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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第4章
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検査

 右折うせつ待ちの最中、鳴り続けるウィンカー音に対して楡は舌打ちをした。慣れない自動車運転はただでさえ楡にとってストレスなのに、東京に入った途端に巻き込まれた自然渋滞しぜんじゅうたいが楡の神経をさらに逆撫さかなでする。



「どこに行くの?」

 助手席の少女が質問する。

 同じ質問はすでに10回以上なされ、同じ数だけ黙殺もくさつされている。

 楡がすげない態度をとるたびに、少女の表情がどんどんかげっていく。

 

 助手席の少女-安原柊は、おそらくすでに死を覚悟している。彼女の関心事は、どのような方法で殺されるか、貞操ていそうを守れるのか、といった生死と比べてどうでもいい方向に移っているのかもしれない。



 澄花から遺伝子すり替えの事実を告白された瞬間から、楡は、柊を殺対に突き出すことを決めていた。

 それが澄花の意思に反していることは分かっている。

 殺人遺伝子を保有しているからといって柊が当然に死にあたいする存在ではないことも分かっている。

 しかし、そんなことは楡には関係がない。楡は澄花の意思を最大限に尊重したいわけでもなければ、殺人遺伝子保有者に対する人権侵害を食い止めたいわけでもない。

 愛する澄花を守りたい、それだけだ。

 そのための手段を選ぶつもりはない。鬼にだって修羅しゅらにだってなれる。





 木更津の孤児院「コルザ」の所在地は、インターネットで検索するとすぐに見つかった。

 澄花の言う通り、表札以外は普通の住宅となんら変わりのない建物だった。「コルザ」の前で正午から待ち伏せをしていたところ、15時頃になってショートカットの少女が門扉もんぴを開けた。

 黒のダウンジャケットに黒のパンツという地味な服装が似合う少女からは野暮やぼったい印象を受ける。少し前まで澄花の容姿が「安原柊」としてインプットされていた楡にとって、この少女が本物の安原柊であるという事実はすんなりと飲み込めなかった。



 周りを見渡し、人気ひとけがないことを確認すると、楡は柊に近づき、声を掛けた。



「君が飯野澄花だね?」


 澄花の話によれば、柊は今「飯野澄花」として生きている。


 少女の反応を待たずして、楡は柊のコートの襟元えりもとを引き寄せ、マフラーとショートヘアーの毛先との間にわずかに露出した首筋にナイフを突きつける。

 「コルザ」に向かう途中で100円均一ショップで買った果物ナイフにおそらく殺傷能力さっしょうのうりょくはない。それでも18歳の少女の反抗はんこう抑圧よくあつするには十分だった。

 息をんだまま石のように固まった少女に対して、楡は再び問い掛ける。



「君が飯野澄花だね?」

 柊が小さくうなずいたことを確認すると、楡は、ネットショッピングで購入した手錠てじょうを彼女のせた手首に掛けた。


 道路脇にめてあったレンタカーへいざなわれる最中、柊は暴れることも声をあげることもなかった。

 おびえた黒目が計画の心理的な障害しょうがいにならないよう、楡はなるべく柊の顔を見ないまま、車にキーを差し込んだ。





 夕日から放射状ほうしゃじょうに伸びていた輝きが収束しゅうそくし、代わりにビルかられる人口の明かりが眠らぬ街を照らすようになった頃、ようやく車が「千代田区」と書かれた標識の下を通った。



「ねえ、安原柊」


 助手席の少女が、電気ショックが走ったかのようにビクッと動く。

 車中で寡黙かもくを貫いていた楡から突然声を掛けられた驚きと、1年前に捨てたはずの「安原柊」という名前で呼ばれたことの驚きが同時におそいかかってきたのだろう。



「安原柊、一つだけ教えてくれないか?」

 

 柊は唇を小さく開閉かいへいしたものの、動作に声がともなうことはなかった。

 誘拐犯が自分の正体を知っていることに対する謎や疑問が、柊の頭の中をグルグル回り、目の前の必要な処理を阻害そがいしたのだろう。


 楡は続ける。



「君はどうして佐渡京貴を殺したんだ?」

 

