を奪った』ということ。
「──そんなことできるのね。小細工みたいなことはできないタイプだと思っていたわ」
『むしろ、悪魔ってのは小細工してなんぼじゃないか。なあ、お嬢ちゃん』
「気安く頭に触れるものではないわ」
『アバババババ!?』
撫でようとしたのかわからないけれど、キリィは私の頭に手を伸ばして触れようとしてきた。
なので、軽く電気を流して触れさせないようにする。
その気じゃなかったにしても、魔力を奪うことができる相手に簡単に触れさせる気には到底なれない。
──まあ単純に、親しくない相手に頭を触られるのが嫌だというのもあるけれど。
『あ~……本当に酷い奴だ』
「急に触れようとするからよ」
『ゆっくりなら良いのガガガガガッ!?』
変な手つきで再接近するものだから、反射的に二度目の電流攻撃をしてしまう。
少しだけ、楽しくなってきたかもしれないわ。
「──さあ、おふざけはこのくらいで。先に進みましょうか」
『わかったわかった。あ~、いてぇ』
ぞんざいに扱ったところで、キリィは殺意どころか敵意すら向けてこない。私に、射殺すような視線を向けたりはしない。
歩きながら、私は彼について考える。
彼は悪魔で、悪魔とは言うまでもなく悪しき存在。少なくとも、善良な存在ではない。……と、思っていたのだけれど。
私が読んだ本から得た知識の中では、悪魔はもっと恐ろしいものだったのに。キリィを見ていると、認識が覆されてしまいそう。
アニメやマンガなんかでは、優しい悪魔も出てきたりはするけれど。なんだか、実際に目にするととても変な感じ。
反抗してほしいわけじゃあないのだけど。されないならされないで、緊張感が緩んでしまう。
それとも、これは作戦なのかしら。私の油断を誘うための。
考えれば考えるほどわからない。深みにはまってしまう気がする。まるで、沼に足を踏み入れているみたい。
「あなた、よくわからないわ……」
『あ? 会って三日も経たずにわかるわけないだろ。なんだいきなり』
「あなたは悪魔なのよね」
『そうだな』
「悪魔って、いったい何なのかしら」
『悪魔とは何か、だあ? そんなの簡単だ』
簡単だと言われてしまうと、目を丸くしてしまう。
自分自身のことだから簡単に答えが出てしまうのかしら。
そんなことを思っていると、彼の口から、印象深い言葉が吐き出される。
『烙印を押された者。それが悪魔の正体だ』
烙印を押された者……。
それが、彼の中での、悪魔の定義……。
烙印とは、そのままの意味? 罪人が悪魔の正体ということなのかしら。
『悪魔ってのは、そうあれかしと望まれた者。悪だから悪魔なのではなく、悪魔にされてしまったから悪魔となる。押しつけ。決めつけ。冤罪。そういった、人間の想いによって悪魔は生み出される。人を裁くよりも、得体の知れない悪魔を裁くって方が、気持ちも楽になるだろう。ああ、聖書とかに出てくるような悪魔はどうか知らないぞ。あくまで、俺の知る悪魔はって話だ』
とても不思議な話。
つまり、彼の言うとおりなのであれば、この世のものはなんだって悪魔になってしまう。その可能性があるのではないかしら。
例えば、恐ろしく奇怪な見た目の植物。狂暴で病気を感染させる動物。血も涙も無い犯罪者。
……いえ、そうではないのかしら。悪魔と決めつけられてしまえば、全く罪の無いものだとしても悪魔になってしまうとしたら。
もしかして、条件さえ整えば、私自身も悪魔となってしまう可能性がある……?
