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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第3章
42/55

利用(3)

「それで三浦さんは婚約者に愛想あいそを尽かしたわけだ」

「うん。そういうこと」


 三浦さんが板野先生を見限ったのは正解だと思う。

あやまりをただすチャンスを与えられてもなお他の女に尻尾しっぽを振り続けている男に、三浦さんが拘泥こうでいし続ける必要はない。

 三浦さんは、しっかりしていて気遣いもできる。お嫁さんにむかえるのには最高の女性だ。

 三浦さんには今後、もっと良い出会いがあるに違いない。



「でも、本当に馬鹿なのは元彼じゃなくて、私の方かもしれない」

「なんで?」

「私、まだ信じてるんだよね。彼のことを。こうやって私と一度は別れることになっても、矢代と生活を続けるうちに、私の大切さに気付いてくれると信じてる。彼がまたこの家に帰ってきてくれるんじゃないか、って」


 三浦さんが新品の家具で囲まれた部屋を見渡す。



「そもそもこのマンションだって、彼の名義で借りてるわけだしね。彼、これから先どうやって生きていくつもりなんだろう……」


 三浦さんは焦点の定まらない目でしばらく中空ちゅうくうを眺めていた。

 ようやく視線を楡に戻した三浦さんは、取りつくろうように微笑ほほえんだ。



「私、未練ったらしいよね。っていうか、佐伯君には関係ない話だったね。ごめんね」

「いや、大丈夫。三浦さんはすごく辛い思いをしたんだから、僕になんか気を遣わなくていいよ」

「やっぱり、佐伯君は優しいね。今まで私に一方的に利用されていたことを知っても、怒るどころか私を心配してくれて」



 楡は三浦さんに一方的に利用されていた。


 -違う。楡だって三浦さんを利用していた。


 三浦さんは、婚約者の嫉妬心しっとしんあおり、かつ、婚約者にないがしろにされているくやしさをまぎらわすために、楡と密会していたと告白した。


 他方、楡にだって、三浦さんとの連日の密会みっかいには目的があった。

 柊への想いを誤魔化ごまかす、という目的が。

 


 柊をかくまうと決めた頃、楡が抱いていた柊への感情は、単なる同情だったと思う。

 殺人遺伝子を持っていることによって、家を追われ、国から排除されようとしている少女を、楡は可哀想だと思った。

 ホームから飛び降りようとした少女に、失った母親の影が重なり、この子を放っておくわけにはいかないと思った。彼女を守りたい、と思った。


 しかし、同情は徐々に愛情へと変わっていった。

 楡の中で柊の存在がどんどん大きくなり、やがて、楡にとっての全てになった。


 楡は、柊を愛するあまり、柊を手放せない状態になっていた。

 目の前の日々が永遠に続くことをいのるようになっていた。まるでお嫁さんのように柊が修習から帰った楡を迎えてくれる、楡にとって幸福な日々が。たとえ、それが柊にとって不幸であるとしても。

 

 なので、「フランス革命」の実行を決めた楡は、柊への想いをどうにかする必要があった。

 「フランス革命」の成功は、柊とのお別れを意味する。柊に恋愛感情を持った状態では、楡は「フランス革命」に取りかかることができない。



 ゆえに、楡は三浦さんを利用した。

 楡は三浦さんと連日コーヒーショップに入りびたることによって、柊と一緒にいる時間を大幅に減らし、自らの柊への気持ちをまそうとした。

 それだけではない。柊以外の女性と2人きりで会うことによって、楡は柊への想いを誤魔化ごまかそうとした。柊への気持ちに違背いはいする行動をとることによって、柊を「特別な女性ひと」でなくそうとした。柊は楡にとって単なる同居人、匿う相手でしかない、という自己暗示をかけようとした。

 そうしなければ、楡は柊にお別れを告げる覚悟など到底とうてい持てなかった。


 楡は三浦さんを利用した。

 だから、三浦さんが楡に謝ったのだったら、楡だって三浦さんに謝るべきだ。




「ねえ、佐伯君、まだ気付いてくれないの?」

 思索しさくの沼に沈んでいた楡を、三浦さんの言葉が引き揚げる。



「気付く?何に?」

「私の気持ち」

「え?」

 

