初夜(1)
【警告】
本話は少しだけですが性的な描写を含んでいます。性道徳に反する内容ではありませんが、苦手な方は本話(もしくは本話の前半部分)だけ読み飛ばしてください。
六畳間に所狭しと二つの布団を並べる必要がなくなったことだけでも、二人にとっては大きな変化だった。
楡の隣で枕を並べている少女の横顔は、暗闇の中でも十分に美しく見えた。
掛け布団の下の少女の肢体は一糸も纏っていない。
少女の右手は楡の左手をしっかりと握っている。ようやく二人が一つになれたことの余韻を離さないために違いない。
少女の名前は、「飯野澄花」。
行為の最中、楡は間違えて「柊」と呼んでしまったことがあったが、澄花は笑いながら口づけをすることによって楡を許した。慣れるまで気を付けなければなるまい。
「まさか、楡がコンドームを用意してないとはね……」
澄花は天井に向かって呟いた。
「……ごめん」
「私とこういう関係になるっていうことを本当に想像してなかったんだね。私ってそんなに魅力ないかな?」
「いや、それは違う。ずっと我慢してたんだ。澄花を襲いたいと思ったことは数え切れないよ」
「楡に襲われるなんて、全然想像できない」
澄花はクスクスと笑った。
「澄花がコンドームを持っててくれて助かったよ」
「私だけずっと楡とエッチしたかったみたいでなんか恥ずかしいんだけど」
「そんなことないよ!澄花の方が準備が良かっただけ」
楡が声を上擦らせる様子を見て、澄花は満足げな表情を浮かべた。
「ちなみに、私が楡に勝手に保険証を見られて怒ったのは、カバンの奥にコンドームを隠してたことがバレたくなかった、ということもあるんだからね」
澄花が正体を明かしたとき、初めてキスをした2人は、そのまま服を脱がし合い、楡の出した布団へと雪崩れ込んだ。
お粗末なことに、楡がコンドームを持っていないことに気が付いたのは、いざ行為に及ぼうとしたときだった。
焦る楡を見た澄花は、自分のカバンからコンドームを取り出し、不慣れな手つきで楡に装着してくれた。
「澄花と一緒になれて良かった」
「私も。楡と一緒になれてすごく幸せ」
楡が澄花の方を向くと、澄花も楡の方を向き、二人は熱い接吻を交わした。
致したばかりだというのに、楡の気持ちは少しも萎えることはなく、澄花の唇と触れあうたびに受ける一つ一つの感覚が、楡の脳細胞に花火のような刺激を与えた。
「そうだ。澄花、今度旅行に行こうよ」
「フランス?」
楡は吹き出したものの、澄花は冗談のつもりではなかったらしく、鼻と鼻が当たる距離にある瞳は怯えていた。
「違うよ。もう澄花を一人にはしようなんて思わないから。二人で国内旅行かな。まだ寒いし、温泉なんかどう?」
「楡、ごめん。私、やっぱり外出はできない」
「なんで?」
「安原柊」を脱ぎ捨てた澄花には、自由に外出できない理由などないはずだ。
「澄花は殺人遺伝子保有者ではないんだよね?」
「うん」
「佐渡を殺してないんだよね?」
「うん」
「ちなみに、佐渡と肉体関係は……」
「ないよ。楡が初めて。さっきヤッたときに分からなかった?」
たしかに楡と一緒になったとき、澄花は最初痛がっていた。
澄花が楡に処女を捧げてくれたという事実を認識し、楡の気持ちが高揚する。
「じゃあ、殺対に行って、再検査をしてもらおう。そうすれば、澄花が殺人遺伝子を持っていないことも、澄花が市川の殺人事件の犯人でないことも証明できるから、澄花は自由に外出できるはず」
「楡、ごめん。それはできない」
「どうして?」
澄花は楡から目を反らすように、仰向けになった。
二人の手は握ったままである。
「複雑な事情があるの」
澄花が深呼吸をするのに合わせて、澄花と楡に被さった布団が膨張する。
「私の生い立ちから説明するね」
ついに澄花の口から真実が語られるときが訪れた。
「まず、私が宗方麒麟の子供だっていうのは嘘」
楡が澄花と出会った日の翌朝、澄花は自分のことを日本史上最悪の殺人犯である宗方麒麟の子供であると説明していた。
「でも、私が普通の家庭で育ったかというと、それは違う。私は孤児なの」
「孤児?」
「うん。私は自分の家族がどこの誰かは一切知らない。私、赤ちゃんポストに捨てられてたんだ」
「赤ちゃんポスト」。
生まれたばかりの赤ん坊を育てられない親が、赤ん坊を託すための施設である。赤ちゃんポストに預けられた新生児は、斡旋された育ての親に引き取られることになる。
2007年に熊本の慈恵病院が日本で初めて導入した際には、奇異の目で見られた「赤ちゃんポスト」であるが、2056年現在では決して珍しいものではない。
