No.4
基本的に自由な私にも、日々の日課というものがある。
例えば、ピアノやヴァイオリンの習い事。例えば、学校で一般人が習うような、数学などの学問。
そして、魔術師である私は、当然魔術の勉強もしている。
今これから行うのは、日課の一つの戦闘訓練。
相手は土を素材に作られた数体のゴーレム。そして、今朝のご飯を用意してくれた、老齢で渋いおじ様執事のロドウィン。
確か、お歳は六十を越えていたはず。だけれど、ロドウィンは信じられないほどキレの良い動きをする。
今なんて、私の繰り出す蹴りを簡単にさばいて──。
「お嬢様。少し単調ですな」
「きゃっ!」
回し蹴りをした私の足は掴まれ、そのまま遠心力を利用して投げられてしまう。思わず悲鳴が口から漏れてしまった。
私は空中で回転し体勢を整えると、両手を床について更に後方へと跳ぶ。すると、私の本来の着地点を狙っていたゴーレムの姿が目に入った。
ロドウィンと戦闘訓練をすると、『視野を広く持つのです』、と良く言われてしまう。意識してはいるけれど、意外と難しい。
「お嬢様。やはり、ドレスで戦うのはよろしくないのでは?」
「ん~。やっぱり、汚してしまうかしら。洗うのが大変にならないように、気をつけてはいるのだけれど」
「いえ。それは気になさらず。修繕も洗濯も、使用人に全て任せていただければ。私が言いたいのは、動きづらいのではないか、ということで」
「でも、いつどんな格好の時でも戦えるにこしたことはないじゃない?」
「ですが、あまりにもお嬢様の戦闘スタイルに合っていないかと……」
そうかしら。と考えてみる。
私の扱う魔術の多くは風の属性と、そこから派生した雷の力を持つ。これは、遺伝の影響と、お父様に魔術を教わっていることが原因。
私は、この二つの属性の魔術を用いて、機動力の強化をしている。風の魔術で身軽になって舞い、雷の魔術で電光石火の速さで地を蹴る。
私は魔術師だけれど、近接戦闘も嫌いじゃないから、距離を詰めて体術で戦うことも多い。
ちなみに、美鈴さんに相手をしてもらった時にこのスタイルで戦ったら、『野蛮ですアイリ様! ああ、もう、美しい!』とよく分からない反応をされた。
「──まあ、確かにスカート部分が邪魔になるかもしれないけれど。でも、風に舞う私は優雅じゃないかしら」
「否定はしませんが、実用的ではありませんな。それに、殿方にスカートの中を覗かれるなどあっては大変ですよ」
「……でも、世の中にはドレスを来てワルツを躍りながら戦う少女がいるわ」
「……今度は何を見たのですかな。お嬢様」
世の中にはと言ったのに、二次元の相手を指したことを見抜かれてしまった。
とても不思議。なぜわかったのでしょう。
「とりあえず、今日はこのまま続けるわ。ここまで戦っておきながら着替えに戻るなんて、できないものっ!」
床を蹴る私の足元で、バチバチと電気が音をたてた。見えていた風景が急速に変わる。
最初は目が追い付かずに気持ち悪くなってしまっていたけれど、今ではもうそんなことはない。
私が辿り着くのは、ゴーレムの背後。そこから跳躍した私は風を受け、回転しながらゴーレムの頭上に一気に舞い上がる。
放つのは渾身のかかと落とし。魔術師の基本である身体強化が施された私の足は、容易にゴーレムを動かぬ土塊に変えた。
「お嬢様を見ていると、あなたのお母様を思い出しますな。あの方も、豪快な戦い方をする」
「それで、壁や床がボロボロになるのね」
残る一体のゴーレムを砕きながら、私は周囲に視線を向ける。
そこにあるのは、修復された跡が残った壁と床。どちらも大きな破壊の痕跡が残っている。
屋敷の中で訓練場だけボロボロなのが気になっていたけれど、どうやらお母様のせいらしい。
「油断は禁物ですお嬢様」
「っ!?」
死角から姿を現したロドウィンの拳を、私はかわせずに直撃させてしまう。
体に衝撃が走り、浮いた体が床を転がっていく。
しばらくして停止はしたが、受けたダメージは小さいものではなかった。
「う、うぅ……けほっ……うぐっ……!」
「今日はここまでにしましょう。ゴーレムは全て倒されていますからね。立てますかお嬢様」
「え、ええ。大丈夫、よ……」
差し出される手を取った私は、痛みに耐えながら立ち上がり彼の顔を見上げる。
訓練の時間は四分程度。動き続けていたわけではないとはいえ、彼は汗一つかいてはいない。
サイボーグか何かなんじゃないかしら……。と、そんなことを考えてしまう。