「──恐ろしい話ね」
『恐ろしいのは、悪魔にされることよりも、それを良しとする人間の方さ。人間は簡単に天使になることはできないが、容易に悪魔へ身を落とす。人間と悪魔は、意外と似通っている存在なのかもな。紙一重で人であるだけで、何かを間違えば人は悪魔になる』
「あなたは、結構お喋りなのね」
『無口だなんて言った覚えはないぜ』
「お喋りなのは、自分がそうだったから、ということかしら……?」
失礼なことかもしれない。傷つけることかもしれない。だけど、私は問いかける。
それほどに、興味を引かれていたから。私は聞いてしまう。
キリィは、一瞬黙ってしまったけれど。すぐに笑顔になった。私達と何も変わらない、人間らしい笑顔で。呟く。
『そうだよ。俺は元々人間だ。驚いたか』
「ええ、とても。凄く驚いているわ」
『そうは見えねぇがな』
「そういう顔なのよ」
私は足を止めて、彼の顔を見上げる。
そこにあるのは、悪魔の顔。それなのに、もはやそうは見えない。
元々人間だった。そう言われただけで、そう見えてしまっている。
これは真実なのかしら。それとも、同情や油断を誘う手段の一つかしら。
隙を見せてはいけないというのに。今の私には、どちらか判断するほどの決断力はない。
「ごめんなさい。あなたに聞きたいことができたわ。始めたばかりだけれど、今日はもう部屋に戻って良いかしら」
『構わないぜ。でも、何か近づいてきてるな』
「ええ、そのようね」
水滴が水溜まりに落ちる音すら聞こえそうな廊下。
当然、靴の音だって気をつけなければ響いてしまう。
暗闇の先には明かりは見えない。きっと、曲がり角の先から近づいてきているんでしょう。
それと、靴の音以外にも小さな音が二つほど。荒い息づかいのような、そんな音が僅かに聞こえる。
『おいおい。お前の屋敷は化け物でも飼ってるのか?』
「それは違うと思うけれど。キリィ。私の体を隠すことはできるかしら」
『できるが。何をするつもりだ?』
「誰と何が巡回しているのか、把握しておいた方が良いでしょう」
『なるほどね。じゃあ、少し失礼するぜお嬢ちゃん』
「……? ……!?」
キリィは背後に回ると腕を伸ばし、私を包み込むような体勢になった。
予想外の行動に、思わず私は動揺してしまう。
鼓動を感じるほど強く、心臓が一度だけ大きく跳ねた。
「い、いったい何を」
『大丈夫。お嬢ちゃんに手を出す趣味は無いよ。俺は紳士なんだ』
「…………」
胸に手を当てて、深呼吸をして心を落ち着かせる。
そう。何も慌てたりする必要はないわ。何も問題はない。抱き締められてるわけでもないのに、動揺しすぎ。この程度、大したことはない。
『耳赤いぞ。恥ずかしいのか?』
「……うるさいわね。ちゃんと隠れられているの?」
『やけに大人びてると思っていたが。なかなか可愛らしい顔もできるじゃねぇの。お嬢ちゃん』
「怒るわよ」
振り返り、睨み付ける。
けれど、全然気にしている素振りはない。
なんだか、凄く悔しく感じてしまう。でも、今はそれどころではない。
足音が近づき、曲がり角が明るくなり始めた。
「来たわね」
『おっ。凜ちゃんだっけか。……足元にいるのは、何だ……?』
「……犬ね」
『いや違うだろ……』
囁き声で会話しながら、凜さんの足元にいるものを注視する。
犬と私は言った。だって、形的にそう見えるから。でも、あくまで形だけ。
半透明で、内蔵や眼球等の器官は存在しない。変わりに何か……細胞の核のような赤いものが、体の中をゆっくりと動き回っている。
柔らかいのか、歩く度に振動が伝わってプルプルと震えていて……。なんというか。
『気持ち悪くねぇか。あれ……』
「私も初めて見たけれど、あれは……」
『というか、凜ちゃん昼間と違って、凄くキリッとした顔してるな。名前の通り凜とした感じがする』
「漢字に詳しいのね」
『まあ、多少は。──おっと、もっとこっちに寄りな』
──引き寄せられた。
ええ、まあ。犬のような何かが、近づいてきたのだもの。そうするわよね。バレたら大変だから、当たり前。
顔に出してはいけないわ。またからかわれるのは嫌だから。絶対に。
『また耳が赤くなってるぞ。結構ウブなんだな』
…………。
恥ずかしさと悔しさで涙が出そうだわ……。
「あれ。ケトル、ポット。どうかしたの?」
『……センス』
「言わないであげて」
「ん。気のせいなのね。それじゃ、行きましょ」
鼻……があるのかはわからないけれど、凜さんの使い魔は私達の居場所を怪しんだのか、匂いを嗅ぐような動作をする。
だけど、探知することはできなかったのか、すぐに離れて凜さんと共に暗闇へ消えていった。
『夜間に侵入者が入ったとして、あれを見たら失神するだろうな』
凜さんには悪いけど、反論することは全くできなかった。