No.2
私の住む家。若月家の屋敷の周辺には、多くの樹木が存在している。
だから、朝になるとスズメとかの小鳥たちが集まって、なかなか賑やかな声を響かせてくれる。例え、窓を閉めきっていたとしても。
──目蓋が重いわ……。外から聞こえてくる小鳥の声に耳を傾けながら、もぞもぞと体を動かした。
私は、寝起きが良いタイプではない。寒い日なんかは、よく二度寝をしてしまう。二度寝をしなかったとしても、数分程度はボーッとしたまま。
そういった感じで、パッと起きれたことはあまりない。……のだけれど。
今日は、何度かあった例外。その内の一日となってしまいそう。
その理由は、寝苦しさ。原因は、何かが私の体に乗っかっているから。
私は、閉じていた瞳を開けて、原因をつくっているモノに声をかけるために口を開いた。
「……苦しいわ。美鈴さん」
間違っても、『重い』、だなんて言わない。相手は女性。寝起きで意識が覚醒しきっていなくても、配慮は忘れないようにする。
だって、幼子でもなければ大抵重く感じるとはいえ、『重い』だなんて言われたら私だって少しショックだもの。
「ん~……何をしているのかしら。美鈴さん?」
徐々に目が覚めて意識がハッキリするにつれて、頭の中のクエスチョンマークが大きくなるので私はそう問いかけた。
「おはようございます。アイリ様。今日も相変わらず、可愛らしいお顔でございますね」
「何をしているのか聞いたのよ」
「ああ、そうですね。──私は、朝食の時間になってもアイリ様が姿を見せないので、起こしに参ったのです」
「それで?」
「もう屋敷を出ていってしまわれたのでは。そんな不安が、私の歩みを速めました。ですが、その不安もすぐに払拭されたのです! 扉を開け、ベッドに視線を向ければ、そこにはアイリ様の麗しい寝顔があったのですから!」
美鈴さんは上半身を起こし、被さっていた布団を後方に吹き飛ばす。そして、身振りを加えながら力説し始める。
興奮しているのか息も荒くなってきているように見える。……なんだか、よくわからないけれど……。
「それから、あなたはどうしたの?」
「もちろん、起こそうとしました。ですが、名前を呼んでも、体を揺すっても、起きませんでした。唇に触れそうなほどに顔を近づけてもです」
「何で顔を近づけ」
「よって、少し間を開けようと判断しました。ですのでっ!」
遮るように美鈴さんが声を張り上げる。
そして、
「こうっ!」
と言って私の胸元に顔を埋めてきた。
更にそれだけでなく、音が聞こえてきた。スーッという静かな音。
行動の意味を理解した私の体が硬直した。
「アイリ様に合うことができる喜びを噛み締めながら、匂いを頂戴していました次第です」
キラキラして見えるほどのとても良い笑顔で、凄く恥ずかしい内容の報告をされてしまった。
顔が熱くなっている。もしかしたら、赤く染まってしまっているのかも。
でも、自然な反応だと思う。同性であるとはいえ、流石にこのような変態的行為をされたら、羞恥を感じずにはいられない……! お仕置きが必要だわ……!
私は、ため息をこぼすと、ゆっくりと体を起こした。美鈴さんとは向き合う形になる。
「……とりあえず、お礼と謝罪を。起こしに来てくれてありがとう、美鈴さん。すぐに目を覚ませずに、手間をかけさせてごめんなさいね」
「いえ。謝罪なんて不要です。仕事であるからだけでなく、私がしたいから行っている行為ですから」
「そう。それじゃあ、ご褒美をあげましょう」
「ご褒美……?」
「ご褒美よ」
私は、そう呟いて両手を伸ばした。そして、優しく彼女の頬を包むように添える。
キョトンとした表情が目に写る。だけど、少し期待しているようにも見えるかも。
私は、笑みを浮かべた。イメージとしては、悪意の欠片も窺えないような、そんな笑顔。
それから、私は顔を少し近づけて……。
おもいっきり頬をつねってやった。
「いっ……!?」
驚いたのだと思う。
私は別に、力が強いわけではない。だから、力を込めてつねったところで、大した痛みは感じられないでしょう。
それでも、美鈴さんは声をあげてビクリと体を震わせた。とても良い気味。上手くやれたのが嬉しくて、ちょっと悪い笑みがこぼれてしまいそう。
「ご褒美なんて嘘。匂いを嗅ぐだなんて、そんな恥ずかしいことする人にはお仕置きをしてあげるわ」
「ありがとうございます。アイリ様……!」