 皿のように丸くなった楡の目に映った三浦さんの眼差まなざしは、真剣そのものだった。



「私が佐伯君を単純に利用したいだけだったら、こんなことはしてないよ。佐伯君とデパートに買い物に行ったり、毎日のようにコーヒーショップに行ったり、フレンチレストランでディナーをしたり、いきなり家に呼び出して手料理を振舞ったり、婚約者と別れたことを誰よりも早く教えたり」

 

 楡が息を呑む。



「佐伯君を引っ掛けるためにわなをたくさん張ったつもりだったんだけど、やっぱり待ってるだけじゃダメなんだね」


 三浦さんの次の言葉は容易に想像ができる。

 それは楡が決して聞きたくない言葉だ。



「私、佐伯君のことが好きなの」

「三浦さん……」


 三浦さんには婚約者がいる。それが楡にとっての免罪符めんざいふだった。

 三浦さんとデートを繰り返していても、三浦さんには婚約者がいる以上、楡になびくことは絶対にない。

 だからこそ、楡は三浦さんを利用することができた。柊への想いを有耶無耶うやむやにするために、あたかも三浦さんと付き合っているかのような行動をとり続けることができた。



「元彼の浮気を知ったときから、もし元彼と別れることがあったら佐伯君と付き合いたいって思ってた。さっきは色々と難しいことを言ったけど、結局は佐伯君のことをキープ扱いしてたんだよね。私、どこまでも失礼な女だよね」

 失礼なのは楡の方だ。

 楡といずれ結ばれることを意識して楡とデートをしていた三浦さんと違って、楡は……楡は……



「三浦さん、ちょっと待って。さっき、元彼のことが忘れられないって言ってたよね。帰って来るのを待ってるって」

 何を言っているんだ、自分。どうして責任逃れしようとしているんだ。そんなことをしても根本的な解決にならないじゃないか。


 三浦さんの反応は、楡の想像通りのものだった。



「だから、佐伯君に私の未練を断ち切って欲しいの」

 

 ダメだ。ちゃんとハッキリと言わなければ。

 三浦さんをいちか同様に深く傷つけるわけにはいかない。



「ごめんなさい……」

「え?」

「僕は三浦さんと付き合うわけにはいかない」

「どうして?」

 三浦さんはふさがらない口の代わりに、幾度いくどとなくまばたきを繰り返した。

 三浦さんは困惑している。

 当然だ。楡が今まで三浦さんにとっていた思わせぶりな態度を踏まえれば、三浦さんは当然、楡とはすでに両想いになっていると思っていたはずだ。

 三浦さんは気付くはずがない。自分が楡に利用されていただけだということに。楡は、柊のために、三浦さんとのデートを繰り返したということに。


 -柊のため。

 そうだ。柊と出会ってからの楡の行動は、全て柊のためだ。


 「フランス革命」を実行すると決めた後に三浦さんと接近したのも柊のためであるが、それより前からずっと、楡が柊に対してつのりゆく恋心を押し殺していたのも、柊のためである。

 柊の居場所は、楡の家以外に存在しない。

 なので、もしも楡が柊に関係を迫ることによって2人の仲がこじれてしまえば、柊の居場所はどこにもなくなってしまう。

 それだけはあってはならない。だから、楡は自分の感情を胸のうらに隠し続けた。かくまうものとかくまわれる者という関係を超えることを望まないようにしてきた。


 柊が殺人事件を起こしてしまった後だってそうだ。

 いよいよ楡の家から出ることができなくなってしまった柊に対して、楡は神経を使い、2人のトラブルの火種ひだねになりそうな会話を一切控えている。

 どうして佐渡を殺したのか、どうして佐渡と性交渉したのか、ということを楡は柊に聞かないようにしている。柊のつい住処すみかとなりかねない楡の家を、柊にとって居心地の悪い場所にしてはならない、という配慮である。



 -果たしてそれが正解だったのだろうか。

 楡は柊のために、あえて柊と一定の距離を保っている。匿う者と匿われる者という関係の中に二人を無理矢理閉じ込めている。

 言い換えれば、楡はなるべく柊と正面から向き合わないようにしている。

 

