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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第3章
48/55

初夜(4)

「楡のおかげで、私の人生にも素敵なことがまだあるっていうことを知ったの。私は『柊として死ぬこと』を延期えんきすることにした」

「延期?中止じゃなくて?」

「うん。延期。楡は私の生きる希望になってくれたんだけど、かといって私に堂々と生きる自信がついたわけじゃない。私は柊のために犠牲になるべきだという想いは消えなかった。当時は楡が私を好きなのかも、私を必要としてくれているのかも分からなかったわけだからね」


 もっと早く澄花に想いを伝えるべきだった、と楡は後悔こうかいする。楡にとっての澄花がそうだったように、澄花にとっても楡が生きる意味だった。楡がちゃんと愛情を与えていれば、澄花をもっと早く救うことができたはずだった。

 


「私は、いずれは『柊として死ぬこと』を実行しなきゃいけないと思ってた。だから、楡に名前を聞かれたとき『安原柊』と答えた」

 

 ロジックの観点から言えば、澄花が「柊として死ぬこと」を実現するためには、楡が警察に対して「自殺をした少女は安原柊です」と証言することが必要だったといえる。

 しかし、有菜ママと柊の策略さくりゃくに落ちたことによって混乱の最中さなかにあった澄花が、当時そこまで思考をめぐらせていたとは思えない。 おそらく、有菜ママに命じられた「柊として死ぬこと」という任務が強迫的きょうはくてきに働き、澄花に「安原柊」と名乗らせてしまったのだと思う。



「私が殺人遺伝子保有者のフリをしたのは楡の推理通りだよ。私は殺対に見つかって、もう一度遺伝子チェックを受けるわけにはいかなかった。柊との遺伝子交換がバレちゃうからね。殺対から逃げていることを説明するためには、私が殺人遺伝子保有者だ、と言うのが手取り早いでしょ?」

 

 これもおそらく後付あとづけの理由だろう。

 当時の澄花は、飯野澄花として生きることを否定されたショックから、あらゆる面で安原柊になりきっていたのだと思う。自分は宗方麒麟の子供だ、と告白したのもその延長線上だろう。



「澄花、3つ質問していいかな?」

「いいよ。なんでも訊いて。私、もう楡に隠し事はしないから」

 

 掛け布団から露出する澄花のせた白い肩は美しい。

 今の澄花は身も心も全て、楡に対してさらけ出していた



「まず、1つ目の質問。澄花と出会った日、澄花は喫茶店で僕とお茶をして、僕と別れた。そのあとどこに行ったの?」

「京貴パパの家だよ」

 

 楡の予想通りの答えだった。

 あのとき、澄花は「泊めてくれる友達のあてならある」と言って楡と別れ、その数時間後には市川のハンバーガーショップから、楡に助けをう内容の電話を掛けてきた。澄花が佐渡の家に泊まろうと考えたのであろうことは、殺人事件の被害者が市川在住、という報道を知った段階から想像していた。

 もっとも、当時と違い、澄花と佐渡が実質的な親子という関係だったと知った今の楡は、佐渡に嫉妬しっとすることはない。



「正確に言うと、京貴パパの家に辿たどり着くことはできなかったんだけどね。着く前に黒いコートを着た男の集団に捕まりそうになって、ハンバーガーショップに逃げ込んだから」

「それって殺対……?」

「多分違う。有菜ママがお金を払ってやとった人達だと思う」

 

 楡は即座に意味を理解した。

 澄花をさらって、「柊として死ぬこと」を強制するための殺し屋を雇う動機が、有菜ママには間違いなく存在している。



「予定されてた柊の逃走ルートの終着点が市川の京貴パパの家だった。だから、楡と別れた後、私はそのルート通り、京貴パパの家に向かった。今思えば、わなだったの。有菜ママは、私が指示通りに駅のホームに飛び降りなかった場合を想定して、京貴パパの家に行く途中で男の集団を待ち伏せさせていた。有菜ママは私にどうしても死んで欲しいんだろうね」

「オーケー。全部分かった。ありがとう」

 

 澄花にとって人生でもっとも辛かった日の出来事をこれ以上思い出させる気にはなれなかった。

 それに、あの日、澄花が男の集団から逃げ、楡に助けを求めてくれた、という事実さえあれば、それだけで満腹だった。澄花が死なないための選択をしてくれた、という事実が楡にとっては何よりも重たい。



「じゃあ、2つ目の質問ね。澄花は、僕がフランスへのサイバーテロの準備を進めているとき、どう思った?」

 楡は澄花に「フランス革命」の計画を告白したのは、楡が澄花との最後のデートにしようと考えて妖怪展に行った日である。



「どう思ったって?」

「澄花は殺人遺伝子保有者じゃないんだから、僕の計画はこれっぽっちも澄花のためにならないじゃん。今考えると、澄花がもっと真剣に僕の計画を阻止そししても良かったんじゃないかな、って」

「十分阻止したつもりだったけどね。楡が聞く耳を持たなかっただけで」

「そうかもしれないけど……」

 

 とはいえ、あの日の喫茶店では、計画の実行に固執こしつしていた楡に対して、最終的には澄花は引き下がる格好かっこうになっていた。計画が単に楡の犬死いぬじにを招くだけのものだとすれば、澄花は最後までるべきだったのではないか。



