表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第2章
31/55

修羅場

「私、このお店よく来るんだけど、すごく気に入ってるの」

 普段よりも赤く塗られた三浦さんの唇が、キャンドルの光であでやかにきらめく。


 テーブルが広くなっている分、コーヒーショップにいるときに比べて2人の距離は遠い。それでも、三浦さんの息遣いが、唾を飲み込むときの首筋の動きが、不思議といつもより近く感じられる。

 楡の意識が三浦さんに集中しているからに違いない。



「フレンチなんて初めて来た」

「フレンチ、っていっても、格安フレンチだからね。大したことないよ」

 お店の人に聞かれないように、三浦さんが楡に顔を近づけ、小声でささやく。

 それだけの動作で、楡の心臓は破裂しそうになる。


 三浦さんは「格安フレンチ」とは言ったものの、老舗しにせのフレンチレストランをリフォームしたという内装に安っぽさは一切ない。

 広い店内にゆったりと並べられたテーブルを囲む客を見ても、楡と三浦さんよりも若いグループは一つもない。



「7000円のコースを注文していい?」

 夕飯で7000円、と聞くと腰を抜かしそうになるが、フレンチにしては安いのだろうか。



「いいよ。今日のことは全部三浦さんに任せるよ」

「じゃあ、ワインも注文しちゃうね」


 今日は2人のコーヒーショップの頑張りをねぎらうという名目の食事会である。

 ただ、楡の苦労はこんな贅沢ぜいたくあたいするのだろうか。

 楡の苦労は、裁判官になって、社会に貢献こうけんするために勉強をしている三浦さんの苦労とは大きく違っている。楡が進めている作業はテロの準備なのである。

 作業はそろそろ山詰めだが、近づいているのは栄光ではない。堕落だらくである。





「でもね、楡君、私はステレンジャーが一番名作だと思うの!たしかに武器はカッコ悪いよ。剣の代わりに巨大なコンパスを振り回すんだから。でも、劇場版が本当に泣けるの!あれは子供向けというよりは大人向けだよね」

 

 三浦さんはここしばらくの間、料理そっちのけで「文房具戦隊ステレンジャー」について語っている。


 三浦さんが全話を録画するくらいに戦隊モノが好きだとは、今日初めて知った。

 もっといえば、三浦さんがお酒を飲むとこんなに饒舌じょうぜつになることも初めて知った。修習生同士の飲み会では、いつも三浦さんはウーロン茶しか飲まないからである。



「ねぇ、楡君、ワインお替わりしていい?」

 

 気付くと、三浦さんは楡のことを名字でなく名前で呼んでいる。

 

 もっとワインを飲ませることによって、三浦さんの更なる変化を楽しむことも一興いっきょうであるが、切れ長の目がトロンと座り始めたところを見ると、そんなことは言っていられない。



「もうやめておきなよ」


 三浦さんは楡の制止を無視して、テーブルの上のベルを鳴らす。



「大丈夫?せっかくのフランス料理の味が分からなくならない?」

「そんなことないよ。マリアージュしてるよ」


 呂律ろれつも発言内容も若干怪しくなってきた三浦さんを、楡はあきれた目で見つめる。



 そのときだった。


 楡は、絶対に見てはいけないものを見てしまった。




「楡君、どうしたの?」

 急にソワソワし始めた楡を、三浦さんが心配そうに覗き込む。



「三浦さん、今日はもう帰ろう」


 楡は、三浦さんの鳴らしたベルに反応して近付いてきたボーイに対して、指でバッテンを作り、会計を指示した。



「どうして?まだ時間は早いし、料理も残ってるよ?」

「理由は後で説明するから」


 楡は財布の中から1万円札を2枚取り出すと、テーブルのはしに置いた。



「楡君、それ払い過ぎだから」

「いいから、早く帰るよ」


 立ち上がった楡は、三浦さんの華奢きゃしゃな腕を掴む。




 楡が見てしまったもの、それは、2つ先のテーブルで仲睦なかむつまじそうに料理を突く男女だった。


 女性の方も男性の方も楡には見覚えがある。

 女性の方は八代愛美莉という名の法務秘書であり、男性の方は板野大河-三浦さんの婚約者だ。


 三浦さんは、この店によく来る、と言っていた。

 とすれば、板野先生にとってもこの店はお気に入りなのであろう。浮気相手にも食べさせたい、と思うくらいに。

 


