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殺人遺伝子  作者: 菱川あいず
第1章
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非運命(1)

 「運命」を信じているのは、何もロマンチストだけではない。

 佐伯楡も「運命」を信じているが、それは自分の無力感を反映した世界観に基づくものだった。


 

 人生はコリントゲームに似ている、と楡は思う。


 発射された玉がどこの穴に落ちるかは、最後の最後まで分からない。

 しかし、玉に力を加えられるのは、最初の打ち出すときだけであり、その後の玉の行方ゆくえは釘に弾かれるに任せられている。


 楡の人生が進む方向だって、それが楡自身には予想できないだけであって、実はこの世に生を受けた瞬間に全て決まっている。


 コリントゲームにおいて、どの釘に当たってどの方向に弾かれるかが、打ち出された玉の軌跡、速度によって物理法則的に決定されているのと同じように、楡が生涯において誰と出会い、その人物によってどの方向へといざなわれるかは予定調和の下にある。

 楡は決して「運命」の筋道からはみ出すことができないのである。

 



 そんな楡の人生観を覆したのは、ある少女との出会いだった。




 2056年2月10日、楡はその少女と「運命的ではない」出会いを果たした。


 帰宅途中の楡は、JR千葉駅のホームへの階段を上っていた。

 足元ばかりを見ているので、周りの景色は一切入ってこない。自然と視点を下方に向かわせる猫背は、自身の鬱屈うっくつとした性格を餌として長年かけて築いたものである。


 ホームに着いた楡はようやく地面から目を離した。電車の発車時刻を告げる電光掲示板を確認するためである。


 しかし、空中の電光掲示板よりも先に目に飛び込んできたのは、水色のコートと、そのコートを羽織った色白の少女だった。



 少女は近くにいたわけではない。

 ホームの最もはし、車両の最後尾が到達する地点に立っていた。

 楡と目が合ったわけでもない。少女の身体は線路の方を向いている。

 

 楡が少女の近くまで歩いていく理由はなかった。

 楡はこれまで毎日そうだったように、階段を上ってすぐの場所にできていた列の最後尾につく。

 


 列に並び、電車を待っている間、楡は少女のことが常に気になっていた。


 少女との距離は20メートル以上近くあったし、少女は決してこちらを振り向くことがなかった。そのため、楡には少女を見つめ続けることが許されていた。

 

 自分の目に映る少女について楡は想像する。少女の目には何が映っているのだろうか。少女は何を感じ、何を想っているのだろうか。



 鼻にかかった駅員の声が間もなく電車が訪れることを告げる。

 

 少女を見ていられる時間もついに終わる。

 電車に乗り込めば、雑多な人混みに揉みくちゃにされることによって、無機質な現実に引き戻される。彼女と会うことはもう二度とない。



 気が付くと、楡の足は勝手に動き出していた。

 狭いホームで人を掻き分けながら、少女の方へと一直線で駆ける。


 ホームの端に近付くにつれて人の霧は晴れていき、ついに電車のヘッドライトを逆光に受けた少女の横顔が手の届くくらいの距離に来た。運動不足がたたり、これだけの距離を走っただけなのに肩が激しく上下している。楡の呼吸の音に反応して、少女が振り向く。


 少女は西洋の人形を彷彿とさせるような彫りの深い顔立ちだった。

 目鼻立ちがスッキリしていて、人間らしからぬ美しさである。肌も人工色のような透明な白であり、「実は雪女だ」と告白されても微塵みじんも疑わない。



 振り返った少女は、一言も発さず、ただ楡のことを凝視ぎょうしした。

 この態度は正しい。

 状況的に考えて、先に声を掛けるのはどう考えても楡の役目である。


 楡は急いで呼吸を整えながら、発すべき言葉を考える。

 こういうとき、どう声を掛けるのが自然だろうか。

 


「あの……僕とお茶でもしませんか?」

 

 楡にとって人生初のナンパだった。

 もっとも、楡の誘い文句が少女に届いたかどうかははなはだ怪しい。

 ホームに侵入した電車が発するけたたましい轟音ごうおんによって、楡の声が完全に掻き消されていたかもしれない。相変わらず無言で楡を凝視している少女の態度はその可能性を示唆しさして余りある。もう一度話しかけなければならない。楡は繰り返す。

 


「あの……もしよければ僕と……」

「いいよ」

 少女は低い声でそう言った。


「え?何が…?」

「お茶だよね?いいよ」

 少女の返答は喉をほとんど振動させない低音だったが、おそらくこれは彼女の地声なのだろう。不機嫌な美少女がナンパに応じるわけがないので、不機嫌さの表れではないだろう。



 自分で提案しておきながら、まさか少女からこのような返事が聞けるとは思っていなかったため、次のセリフを一切用意していなかった。

 楡があたふたとしている様子を少女はただただ見つめている。


 その間、停車した電車のドアが開く。

 


「とりあえず、この電車で移動しましょうか」

 時刻はすでに19時過ぎであり、冬の太陽はとっくに役目を終えている。少女を遠くに連れ回すつもりはない。おそらく少女は帰宅するためにホームで電車を待っていた。とすれば、この電車は少女の家の方面へと進むはずだ。

 

 少女は頷くと、楡より先に電車に乗り込んだ。



 楡は自分がとんでもないことをしてしまったことに気が付いていた。間違いなく、この少女と楡は本来交わることのない位置にいる。


 別々のストーリーの中で人生を歩み、かつ、これからも歩んでいくべき2人である。

 

 楡のしたことは、ドン・キホーテが突然白雪姫にチョッカイを出すようなものである。ねじれの位置にいる2人には、出会うきっかけも必要も理由も何もかも存在していなかった。



 楡は突飛な行動によって、自分の運命にはない出会いを果たしてしまった。



 楡が自分の意思によって玉の行方を変えたのは、初めてのことだった。


 昨日、早速ブックマークを付けて下さった方には大変感謝しております。

 期待していただけて嬉しいと同時に、期待に応えられる作品を生み出さなければならない、と身の引き締まる思いです。

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