「っていうか、楡、殺人遺伝子保有者がフランスに国外逃亡ができるようになることによって、本来ならば私も救われたはずなんだよ」

「どういう意味?」

「私は、楡がテロを成功させた後、真っ先に柊にメールをした。『フランスに逃げて』って。柊がフランスに逃げてくれたら、私が柊をかばう必要がなくなるから、澄花として自由に生きることができる」

「なるほど……」

 作用の仕方は楡の想像していたものとは違っていたものの、「フランス革命」はやはり澄花を救うための計画として機能していたらしい。



「だけど、柊の回答は私の期待を裏切るものだった。メールの返信は無かった。その代わり、柊は京貴パパを殺害した。どうしてこんなことになっちゃったのかは、私には全然分からないんだけど」


 -なぜ柊が佐渡を殺したのか。

 両当事者についてよく知っている澄花にはかえって見えにくいのかもしれないが、第三者である楡の目から見れば、一つの仮説かせつを立てることはそれほど難しくなかった。

 ただ、その仮説を澄花に対して披露ひろうする気にはなれない。

 その仮説は、澄花の心をさらにえぐり取るものだから。


 

「澄花、最後の質問ね。これが一番大切な質問」

「楡、何?」

「澄花、いまだに「柊として死ぬこと」を実行する気はあるの?」

 楡と出会った日に澄花が決意したことは、「柊として死ぬこと」を延期することであって、それを取りめることではなかった。

 でも、今の澄花ならばきっと……


「ないよ。私、飯野澄花として、楡と一生一緒に生きていく」

 澄花の屈託くったくのない笑顔が、楡をこの上なく安心させる。



「良かった。僕も澄花と一生一緒に生きていきたい」

「楡、もしかして、法律的にはこれで婚約成立?」

「かもしれない」

「じゃあ、楡にフラれたら、婚約破棄こんやくはきでたっぷり慰謝料いしゃりょうを請求するね」

 こんな冗談を言って笑いあえる今この瞬間が、2人にとって今までで一番幸せな瞬間に違いなかった。



「でもね、楡、私が澄花として生きるのは、楡との間でだけだからね」

 澄花の発言に、楡は急に真顔になる。



「どういう意味?」

「あくまでも今日までの生活を続ける、って意味。私は殺対で再検査を受けて殺人遺伝子を持っていないことを証明する気もないし、警察に出頭して私は安原柊じゃない、って告白する気もない」

「どうしてそこまでして柊をかばうの?今の澄花は、自分に生きる価値がないなんて思ってないでしょ?」

「そうだけど、私、今の生活に満足しているの。楡さえいてくれれば、他には何も要らない。きっともう少し経ったら報道も落ち着いて、少しは外に出られるようになるだろうし」

「でも……」

「いいの」

 

 澄花は楡の反論を全てふさぐように、ゆっくりと目を閉じた。

 


 楡が澄花に、澄花が楡に惹かれた理由が、今ならば分かる気がする。

 

 2人は似た者同士なのだ。


 2人とも自己肯定感じここうていかんが低い。

 そして、他者に全てを捧げることによって存在価値を感じている。

 ギブアンドテイクの処世術しょせいじゅつなんて身についていない。

 受け取ることを忘れ、ただただ相手に与えてしまう。与えすぎてからっぽになった自分を埋めてくれるのは、同じようにひたすら与えてくれる相手だけ。

 澄花と楡は2人となって初めて完成するのである。

 2人となって初めて生きていけるのである。

 

 楡は澄花にそっとおやすみのキスをすると、そのまま目を閉じた。


 本話で起承転結でいうところの「転」パートである第3章が終わりました。

 皆様、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。ゴロゴロと転がることはできたでしょうか。この展開を想像していた読者様がどれくらいいるのかな、ということが、一端の推理小説家と気になります。

 第3章は、若干僕のキャパオーバーだった部分もあり、皆様の力を借りながらの執筆となりました。感想等でいただいた「この部分が矛盾している」「この疑問が解消されていない」という指摘から本作の問題点を把握しながら、文章をちょっと直したり、かなり直したりしながら、作品をよりよいものに磨いていくことができました。

 本話で、柊が佐渡を殺した理由以外の謎は全て解消したつもりなのですが、まだ謎が残っているという方は、ぜひとも感想でご指摘下さい。作者に助け舟を出す気持ちでぜひともよろしくお願いします。

 

改めまして、ここまで辿り着くことができたのも偏に皆様のお力添えのおかげです。本当にありがとうございます。

 次回作は、神様に求婚されてしまった巫女さんを主人公に据えた、神社を舞台にした一話完結型コメディーを投稿しま……って、まだ「殺人遺伝子」は完結していませんね(笑)完結したみたいなムードに思わず呑まれてしまいました。


 起承転結の「結」である第4章にも、大掛かりな仕掛けを用意してあります。そして、人を殺すとは何か、という問題にも向き合っていこうと思っています。


 推理ジャンル作品には珍しい(?)ちゃんとした推理小説である本作をご支援してくださる方は、ぜひとも評価やブックマークを下さい。最近、ジャンル別ランキングで3位以上の順位をなかなかとれないのが悔しく、切実にptを求めています。。

 これからも変わらぬご支援をよろしくお願いいたします。

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