 楡は咄嗟に、三浦さんにこの2人を見せてはいけない、と判断した。


 真実が隠されることが、本当に三浦さんのためになるのか、という疑念はある。

 信頼していた相手に裏切られていることを知らせ、三浦さんに新しい一歩を踏み出させた方が良いのかもしれない。三浦さんは聡明な女性だから、自分にとって一番幸せな選択を、自分自身ですることができるのではないか。


 しかし、この場で2人のデート現場を目撃させることは、ショック療法過ぎる。

 緩衝材クッションを一切挟まず、ありのままの残酷な現実を目に入れることは、三浦さんのような強い女性であっても、きっと耐えられない。



 不幸中の幸いで、2人の席は三浦さんの背後にあり、店の奥側にある。

 出口に向かう最中に、三浦さんの視界に2人が入ることはない。




「楡君、ここで説明して」

 

 なかなか立ち上がろうとしない三浦さんの腕を、今度は力を込めて無理やり引っ張りあげる。



「何するのよ!やめてよ!」

「ごめん。三浦さん、外で説明するから、今は大人しく僕に従って」

「嫌だ!離して!」

 楡の手を振りほどこうと振り回した三浦さんの腕が何かにぶつかった。


 乾いた音を立てながらテーブルの上を転がった空のワイングラスが、テーブルのふちを越え、床を叩く。



 ガッシャーーーン!!!



 ザラメのように細かく砕けた破片が、店内のわずかな光を乱反射によって増幅ぞうふくさせる。



「ごめん」

 楡と三浦さんが謝罪の言葉を口にしたのはほぼ同時だった。


 グラスの割れる音は、店内に流れているボサノバの優しい音とは馴染まず、店全体に響き渡った。



「お客様、お怪我はないですか?」

 両手にチリトリと箒を持ったボーイが、茫然と立ち尽くす楡と三浦さんの元へ駆けてきた。



「大丈夫です」

 三浦さんがゴミと化したグラスを見つめたまま、小声で答える。



 楡がボーイから掃除道具を借りようと顔を上げたとき、楡の目が、手を繋ぐ男女の姿を捉えた。

 板野先生と愛美莉である。

 

 手を繋いでいる、というのは一瞬の見間違いで、本当に楡が見たのは、三浦さんの婚約者が、愛美莉の手を強引に引っ張り、店の出口の方へと駆けていく様子だった。


 板野先生は、ワイングラスの割れる音で三浦さんの存在に気付き、急いでトンズラすることに決めたのだろう。


 怪我の功名こうみょうだが、楡にとっては好都合だった。


 楡は、駆けていく2人と三浦さんとの間に立ち、ブラインドとなることによって、2人の逃走を助けた。


 この作品に感想を寄せてくださったKEY様、ありがとうございます。

 KEY様はこのサイトにおいて、「お米のおはなし〜とある農家のつぶやき」を、昨年の12月末に完結させております。この作品は、米農家としての作者自身の経験を基にして書かれたエッセイで、ジャンル別日間ランキングの1位にも輝いております。

 米農家の悲惨な現実、それでもお米を作り続ける理由が、具体的な数字とともに、ありのままに描かれています。個人的にすごく気に入っているのが、最後の1話の総括部分で、KEY様の思慮深いメッセージが発信されています。

 この国に生まれた以上、ぜひとも読んで欲しい小説です。


 「殺人遺伝子」、レビューでの力添えもあり、本日、週間ランキング1位は死守できました。

 ただ、日間の方では、絶対王者「薬屋のひとりごと」に敗れ、2位に転落しています。


 ものすごく悔しいので、本日は1話だけ投稿するつもりだったのですが、もう1話(柊パート)投稿しようと思います(夜頃)。

 ちなみに、次話は作者が号泣しながら書いたものです(基本的に涙もろい作者なので、そんなに期待しないで下さい)。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