宿命(4)
「有菜ママの身代わり……」
心無い声で澄花が繰り返す。
澄花がその言葉の意味をどこまで呑み込めているかは分からない。できることならば、澄花をどこか別の場所に連れて行って、これから先の有菜ママの告白を聞かせないようにしたい。
「澄花、そうよ。柊の遺伝子検査以降に私も柊も生き延びるためには、どう考えてももう一人分のDNAが必要だった。だってそうでしょ。何も策を打たなければ、柊の遺伝子検査によって柊のDNAが検出される。そうなれば、柊のDNAは私のDNAとして戸籍に登録されているものと重複してるから、殺対は12年前の遺伝子すり替えに気付き、私への再検査を行うことになる。仮に柊のDNA検査のときに柊のDNAとして私のDNAを提出すれば、12年前のDNAすり替えはバレず、私の命は助かるけど、代わりに柊が殺人遺伝子保有者として捕まってしまう。そんな本末転倒なことは絶対にできない。でも、もう一人の孤児がすり替えに加われば、状況は大きく変わる」
澄花はまるで演技かのように大袈裟に震えていた。
拳銃を突きつけられた瞬間でさえ、澄花はこんなには取り乱していなかった。少女は、命を奪われることよりも怖い「人格の否定」に怯えているのだ。
「遺伝子検査のときに、柊に私のDNAを提出してもらう。その上で、柊が提出した私のDNAと新しい孤児のDNAを入れ替える。そうすれば、柊のDNAとして新しい孤児のDNAが、新しい孤児のDNAとして私のDNAが検出されることになる。遺伝子版戸籍には矛盾が生じず、なおかつ、殺人遺伝子を新しい孤児に押し付けることができる。私も柊も生き延びることができる」
澄花の心をナイフで刻むように、有菜ママは残酷な真相を重ねていく。
「『新しい孤児』として、澄花は適格者だった。澄花は当時14歳で、柊と同い年だった。同い年だから、柊の戸籍に澄花を、澄花の戸籍に柊を当てはめてもあまり不自然じゃない。それから、柊同様、澄花は学校に通っていなかった。社会にコミュニティーを持たないもの同士だったら、2人を入れ替えても誰かに気付かれる可能性は低い。ちなみに、私が柊を学校に通わせなかったのは、柊を育てられる16、7年間の限られた期間を目一杯味わいたかったから」
ペットショップの犬猫と同じで年を取った孤児には需要がない、と澄花は話していた。14歳で身寄りを失った澄花に同情し、引き取ってくれた有菜ママは、澄花にとって感謝してもしきれないような有難い存在であったに違いない。
しかし、澄花が選ばれたのには別の動機があった。澄花は愛をもって孤児院に迎え入れられたわけではなかったのだ。
「しかも、澄花は純粋な子だったから、思い通りにしやすかった。柊に『私は宗方麒麟の娘なの』と嘘を吐かせたら、本気でそれを信じて同情した。柊を救うため、と銘打った遺伝子検査時の一計にも澄花は積極的に協力する姿勢を見せてくれた。自分がハメられているとも気付かずにね。澄花が柊にすごく懐いていたのは、作戦を進める上での好材料だった」
澄花はまるで魂が抜けたかのように無表情のまま、侮辱の雨に晒されていた。
人形のように見開かれたままの両目からは、二筋の線が流れている。
「柊と澄花の遺伝子検査の日、無事、DNAの入れ替えは成功した。12年前と同じように、柊の袖の中に遺伝子採取用の棒を仕込んでおいたの。12年前に手に入れたものを大事に保管しておいて良かったわ。そして、今度は棒の先端には私の口腔内細胞を付着させておいた。柊はなかなかの役者さんだった。そうよね?澄花?」
「私、柊が棒をすり替えたことに全然気付かなかった……。柊が『痛い』っていって検査官が持ってた棒を掴んだときにも、柊が演技をしていただなんて全然気づかなかった。本当に痛がってるんだと思った」
「うふふ。何度もリハーサルしたのよ。この柊の名演技によって、柊の遺伝子として私の遺伝子を提出することに成功した。あとは提出した私の遺伝子と澄花の遺伝子を入れ替えれば作戦完了。そのために私は、柊と澄花そのものを入れ替えることにしたの。澄花を柊として殺対に認識させる。その上で澄花を殺す。そうすれば、私と柊にはついに永遠の平穏が訪れる」
「……私ってさ、有菜ママにとってさ、……一体何なの?」
たどたどしい言葉が、澄花の震える唇から発せられる。
闇に消え入る前の線香花火のように弱々しい澄花の様子を、楡は見ていられなかった。
「澄花には本当に感謝してるのよ。引き取ったのが澄花で良かった、って心から思ってる。だって、私の柊の作戦は、検査結果が出たときに、澄花が柊のフリをして家を飛び出してくれるかどうかに全てが懸かってたから。私に柊と呼ばれ、柊から柊の荷物を渡された澄花が、『私、柊じゃない』って正直に言っちゃったら、その時点で作戦失敗でしょ。でも、澄花は違った。空気を読んで、柊を庇って家を飛び出してくれた。駅のホームでの飛び降りを拒否したり、市川で私が雇った人たちから逃げたりしたことは残念だったけど、それでも十分合格点だわ」
