困惑の週末
やっと休みになりました。
忙しい一週間の疲れが出たのか、土曜日の朝はなかなか起きることが出来なかった。お昼近くまでベッドでゴロゴロして、昼ご飯もパジャマのまま食べていたら、お母さんに怒られた。
「いい加減にしなさいっ。だらしがない。服を着かえて買い物に行って来て頂戴。今夜、真奈美たちが来るって言うから外で炭火焼をしようと思ってるの。いつもの焼き肉セットを買ってきて。海斗と紗季のジュースやお菓子も忘れないでね。」
その上、車を出して買い物をしてくるように命令されてしまった。
嫁に行った姉がたまに孫の顔を見せるために帰って来るのだが、今夜来るとは・・・。お母さんは孫の顔が見えれば嬉しいのだろうが、私は二人の守りをするのが大変だ。幼稚園に行きはじめたばかりの四歳の海斗は「おばちゃん、はしろうっ!」と追いかけっこをするのが大好きだし、二歳の紗季は家にいる間中座敷に置いてあるブランコに乗りたがる。ずっと背中を押してやらなければならないのだ。姉は三人目がお腹にいるので、実家に帰るとこれ幸いと何もしないで寝てばかりいる。だから私と両親が手分けして子ども達の守りと食事の支度をしなければならない。なんでこんなに暑いのに炭火焼の予定なんて立てたんだろう。
私はぶつぶつ言いながらもジーパンに着替えて、車で十分ほどの所にあるスーパーのマルヨシに行った。
お父さんとお義兄さんのビールも買い込んだので、大きな袋を両手で四つも持って車に向かっていたら、一番上に乗せていた子ども用の小さいお菓子の袋が落ちてしまった。
「落ちましたよ。」
後ろから来た男の人がその袋を拾ってくれた。
「あっ、すみませんっ。」
と返事をして振り返ったら、なんと社長が菓子袋を持って立っていた。
「なんだ、小原さんじゃないか。大荷物だね。」
「すみません。受け取れないので、そこの袋の隙間に入れてもらえますか?」
「はいはい。」
社長は菓子袋を一つの袋に突っ込むと、「持つよ。」と言って私の片手が空くように袋を二つ持ってくれた。手が触れてドギマギしたが、社長が平気な顔をしているので私も何も言わずにお言葉に甘えた。
「車はどこに止めてるの?」
「あっ、あそこのピンクの軽四です。」
「なんだ。僕の車の隣じゃないか。」
「えっ?あの外車が社長の車だったんですか?」
隣りに高級な外車があったので、バックして止める時に緊張したのだ。
「違うよ。反対の軽四。」
えっ?あのボロい車が?!サビが浮き出ているような車だったので、外車を避けてそっちの方に車を寄せて止めたのだ。それがまさか社長の車とは・・・。
社長は私の車の後ろに持ってくれていた袋を入れて、自分の車の中をチラリと見た。
「たくさん買い込んだようだけど、お客さんでも来るの?」
「ええ、夜に姉の家族が来るみたいなんです。うちの母は張り切っちゃってこの暑いのに炭火焼をするなんて言うんですよ。」
「そうか。それなら丁度いいから魚を貰ってくれないかな。今日は調子が良くて釣れすぎちゃったんだ。」
「そうなんですか。余ってるならいただきます。うちの父は魚が好きなので。」
「じゃあ君の車の後をついて家まで行くよ。クーラーボックスに入ってるからそのほうが鮮度を保てるだろ?」
「・・はぁ。社長はお時間の方はいいんですか?お家の方で魚を待ってらっしゃるんじゃ・・・。」
「今は独り暮らしだから、その心配はいらないよ。」
結局、社長は私の後について車を走らせている。バックミラーで後ろの車を確認しながら、信号を通り抜ける。・・・社長といってもお金がないのかしら。前は何の仕事をしていたんだろう。私がそう考えたくなるほど、古い車だった。
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家に着いてお母さんに事情を言って社長を紹介すると、お母さんは嬉々として社長にも炭火焼を食べていくように勧めた。
「どうせ家に帰ってもどなたもいらっしゃらないんでしょう。食べていってくださいな。うちにもたくさん買い込んでますし、こんなにお魚も頂いたんですもの食べる物は充分にありますからっ。」
うちのお母さんの押しの強さに否を唱えられるものはなかなかいない。というわけで、社長は我が家の台所に立って鮮やかな手つきで魚をさばいている。
「さばくのがお上手ですねぇ。板前さんをされてたんですか?」
「いえ。高校の教員です。釣りが趣味なもので、魚の料理の仕方を覚えざるを得なかったんですよ。」
「ほう。これだけの腕前だ。だいぶ本格的にされてるんですな。私も釣りをするんですが、川なんですよ。海と川では道具が違うでしょう。」
うちのお母さんとお父さんが社長を囲んで話をしながら夕食の準備をしている。私は庭に炭火焼のコンロやテーブルお皿などを用意しながら不思議な気持ちになっていた。
