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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第3章
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初夜(2)

 澄花がなりすましていた安原柊という人物は実在じつざいした。

 そして、安原柊は、澄花と同じ孤児院で暮らしていたらしい。



「すごく小さな孤児院だった。『コルザ』っていう名前で、外観がいかんは普通の一戸建てのまいと一緒。私が引き取られたときには、男女が2人で経営してた」


 赤ちゃんポスト推進政策は、それを補う機能を果たす孤児院の増設にも一役買った。澄花が預けられていたような小規模の孤児院も多く作られていた。



「孤児院を経営してた女性はまだ若くて、私が引き取られた頃には28歳だった。小美濃有菜おみのありなっていう名前で、私は『有菜ママ』って呼んでたんだ」

「へえ」

「男性の方は、私が引き取られた頃には34歳。名前は佐渡京貴さわたりひろき

「澄花、ちょっと待って。それってもしかして……」

 その名前は楡の脳裏にこべり付いている。

 つい先ほどの澄花の告白を聞くまでは、楡がもっともうらめしく思っていた人物である。



「そうだよ。市川の殺人事件の被害者」


 安原柊が指名手配犯となっている事件の被害者であり、死亡前に安原柊と性交渉を行っていたとされる人物、それが佐渡だった。



「澄花、佐渡京貴と面識があったんだ……」

「まあね。パパ代わりだね。まあ、京貴パパは、私が16歳のときに孤児院の経営者をやめて出て行っちゃったんだけど」

 

 澄花が預けられていた孤児院は木更津にあり、佐渡の家は市川にある。佐渡は孤児院をやめて、市川で一人暮らしをしていたということだろう。



「私は孤児院での生活が楽しかった。飯野家で暮らしていたときは、飯野夫妻の方針で学校にも通ってなかったから、同じくらいの年齢の友達がいなくてさ」

「飯野夫妻の方針って何?」

「私を引き取ってくれたときは学校に通わせるつもりだったと思うんだけど、私が五歳くらいのときにパパが脳卒中で倒れちゃって。ママも高齢だったから、私が介護とか家事を手伝ってたの」


 露骨(ろこつ)に眉を(ひそ)める楡を見た澄花は、「そもそも私も学校に行きたいと思ったことないし」と飯野夫妻をフォローした。



「とにかく、柊という同い年の遊び相手ができただけですごく嬉しかった。柊とはずっと2人でふざけあって笑いあってた」

 天井を向いた澄花の表情は夢見心地ゆめみごごちだった。

 孤児院での日々は彼女にとってかけがえのない思い出なのだろう。



「でもね、ある日、私は柊からあることを聞いちゃったの」

「あること?」

「柊が宗方麒麟の子供で、1/2の確率で殺人遺伝子を遺伝しているっていう話」

 当然、安原柊も澄花同様に孤児院に預けられていたのだから、出生に秘密を持っていても不思議ではない。

 そして、同じ布団に入っている少女が安原柊ではない、ということを除けば、楡が今まで知っていた安原柊のプロフィールはおおむね正しいということらしい。



「私、柊の話を聞いて、すごくショックを受けたの。だって、本当に殺人遺伝子を持ってたら、柊は殺されちゃうんだよ?私の唯一ゆいいつの親友の柊が。そんなの絶対に許せない、って思った」

 

 そうか。澄花も今までの楡と同じ立場だったのか。

 大切な人が殺人遺伝子を保有しているという理由で、大切な人を殺されてしまう立場。

 澄花も、楡同様に、大切な人を理不尽りふじんな理由で奪ってしまう国の制度にいきどおったのだろう。



「それが去年のことで、京貴パパはすでに孤児院を出て行った後だったから、私は有菜ママに相談をした。どうすれば柊を殺対から守れるのかって」


 去年というと、安原柊はすでに検査対象年齢である16歳を迎えている。

 殺対の検査官がいつ孤児院に乗り込んでくるかと戦戦恐恐せんせんきょうきょうとしていた時期だろう。



「有菜ママはすでに柊が宗方の子供であることを知っていて、私と柊のためにある計画をってくれた」

「計画?」

「柊の遺伝子検査の結果が出た瞬間に、柊を孤児院から逃亡させる計画」

 

 澄花は一呼吸を置いて続けた。



「検査をされるまでは柊から殺人遺伝子が検出されるかどうかは分からない。確率は1/2だからね。だから、一応検査はしてもらう。そこで陰性が出れば問題無し。だけど、検査の結果が陽性だった場合には、柊は殺対に捕まって殺されちゃう。だから、検査の日までに荷物をまとめたり、逃げ道を決めておいたりして柊の逃亡の準備をしておく。そして、検査のとき、陽性が出た瞬間に、私と有菜ママが殺対の検査官に体当たりをして妨害ぼうがいする。その間に柊を孤児院の外に逃がす。そういう計画」