 すれ違う車のヘッドライトによって一瞬だけ照らされた柊の表情は、楡をにらみつけているように見えた。



「君に答える気がないならば、代わりに僕の推理を聞いてくれ。殺対が『コルザ』に立ち入り検査に来たとき、君と有菜ママは結託けったくし、澄花に殺人遺伝子保有者の身分をなすりつけようとした」

「どうして知ってるんですか?」

 

 柊の中から反射的に出てきた言葉を楡は一蹴いっしゅうする。


「そんなことはどうでもいい。とにかく僕は知ってるんだ」



 さらに質問を重ねようとする柊をさえぎるようにして楡は続ける。



「澄花をめる計画に関わっていたのは、君と有菜ママだけではなかった。佐渡もグルだったんだ。そうだよね?」


 澄花に用意された逃走ルートの最終目的地は佐渡の家だった。

 有菜ママと柊は澄花が「柊として死ぬこと」を望んでいた。とすれば、佐渡もあらかじめ計画に巻き込んでおいた方が賢明である。

 澄花が駅のホームから飛び降りず、さらに佐渡の家の付近に張らせていた殺し屋からも逃げ、無事に佐渡の家に避難できた場合を考えてみて欲しい。

 仮に佐渡が計画の協力者でなければ、身着みきのまま家に駆け込んできた澄花に対し、一体何があったのかを聞き出すだろう。

 その結果、澄花に同情した佐渡が、有菜ママと柊の悪事あくじ告発こくはつするにいたる可能性が十分にある。

 有菜ママと柊が確実に計画を遂行すいこうするためには、佐渡にも息をかけておき、避難してきた澄花の殺害に協力する手筈てはずを取り付けておく必要があるのだ。



「そうです。京貴パパも協力者でした」

 楡の推測通り、柊は告白した。



「佐渡がどういう経緯で君らに協力したのかは分からない。君らに弱みを握られていたのかもしれないし、単純に君の命と澄花の命を比べた上で、君の命の方が大切だと思ったのかもしれない。ただ、フランスの遺伝子検査が禁止され、殺人遺伝子保有者の国外逃亡が可能になったとき、佐渡は計画を巻き戻そうとした」


 柊が異議いぎべないことを確認しつつ、楡は続ける。



「計画の巻き戻し、つまり、佐渡は、君と澄花のすり替えをなかったことにし、澄花を殺人遺伝子保有者としての地位から解放する一方で、君をフランスに逃亡させようとした」

 フランスへの国外逃亡という選択肢が加わったおかげで、澄花の命と柊の命はトレードオフの関係ではなくなった。澄花を犠牲ぎせいにせずとも柊を救える状況ができあがった。

 過去に父親代わりを務めていた佐渡は、程度の差があるかどうかはさておき、澄花も柊も両方愛しているはずである。2人を同時に救える選択肢があるならば、それに飛びつくはずだ。



「そこで、佐渡は君に連絡を取り、君にフランスへ逃げるように説得した。しかし、君はそれに応じなかった」


 沈黙を続ける柊に対して、楡の口調が自然と強くなっていく。



「君は日本から追い出され、見ず知らずの異国の地で生活することが嫌だったんだ。澄花を人柱ひとばしらにしている状況を放置してまで日本国内にとどまっていたい、と考えたんだ」

 柊は、自分が日本で生活し続けることの方が、澄花の命よりも大切だと判断したのだ。

 柊を唯一無二ゆいいつむにの親友と考えている澄花にとっては目をおおいたくなる現実である。

 澄花は命懸いのちがけで柊をかばっているというのに、柊は澄花の命を守るために居住の地を移すことすらしなかったのだ。



「君が佐渡の説得を拒絶すると、佐渡は半ばおどしのように君に迫るようになった。『フランスに逃げろ。さもなくば、殺対に全てをバラす』というようなことを言った。だから、君は佐渡を殺すことにした」


