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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第3章
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絶望

「柊、大丈夫!?」


 修習を早退し、津田沼に電車で向かう最中の楡は、柊に最初に掛けるべき言葉をずっと模索もさくしていた。

 「柊、何があったの?」「柊、本当に人を殺したの?」「柊、あのニュースは嘘だよね?」「柊、事情を説明して」……。


 しかし、自室のドアを開け、テレビを前にして項垂うなだれる18歳の少女の姿を見たとき、楡の口からは自然と気遣いの言葉が飛び出した。



 楡は柊の側にしゃがみ込むと、小さな肩をさすった。

 茫然自失ぼうぜんじしつとし、口を閉じることもまばたきさえも忘れている柊は、まるで死体のようだった。



 テレビの映像は、目の前の少女と同じ顔を映している。

 学校に通っていない柊は、卒業アルバム用にプロのカメラマンに写真を撮ってもらう経験がなかったのだろう。「容疑者の顔写真」として紹介されていた柊の写真は、携帯電話の写メ機能で撮られたもののようで、画素が荒く、不鮮明だった。


 楡はリモコンを拾うと、テレビのチャンネルを回し、ザッピングした。

 ニュース番組が多い夕方という時間帯もあってか、どの局も同じように市川の殺人事件を採り上げている。

 楡は舌打ちをすると、テレビの電源を切った。



「柊、とりあえず横になって休もうか」


 布団を取り出すために押入れへと向かう楡の背中に、柊の言葉が届く。



「……楡、ごめん」


 そして、あたかもそれが当然かのように、次の言葉が追従ついじゅうする。


「私、楡の家を出て行くね」



 布団を引っ張り出そうとする楡の手が止まる。

 柊の方を振り返らないまま、楡は言う。



「どうして……どうしてこんなことになっちゃったの?」


 しばらくの間をおいて、柊の震える声が答える。



「……分からない」

「……どういうこと?柊は殺してないっていうこと?」

 

 柊、お願いだ。「殺してない」と答えてくれ。

 柊には、人を殺すことなんてできないはずだ。

 柊が人を殺すだなんて、そんなことは絶対にありえないはずだ。

 何かの間違いに違いない。日本の警察やメディアは適当だから。

 ねえ、柊、そうだよね?

 早く答えてよ。「私は殺してない」って。




「私が殺した」

 柊はゆっくりと、はっきりとした口調で、楡の最後の期待を裏切った。



「柊、なんで……」

「……分からない。でも、殺しちゃった」


 もはや立っている気力は楡にもなかった。

 柊に背を向けたまま、楡はその場にしゃがみ込む。


 毎日浴びているはずの蛍光灯の光が、今はとてもまぶしく思えた。




 柊が殺人遺伝子を持っていると初めて聞いたとき、楡は、柊が可哀想かわいそうだ、と思った。


 遺伝子は本人の意思や努力で変えることができない。

 柊本人にはどうすることもできない事情によって、柊はこの社会において最悪の差別を受ける立場に立たされている。何も悪いことをしていないのに、殺人者のレッテルを貼られ、挙句あげくの果てには生命の尊厳まで否定される立場。


 もちろん、殺人遺伝子が忌避きひされることに一定の統計学的な根拠が存在することは理解している。

 しかし、柊が国によって殺されなければならないのは、やはり柊本人・・・が悪いからではない。

 柊の子供、孫、ひ孫…と次世代にどんどん殺人遺伝子が引き継がれてしまうことの懸念けねんが、柊が人柱ひとばしらとならなければならない根拠だ。 

 だったら、柊を殺す必要はないじゃないか。柊に子供を作ることを禁止すればいい。最悪、柊に去勢きょせい手術をさせればいいじゃないか。

 そう思っていた。


 柊は、このゆがんだ社会の一方的な被害者だ。

 そう思っていた。

 

 しかし、柊による殺人によって、その考えは全て否定された。

 


 楡が考えていた以上に、そして、おそらく社会が考えている以上に、殺人遺伝子は恐ろしいもののようだ。


 あの優しくて、思いやりがあって、いつも楡を元気付けてくれる柊でさえも殺人者に変えてしまう、それが殺人遺伝子だ。




 楡はこれ以上柊を問い詰める気になれなかった。


 自白は簡単に信用してはならず、むしろ疑ってかかれ、というのは刑事裁判の鉄則である。

 しかし、この刑事裁判の鉄則を適用しても、柊の自白を覆すことはできない。


 自白の真実性を裏付ける、決定的な証拠が存在しているからだ。

 


 ネットニュースによれば、市川の殺人事件の被害者の男性は、男性宅での犯人との性交渉の直後に、犯人に頭部を鈍器どんきで殴られ、殺害されている。

 つまり、性交渉のあとが、犯人の痕跡こんせきとして残されている。

 ベッド上の陰毛いんもう、男性の陰茎いんけいに付着したまま体液、である。

 これらから検出されたDNAは全てある女性のものと一致した。


 柊のものである。

 


 殺人遺伝子撲滅法によれば、捜査機関ができることは、犯人が誰かが分かっているときに、その犯人が殺人遺伝子を持っているかどうかを殺対に問い合わせることである。

 今回の事件のように、犯人が誰だか分かっていない事件で、証拠のDNAからこのDNA保有者が誰であるかを殺対に問い合わせることはできないはずだ。


 しかし、今回、殺対はこれに応じた。

 「そのDNAは、以前検査を行い、殺人遺伝子が発見されたにもかかわらず、現在逃走している安原柊のものです」と回答した。


 この殺対の異例の対応が問題であることを糾弾きゅうだんする声は今のところない。

 柊は殺人遺伝子保有者であり、なおかつ殺人者なのである。

 柊の人権や柊の親族のプライバシーを守れ、という声を挙げる人がいないことにも首肯しゅこうできる。




 楡はフラフラと立ち上がると、布団を取り出す作業を再開した。



「柊、少し休もう」

「楡、どうして?……どうして私を追い払わないの?」

「僕にとってはどうでもいいんだよ。柊が人殺しだろうがなかろうが」

 

 たとえ柊が人殺しであっても、たとえ柊が楡の知らないところで知らない男性と肉体関係を結んでいたとしても、楡が柊をかくまわなければならないことには変わりがない。

 それが、帰宅中の電車の中で楡が出した結論だった。



「私は楡を裏切ったんだよ……?私のためになんでもしてくれる楡を」

「そんなこと気にしなくていいよ。テロリストに殺人犯。うん。お似合いの2人だね。警察に見つかりそうになったら一緒に心中しんじゅうしようか」


 楡の笑えない冗談がむなしく響く六畳間。

 ここのどこを探したって、希望なんてものは一つも落ちていなかった。


 本作に感想を寄せて下さった皐月鋭太様、ありがとうございます。

 皐月様は、このサイトにおいて、「夢と現のクロスロード」というローファンタジーを連載されています。

 主人公が自分の書いた小説の登場人物とタッグを組み、武闘会に参加するというワクワクするファンタジー的展開と臨場感のある戦闘シーンが魅力的な作品ですが、僕がこの作品で素晴らしいと思えるのは、もう少し地に足の着いた部分です。この作品の主人公にはチートはありません。それでも、全てを懸けて、愛する人を守ろうとします。そんな純愛な美しさがこの作品の最大の魅力だと僕は感じています。


 昨日の活動報告で、明日は投稿をお休みする、と言いながら、結局投稿してしまいました(笑)

 今から一人カラオケ行ってきます(笑)

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