「なるほど……」

 極めてシンプルな計画である。



「そして、運命の検査の日がやってきて、殺対の人が突然家に乗り込んできた」


 検査の日は、楡が澄花と出会った日でもある。

 まさにこの日、澄花の身に一体何が起こったのか、が楡の一番知りたいことだ。



「これは当初の計算からすれば嬉しい誤算だったんだけど、殺対の検査官はたった2人で、見るからにやる気がなさそうだった」


 殺対の検査官はほとんどが非正規の臨時職員であると聞く。検査の手順さえ守れば特に専門的な技術も必要ないし、未検査者の家を一軒一軒回るという地道な作業を正規職員にやらせるわけにもいかないからだろう。さらに、殺人遺伝子保有者は全国民の0.04パーセントに過ぎない。検査の結果、陽性が出る可能性は極めて低い。検査官にとって、遺伝子検査は陰性結果を積み上げるだけのやっつけ作業なのである。

 検査官のモチベーションが低いことも納得出来る。



「検査官は、『次の予定が詰まってて急いでるから』って言って、まだ検査の済んでない柊と私の遺伝子検査を同時にやった」


 遺伝子検査は、口腔こうくうから採取した細胞を試験管に入れ、抽出機器ちゅうしゅつききを使ってDNAを検出可能なレベルに抽出し、それをモニター接続された解析用機械に通すことによって行われる。遺伝子版戸籍の作成のために遺伝子情報をはしから端まで検証する都合上、検査結果が出るまでは1時間以上の時間が掛かる。2人をバラバラに検査したら2時間近く掛かることになってしまう。


 

「有菜ママは、DNAから殺人遺伝子が発見された場合にすぐに柊を逃がせるように、解析用機械のモニターをずっと見張ってた。計画の準備は万端ばんたんで、柊は荷物を持って逃げてる態勢たいせいを、私は検査官の足止めをする態勢たいせいを整えて、有菜ママの号令を待った」


 検査官は、まさか澄花達がこんな臨戦状態だとは思ってもみなかったことだろう。緊張感の差から、検査官のきょを突くことは十分に可能に思えた。


「1/2のギャンブルに負けて、柊の遺伝子から陽性結果が出た。モニターを見てた有菜ママが『柊、逃げて!』って叫んだ。残念だったけど、これは想定の範囲内。私にとって予想外だったのはこの後のこと」


 澄花が声を落とす。心なしか表情もかげって見える。



「ママの号令を聞いて、柊が私に荷物を渡したの。そして、有菜ママは今度は私の顔を見ながら叫んだ。『柊、早く逃げて!』って」

 

 -どういうことだ?



「私は混乱して訳が分からなかった。でも、殺対の検査官2人の方に向かっていく有菜ママと柊を見てさとったの。『私が安原柊をやらなきゃいけないんだって』」


 楡も悟った。

 澄花が平静(へいせい)を取り(つくろ)いつつ話しているこの物語は、彼女がもっとも信頼を寄せていた人々に裏切られた、最悪の悲劇なのだということを。



「私は有菜ママから受け取った荷物だけを抱えて、本来は柊が開けるはずだった鍵のかかってない窓を開けて、本来は柊が履くはずだった窓の外の靴を履いて、本来は柊が走るはずだった逃亡ルートを一生懸命走った」

「澄花……」

 

 楡は布団の下で澄花と握っている手に力を入れた。

 楡だけは澄花の味方である、とどうしても伝えたかった。



「走ってる最中は、服のそで()いても拭いても涙が止まらなくて、全然前が見えなかった。信号無視で道路に飛び出して、何度も車に()かれそうになった」


 楡は更に手に力を加えながら、必死に涙をこらえる少女に対して問う。



「澄花、どうして……どうして澄花は安原柊の身代わりにさせられたの?」

「有菜ママが私と柊を天秤(てんびん)に掛けた結果だと思う。私か柊のどちらかを『殺人遺伝子保有者』として生贄(いけにえ)に捧げなきゃいけなくなったときに、有菜ママは、私と柊、どっちが要らないかを考えた。その結果、私が生贄に選ばれた。それだけの話」


