行く末
これからの会社は・・。
月曜日の十時から全体会議があった。すべての部の課長以上が参加するものだ。
最初は社長の就任の挨拶だったのだが、それはとても簡単なものだった。
「この度、社長に就任しました瀬崎豊と申します。私は兄とは違って経営の専門家ではありません。なので皆様方にどんどん意見を出して頂いて、動いていただこうと思っています。私はその調整役として仕事をしてまいります。それもありまして今週から一人三十分ずつで毎日十人の方と面談をして行きたいと思っています。
その時に出して頂いた意見や希望などを今後の全体会議での議題として挙げていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。」
他の人たちはこのような朝の朝礼の業務連絡のような挨拶を予想していなかったらしく、社長が座った後でもまだなにか話があるのではないかと思って、司会者も次の議事録に進めないでいた。社長が「次の項目に移ってください。」と言って、ハッとして議事を進行したような具合だった。
各部からの報告が出た後で、社長が「私の所も社長部署と言えるので。」と言って、この一週間していた仕事の報告をした。
「取引先の把握をしていましたが、それぞれの取引先から新たな仕事を獲得するために動ける部分があるのではないかというものが見つかりました。これは素人考えの提案ですので、仕事として進めて行けるものかどうかを各部署で検討して、次の全体会議で報告して頂きたいと思っています。」
社長に言われて用意した資料を、各部の部長に配った。
「それから、会社の職場環境の充実を図りたいと思っています。食は健康や活力の元ともいいますので、最初に注文弁当について検討していきたいと考えています。ですので社員全員の面談が終わる二か月後に総務部長・課長にお時間を頂きたいです。」
こんな感じで内外への最初の方針を示した形になった。
面談も五つの部署から毎日二名ずつ出してもらって一般社員から先に面談していき、役職者は三十分の個人面談とその人の部下の人たちのブリーフィングを三十分行う。といった形で進めていった。
最後に人事部長と実際に動いている沢木課長を呼んで、社員の部署移動についてミーティングをした。
その結果、秘書課は無くなって各部の事務方として組み込まれることになり、私の肩書もアシスタントに変わった。そして空いた秘書課の部屋に専務部屋を作って、社長の補助業務をしてもらうことになった。
そのために部長を全員専務にあげて、実働できる人を部長に据えた。つまり幹部の体制を一新したのだ。
「私が素人ですから皆さんに専務になって助けていただきたいんです。上川専務お一人ではフォローが大変ですから・・・。」
と上手いことを言ってこの大移動計画を勧めたのだが、独りでは動かない部長クラスの人間を社長が上手く動かして使う方便のようなものだった。
そして私が何気なく提案した海棠工業への切り込みが、ホテルマウンテンの血縁を辿り実を結びかけている。二か月でこれだけの成果が出たら、たいしたものだと言われた。この仕事を提案した私と営業部の担当者が冬のボーナス時に、新しく設立した社長賞の最初の栄誉を受けることになっている。私としても驚いたが、営業担当者の一つ年上の先輩にも感謝された。入社後間もない若い社員がこういった公に認められるという機会に恵まれることはなかなかないのだ。
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「社長もわずか二か月で、えらく派手に社内改革をしたわね。」
久しぶりに吉野先輩とランチをしていると、珍しく会社の話になった。
「そうですね。最初は地味な感じで始まったんですけど、こんなに大きく変わるとは思っていませんでした。吉野先輩も総務課長ですもんね。」
吉野先輩は、主任から一気に課長になったのだ。部下への教育力と指導力を買われたのだろう。今、中谷さんも吉野先輩の下で働いている。
「そうね。まさかこんなことになるとは思ってもみなかったわ。女はなかなか役職に就けないからね。」
「うちの社長は教育者出身だからあんまり男とか女とか思っていないみたい。『適材適所だよ。』と言ってました。」
私がそう言うと、吉野先輩は急にニヤニヤと詮索するような笑い顔になる。
「それでどうなのよ。二人がつき合っているという噂があるんだけど・・・。」
「・・・この前、専務部の大月係長に見られた件ですね。」
吉野先輩と同期の大月静香さんに、先日の日曜日に高速のサービスエリアでばったり会ったのだ。
「静香が、もう夫婦の雰囲気だったって言ってたわよ。」
「毎日一緒にいるからじゃないかしら。付き合ってはいませんよ。あの日は、全快された前社長夫婦の家に二人で会いに行ったんです。半分は仕事みたいなものですよ。」
私がそう言うと、吉野先輩は露骨にがっかりした顔をした。
「なぁーんだ。期待したのにー。」
どんな期待ですかっ。
前社長、瀬崎守さんはお医者さんにもどうしてだかわからないと言われたそうだが奇跡的に病気が治ったのだ。それにも関わらず、社長に復帰することはなかった。弟がちゃんと会社を経営できていたから安心したのかもしれないが、生死の境をさまよったことで人生観が変わったことが大きい理由だと仰っていた。以前社長秘書をされていた神崎瞳さんは、お兄さんの守さんと結婚されて社長の義姉になった。その瞳さんの変わりようが私には信じられなかった。仕事の事しか頭になさそうな人だったのに、結婚後に住まわれている県北の家に行ってみると、農家の奥さんの格好で、縫物のパッチワークや畑仕事などを自然にされていて「誰?・・この人。」と思ってしまった。けれどいつか会社で見た綺麗な笑顔は健在だった。
日曜日の県北からの帰り道に「いつか僕も兄貴みたいに、毎日釣り三昧で暮らしたいな。ねぇ、小原さん。」と言われたが・・・別に何の意味もあろうはずがない。
「そうですね。」と私が相槌を打ったのにも、何の意味もない。
そして、土・日に社長がよくうちに遊びに来るのもとりたてておかしなことはないのだろう。
色づき始めた銀杏並木を見ながら、今日も会社への道を辿る。
今年の秋は、どんな秋になるんだろう。
私は空気の澄んだ高い空を見上げて、大きく深呼吸をした。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。