革命(1)
「にれっち、久しぶりのデートやなぁ」
目の遣り場に困るほどに短いスカートを履いた関西娘は、腕を翼のように広げて、楡に歩み寄ってきた。
危機を察知した楡は、クルリと振り返ると、携帯電話の画面を見ながら言った。
「お店の場所を調べておいたんだけど、前の交差点を渡ってすぐのところにあるみたい」
「なんや、釣れないなぁ。じゃあせめて手くらい繋ごうや」
「いちか、そういうのはいいから」
楡は、携帯を持っていない方の手をグーにして、いちかの侵入を防ぐ。
「にれっちは難攻不落の小田原城かいな」
楡の隣にピッタリと密着するいちかの方をなるべく見ないようにしながら、楡は、いちかに指定されたイタリア料理店の方に向かって歩いた。
いちかに冷たく接することは、楡の本望ではない。
いちかのことは決して嫌いではない。
むしろ、好きだと思う。
いちかに無理矢理ハグをされ、頰にキスをされたあの晩からしばらくの間は、いちかのことが頭から離れなかった。
いちかは明るくて賢い。小動物のようにクリクリした目が演出する女の子らしさは、ボーイッシュな髪型によっても相殺されていない。締まるところが締まった豊満な身体は反則的である。すれ違う殿方が、名残惜しそうに目で追うことも頷ける。
いちかは楡にとって勿体無いくらいのいい女である。
しかし、楡はいちかの想いに応えるわけにはいかない。
楡がいちかに少しでも気がある素振りを見せることは、何よりもいちかに対して失礼である。
「にれっち、どうしてうちのこと避けとるん?」
席に着くと、楡がメニューを開く隙すら与えず、いちかが単刀直入に聞いた。
「別に避けてるわけじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「やっぱりなんでもない」
「なんやそれ。乙女心を傷付けとるんやから、ちゃんと説明責任を果たしてや」
いちかにキスされたあの日以降、いちかは頻繁に楡をデートに誘ってきた。
しかし、楡は適当な理由を付けてその全てを無下にしてきた。
もっとも、楡はいちかとの接触そのものを避けているわけではない。その証拠に、勉強会でいちかと顔を合わせることはたびたびあり、勉強会の後には普通に会話もしていた。
楡が避けているのは、いちかと2人きりになることである。
楡は押しに強いタイプではない。
いちかがさらなる強引な手段に及ぶことがあれば、どうなってしまうか分からない。
「まぁ、ええわ。にれっち、何飲むん?」
「うーん、オレンジジュースってあるかな」
「お子様かいな」
「すいません」と少し高い声でいちかが店員を呼ぶ。
チョッキ姿に左右非対称の髪型でキメた男性の店員が、足音を立てずに近付いてくる。
ネット上の口コミでは、「気軽に使えるカジュアルイタリアン」となっていたが、異国風の調度品を含め、店内のオシャレな雰囲気には気が引ける。楡が今まで訪れた店の中ではもっともハードルが高い部類に入る。
「白のスパークリングワイン2つ」
「ちょっと、いちか……」
「女の子にだけ飲ませるってどういうこっちゃ」
いちかは戸惑う店員に、スパークリングワインで念押しした。
マズイ。早速いちかにペースを掌握されつつある。
矢鱈と柄の長いワイングラスに、きめ細かい泡の炭酸が注がれる。夏の渇いた喉を潤すには足りない程度で、水位の上昇が止まる。
「2人の未来に乾杯」
触れ合うグラスが涼しげな音を奏でる。一旦消えていた気泡が、振動で再び弾ける。
「ねえ、いちか、本題の話だけど……」
「なんや。せっかちやなぁ。しばらく他愛のないおしゃべりに花を咲かそうや」
楡がおよそ2ヶ月ぶりにいちかと2人で会うことに決めたのは、ちゃんとした理由がある。いちかが「殺人遺伝子についてのとっておきの情報を掴んだで」とメールしてきたからである。
「教えて」と即レスした楡に対して、いちかは交換条件として、今二人がいる店のディナーを奢ることを求めてきた。
人参に釣られる馬よろしく、まんまといちかの思惑に乗っかっている楡であるが、メールの文末に「ホテル代はうちが払うから」という穏やかでない一言が添えられていたことからして、今日のディナーで楡がハッキリと意思を伝えなければなるまい。
その前に「とっておきの情報」とやらを引き出す必要があるが。
「真面目な話は酔う前にしておきたいんだ。ヘベレケな状態だと話す方も聞く方も難しくなるだろ」
「そうやって上手いことを言って、大事な情報だけ引き出して逃げるつもりやろ?甘いで。その手には乗らんからな」
「別にそんなつもりは……」
「じゃあ、キスしてくれたら、今すぐ話たるわ」
「え?」
「もちろんマウストゥーマウスやで」
レースのテーブルクロスの上に肘をついたいちかが、顔を近づけてくる。
内心とは裏腹に身体は嘘をつけず、心臓の鼓動が速くなる。
いちかの厚い唇は、きっとマシュマロのように柔らかいのだろう。
欲望に従うことができたのならば、どれだけ楽だろうか。
「いちか、そういうのやめようよ」
「は?」
「意味が分からないよ。いちかはもっと自分を大切にするべきだ」
「にれっち、勘違いしてんちゃうか?うち、誰に対してもこんなことをしてるわけじゃないで。にれっちにだけや」
「それが意味分かんないんだよ。どうして僕なの?」
「好きやから」
「どうして好きなの?」
「好きになるのに理由なんて要るんか?」
好きになるのに理由なんてない、とは恋愛における定説の一つである。
しかし、この定説は現実の恋愛の全てに当てはまるわけではない。
少なくとも、楡のような何の取り柄のない男を好きになるのには、特別の理由が必要である。
「僕は異性からモテるタイプじゃない。いちかみたいに引く手の数多な女性からアプローチされる意味が分からない」
「引く手数多とは過剰評価やなぁ。ホンマに引く手数多やったら、アラサーまで独身やっとらんわ」
「そうかな?いちかみたいに明るい女の子はすごくモテると思うんだけど」
「お世辞ありがとさん」
「お世辞じゃないよ」
ようやく会話が止まったので、2人はスパークリングワインで喉を湿らせる。
ジュースのように甘く、お酒を飲んでいるという感じがしない。気を付けなければ飲み過ぎてしまいそうだ。
「にれっち、ホンマに私がにれっちにアプローチしてる理由が分からんの?」
「うーん、マルチ商法?」
「そうそう。実は今日、どんな料理にも使える万能な鍋を用意しとんねん……ってドアホ!んなわけあるかい!」
関西人らしいキレのあるノリツッコミだった。
「にれっちは、ホンマに自分がモテへんと思っとるん?」
「現に今まで一度もモテ期がきたことはないからね」
「多分、これからモテるで」
「どうして?」
「にれっちは、世の女性が旦那さんにしたいタイプやねん」
本作に感想を寄せてくださったなにいろ様、ありがとうございました。
なにいろ様は、ムーンライトノベルズというなろうの姉妹サイトで、「銀の雨雲」という小説を連載されています。神の国の王族についての物語なのですが、事物や心情の描写がとても美しく、とても荘厳で格式のある作品となっています。R18指定が付いていて、官能的な愛のシーンもあるのですが、このシーンもまた美しいんですよね。エロいのにエロくないんです。まさに愛ですね。愛。
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