 残酷だ。あまりにも残酷過ぎる。

 澄花が突然背負わされた運命は、生まれつき殺人遺伝子を持って生まれた者以上に非業(ひごう)かもしれない。



「……でも、澄花、ちょっと待って。そんな簡単に殺人遺伝子保有者とそうでない者を入れ替えることなんてできるの?殺対の制度はそんなに(ゆる)いものなの?」

 そうだ。そんな簡単に殺人遺伝子保有者が他人に殺人遺伝子保有者の地位を他者になすりつけることができるのならば、殺人遺伝子撲滅法はただのザル法ということになる。

 一国の制度がそんなに甘いものであるはずがない。


「私と柊は特殊(とくしゅ)だから」

「特殊?」

「うん。2人とも全く身寄りのない孤児だった。戸籍上の家族が一人もいない」


 殺対は検査済みの遺伝子情報を保管し、遺伝子版の戸籍を作っている。

 仮に他人同士で遺伝子の入れ替えが行われた場合には、すでに遺伝子版戸籍に登録されている親子や兄弟の遺伝情報との間で矛盾が生じる。このシステムによって殺対は被検査者の遺伝子の取り替えによるチョンボを防いでいる。


 しかし、澄花と柊が孤児であるとすれば、2人の遺伝子版戸籍は、当人以外のらん空欄くうらんであることになる。

 遺伝子版戸籍が矛盾する以前の問題として、2人には整合性をチェックすべき親族が戸籍上存在していないのだ。



「それに、私も柊も学校に行ってなかったから、人付き合いが全然なかった。地域コミュニティーの誰にも顔が知られてなかった」


 なるほど。社会で生活している人同士が入れ替わるということは容易でない。

 たとえば、楡がいきなり荒居祐武を名乗り出したとしても、三浦さんや遼平がすぐに気付いて、「何バカなことを言ってるんだ」と注意するだろう。

 しかし、澄花と柊に外の世界での人付き合いが無かったのだとすれば、ある日突然澄花が柊を名乗ったり、柊が澄花を名乗ったりしたとしても、それを(あや)しむ人は誰もいないことになる。ニュースで澄花の写真が「安原柊」として紹介されても、その間違いを指摘できる人はいないことになる。



「それから、検査官も、私からも柊からも陰性が出るとたかくくってただろうし、ましてや2人の入れ替えが起きるだなんて想像もしてなかっただろうから、2人のうちどっちが安原柊でどっちが飯野澄花かということを気にめてなかったんだろうね。やる気なすぎだろ、ってツッコミたくはなるけどね」


 遺伝子のすり替えは理論上は考えられるが、実際上はほとんど考えられない。

 殺人遺伝子を持っている我が子をかばうために、親の自己犠牲じこぎせいとして遺伝子を入れ替えるパターンはかろうじて想定できる。しかし、血縁関係のない2人の少女の間で遺伝子交換が行われるということはかなり異例だ。検査官が全くの無警戒であったとしてもやむを得ないように思える。



「有菜ママに柊の荷物を渡されて、『逃げて』って言われたとき、私は有菜ママに、『今日から安原柊として生きろ』って言われたのかと思ってた」


 澄花の悲しみのつぶがついに涙腺るいせんを突き破る。



「でもそれは違ってた」

「え?どういうこと?」


 澄花はしばらく楡の質問に答えなかった。

 答えられる状況になかった。


 (けもの)のような(むせ)び声を上げる澄花が落ち着くまで、楡は彼女の頭を優しく()で続けた。



「澄花、別に喋りたくないことは無理に喋らなくてもいいよ」

「ううん。大丈夫。私、楡には全部正直に話すって決めたから」


 澄花は自分を励ますように、左手でポンポンと胸を2回叩くと、聞くにえないような現実を口から吐き出した。



「有菜ママが私に望んだこと、それは『安原柊として生きること』じゃなかった。有菜ママが私に本当に望んだこと、それは『安原柊として死ぬこと』だったんだ」

 本作に感想を寄せて下さった石屋さん様ありがとうございます(石屋様の方が良いですかね(笑)?)。

 石屋さん様は本サイトにおいて、「地球へ転移してきた地下迷宮都市〜セシリア札幌戦記〜」を投稿されています。

 この作品がまずもって面白いところは、異世界転生ならぬ、異世界の方ががまるごと転移してくる、という大胆な設定ですね。札幌の地下に異星人が都市ごと転移してきて、生存のために戦い、知略を尽くす、というストーリーになっています。自衛隊や歴史などに造詣のある作者様なので、ちゃんとした知識が下敷きになっているところもとても良いです。


 次話で第3章が終わる予定です。作品の一区切りであり、かつ、作者としてはラディカルな展開を読者様はどう思って読んで下さっているのかが気になって仕方がないので、もしよろしければ評価や感想をいただけると嬉しいです。

 もちろん目を通して下さるだけでも嬉しいです。登録外の読者様がたくさんいらっしゃることも理解しています。ただ。PV数を多くいただけても評価が少ないと、「うわ、こんな作品読まなきゃ良かった。読んで損した」と読者様が思っているのではないかとネガティブに捉えて勝手に凹むのがなろう作者の生態なので、その辺りをご理解いただけるとありがたいです←ぇ

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