「お嬢様。私は老人ですが、訓練中にあまり気を緩めますと痛い目に遭いますぞ」
「そうね……。気をつけるわ」
「それではお嬢様。後でその衣服を、洗濯のために回収しに行きますので」
「わかったわ。──そうだ。せっかく美味しい朝食を作ってくれたのに、寝坊してごめんなさいね」
「いえ。お気になさらず」
立ち止まり、謝罪をする。お父様に言われた通り、しっかりと。
多分、本人が言うとおり全く気にしていないのだろうけれど。過ちを認め、反省することが大事なのだと、お父様にはそう言われている。
訓練場を後にした私は、自室へと真っ直ぐ戻り、シャワーを浴びてから汚れてしまった服を着替える。
戦闘時や魔術使用中の高揚感も好きだけれど、お風呂に入った後のリラックスした感じも、私はとても好き。
一つ困ってしまうのは、リラックスしすぎて眠くなり、ベッドに直行してしまいたくなること。フカフカなベッドと眠気が私を誘惑する。
『お前あれだな。ゴリラみたいな戦い方だな』
不快な笑い声が私の眠気を吹き飛ばした。
「あなたもさっきのゴーレムのようになりたいのかしら?」
『おいおい。俺はサンドバッグじゃないぜ? 見ろよこのハンサム』
「私だってゴリラじゃないわよ」
ドライヤーのスイッチを入れて、濡れた髪を乾かし始める。痛めたりしないように、丁寧に。
「実際のところ、あなたは役に立つのかしらね」
『お?』
「あなた、お父様に簡単に見破られたじゃない? 力不足なんじゃないかしら」
『そんなわけないだろ。って言いたいところだが、まあ、試さなければわからないわな』
確かにそれはそうなのだけれど。
召喚して名前で縛っただけの昨夜の自分を恨みたくなってくる。なぜ、試運転をしなかったのだろう。彼を呼んだのが無駄骨と考えると、ため息が出てしまいそう。
『というか、具体的に何させる気なんだよ。お前の父親と戦うとかじゃねぇよな』
「あら、怖いの?」
『違うね。怖いんじゃないさ。大人っていうのはな、不要で無益で無意味な戦いはしないもんなのさ』
どう聞いても言い訳にしか聞こえないことを言うので、私は少し疑問に思ってしまう。
「悪魔も、死んでしまったりするの?」
『死ぬことはあるだろうな。だが、俺は死なない』
「どうして?」
『ハンサムだから』
「アホらしいわ」
不毛な問答をしてしまった。何だかとても疲れてしまう。精神的に。
「アイリお嬢様! お洋服を回収しに来ましたよ!」
『ん、初めて聞く声だな』
私はドライヤーのスイッチを切って乾かすのを中断すると、脱いでいたドレスを腕に抱える。
「姿は消しなさいよ、一応」
『へいへい』
忘れないで指示をしておく。きっと指示をしなくても隠れるのだろうけれど。念のため。
少し早足で入り口に向かい扉を開ける。すると、少しだけ高い位置にある元気な笑顔が私を出迎えた。
この屋敷で働くメイドの一人。凜さん。よく笑うので愛嬌があるとか、子犬みたいだとか、メイドの中で人気の人物らしい。
「あなたが取りに来たのね。はい、これがドレスよ」
「あ、もしかして髪を乾かしてる最中でしたか?」
大したことじゃないのに、凄くオロオロした様子でそう問いかけてくる。
あまりにも大袈裟に気にするものだから、私は思わず笑ってしまった。
「気にしないで良いのよ凜さん。確かに乾かしてる最中だったけれど、その程度で怒ったりしないわよ」
「そ、そうですか……。あ、なんなら私が乾かしましょうか?」
表情がコロコロ変わるうえに、凄くキラキラした瞳をしている。
失礼なのはわかっているのに、何だか吹き出してしまいそう。
「え、えっと。そうね、それじゃあ」
頼もうかしら。そう言おうとした時、頭に声が響く。『なかなか可愛いじゃねぇか』、と。
瞬時に考えが変わった。彼女を部屋に入れてはいけない。悪魔の視線から守るべきだ、と。
「嬉しいけれど、自分で乾かすわ。洗濯してもらっているのだし、そちらだけで大丈夫よ」
「そうですか……。それじゃあ、私はこれで!」
手を振り、扉を閉めて部屋の中に戻る。
すると、少し不満そうなキリーマンの姿が目に入った。
『そんな警戒しなくても良いじゃねぇか。俺は犯罪者か何かか?』
「あなたは悪魔でしょう……」
『おう。そうだな。警戒するか。ハッハッハッ!』
悪魔なんて呼び出すべきじゃなかったかも……。
笑う彼を見ていた私の口から、大きなため息がこぼれた。