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ホウ酸団子

作者: 三崎無我

物心つくまでは自分の風体に違和感を覚えず、

気づいた時には、ゴキブリだった。


この世に来る直前、神さまに、


「俺は今度は何に生まれ変わるんですか。

俺もやる事やっちまったから、

そりゃ、また人間に生まれ変われるなんて思ってはいません。

犬ですか。

猫ですか。」


そうたずねたら、


「聞かんほうがいいと思うよ。

大変だろうけど、ま、がんばって。

これが君の前世の報いなんだから。

 生前、反省すりゃ、少しは違ったろうが、

君の場合、まったく無反省だったからねえ。

 ま、苦しくてもがんばって生き抜けば、

今度はもう少し、いい生き物に生まれ変われるから。」


なんて言うものだから、もしや、とは思ったけど、

そのもしやが当たったと来たもんだ。


前世の行状を考えりゃ、ゴキってのも仕方ないが、

この前世の記憶が残っちゃってるってのは、どうなってるの?


もしかしたら、これも報いなのだろうか。

前世の記憶を残したまま、醜い姿に生まれ変わり、己のその姿に悶絶する。

地獄だぜ、こりゃ。


まだ子供、いや、幼虫で、ヨチヨチ歩いてた時は、何にも感じなかったんだよ。

食う事しか頭の中に無かったからね。


でも、成虫になってから、前世の記憶がよみがえって来た。

人間だった頃の記憶がね。


人間だった頃、俺はゴキブリ大嫌いだったのよ。

足音を聞くだけで硬直し、羽音を聞くだけで身を伏せた。


気づけば、自分がそのゴキブリのお仲間になっていた。

言葉すら交わすことは無いが、何となく、情を通わせる関係だったのよ。


少しずつ、人間の頃の記憶が戻るにつれ、

少しずつ、仲間への嫌悪感がつのって来る。

やがて、自分自身の存在も耐え難くなる。


記憶がハッキリしたある日、思い切って、洗面台の前まで飛んで行った。

あったよ。鏡の中に。

化け物になった己の姿が。


真っ先に思ったよ。

今すぐに命を断とうと。


だが、神さまがさっきの言葉の後に加えた、

もう一つの事を思い出した。


「言っておくけど、シンドイからって、もし、自殺したら、

もっとヤバイものに生まれ変わるよ。」


もっとヤバイ?

ゴキブリよりヤバイものなんて何だ?


ともかく、今でも充分、最悪なのに、

これ以上、変なものに生まれたら、たまったもんじゃねえ。


しょうがねえ。

ゴキブリの寿命なんて、たかが知れてるだろう。

仲間とも関わらず、じっと耐えしのんでりゃあ、そのうち、お迎えが来る。


かと言って、断食するわけには行かない。

断食じゃあ、自殺と一緒だ。

メシは食い続けないとならない。


だが、ゴキブリの食ってるものなんて。

人間の食いちらかしたものならばまだいい。

人のフケとか、アカとか。

そんなものまで、今まで平然と食って来ちまったんだよ。

それ思った瞬間に、いっきに吐き気が沸いて来た。

今まで食ったものどころか、てめえの体まで吐いちまいたい気分だった。


とりあえず、床に落ちてるものでも、できるだけ、清潔そうなものを見つけ、

それを少しばかり、口に入れて生き延びる事にした。


そんなわけで、今日もこうしてエサ探しさ。

ガサガサガサと、てめえでも身震いする音を立てながら、

部屋の隅を這いずり回る。


壁をよじ登る事もできるが、それはできるだけやりたくない。

自分がゴキブリである事を必要以上に痛感してしまうからだ。


後ろからメスが一匹近づいて来た。

生物の本能だ。


相手には申しわけ無いが、俺は御免だから、物陰に隠れて、何とか逃げた。


しかし、腹が減った。

選り好みしているから、めったに喰うものが無い。


よろよろと歩いていると、前方約1メートルのところに、

目の前に自分の体くらいの、大きな白い物体を発見した。


こりゃ、団子だんごじゃねえのか?


近づいて行くと、

頭の上から一匹の仲間がバタバタと、羽をならして近づいて来た。


「おい、まてまて、そりゃ、食いもんじゃない。

ゴキブリ退治用のホウ酸団子だ。

手作りのホウ酸団子だから、本物と見分けつかねえだろう。」


奇妙だな。

ゴキなのに、口が利けるのか?


「俺たちは前世で極悪人。だから、こうして記憶を持ったまま生まれて来た。

 こういう境遇同士は、どうやら、テレパシーで交信できるみたいだぜ。」


と、そいつは笑った、ような気がした。

実際、笑っているかどうかは、ゴキブリには表情が無いのでわからない。


そいつは、ピタリと俺の目の前に着地し、


「ところで、お前、前世で何やからした?」


と、聞いて来た。


「俺は戦闘機乗りだ。戦争で爆撃隊に加わり、数百人の命を奪った。」


「ハ〜ン、なるほど。」


戦争で人を殺すのも殺人だって事を、

死んであの世に行って、はじめて理解した。


爆撃ってのは人だけじゃない。

そこらへんにいる罪無き生き物、みんな殺しちまうって事なんだ。


「そういうお前は何をやったんだ?」


「俺はね、人を三人ばかり、ブスッとやった。通り魔さ。はっはっは。」


「あぶねえ野郎だねえ。」


と俺は顔をしかめた。

と言っても、生まれつきそうだが。


「あぶねえって言うけど、たった三人だぜ。

俺があぶねえなら、おまえはどうなのよ。」


「だけど、俺は国のためにやった事だ。おまえは自分のための人殺しじゃないか。」


「そういう考え方をしてるから、結局、おまえも俺と同じ境遇になったんだよ。」


確かにそうだ。

こういう考え方に、どこか勘違いがあるに違いないのだ。


「ところでお前、毎日、エサばかり探して退屈じゃないかい。

 あそこに、この家の奥さんが昼寝してるだろう?

