中傷の受け止め方
夏バテですね。
怒涛の一週間がやっと今日で終わる。
最後の一日を乗り切るために、駅前にあるコンビニに寄って栄養ドリンクと何か甘いものを仕入れて行くことにした。夜になっても気温の下がらない連日の暑さと、帰りが毎晩十時台になる残業で身体のほうも限界を感じている。明日の土曜日がこんなに待ち遠しかったことはない。
栄養ドリンクをカゴに入れてスイーツの棚を物色している時のことだった。
「二人して遅くまで本当は何をしてるんだかわからないでしょう。社長も素人なら秘書の方もど素人なんだから。残業代だけもらってイチャイチャしてるんじゃないですか?」
「自分が秘書に選ばれなかったらといって、そこまで言うのは言いすぎでしょう。二人とも新人は新人なりに頑張ってるんだから・・。」
・・・私たちの事を言っているらしい声が聞こえて来た。この声は秘書課の中谷さんと大月さん?
そんな風に思われてたんだ・・・。あんなに頑張って仕事をしてたのに。ゆっくりとお茶を飲む間もなく、家に帰っても布団に潜り込むのが精一杯で、そんなにしてまで働いていたのに周りからはこんな評価を下されるの?・・なんかへこむ。身体が疲れているので言い返す気力もない。
しかしコソコソ隠れるのも嫌なので、意地でもゆっくりとスイーツを選んで堂々とレジに並んだ。
中谷さんは隣のレジから私の姿が見えたみたいで、私にさっき話していた悪口を聞かれたかもしれないと気まずそうな顔をしていたが、素知らぬ顔で「おはようございます。」と挨拶をしてやった。
しばらくは虚勢を張って歩き続けていたが、会社に近付くにつれだんだんと足取りも重くなっていった。
もうやだぁー。何であんなことを言われてまで頑張らなくちゃいけないのよぅー。
行きたくないな・・・会社。
「佐和ちゃん、おはようっ!なにトボトボ歩いてんのよっ。若者らしくないぞっ。」
背中をバンッと叩かれたかと思ったら、吉野さんだった。
「吉野先輩ぃー。」
「どうしたのよ。社長にいじめられてるの?」
私は懐かしい吉野先輩の顔を見て、気が緩んで涙がポロリとこぼれてしまった。
「これは重症だね。昼ご飯の時に話を聞いてあげるから、午前中は気力を振り絞って頑張りなさい。十二時半にいつもの店にいるから。ねっ、わかった?」
「・・・うん。」
午前中、私の元気がないのがわかったのか社長がチラチラとこちらを伺っていたが、何か言われたら感情が決壊しそうだったので、無視をして最低限のやるべきことを片付けた。
「社長、今日は所用がありますので昼食は外で済ませてきます。」
昼休憩の時も、うむを言わさずそう言い放つと、カバンを抱えてさっさと外に出た。
私と吉野先輩がよく行っていたお店は、大通りから二本東へ入ったところにある野菜中心の定食を出してくれる小さな店だ。ここまで来ると会社の人にも会わないので、のんびりと昼の一時を過ごして、気分をリフレッシュすることが出来ていた。しばらくここに来なかったことも気の滅入る原因になっていたのかもしれない。
カランというベルの音をさせてドアをくぐると、奥のテーブルを見る。そこにはもう吉野先輩が来ていて、優雅にレース編みをしていた。休憩時間によくあんな細かい作業ができるものだ。先輩に言わせると気分転換に最適なんだそうだ。
「先輩、お待たせしました。」
「お疲れ様。日替わりを頼んどいたわよ。」
「ありがとうございます。」
「それで、今朝はどうしたのよ。」
私は吉野先輩に今朝の中谷さんと大月さんの会話を話して、こんな風に思われてまで仕事を続けたくないと訴えた。吉野先輩は黙って相槌だけ打って聞いてくれてたが、最後の私の弱音には同意してくれなかった。
「佐和ちゃんが疲れてた時にそんな悪意のあることを言われてへこんでるのはわかる。でもね、そんなことで自分が振り回されてたらこの先何にも出来ないわよ。こういう時は物事を客観的に見るの。まずは、そういうセリフを言った人間の状況よ。中谷さんは秘書になるための勉強をして資格もいっぱい取ってた。だからあなた達の同期の中で一人だけ秘書課に行ったでしょう?」
「・・・ええ。」
「それが新社長がやって来て一番に言ったのが、『お飾りの秘書はいらない。素直な性格で呑み込みの早い新しい仕事に抵抗感のない人間をよこせ。』だったのよ。中谷さんは能力はあるんだけど、それを鼻にかけてプライドが高くて人の言う事を素直に聞かないの。つまり上司からすると使い勝手の悪い部下なわけ。だから高本課長が困って人事の沢木課長に相談したの。誰か動かせないかってね。素直な性格と言っても、大きな仕事を抱えている人間は急に動かせないでしょ。だから私が佐和ちゃんを取られるハメになったのよ。」
「そうだっんですか・・・。」
「そうよー。でも、中谷さんの立場になってごらんなさい。自分が社長秘書に選ばれると思っていたのになんの秘書資格も持っていないあなたが選ばれて、その上バリバリ仕事をしている。脅威でしょ?自分のアイデンティティーを否定された感じがしたでしょうね。そんな不安が形を変えて攻撃的な中傷になったんじゃないのかしら。それに静香は中谷さんの教育係をしてたから、佐和ちゃんが私に話を聞いてもらいたいのと同じで、先輩にグチりたくなったんじゃないかな。・・・コンビニなんていう公共の場で大きな声で喋るのは社会人としてどうかと思うけどね。」
吉野先輩に、噛んで含めるように状況を説明されると、今朝の出来事が何の他愛のない小さな出来事のように思えて来た。
「ありがとうございます。・・なんか私、気分が浮上してきました。」
「そう、よかった。私は佐和ちゃんに期待してるのよ。こんなことで躓かないで。それに自分が尊敬する人に否定されたらへこむでしょうけど、どうでもいい人間に言われたことなんか気にしなきゃいいのよ。どうせ相手はそれだけの人間なんだから。」
吉野先輩はそう言ってニッと笑った。
吉野先輩・・・好き。かっこいい。私、先輩みたいな素敵な人になりたい。
やっと笑えるようなって食べた野菜定食は美味しかった。特にかぼちゃのそぼろ餡かけが絶品だった。ふんわりと優しい味が、疲れた心を癒してくれた。
いい先輩がいて良かったね。