革命(2)
「何それ?」
楡は冷静さを装っているものの、アルコールの影響とは別に顔が赤らんできていることを自覚する。
いちかの発言は、告白を飛び越え、プロポーズにも等しいのである。
「にれっちみたいに優しくて落ち着いてる人が旦那さんやったら最高やろ。イケメンとかチャラ男に食いつくのは、遊びたい盛りの若い女の子だけや。うちみたいに真剣に結婚相手を探している女の子にとっては、にれっちは理想的な存在やな」
その理論によれば、若い柊が楡に靡くことはなさそうだ。
いちかに褒められて嬉しい反面、現実に直面して悲しくなる。
「……ありがとう。でも……」
「ちょっと待ってな。料理を注文するのを忘れてるで。このままやと、店側からしたらワイン一杯で粘る迷惑な客や」
すいません、といちかが再び高い声を上げる。
いちかは主導権を握るために、わざと自分の言いたいことだけを一方的に言って話を遮っているのではないか、と勘繰ってしまう。
いちかがピザやパスタなどを一通り注文し終えると、楡はすかさず話を元に戻す。
「アラサーって言うけど、いちかはまだ25歳でしょ。結婚に焦るような年齢じゃないよ」
「うちは子供がたくさん欲しいんや。高齢出産はリスクがあるからな。早く結婚するに越したことはないやろ?本格的に働き出すと、仕事で手一杯になって産休も取りにくくなるしな。今が婚期としてはベストや」
運ばれてきた料理に舌鼓を打つ間、楡はいちかの結婚観についての話を聞いていた。
いちかの話は、少女漫画の延長にある妄想劇ではなく、共同生活のメリットとデメリットを踏まえた、理路整然としたものだった。
持ち家よりも借家が良い、子供は高校まで公立に通わせるべき、などのいちかの意見には、今まで反対の意見を持っていた楡もつい説得されてしまった。
いちかは将来のことをしっかりと考えている。
パートナーに楡を選ぶことについては思慮が足りていないかもしれないが、18歳の少女に片想いをしている楡よりは遥かに地が足に付いている。
「なぁ、にれっち、うちと結婚したくなってきた?」
アルコールが回ってきているのか、頬を赤らめたいちかが、猫撫で声で楡に迫る。
スパークリングワインの後に頼んだ赤ワインのボトルは、空になる寸前だった。
「うち、いいお嫁さんになるで。尽くすで。ベッドでもな」
最後の一言はウィスパーボイスだった。
いちかが脚を絡めてくる。ふくらはぎの柔らかい感触が、楡の本能に働きかける。
テーブルの下に意識を向けていた楡は、指で優しく撫でられるまで、いちかの手が楡の首筋に伸びていることに気が付かなかった。
「そろそろホテルに移動せえへん?」
楡の顔を引き寄せたいちかが、楡の耳元で囁く。
楡の脳内で非常ベルが鳴る。
-早く断ち切らなければ。我慢することができるうちに。
「いちか、ごめんね。いちかみたいに立派な女性は僕には勿体ないよ」
いちかは頬を膨らませ、口を尖らせると、今度はテーブルの上の楡の携帯電話に手を伸ばした。
「ちょっと、いちか、何するの?」
「にれっち、実は彼女がおるんやろ。画像フォルダ覗いたるわ」
「やめて!返して!」
立ち上がった楡は、いちかが持っている携帯電話に手を伸ばした。しかし、いちかが躱したため、掌は空気を掴んだ。
「その慌てぶり、怪しいなぁ。もしやハメ撮りでも入ってるんちゃうん?」
「そんなのないから!恥ずかしいから返して!」
柊は写真に映ることが好きではない。
楡と柊は付き合っているわけではないため、2ショット写真を撮る機会もない。
もっとも、柊の写真は画像フォルダ内に僅かに存在している。
この前のカラオケボックスでの誕生日パーティーで撮った、ケーキと一緒に映る柊の写真はその一つである。
楡の携帯を操作していたいちかの指の動きがふと止まる。
「やっぱりあったわ。彼女の写真」
「いや、いちか、違うんだ」
「可愛い子やなぁ」
「いや、違う。その子は彼女じゃなくて……」