「ええ。どういたしまし……えっ……?」
反射的に返事をしようとして、違和感を覚えた。なぜ、お礼を言われるのか、と。
そして、理由を思い浮かべてみた。少し顔がひきつっているかもしれない。
「あなた、もしかして……」
「それでは、アイリ様。私は他にも用事がありますのでこの辺で。準備ができましたら食堂へ来てくださいね」
「あ、えっと。わかったわ」
「失礼します」
興奮していた際とはまるで別人のような喋りをする美鈴さんは、そう言ってさっさと立ち上がると部屋から出ていった。
美鈴さん。若月家の屋敷で、メイド長をしている女性の方。複数いるメイドの中では、彼女は仕事のできる憧れの存在として捉えられているようで。
確かに、普段の彼女を見ていると、憧れてしまう気持ちもわからないでもない。美鈴さんは優しく、適度に厳しく、仕事はできるけれど、だからって偉そうにしたりもしていない。
理想的な上司のモデルの一つ。そう言って差し支えないとさえ思う。
私に対する愛情表現が多少変態的であることを除けば……。
「──そういえば、アイリ様」
「あら? 何か言い忘れ?」
美鈴さんが、扉から覗く形で再び姿を見せる。その目からは、真剣さが窺えた。
「この部屋に最近、私とアイリ様以外の誰か……もしくは、『何か』が、入ったりしていないでしょうか?」
「いいえ。心当たりは無いわ。どうしたの、いきなり?」
「いえ。……私の勘違いでした。それでは、失礼しました」
睨み付けるような瞳で部屋全体を見回してから、美鈴さんは外の廊下へと戻っていった。
私は、ホッと一息ついてから、昨夜知った名前を呟く。
「出てきなさい、キリーマン。近くにいるんでしょう?」
『もちろんだぜ~』
窓の隙間から黒いモヤが入り込み、たちまち人形へと変形していく。
現れ出たのは男性の悪魔。昨夜私が呼び出した、人に忌み嫌われる存在。
「外で寝ていたの?」
『いくらなんでも、お嬢ちゃんと一緒に寝てもつまらないからな。ま、望むなら添い寝くらいしてやるぜ?』
「結構よ。──それにしても、少しドキッとしたわ」
『俺にか? それとも、さっきの姉ちゃんにハートを撃ち抜かれたか?』
拳銃のジェスチャーで指先を向けてくるキリーマンを睨み付ける。すると彼は、『冗談』と呟き、両手を広げ首を横に振る仕草を見せた。なんだか、外国の方っぽい。
『ま、確かに驚いたな。察知されないように俺なりの工夫はしてたんだが』
「あからさまに動揺したりはしなかったけれど、警戒を解けたかは微妙ね。まあ、バレたところで困るのは私ではないわ」
『おい……』
何か言いたげな声に聞こえたけれど、私は気にせずにベッドから降りて立ち上がる。
そして、両手を組んで天井に向けて体を伸ばした。眠気は完全にどこかへと消えている。
『で、どうするんだ。この後』
「どうするって……。顔を洗ったら着替えて、朝食を食べに行くけれど」
『窓から出たら簡単に抜け出せるんじゃねぇのか? ここは二階だが、まあ俺が抱えれば降りれるだろう』
「無理よ。明るいうちに私がそんなことしたら、すぐにバレるもの」
『へえ。そうかい。──にしても、さっきの姉ちゃんは美人だったな~! スタイルもかなり良かったし!』
ニヤニヤとした笑みを浮かべて嬉しそうに話す彼を見て、思わず呆れてため息が出る。
「あなたは女好きの悪魔なのね」
『違うな。美人な女性が好きなのさ!』
「それにとてもお喋りだわ。前の悪魔はあなたほど口を開かなかったし」
『むしろ話さない悪魔がいると思うか?』
そう聞かれると、否定はできないわね、と私は思う。
人を騙して魂を奪うという悪魔の話は記憶にあるけれど、無口な悪魔というのはあまり覚えがない。
まあ、私が知らないだけかもしれないけれど。だから、否定はせず、肯定もしない。
「──とりあえず、着替えるわ。悪いけれど、また外に出ていてくれないかしら」
『手伝おうか?』
「腕から先がいらないというのなら、そうしても良いわよ」
『そりゃ困る。腕がなければ美人も抱き締められん』
そう言ってヘラヘラと笑うと、キリーマンはモヤとなって姿を消した。
「なんなのかしら。あの悪魔……」
彼と話していると、不思議な気持ちになる。
私が話しているのは、いったい何なのか。彼は本当に悪魔なのか。そんなことを思ってしまうほどに、彼の態度は軽くて緩い。
元々そういう性格なのか、あるいは……。