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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第1章
8/55

告白(2)

 一瞬、柊が何を言ったのかが分からなかった。


 殺人遺伝子。

 決して耳慣れない言葉ではないし、むしろ法律家の卵である楡は、それについて考える機会が過去に幾度いくどもあった。

 しかし、それがここまで間近なものとして、生々しいものとして楡に迫ってきたのは初めてだった。それは自分に一切関係のないものだからこそ、語りえて、かつ、存在を肯定こうていできるものである。

 

 柊の告白は、楡の思考を完全に停止させた。



「今まで黙っててごめんね。楡、今までありがとう。私、もう楡の家を出るね」

「待って」


 考えるよりも先に言葉が出てきた。

 柊の「楡の家を出る」という選択は合理的で、他方で,楡の「待って」と引き止める選択は不合理だということに、少し考えれば気付けるはずだったにもかかわらずである。

 



 殺人遺伝子とは、17番目の染色体に存在する遺伝子である。

 

 2040年、日本の遺伝子工学の権威けんいである甲本恒寿こうもとつねとし教授が、とある地方刑務所の長期収容者を対象としたDNA検査によって、この遺伝子の存在を発見した。

 殺人、放火、強盗、強姦、という凶悪犯罪をした者について、17番目の染色体に共通するDNA配列が見られたである。

 このDNA配列を甲本教授は「殺人遺伝子」と名付けた。

 無論、かような凶悪犯罪者の全てが殺人遺伝子を持っていたわけではない。さらに,前科前歴ぜんかぜんれきのない者の中にも殺人遺伝子を持っている人がいる可能性は十分にある、と甲本教授は断っている。それでも,甲本教授の発表は,学界のみならず,メディアを通じて大衆にも大きな衝撃を与えた。

 

 翌年の日本全国の刑務所収容者に対象を広げたDNA検査は、甲本教授の仮説を客観的に裏付けるものとなった。

 凶悪犯罪者の2割、死刑判決を受けた者の3割が殺人遺伝子を有していることが、巨大統計によって明らかにされたのである。

 他方、国民全体の殺人遺伝子を有している者の比率は、わずか0.04パーセントであるとされていた。

 


 甲本教授の調査・研究を受け、内閣は「現代の魔女狩り」ともいえるような恐ろしい法案を国会に提出した。


 「殺人遺伝子の拡大防止及び撲滅に向けた殺人遺伝子保有者の処遇に関する法律」、通称「殺人遺伝子撲滅法」。


 端的たんてきに言えば、殺人遺伝子保有者を、国が合法的に殺害することを定めた法律である。


 この法律の施行に合わせて、独立行政法人である「殺人遺伝子対策委員会」が組織され,その組織が所轄しょかつとなり、国民全員に対して強制的に遺伝子検査が実施されることとされた。

 もしもある人に殺人遺伝子が発見されれば、その人は専用の留置施設へと移送され、安楽死させられる。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺ホロコースト彷彿ほうふつとさせるようなことが,日本で行われることになったのだ。

 


 当然、法案は国会の内外で空前の議論を巻き起こした。

 憲法学者は、殺人遺伝子撲滅法は憲法14条の差別禁止条項ないしは憲法13条の幸福追求権に著しく反している,とメディアで発言し、国会前では大規模なデモが連日行われた。

 ついには本案を提出した内閣の支持率は一桁台まで低下し、法案否決は必至な流れのように思われた。



 しかし、ある事件がムードを一転させた。


 婦女連続暴行殺人事件-通称「宗方むなかた事件」。

 

 事件名に宗方麒麟むなかたきりんという犯人の本名が付されたのは、その事件を特定する要素が犯人の同一性以外になかったからである。

 この事件によって命を落とした被害者は総勢235名。

 被害者の年齢層は6歳の少女から57歳の初老の女性まで幅広い。それだけではなく,運悪く事件を目撃してしまった男性までも被害者に含まれている。

 婦女暴行、殺人が行われた場所も、四国と沖縄を除いた全ての都道府県と広く、殺人の手段も刺殺、絞殺こうさつ、毒殺と様々だった。若い女性が一切の性的暴行を受けないままに殺害されたケースもあった。

 この事件による最初の被害者とされる女子大生の江畠美沙えばたみさが殺されたのは2039年。宗方が逮捕されたのは2042年だから,3年間に渡り犠牲者が生まれ続けていたことになる。


 法案審議の山場やまば、当時の法務省長官の記者レクでの発言がこの国の天地をひっくり返した。



「宗方麒麟から殺人遺伝子が検出された」

 

 この瞬間から、殺人遺伝子を巡る議論の焦点は完全にすり替わった。


 第二の宗方麒麟を放置してよいのかどうか、に。



 宗方麒麟によって暴行された上、死体をゴミ捨て場に捨てられた12歳の少女の遺族は、メディアを通じて、涙ながらに国民に訴えた。



「どうか、娘の命を無駄にしないで欲しい」


 果てにはこの遺族は国会にも呼ばれ、娘の遺影を掲げながら証言した。

 

 仮にこの決定打がなかったとしても、国会議員の判断、そして、世論の支持はもう固まっていたと思う。

 国会前のデモ参加者の人数は急減し、メディアで啖呵たんかを切っていた人権派の論客も「収容した殺人遺伝子保有者を安楽死させるのは良くない。せめて永年収容にすべきだ」と法案の修正を求めるのみとなっていた。



 このような経緯で、2042年10月、「殺人遺伝子撲滅法」は制定された。




 柊が楡の元から去ろうとしている理由、それは殺人遺伝子撲滅法のとある罰則規定に関連している。


 殺人遺伝子撲滅法198条。

「その者が殺人遺伝子保有者であることを知りながら、その者を蔵匿ぞうとくした者は4年以上の懲役とする」。



 柊の告白によって、楡は柊が殺人遺伝子保有者であることを知ってしまった。

 その上で柊を自宅で蔵匿、つまり、かくまうことは、この条文によって刑罰の対象になる。

 日本の刑法上、執行猶予を付すことができるのは懲役が3年以下の場合に限られるため、この罪を犯したものは即実刑となる。


 柊は楡を巻き込みたくないのである。

 

 楡を自分のための犠牲にしたくないのである。


 予約投稿5日目です。

 この話が投稿される頃には、僕は沖縄から帰宅しているはずなので、明日からは予約投稿ではなく、リアルタイム投稿します。目安としては、10時頃、いや、9時から11時の間くらい、いや、7時から14時の間くらい……ちょっと時間は特定できませんが(苦笑)、とにかく最低でも1日1話は投稿します。

 今回の地の文が多くて、読者の方には申し訳ない気分でいっぱいです。

 地の文が長く続くと退屈ですよね?

 少なくとも僕はそう思っているので、前作からなるべく地の文を減らして、会話文を増やすように気を付けています。

 具体的な対策方法としては……そうですね。主人公に独り言を言わせるようにしています(笑)

 なので、本作でも楡が独り言を呟くようなことがあれば、「あ、菱川が必死で地の文を減らそうとしてるな」と察して下さい(笑)


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