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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第3章
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利用(2)

「え?どういうこと?騙した?利用した?三浦さんが僕を?」

「うん」

 

 洗い物を終えた三浦さんが、テーブルの楡の正面の席に座る。

 身長は楡の方が少し高いものの、三浦さんの方が姿勢が良いため、二人の目線の高さがピッタリと一致する。



「佐伯君、フレンチレストランで食事をしたときのこと覚えてる?」

「覚えてるよ。あそこの料理は美味しかったね。三浦さんの料理ほどじゃないけど」


 三浦さんと二人きりで食事をしたのは、そのフレンチレストランでの一度きりだ。今から1ヶ月も前のことではないし、印象的な出来事もあったため、楡の記憶には鮮明せんめいに残っている。



「あの日、佐伯君は、食事の途中に、無理矢理私を店の外に連れ出そうとしたよね?」

「……うん。そうだったね」

 食事中、あるものを見てしまった楡は、三浦さんの腕を掴み、店から出させようとした。

 結論から言えば、それは未遂みすいに終わった。三浦さんが抵抗している最中に事情が変わり、彼女を連れ出す必要がなくなったのである。



「あのとき、私、気付いてたんだよ」

「え?何に?」

「元彼と矢代っていう女が同じレストランでデートしてたこと」

 

 それだけの告白でも十分にショッキングなのに、三浦さんはさらに驚くべきことを付け加えた。



「気付いてたどころの騒ぎじゃないよ。私、知ってたから。あの日、元彼と矢代があの店でデートをする予定だったことを」

「どういうこと?」


 あの日、店を決めたのも、日時を決めたのも三浦さんだった。

 三浦さんは、婚約者の浮気現場にあえて突っ込んでいったということだろうか。



「もっと言うと、佐伯君と2人でデパートに買い物に行った日にも、その日、元彼と矢代は同じデパートでデートをしてた。そして、私はそのことをあらかじめ知ってた」


 楡が三浦さんに勧められたジャケットを買ったその日は、楡と三浦さんが初めて修習外で2人きりで出掛けた日である。



「三浦さん、どういうこと?僕、頭が混乱しちゃってよく分からないんだけど…」

 分からないことがあまりにも多過ぎる。

 とりあえず、まずはこのことを確認しなければならないだろう。



「つまり、三浦さんは、元彼が秘書と浮気をしてたことをずっと前から知ってたの?」

「もちろん」

 三浦さんはすずしい顔で答えた。



「本当に馬鹿な男だよね。元彼が勤務してる事務所には、私が大学時代に仲良くしてた友達とか先輩も、弁護士やら事務員やらで働いてるんだよ。あんな白昼堂堂はくちゅうどうどうと事務所内でイチャついてたら、嫌でも私の耳に入ってくるよ」

「そうだったんだ……」


 板野先生が浮気をしていることを遼平から初めて聞いたとき、遼平は、三浦さんはこのことを知らないだろう、と述べた。三浦さんが知っていたら、板野先生と愛美莉にこんな堂々とデートをさせるはずがない、というのが遼平の推理だった。



「三浦さんは婚約者の浮気を知っていながら、何も口出ししなかったの?」

「うん。私、彼を待つことにしたの」

「待つ?」

「うん。普通の女だったら、男が浮気してたら、怒ってその男を問い詰めるでしょ?『あいつと私のどっちが大事なの!?』って癇癪かんしゃくを起こして。そうしたら、男は余程馬鹿じゃない限り、こう答える。『お前の方が大事だよ。あいつとは遊びだったんだ』って。違う?」

「多分そうなると思う」

 楡はうなずく。


「でも、私はそれじゃ嫌だったの。男に無理矢理言わせるんじゃダメ。男に自発的に気付いて欲しかった。『俺が本当に愛してるのはこいつだけなんだ』って。私、愛するよりも愛されたいタイプなんだよね。面倒臭いでしょ?」

「いやいや、面倒臭くなんかないよ」


 三浦さんの行動は賢い。浮気をした男性を問い詰め、強引に気持ちを取り戻させようとすることは、長い目で見れば良いことではない。そんな方法では、男の浮気は治らない。きっと多くの女性がそうしてしまうのは、浮気をされたことのショックで我を失ってしまうからだと思う。



「彼はすぐに私の元に戻って来てくれる、私への想いに気付いてくれる、っていう不思議な自信が私にはあった。だから、彼の浮気を知っても、私は待ち続けた。美味しい料理だけを用意してね」

 飄飄ひょうひょうとした態度を保ち続けていた三浦さんの目に、ついに涙が浮かぶ。



「もちろん、嫌だったよ。ふと矢代の顔を思い出して修習が手につかないことは日常茶飯事にちじょうさはんじだった。最悪だったのは、彼に抱かれているとき。彼は行為をしている間も矢代と私を比べてるのかな?矢代を私に重ねながら行為をしてるのかな?って考えたら、吐き気がしてきて」


 涙の一雫ひとしずくが、真っ白なテーブルクロスにみを作った。

 三浦さんのあまりの健気けなげさに、楡の中からも熱いものが込み上げてくる。



「私の予想に反して、彼はなかなか浮気をやめようとしなかった。ついに私にも我慢の限界が訪れた。だから……」


 三浦さんの切れ長の目が、楡を突き刺す。


「私は佐伯君を利用したの」


 「利用」。今までの三浦さんの説明を聞いても、楡には、繰り返されたこの言葉の意味が分からなかった。



「どういうこと?僕は一体何に利用されたの?」

「私、佐伯君にさっき言ったよね。デパートに買い物に行ったとき、同じ日に同じ場所で彼と矢代がデートをする予定があることを知っていたって」

「うん。言ってた」

「私は、佐伯君と2人でいるところを彼に見せびらかしたかったの」


 楡がに落ちていない顔をしているのを確認して、三浦さんは続ける。



「彼にはきっとおごりがあった。婚約した以上、私はもう彼のものだっていう驕りが。だから、彼に教えてやりたかったの。私だって愛情を与えなかったらいなくなっちゃうんだぞ、って」