「別にうちに気ぃ遣わんでええで。なんとなく分かっとったから。むしろ、にれっちがうちに冷たい理由が分かって、少しホッとしたわ」
いちかは笑った。
口角は震え、目尻からは涙が垂れている。
なんて痛々しい笑顔なのだろうか。
「ごめん……」
いちかを傷つけないため、いちかとくっつく可能性がないことを示しているつもりではあった。
しかし、結局はハッキリしない態度に終始して、いちかに期待を持たせてしまったのではないか。
最初から「他に好きな人がいる」と断言するべきだったのだ。
そう断言できなかったのは、柊と結ばれる自信がない、という楡側の勝手な事情によるものである。
いちかの心を弄んでいい理由にはなりえない。
「……ぇ、ええで。恋愛なんでなぁ、か…片想いが関の山やがらなぁ……」
涙で声を詰まらせるいちかの背後に回ったものの、楡は何もすることができなかった。
彼女に背中に触れる権利も、彼女を慰める権利も、今の楡にはない。
震える背中をただ見つめているうちに、楡の頭にふと疑問が浮かぶ。
「いちか、僕、携帯にロックを掛けてたはずなんだけど。指紋認証をするか、4桁のパスコードを入れなきゃ携帯の画面を開けないはず…」
「ん?か…勝手に開いたで?」
いちかが力なく握りしめていた携帯電話を回収する。
たしかに携帯の画面は、ロックを潜り抜けた先のホーム画面となっていた。
「おかしいなぁ……壊れてるのかなぁ」
どういう理由でロック機能が動作しなかったのかは分からない。
とはいえ、いちかに柊の画像を見られてしまったことは動かしようのない事実なのだから、今さら携帯の具合を追及しても遅い。
楡は携帯電話をズボンのポケットにしまった。
いちかが泣き止むまで30分以上の時間を要した。
楡は、いちかが過呼吸のようになりながら嗚咽を漏らす様子を隣の席に座ってずっと見守っていた。
いちかの様子が落ち着いたのを確認すると、楡はそっと立ち上がった。
伝票を掴んだ手が、いちかの手によって掴まれる。
「にれっち、もう帰るんか?」
「だって、こんな状態になっちゃったんだから、もう帰るしかないでしょ」
「殺人遺伝子についてのとっておきの情報はいいんか?」
「それはまた今度でいいよ」
いちかの柔らかい指は、楡の手首を強く締めつけ、なかなか解放してくれない。
「いちか、離してよ」
「嫌や。ドルチェがまだや」
「それもまた今度で」
「にれっちには大事な彼女がおることを知った以上は、もう会ったり連絡したりはできへんやろ。今日中に全部済まそうや」
「……分かった。ティラミスでいいよね?」
楡が店員を呼ぶと、ようやくいちかが手を離した。
対面の席から見るいちかは、この店に来たときよりも何倍も小さく見えた。
大きな丸皿に載ったティラミスを丁寧に観察するいちかを見て、彼女が無類のケーキ好きであることを思い出す。
一口食べたいちかは、「まあまあやね」とどっち付かずの感想を述べた。
「さてさて、にれっちお待ちかねの殺人遺伝子についての情報なんやけど」
いちかの黒目の大きな瞳が、楡をまっすぐに捉える。
「キーワードは『フランス』やで」
「フランス?」
「せや。フランス革命を起こすんや」
いちかは剣に見立てたフォークを、天井に向かって高く突き上げた。
以上、いちかちゃん失恋の巻でした。
いやぁ、こういった恋愛ものの小説を書いていると、作者の恋愛観みたいなものが露骨に顕れてしまいますよね。嫌だなぁ。硬派な男だってバレちゃうなぁ←ぇ
それはさておき、「革命」というサブタイトルの由来にもなっている「フランス革命」ですが、内容の説明を次話、次々話でしたいと思っています。作者的には腕の見せ所です。ここを説得的に書けるかどうかがこの作品の価値をひとまず決めるといってもいいかもしれません。良い意味で「なろうの小説らしくない」ものにすることを目指します。……自分でハードル上げ過ぎですね(苦笑)温かい目で見守って下さい……




