祝福
カラオケボックスの重い扉を押して現れた柊は、目を皿のようにまん丸にした。
「柊、お誕生日おめでとう!」
クラッカーの破裂音に驚いた柊がのけ反る。ドアノブを握っていなければ、廊下に倒れ込んでいたかもしれない。
楡の頭の上に乗っかっているトンガリ帽子、テーブルの真ん中に陣取る赤い箱、壁面でキラキラと輝くスパンコールの順で目線を動かした後、少女は楡の満面の笑みに対して問いかける。
「どうしたの?」
拍子抜けする言葉に、楡が思わず吹き出す。
「どうしたの、って何?僕の頭が突然狂い出したとでも思う?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
柊が小さな手で小さな顔を覆う。
細い指の隙間から光るものが見えたとき、楡は心の中でガッツポーズをする。
柊と初めて出会った頃、柊が涙を流す場面は幾度となく見たが、嬉し涙を見たのはこれが初めてである。
「楡、ごめんね。私馬鹿だから、正しい言葉が浮かばなくて……」
「いいんだよ。柊の気持ちは十分に伝わったよ。とりあえず、席に座って。一緒にお祝いしよう」
楡は柊をソファーへとエスコートする。
ソファーの上には、100円ショップで買った「本日の主役」と印刷された襷を置いてあったのだが、柊は気付かないまま、それを小さなお尻の下敷きにした。
「ちょっと待ってね」
楡がカラオケのリモコンを操作する。
予めセットしてある曲を送信するだけだったので、操作は一瞬にして終わり、この世に生を受けた者ならば誰でも知っているであろう音楽が、部屋中に反響する。
「普通はアカペラで歌う曲なんだけどね。今日は特別ね」
楡は柊と同じソファーに腰掛けた。
柊と肩が触れ合う。家にいるときだって、こんなに近い距離に2人が座ることは滅多にない。シャンプーの良い香りが鼻腔を刺激する。
歌は得意ではないが、丁度良い具合にエコーを設定してある。
楡は自信を持ってマイクに声を吐き掛けた。
「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディアーヒイラギー、ハッピバースデートゥーユー」
楡は熱唱した。
こんな子供じみた曲を熱唱することの恥ずかしさは、柊を招く前に何度も練習することによって克服済みである。
大型のテレビに映し出された歌詞を確認するまでもなかったため、歌の最中は、ミラーボールによってクルクルと色を変える柊の横顔をじっと見ていた。
「柊、お誕生日おめでとう」
整った顔が楡の方を向く。
鼻息がかかりそうなくらいの近さで、2人の目が合う。
その刹那、時間が止まる。
それは次の行動までの余白である。
緩やかな丸みを帯びた柊の身体を抱きしめ、そっとキスをする、という本能からの指示が、楡の頭の中を支配する。
柊の真っ赤に腫れ上がった目が、楡の欲情をさらに高める。カラオケボックスに入ったときには付けていたマスクも、今は外れており、柊の薄くとも色みの強い唇が露出している。
しかし、楡の理性が、官能的な行動を制御する。
「冷静になれ」と楡に告げる。
「柊はそんな行動を求めていない」、と。
本能と理性に挟まれた楡は、次の行動がなかなかとれないまま硬直する。
柊は柊で、別に目に入れても嬉しくとなんともないであろう楡の不細工な目を、しばらく見つめていた。
楡の勇気ある行動を待っている……ことはおそらくない。
楡が腰を浮かせて、柊と拳一個分の距離をとったとき、ようやく時間が動き出した。
時間が動き出したときには、2人は「いつもの2人」に戻っていた。
「楡、本当にありがとう」
「ショボいお祝いでごめんね」
「ううん。ショボくなんかないよ」
柊は頭上の輪飾りに目を遣る。
金銀にコーティングされた折り紙を細長く切り、セロテープで端同士を止めることによって作られた、極めて簡素なものである。
「こんな手作りのお祝いなんて、女の子は一番喜ぶに決まってるよ」
「だったらいいんだけど」
柊に褒められたことは素直に嬉しかった。
柊の誕生日をどのように祝うかについては楡なりにかなり頭を悩ませたのである。
普段、柊は楡の家にほとんど引きこもっている状態だったので、誕生日くらいは家の外に連れ出してあげたい。とはいえ、人の多い場所に連れ出すと、柊が殺対の人間に見つかってしまうリスクがある。
そこで、カラオケボックスをお祝いの場所に選んだ。味気ないデザインの個室は、楡がデコレーションすることによって、なんとかお祝いムードのある空間へと改装した。
「柊、今日はケーキも用意してあるんだ」
楡がテーブルの上の赤い箱を持ち上げると、丁寧にテープを外し、CDくらいの円周のホールケーキを取り出した。生クリームによって純白に包まれたスポンジの上に、さらに生クリームがホイップされており、その頂には艶やかな発色の苺が載っている。