 しかし、そのことが奏功そうこうしているとは思えない。

 楡が柊と正面から向き合わなかった結果が、今回の殺人事件なのである。

 今回の殺人事件によって、楡が柊のためと思って実行した「フランス革命」は水泡すいほうした。

 楡が柊とちゃんと対話していれば、このようなことにはならなかったはずだ。柊と腹を割って話すことにより、柊が今置かれている状況、柊の気持ちを楡がしっかりと把握していれば、事態は大きく変わったはずだ。


 柊のためにと思って行ったことが裏目に出ている。

 しかも、いちかや三浦さんという部外者までえにしてしまっている。

 


 -そうだ。今までの楡の態度は間違っていたのだ。

 

 ちゃんと柊と正面から向き合おう。

 柊から、そして、楡自身の気持ちから逃げるのはもうやめよう。

 今までの楡と柊には圧倒的に対話が足りていなかった。雑談でお茶をにごすことによって、なんとなく2人の関係を保ってきた。そんなハリボテの関係からは卒業すべきだ。


 そのために、楡が柊への想いを打ち明けることが大切である。

 しかし、実はもっと大切なことがある。

 

 愛情以外にも、楡が柊と共同生活をしていくにつれて強まっていくものがあった。


 それは、楡が柊に対して抱く疑念・・である。


 もしそれが真実ならば、今までの2人の関係をくつがえしてしまうような大きな疑念である。


 この疑念も晴らさなければならない。

 そうでないと、楡が柊と本当に向き合うことはできない。




「ねえ、佐伯君、無視しないで。答えてよ。どうして?どうして私と付き合うわけにはいかないの?」

 フレンチレストランでは婚約者の浮気現場に居合わせながらも、一切取り乱さなかった三浦さんが、今は明らかに取り乱している。

 彼女には本当に申し訳ないことをしてしまった。



「実は他に好きな人がいるんだ」

「え?……でも、佐伯君、彼女はいない、って言ってたよね?」

「ごめん。今まで嘘を吐いてたんだ。実は同棲してる彼女がいるんだ」

 本当はこれも嘘だ。

 柊は楡の彼女ではない。

 それよりももっと大切な存在だ。

 

 三浦さんの行き場のない想いは、大粒の涙へと変わった。



「だよね……佐伯君みたいな素敵な人に彼女がいないわけないもんね」

「ごめんね」

「謝らないで。私が一方的にワガママを押し通そうとしただけの話だから。むしろごめんね」


 三浦さんは椅子から立ち上がると、部屋を出て行った。



 しばらくして戻って来た三浦さんの手には、楡が今日着てきたコートが握られていた。



「佐伯君、もう帰るんでしょ」

「そうだね……。今日は美味しいご飯をありがとう」

「ううん。佐伯君が良ければ、これからもいつでも作ってあげるよ」


 楡がぎこちない愛想笑あいそわらいによって三浦さんの提案を拒絶すると、三浦さんは楡にコートを差し出した。



「佐伯君の彼女は、佐伯君に愛されてて幸せ者だね」

「だといいんだけどね」


 コートと羨望せんぼうの眼差しを、三浦さんからの励ましとして受け取った楡は、覚悟を胸に、柊の待つ自宅へと向かった。


 嬉しいご報告があります。

 本作のpt数が1000ptを突破しました(1068pt)!

 大台突破です。自分で言うのも難ですが、推理のジャンルでpt数が4桁にいっている作品はそんなに多くないと思います。

 全ては皆様のお力添えのおかげです。

 また、ブックマーク数も300件を超えました(317件)。これもありえないくらい嬉しいです。

 この317人の方のためにも、連載を滞らせてはならないな、と思います。

 

 昨日と一昨日は更新をお休みしていましたが、本話と前話が普段の2倍くらいの長さなので許してください。分割して連載すれば毎日更新を継続できたのですが、「箝口」(いちかパート)と「利用」(三浦さんパート)の話の数を合わせたかったもので……


 いやあ、作者的にはこの三浦さんパートは難産でした(苦笑)頭がごちゃごちゃになってしまい、(仕事をサボりながら、)何度も何度も書き直しました。

 作者的にもこんがらがっているので、読者様はもっとこんがらがっていないかと心配しています。意味不明な部分がありましたら感想かメッセージでご指摘していただけると嬉しいです。


 次回から柊パートです。第3章の締めくくりであり、本作の最大の山場です。よろしくお願いします。

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