むしろ、社会を回すのに欠かせない歯車の一つになっている。
少子高齢化が進んだ日本では人口の減少が深刻な問題となった。労働力が不足し、社会保障制度も成り立たなくなった日本は、社会を維持するために、なんとかして人口を増やす必要があった。
とはいえ、島国という地政学的な事情により、他民族との交流を歴史的に経験して来なかった日本は、外国からの移民を受け入れることには及び腰だった。
そこで、日本は国策として、女性が子供を「産み捨てる」ことを推奨するようになったのである。
女性が減少していく中で子供の数を増やすためには、女性一人が生涯当たりに産む子供の人数を増やすしかない、というのは単純な数学的帰結である。
合計特殊出生率を2にも3にもすれば、人口減少に歯止めを掛けられるどころが、人口が増加することになる。
そのために、政府は2つの具体的な政策に打って出た。
一つは、女性が子供を出産するたびに高額のお金を支払う補助金制度の設立。
もう一つは、女性が出産した子供を自分自身で育てる必要がないようにするための「赤ちゃんポスト」制度の充実。
政策の両輪の一つである「赤ちゃんポスト」制度充実のために、政府は、広報によって「赤ちゃんポスト」のネガティブなイメージを取り除いた上で、公営の「赤ちゃんポスト」を各自治体に設置し、引き取り先夫婦のリスト化も進めた。
これによって、望まない妊娠をした女性は、中絶という選択の代わりに、出産した上でその子供を赤ちゃんポストに預け、国から高額の補助金をもらう、という選択ができるようになった。
果てには子供の出産それ自体をビジネスとする女性も現れるようになった。
他方で、高齢化社会において、社会において役割を終えた老夫婦の中には、セカンドライフとして改めて子供を育てたいと考える者が多くいた。
ゆえに引き取り先夫婦のリストは常に順番待ち状態だった。
もちろん、子供を引き取った夫婦に対しても国から補助金が支払われる。
「私が赤ちゃんポストに捨てられた理由は分からない」
赤ちゃんポストとはそういうものである。
赤ちゃんポストに新生児を預けた母親は匿名で、他者に素性を知られることは一切ない。
だからこそ母親は、我が子を見放すという非道な選択をとることができるのである。
「赤ちゃんポストに捨てられた私は、ある老夫婦ー飯野夫妻に引き取られた。すごく良い人たちだったんだけど、引き取った時点でパパもママも70歳を超えてて、私が9歳の頃にパパが、私が14歳の頃にママが死んじゃった。パパとママの親戚は、誰も私を育てたがらなかった。それで、結局、私はまた孤児に戻ったの」
澄花の過去が壮絶であることは想像していたのだが、ここまでだとは考えていなかった。澄花は未だ18歳だというのに、すでに二度も身寄りを失っているのである。
「で、私は次の引き取り先を探さざるをえなくなったんだけど、ペットショップの犬猫と同じで、すでにある程度育ってしまった子供には需要がないんだよね。赤ちゃんポストに登録している夫婦も何組か当たったんだけど、14歳になった私を誰も私を引き取ってくれなかった」
澄花は目を覆いたくなるような悲惨な話を、滔滔と語った。
彼女の人生として刻み込まれていることに対して、今更になって感情を表出させるということはないのかもしれない。
「ようやく私が見つけた引き取り先は、木更津にある孤児院だった。といっても、私以外に預けられている孤児は1人だけだったんだけどね。私以外に預けられている孤児は私と同い年の女の子だった。その子の名前は安原柊」
「ということは、その子が……」
「そう。殺人遺伝子保有者であり、市川の殺人事件の犯人でもある、本物の安原柊だよ」
本作に感想を寄せて下さった緋和皐月様、ありがとうございました。
皐月様とはメッセージで直接やりとりする仲で、未公開ですが、皐月様の作品を校正させてもらったこともあります。皐月様はとにかく面白い方です。僕に送ってるメッセージをそのままコメディー小説としてこのサイトにアップすれば良いのに、と思っています(笑)
そんな皐月様は、本サイトに「俺と愉快すぎる仲間たち!〜作家は今日も忙しいのだ〜」を投稿されています。作家先生の元に編集者を始め、様々なキャラクターが入り乱れる、ドタバタコメディーになっています。皐月様の個性がかなり出ていて、僕は大好きです。
柊が急に澄花になってしまって読者の皆様は混乱していると思いますが、僕も同じくらい混乱しています。柊と書いて、「いや、違う!柊じゃなくて澄花じゃん!」と書き直した回数はこの話だけで20回くらいありました(苦笑)