ちょっといたずらしてやろうじゃないか。」


そう言うと、そいつはバタバタと嫌な羽音をたてながら飛んで行った。


この家には、30歳くらいの奥さんがいる。

昼飯後、赤ん坊を寝かしつけた後、自分も2〜3時間はごろ寝をするのが習慣だ。


今日は、少し蒸し暑い。

女は横向きになり、頬に汗をかいていたが、仲間はその頬に、ピタリと張り付いた。


「ハハハ、見てろ。」


そう言うと、やつは女の顔をペチャペチャと舐めて歩いた。


「やめとけよ。良い行いをすれば良いところに生まれ変わり、

悪い行いをすれば、悪いところに生まれ変わるって、おまえも天上で習ったろ。

 そんな事やってると、来世はゴキブリ以下に生まれ変わるぜ。」


「ダニかい?ノミかい?そんなもの、ゴキブリと大差ねえじゃねえか。

 まともに頑張って、努力したって、次、また人間に生まれ変われるまで、

何回、生まれ変わらなきゃならないと思う?

 だいたい、人間ってもんだって、ロクなもんじゃねえだろう。

 だったら、好き勝手にやらしてもらうさ。」


そいつは調子に乗り、目から鼻から口まで、すみずまで舐めて回った。


すると、女は無意識に手を伸ばして顔を払った。


ヤツは、「おっとっとっと」と言いながら、ポトリと床に落ちた。


それと同時に、女はウ〜ンとうなりながら仰向けになった。


グシャリ。


せっかく、意志疎通ができた仲間が、こうしてあっけなく死んだ。

ゴキブリの命など、はかないものだ。


今度は少しは、まともな生き物に生まれ変われよ。

ナンマンダブ。ナンマンダブ。

合掌のつもりで、ゴシゴシと前足をこすりつけていると、後ろに何かが動く気配がした。


振り返ると、そこには巨大な赤ん坊がいた。

俺から見ると、であるが。


四つんばいで這ってるものだから、俺は日頃から、こいつに共感して来た。


この赤ん坊が今、目指しているのは、どうやら、あの団子らしい。


やばいぜ、ありゃ、ホウ酸団子だぜ。


食ったら死んじまうよ。


おい、赤ちゃん。


待て、よせよ。


こっちの懸命なる念も届かず、赤ん坊はぬっと手を伸ばし、

ついにはホウ酸団子を手にして口に入れようとした。


ちくちょう。

こうするしかねえ。


スクランブル発進!


俺は戦闘機の如き素早さで飛行し、赤ん坊の面玉の上にはり付いた。


驚いた赤ん坊は、ホウ酸団子を手放した。


作戦成功。


そこまでは良かったのだが、赤ん坊は突如、猛然と顔面をふり、

この俺を落とそうと試みた。


やべえ、やべえ、そんなに激しく頭ふられたら、俺が墜落しちまう。

死ぬのは嫌じゃねえが、グシャリと体から体液を流して死ぬのはゴメンだ。


懸命に赤ん坊の顔にしがみついていると、とうとう、赤ん坊が泣き出した。


すると、さっきまで昼寝していた女が気づき、起き上がってやって来た。


女よ。お前が悪いんだぜ。

手作りのホウ酸団子なんか置いておくから。


そう思っていると、女は容赦なく、ピリャリと手で俺を赤ん坊の顔から払い落とした。


俺は勢い良く、床に激突し、ひっくり返って、苦痛にもがいた。


女は台所まで飛んで行って、手に何かの物体を持って帰って来た。


物体には「マミーレモン」と書いてある。

食器を洗う、中性洗剤だ。


これ、ゴキブリにかけたら効くんだよな。

かけられた奴は、みな、もがき苦しんで絶命している。


こりゃ、逃げたほうがいいな。


そう思うが、ひっくり返った体が、なかなか元に戻らない。


ヨイショ。ヨイショ。


もがいても、もがいても、体が船のように、前後左右に揺れるだけだ。


昔、人間の頃、よく、虫をひっくり返して遊んでいたっけ。

その虫の気持ちが、今、よくわかる。


なんて事を思ってると、

全身の上からビチャビチャと大量の洗剤をあびせられた。


大丈夫、息をしなければ。


だが、この女は容赦なく、洗剤をドボドボとかけるものだから、

とうとう、俺はガマンができず、吸い込んでしまった。


次の瞬間、一気にめまいが襲い、呼吸ができなくなった。


グ、グ、グ・・・

これが断末魔の苦しみってやつか。


だが、この最後の苦しみに耐え抜けば、俺はゴキブリとしての「行」を終える。


あとちょっとだ。

あとちょっと。


すると、すーっと苦痛が抜けて行き、

眠りに落ちるような、ふわっとした心地になった。


いよいよ、お迎えが来たようだな。


今度生まれ変わる時は、もう少し、マシな生き物がいいな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは世界一恐ろしいホラーだと思う。Gって…だめだろ。 呼んでいると背中がゾワットゾワゾワっと。 [気になる点] Gを主人公にするという暴挙はだめだろ? [一言] 気持ちの悪いものほど読み…
[一言] 戦闘機パイロットがゴキブリになるなんて面白いアイディアです。 戦闘機マニアとしては複雑な気分ですが。。。はは
2009/06/08 17:18 猫田にゃん太郎
[一言] なんか見つけたので読んでみた 面白かった^^
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