非運命(2)
電車に乗り込んでから、2人はしばらく無言だった。
ついでに少女は楡を凝視するのをやめていたから、他の乗客から見たら、2人が面識のある者同士とは思えなかっただろう。
そもそも楡と少女は不釣り合いである。
少女の年齢はハッキリとは分からないものの、楡とは10歳以上の差があったとしても不思議ではない。それに何よりルックスの差が著しい。美女と野獣。いや、楡には野獣のようなワイルドさすら欠けているので、美女と昆虫みたいなものだろう。同じ車両で同じ空気を吸えているだけでも奇跡に近い。
「あの……どちらに向かわれる予定だったんですか?」
楡が意を決して口を開いたものの、少女の反応はない。
少女が楡のナンパに応じてくれたというのは楡の勘違いだったのかもしれない、と急に不安になる。
少女は楡とお茶に行くために電車に乗ったのではなく、単に家に帰るために電車に乗ったところを、思い上がった楡がついてきてしまっただけなのかもしれない。
楡は先ほどの問いかけがあたかも独り言であったかのように少女から目を逸らす。そして,一切頭に入ってこない中吊り広告の文字を読むフリを始める。
「行く場所はどこにも決めてなかった」
突如として聞こえてきた少女の声にビクッとする。
これまでの少女とのやりとりは幻想ではなかったようだ。
「僕の家が津田沼にあるんです。家の近くにお洒落な喫茶店があるので、そこに行きませんか?」
自然と出た提案だったが、誤解を生みかねないものであることに気付き、楡は慌てて糺す。
「いや、別に僕の家のそばじゃなくていいんです。違う駅でもどこでもいいんです。単に僕が知っているお店だというだけで…」
先ほどは大胆にもナンパを行ったというのに、やけに弱腰になっていることには楡自身も気が付いている。
ただ、少女を家に連れてどうこうしようという下心が楡にないことも事実だった。
もっとも,この少女と関わりたい、という気持ちは間違いなくあった。
ただ,その気持ちがなぜ生じ、何に向かっているのかは楡自身にも理解ができていない。
そもそも、実際に少女に話しかけてからは、興奮と緊張で楡の頭は真っ白である。
「いいよ。津田沼の喫茶店」
「え?」
「津田沼の喫茶店に行こう。別にお洒落じゃなくてもいいし」
自分で提案しておきながら聞き返してしまうのは、自身の発言にすら頭が追いついていないからである。
「はじめまして。僕、佐伯楡っていいます」
喫茶店での会話は自己紹介から始まった。
電車内でも喫茶店まで歩く道中においても、楡は名乗る機会を逃し続けていたのである。
「にれ?」
「そう。にれ。珍しい名前ですよね。僕も過去に自分と同じ名前の人間に会ったことがありません」
「カッコイイね」
少女のこの一言だけで、気持ちが高ぶる。
名前を褒められただけで、別に楡自身を褒められたわけではない。それでも存在を肯定的に捉えてもらえた気がするのは不思議である。
「あなたの名前は何というんですか?」
「……安原柊」
「『ひいらぎ』って、木へんに冬って書く、あの『ひいらぎ』ですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕達は仲間ですね」
「え?どういうこと?」
「柊も楡もどちらも樹木ですから。まあ、柊は常緑樹で、楡は落葉樹ですが」
「詳しいね」
一瞬にして目を見開いた表情からして、柊はお世辞ではなく、本当に感心しているようだった。
「そんなことないです。自分の名前のことだから少し詳しいだけで」
しまった、と思った。柊だって同じように自分の名前が樹木ではないか。
思わず手で口を塞いだ楡だったが、柊は楡の発言を厭味とは受け取らなかったようで、尊敬の眼差しで楡のことを見つめていた。
正面で向き合うと柊のルックスが優れていることが痛いほど伝わる。
あどけなさが残る少女に使うべき形容詞ではないかもしれないが、柊は美しい。
ダイヤモンドのようにキラキラと輝く大きな目は、人を狂わせるほどの魅力がある。陶器のように透き通った肌は、一度触れてしまえばおそらく病みつきになる。
誰だって、柊を見たら欲しくなる。
自分のものにしたくなる。
おそらく街で声を掛けられることもしょっちゅうあるのだろう。なぜ楡の誘いに乗ってくれたのかが改めて分からなくなる。
昨日もブックマークをいただき、ありがとうございました。
PV数も当初の想定の3倍くらいいただけているので、本当に救われる思いです。
私事ですが、明日から4泊の沖縄旅行なので、執筆活動が思うようにできない可能性が高いです。
今日1日を執筆活動に費やし、
6日(明日)の10時
7日の13時
8日の16時
9日の19時
10日の22時
にそれぞれ予約投稿しようと思います。
現状、ストックが2万字程度しかないので、自転車操業となること必至ですが、1日1回の更新はノルマなので頑張ります。