 柊が佐渡を殺害したのは、フランス革命成功のわずか4日後である。フランス革命が殺人に無関係だとは思えない。

 この推理が柊の佐渡殺しを合理的に説明できる最短ルートだった。とはいえ、周辺事情を線でつないだだけであり、支える証拠は一つもない。



「君は市川にある佐渡の家を訪問した。国外逃亡についてゆっくり話をしたい、とでも訪問目的を告げれば、佐渡は警戒することなく君を家に迎え入れるだろう。そして、佐渡の家の中に入ると、君は佐渡を誘惑した」


 血は繋がっていないとはいえ、佐渡は柊にとって父親代わりの存在である。佐渡が柊と簡単に寝るとは思えない。

 しかし、殺害現場には、柊と佐渡が性交渉に及んだ痕跡こんせきがハッキリと残されていたのだから、柊が佐渡と情交関係を持ったことは動かしがたい事実である。



「君が佐渡と寝た理由、それは自らのDNAを犯行現場に残すためだ。男性が性交渉の直後に寝室で殺されたとなれば、捜査機関は当然に性交渉の相手を犯人と断定する。そして、君が佐渡と性交渉を行えば、その際に残されたDNAによって、「安原柊」が性交渉の相手として断定される。君は「飯野澄花」として生活しているわけだから、君が犯人とされることはない」


 柊は、殺人遺伝子だけでなく、殺人犯の地位まで澄花になすりつけた。

 これが楡の導いた結論である。

 澄花に対してここまで非情ひじょうな仕打ちをすることを、柊の良心はとがめなかったのだろうか。見た目は大人しそうな少女である。彼女を鬼畜きちく所業しょぎょうに突き動かしているのが殺人遺伝子ということなのかもしれない。



「以上が僕の推理だ。合ってるかな?」


 柊は声を出すことも首を縦横じゅうおうに動かすこともなく、ただ呆然ぼうぜんとフロントガラスから見える車の列を見つめていた。

 否定しようと思えば簡単に否定することができるはずである。柊の沈黙は、楡の推理への追認ついにんを意味していた。





 殺対の建物の廊下は、大抵の公的機関の建物の廊下がそうであるように、薄暗く、調度ちょうどもなく、息が詰まりそうな空間だった。

 

 パイプ椅子に腰掛ける楡の背中側には、柊がいる部屋がある。

 楡は軽く地団駄じだんだを踏みながら、柊の遺伝子検査の結果が出る瞬間を待っていた。澄花が自由になる瞬間、と言い換えてもいいかもしれない。

 


 部屋のドアがゆっくりと開き、中から白衣はくいを着た殺対職員と、少し遅れて柊が出てきた。

 柊は誰かに腕を掴まれているわけでも、手錠てじょう腰縄こしなわを掛けられているわけでもない。

 オカシイ、と楡は感じる。

 検査が終わったならば、柊は殺人遺伝子保有者として、死刑囚しけいしゅうと同様の扱いを受ける立場となっているはずである。

 柊が拘束されていないことはありえない。



「安原柊の遺伝子検査の結果が出ました」

 白髪しらが交じりの髪の毛をオールバックのような形で綺麗に整えた殺対職員が、低い声で言う。



「結果は陰性です。安原柊から殺人遺伝子は発見されませんでした」

「え?」


 楡が事情をつかめないでいるうちに、突然柊が走り出し、下り階段の向こうへと消えていった。


 休載が続いてしまい申し訳ありません。毎日夜遅くまで飲んでいて、執筆に時間を費やせませんでした。アル中ではありません。仕事の付き合いです。

 休載している最中も、カミユ様から飯野澄花(安原柊)のイラストをいただいたり(第1話の後書きに貼りました)、茶自転車様から感想の場で遺伝子系統の用語の正しい使い方を教えていただいたり、名無し様からレビューをいただいたり、励まされることばかりでした。本当にありがとうございました。


 さてさて、本話から最終章(第4章)がスタートしました。

 ようやく本物の安原柊が登場したと思いきや、あっという間に逃げてしまいましたね(苦笑)

 残り3万字程度で完結する予定です。皆様が納得できるゴールを目指して頑張りたいと思います。

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