「……違う。そうじゃない。……有菜ママは、私のこと愛してないの?」
あまりにも場違いで、そして無謀な質問だった。
案の定、一瞬の間を空けたのち、有菜ママは容赦無く切り捨てた。
「愛してるわけないじゃない。澄花を引き取って以来、澄花のことを一度たりとも愛おしいだなんて思ったことはないわ。澄花、私の話をちゃんと理解しているの?澄花は私にとって単なる道具なの。便利さに感謝することはあっても、愛することなんてあるはずがないわ」
澄花の瞳から光が完全に消えた。
澄花にとってもっとも辛かったことは「人格の否定」ではなく、「愛情の否定」だったのだということに、楡はようやく気がつく。
黙り込んでしまった少女を引き継ぎ、楡が有菜ママに問う。
「有菜さん、どうして佐渡を殺したんですか?」
「佐渡は私を裏切ったからよ。佐渡は私と違って、道具にも愛情を持ってしまう馬鹿な男だった。『コルザ』という孤児院という形式をとって澄花を引き取ってから1年間くらい経つと、佐渡は、私に澄花を身代わりにする作戦を中止するように言ってきた。私に対して、十分生きたからもう諦めて大人しく死ね、と言ってきた。だから私は佐渡との関係を解消し、佐渡は市川へと引っ越すことになった。いざ私と澄花の遺伝子を入れ替えた後には、佐渡はもう文句を言わなくなったんだけど、殺人遺伝子保有者がフランスに国外逃亡することが可能になったとき、佐渡は、澄花を自由にし、代わりに私にフランスへ逃亡するようにしつこく勧めてきた。だから殺した」
実行犯が柊ではなく有菜ママだったことを除けば、楡が車の中で柊に対して披露した推理の通りだった。
澄花に罪をなすりつけるための佐渡との性交渉は、以前佐渡と交際していた有菜ママならば簡単に持ちかけることができたであろう。
有菜ママからは十分な情報を引き出せた。これ以上有菜ママから話を聞くことによって時間を引き延ばす必要はない。
というよりも、そもそも時間を稼ぐ必要がなくなった。
会話が途切れたことを合図として、有菜ママが澄花のこめかみに突きつけていた拳銃を握り直す。
「余興はもうおしまい。澄花、楡君にさよならを言いなさい」
「有菜さん、残念だけど、澄花がさよならを言わなきゃいけない相手は僕ではありません。有菜さんだ」
「楡君、何を言ってるの?自分たちの立場が分かってるの?」
「立場が分かってないのは有菜さんです。有菜さん、あなたはもうチェックメイトされているんです」
8万5000PVありがとうございます。なろうにおいて、場違いで、そして無謀な本作がこれほどまでに多くの方の目に触れることができて、とても感慨深いです。連載開始以降、毎日途切れることなくブックマークをいただけることについても大変ありがたく思っています。あと2話で完結する予定ですが、最後まで支えていただけると嬉しいです。
さて、突然ですが、本作のヒロイン3人(飯野澄花、横粂いちか、三浦葵)のキャラクターを作るときの作者の心の中を一部公開したいと思います。
★飯野澄花
うーん、孤児院から逃げてきたという設定との関係上、年齢をなるべく若くしたいなあ。とはいえ、青少年なんとか条例に引っかかると困るしな……よし、年齢は18歳(楡と出会った当時は17歳)にしよう!
18歳となると、内面は子供だよなあ、しかも義務教育は受けてないから頭は強くないだろうな……とはいえ、殺人遺伝子を持っているかどうか、殺人を犯したかどうかを疑わしくしなきゃいけないから、ミステリアスにしなきゃいけないよなあ……うーん。難しい……
★横粂いちか
とにかく元気な子にしたいなあ、となると、ショートカットで関西弁しかないな(単純)
「え、楡、どうしてフったの?」と思わせられるくらいの素敵なヒロインにしなきゃなあ。もはや、現実にはこんな子いないだろ!と思えるくらいにいい子にしたいなあ。あ、アラマロの下りを入れたいから、ケーキ好きにしなきゃ。ケーキ好きなボーイッシュな女の子って可愛くない?
★三浦葵
人妻ってエロいなあ……でも、エロ過ぎても困るから、婚約者がいるくらいにしておこう。
司法試験一発合格だからかなり賢いんだろうな……他方で勉強ばかりしてたからコミュニケーションは大して上手くないんだろうな……頭良すぎて素直になれなくて空回りしている感じを出したいなあ。あ、友達のAさんがそんな感じだ!彼女をモデルにしちゃおう!←
ちなみに、楡君モテモテじゃん!と思っている方がいるかもしれませんが、違います。
日本だと、いちかや葵みたいな勉強のできる女の子ってモテない傾向があるじゃないですか。そして、司法修習生は20代後半。彼女たちが結婚に焦っている時期と楡との出会いの時期が重なっていた、という裏設定が作者の中にあります。
決して「なろうだとハーレムものが人気出るから」とかいう邪な気持ちで作品を書いたわけではありません。決して違います。決して。