私は一週間近く社長と一緒に朝から夜遅くまで仕事をしていたのに、社長が高校の先生をしていたことさえ知らなかった。それになんか社長が我が家に馴染んでしまっているのが変な感じだ。知り合ったばかりの人と協力して食事の準備をするなんて・・・めったにない経験だ。
「社長、刺し身以外にも何か作るんですか?」
「カワハギの味噌汁を作ってるから汁椀も出してくれる?」
「はーい。畑でネギを取って来ましょうか。」
「うん。カワハギは臭いから多めにね。」
「了解です。」
お父さんが刺し身のツマにする大根と無くなりかけていたワサビを買いに行くし、お母さんは客用布団の準備をしているので、終盤は私と社長で夕食の準備をした。
準備が出来た頃にお姉ちゃん家族がやって来た。お姉ちゃんは社長がいることに驚いていたが、中学校の先生をしているお義兄さんは、すぐに社長と意気投合して刺し身をつまみながら教育談義を始めた。
「ちょっと、あんた社長とつき合ってるの?」
お姉ちゃんに隅に引っ張って行かれて聞かれたが、そんなことあるわけがないでしょう。私が今日の経緯を説明すると、「お母さん・・・なるほどね。」と納得してくれた。
「ねえー、さわおばちゃーん。はしろーよー。おいかけっこしよう!」
「海斗、先にご飯食べよ。」
「だって、じいじがまだかえってこないじゃん。」
そんなことを言ってると、お父さんも帰って来た。お守り要員が増えたので孫の守りは両親に任せて、私とお姉ちゃんで肉や鳥串の炭火焼を焼いていった。
「おばちゃーん、これもやいてー。」
海斗が畑から採ってきたトウモロコシの皮をむいで、網にのせてくる。そうか、出来立てのトウモロコシを孫に食べさせたかったから炭火焼をすることにしたのね。
「ぼくもー。」
「紗季、わたしでしょ!わ・た・しっ。」
「・・わたしもー。」
紗季はなんでもお兄ちゃんの真似をする。このところ自分のことを「ぼく」というので困っているのだ。可愛いくりくりの目をした女の子が「ぼく」というのもありなのかもしれないが、幼稚園にあがったときに困るからと今のところ皆で矯正している最中だ。
次々と肉が焼きあがって来ると、今度は社長とお義兄さんが焼くのを変わってくれた。
「こういう炭火で焼くんだったら、獲れた小魚もリリースしないで持ってきとけばよかったな。」
社長がそう言うと、皆がすかさず反応した。
「魚を串に刺して炭で焼くと旨いでしょうなぁ。」
「今度はぜひそれもやりましょうよっ。」
今度?・・・お義兄さんったらぁ。なんだか皆でわいわい盛り上がってる。
そんな中、お母さんがまた余計なことを言った。
「あら、社長さん飲まれてないじゃないですかっ!佐和子っ、ビールを持ってきなさいっ。」
「いや、僕は車ですから・・。」
「大丈夫ですよ。うちの佐和子は飲めませんから、後で送らせますっ。」
お母さんがそう言った結果が、この状態だ。
客用布団に酔いつぶれた二人の男たちを見下ろして、姉と私は困っていた。
「これはこのままにして、そっちの布団を隣の部屋へ運んでくれる?」
「わかった。お姉ちゃんは布団は持ったら駄目だよ。そこの荷物だけ運んでね。」
「はいはい。しかし意気投合したもんだね、この二人。」
「先生同士だから似てるんじゃないの?」
「教員は飲むのが好きな人が多いからねー。」
両親も男二人も寝てしまったが、海斗と紗季は元気いっぱいだ。おもちゃで遊んでいる二人を見ながら、お姉ちゃんと私はお茶を飲みながらいろいろと話をしていた。
「もうあんた、社長とつき合ったら?なんだかずっと前からここにいたみたいに馴染んでるじゃない。」
「それとこれとは違うでしょう。昨日も同僚に夜遅くまで仕事をしてるんじゃなくてイチャイチャしてるじゃない?って言われて頭に来たのよ。だからつき合うなんて、それだけは絶対ないっ。」
「ふぅーん。職場を変わると大変ね。前の職場の方が良かったんじゃない?早く帰れたし・・。」
「でも遅いのは先週だけって言ってた。今週からは定時に帰れると思うよ。」
「そっか。そうだと助かるな。お腹の子が出てきたら、佐和子にまた海斗たちの守りを頼みたいし・・。」
「はいはい。お母さんと一緒に、またお守りに行かせて頂きますっ。・・お義兄さん、育休取れなかったんだって?」
「そうなのよー。去年から頼んでたのに、校長が何の手配もしてくれてなくてさ。女の校長なんだよっ。信じられる?!学年主任の先生が気の毒がってくれてさ、係を減らしてくれたりしたの。それで何とか海斗の幼稚園の送り迎えだけはパパに頼めることになった。」
「もっと近くに住んでたら良かったのに。車で一時間半もかかったら手伝いに行くのも大変だよ。」
「それよー。子育てがこんなに大変だとは思ってなかった。これを知ってたらもう少し実家の近くに土地を買ったんだけど・・・。」
そうか。私も結婚するんだったらそういうことも考えなくちゃなぁ。結婚は恋のエピローグじゃなくて、こういう共同生活の始まりなんだもんねぇ。頭の中にフッと社長の顔が浮かんだが、いやっないないと否定したのだった。
炭火焼・・・美味しそう。