ケーキの芸術的ともいえる美しさに、楡の期待通り、柊は目をキラキラとさせた。
「綺麗……」
「すごいよね。食べるのが勿体ないくらい。でも、味も美味しいって評判のショートケーキなんだ。一緒に食べよう」
少し力を加えただけで崩れてしまいそうなほどにふわふわのスポンジをテーブルナイフで切り分けるのは一苦労だった。
楡は、4つに切り分けたケーキのうち、より形の綺麗な2つを柊に差し出した。
繊細な味を逃がさないように、ケーキを食べている最中の2人は自然と無言になった。
柊がケーキの味に満足していることは、クリームを舌で転がしながら、彼女が猫のように喉を鳴らす様子から伝わってきた。
そんな愛らしい柊の姿を見ると、楡は自分の気持ちを抑えられなくなりそうになる。
楡がずっと覚悟していた質問が柊の口から出てきたのは、2人の前からケーキが跡形もなく消えた後だった。
「楡、どうして私の誕生日が分かったの?」
「……え、あ…その……」
楡は、柊に直接誕生日を訊いたことが何度もあったが、いずれの場面でも柊は回答を拒絶した。「ひ・み・つ」と可愛く舌を出すこともあれば、わざと違う話題を持ち出してお茶を濁すこともあった。直近では、「日頃お世話になってるのに、誕生日まで祝ってもらうのは申し訳ないから」と、誕生日を教えない理由を楡に説明した。
「柊、ごめん」
「なんで?なんで謝るの?」
「柊の保険証を勝手に見ちゃった」
楡は平手を重ねて謝意を示す。柊の反応を見るのが怖くて、思わず目を瞑る。
「財布の中を見たっていうこと?」
「えーっと、まあ、そうだね……。柊がシャワーを浴びてるときに」
ふーん、と柊が鼻を鳴らす。
ヒステリックに怒ることはないようだが、楡を許すような感じでもない。
「見たのは保険証だけ?携帯は?」
「保険証だけだよ。携帯は見てない。財布にあった他のものにも一切触れてない」
これは事実である。
楡は、柊が遺伝子検査官から逃げてきたときに持ち出してきたらしいポシェットから突き出ていた長財布だけを取り出すと、できるだけ中身を物色しないようにしながら、保険証を探した。
保険証も、「安原柊」という名前と「2038年6月14日」という誕生日だけを確認すると、すぐに財布に戻した。
柊のプライバシーにはなるべく配慮をした。
「保険証を見たのは、誕生日を知るだけのため?」
「そうだよ」
これは嘘だ。
楡はたしかに柊の誕生日を知りたかった。
しかし、それだけのために勝手に保険証を見るような真似はしない。
誕生日を断固として教えたがらない柊に対して、楡はとある不審感を抱くようになっていた。
それが下らない猜疑心に過ぎないことは自覚している。
しかし、一旦生じた心の曇りを晴らすためには、もはや客観的証拠に依存するしかなかった。
柊の保険証を見て、柊の名前と生年月日を確認した楡は、ホッとした。
急に自分のしていることがとても愚かなことに感じられた楡は、「6月14日」という日付だけを頭に刻むと、慌てて保険証を元にあった場所に仕舞った。
「『柊』っていう名前だから、てっきり冬に生まれたのかと思ってたよ。柊のお母さんは、何か特別な思いを込めて名前を付けたんだろうね」
「さあね」
柊が冷たく吐き捨てる。
柊がこのような態度をとるのは当然である。
楡がやったことは、同居人として、楡に気を許している柊に対する裏切り行為に等しい。柊のすげない態度が、楡への罰として相応しい。
「楡、これからは私の私物に勝手に触らないでね。楡のこと、信じてるから」
大きく頷く楡を、柊は、柊の葉のような棘棘しい目つきで睨みつけた。
勝手ながらクリスマス休暇をいただいていましたが、今日から連載を再開します。
前回は謝罪しなければならないことがたくさんあったのですが、今回は感謝したいことがたくさんあります。
はじめに、「殺人遺伝子」がおかげさまで1万PVを突破しました。ありがたいです。現実感がなくてフワフワしてしまいます。分不相応な評価に、身の引き締まる想いです。
次に、「介入」完結後に、一気にたくさんのptいただき、感謝しております。当たり前なのですが、読者の皆様はしっかりと作品を読まれているなぁと再認識しました。グダグダとオチもなく書いているときにはptをほとんどいただけてなかったので(苦笑)
「介入」の話は、読者の皆様から一定の支持をいただけたのかなぁと満足しております。
最後に、本作に感想を寄せて下さった方々、本当にありがとうございます。感想のお返しはそれなりにできているのですが、後書きでの作品紹介が滞っていてよろしくないな、と思っています。次回以降、後書きで作品を紹介させていただきます。
本話は久々の柊ちゃんパートでした。全てが伏線なのではないかというくらいにとても重要なパートです。
次回はいちかちゃんパートです。どんどんストーリーを盛り上げていきますのでよろしくお願いします。