「つまり、僕を『三浦さんの浮気相手』として使った、っていうこと?」

「まあ、そういうことだね」


 三浦さんのやったことは、他の男の子と仲良くしているところを見せつけて、彼氏にヤキモチをかせる、という若い女の子が使う恋愛テクニックに近いのかもしもしれない。

 

 そして、あの日のデパートに板野先生がいたという三浦さんの発言を聞き、楡には一つ合点がってんがいくことがあった。

 検察庁の司法修習生室で、遼平から板野先生の写真を見せてもらったとき、初めて見たはずなのに、楡には既視感きしかんがあった。板野先生とどこかで見たことがある気がした。

 その理由が分かった。

 楡は、たしかに板野先生を見かけていた。三浦さんとデパートに買い物に行ったあの日、トイレの中で板野先生とすれ違っていたのである。



「でも、三浦さん、それをするんだったら、あえて婚約者の浮気現場に突っ込む必要はないんじゃないかな?婚約者が一人でいるときでいいんじゃない?婚約者に見せびらかすことができれば、それでいいんでしょ」

「ああ、それは佐伯君のための配慮」

「僕のための配慮?」

「そう。私と佐伯君が2人でいるところを目撃した彼が、怒り狂って佐伯君に危害を加えないとは限らないでしょ?でも、彼の方も浮気相手とのやましいデート中だったら、彼が私と佐伯君にその場で飛びかかってくることはない」

「なるほどね……」


 三浦さんの計算高さに思わずうなってしまった楡を見て、三浦さんが笑う。



「まあ、利用しておいて、配慮もクソもないんだけどね」


 それに、と三浦さんは続ける。



「彼を信じて待つ、とカッコはつけたものの、ずっと待つだけでいるのも辛くなっちゃったんだよね。私が彼の浮気に気付いていることをアピールして、彼と矢代を牽制けんせいしたくなっちゃって。だから、わざわざ彼の浮気現場に乗り込んだっていう面もあるんだよね。一人だと心細いから佐伯君を引き連れて」


 三浦さんは達観たっかんしているとはいえ、板野先生が浮気を続けている状況はえ難かったはずだ。一刻も早くやめさせたい、と考えるのはむしろ自然である。



「ただ、私の最初の作戦は大失敗」

「なんで?」

「彼は、デパートに私がいることに気が付かなかったの。佐伯君と2人でいるところを見せびらかせなかったんだ」

「そうなんだ……」

「それだけじゃない。逆に見せびらかされちゃったのは私の方。女性服売り場で、彼と矢代がイチャイチャと腕を絡めてるところを見ちゃって。浮気していることは知ってるとはいえ、実際に生でその姿を見ちゃうとショックだよね。その晩は一睡いっすいもできなかった」

 

 三浦さんの気持ちはよく分かる。

 「百聞は一見にかず」という古事成語こじせいごがあるくらいに、自分自身の目で見ることのインパクトは大きい。

 三浦さんは目撃してしまった光景を、デフォルメすることも、忘れることもできなかったはずだ。



「で、私は佐伯君をさらに利用しちゃった。くやしさとさみしさをわぎらわすために、佐伯君をまた誘った。連日、コーヒーショップに佐伯君を付き合わせた」


 当時、楡と三浦さんは休日も含め、毎日のようにコーヒーショップにいた。

 楡が額面通がくめんどおりに受け取っていた、「家では集中して勉強できない」という理由は、どうやら三浦さんの嘘だったようだ。



「そして、あのフレンチレストランの日に辿たどり着くわけだ。あの日、私はまた佐伯君を『浮気相手役』として利用した。佐伯君と仲の良い私を、今度こそ彼に見せびらかしたかった」


 楡には一つ心当たりがあった。

 あの日、食事の途中から、三浦さんは楡のことを「楡君」と呼び始めた。

 あれは楡とただならぬ仲であることを彼にアピールするために違いない。


 それに、もしかしたら、あの日、三浦さんがガバガバとワインを飲んでいたのは、板野先生の浮気現場を目撃することのストレスを誤魔化ごまかすためだったのかもしれない。



「佐伯君もご存知の通り、あの日、彼は私と佐伯君の存在に気付いた。だけど、家に帰ってからも、次の日になってからも、彼は私にフレンチレストランでの出来事について話さなかった」


 三浦さんは鼻で笑った。



「男って馬鹿だよね。彼はあの日、矢代と一緒にいることが私にバレる前に逃げおおせたと思い込んでたの。私にまだ浮気がバレてないとたかを括ってたの。救えないよね」


 三浦さんが無理矢理作り出した左頬ひだりほほのえくぼは、涙のしずくで埋まった。


 一人カラオケが趣味です。週2回行きます。1回に2時間歌います。

 ただし、バラード曲は1曲たりとも歌いません。暗い曲は嫌いです。

 なぜそんな作者が、こんな暗い小説を書いているのか。

 それは作者にも分かりません。



 申し訳ありませんが、作者が脱ニートした都合で、明日から更新が不定期になります。

 皆様の励ましやご支援もあり、小説を書くことが何よりも楽しく、寝る時間がもったいなくて、睡眠時間を削って小説を書いています。

 なので、絶対にエタりません。今後ともよろしくお願いします。

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